六月 日々のできごと


過去のできごと
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2002/6/30

昨日のお話なのですが、自宅で机に頬杖をついて悶々としておりましたら、隣の部屋から音楽の如き悲鳴が聞こえてきました。なにやらお隣さんが三位決定戦で韓国応援中らしき模様でした。

韓国には商売の上でさんざん世話になっておるのですが、お隣さんの興奮の雄叫びが大変耳障りだったので、どれどれとテレビをつけて、トルコを応援することになりました。

韓国負けやがりました。はっはっはっはっ。

気分をよくしたわたしは、雨の中を外へ出て、気がつくと駅前の松屋のカウンターで悶々としておりました。

牛飯についてきた生卵をじっと見つめていると、今日が終わってしまったのでした。


2002/6/29

忙しき業務の有様に悲鳴を上げていたのですが、なぜか体調だけは崩れる兆候を見せずピンピンしておりました。

「ひどい生活をしているのに、どうして体調が崩れないのですか」と同僚の新潟人O氏に問いかけると、氏は「それは君が強い心の持ち主だからだよ。健全な魂には健全な肉体って言うだろう」なとど申します。

「いやあ、実はわたしもそうではないかと思っていたのですよ」とわたしはあざとく笑うのですが、真実は、心の強弱と体調の具合の無相関性に求められるような気が致します。


2002/6/28

今日は休みをいただいて、家でゴロゴロしておりました。


2002/6/27

午前中に乗る電車というものは、その空き具合がそこはかとなく終末感を漂わせ、ドキドキ致します。車窓の向こう側には、雨にぬれた住宅地と爪楊枝のような電柱がだだっ広い関東平野を埋め尽くしていました。

夜になり、立ち寄ったコンビニで初めて食玩戦車を見つけました。車の中でごそごそと袋を開け、「わ〜〜い、W号せんしゃ〜〜♪ って、うわさには聞いてたけど何ですかこのディテールは!」と小さなしあわせに包まれました。


2002/6/26

やうやう、業務の多忙さも終わり、家に帰れることになりました。早朝に全てが終わり、ここさいきん朝帰りを余儀なくされている同僚の新潟人O氏を後目に、帰り支度を始めました。

「そうだ、『小林サッカー』の上映時間を調べて帰ろう〜(はあと)」とわたしが云うと、氏は「死ぬほどむかつくぅぅぅぅぅ」と身悶えました。

ほっほっほっ。死ぬがよいのです。


2002/6/25

同僚の京都人Tがため込んだ柿の種を、「ストレスがたまるう」と云いながら上司の沖縄人C氏が貪り食っておりました。

「沖縄の透き通った海にストレスなどありますか」とわたしが氏に苦言を呈すと、氏は一瞬影のある表情をなされ、「ここは東京なんだよ」と微笑みました。


2002/6/24

床の上で失神していても、容赦なく紙袋の山が運ばれてきました。「もう起きあがれないです〜。取り敢えず、机に載っているその書類とってください〜」と転がったまま上司の沖縄人C氏に叫び声をあげたのでした。


2002/6/23

もう走れないのです。


2002/6/22

眠いとも何ともわからぬ心地の良くない気分で、コンビニ袋をぶら下げて自転車をゆっくり漕いでおりました。梅雨の合間の空は、鮮やかな青色でした。

前の方から、同僚の新潟人O氏が歩いてくるのが見えました。多忙のため、もう一週間以上も風呂に入っていないと豪語する汚らしき御仁は、嫌らしき笑顔で申しました。

「いやあ。きみほど青空の下が似合わない人間はいないねえ」


2002/6/21

触らせてくれる猫と触らせてくれない猫がこの世界には存在いたします。家庭菜園と一戸建ての住宅地が並ぶ東大和の一角で出会った巨漢の猫は、当方が近づいても悠然としている憎い猫でした。

手を差し伸ばせば、愛想無き外面には合わないかわいげな声を発し、鼻をくんくんと動かします。ただ、わたしと猫の間には垣根があり、わたしは届かぬ手をずっとつきだしたままで、猫は差し出された指を見つめるばかりでした。

そんな状態で、ゆっくり時が流れて参りました。諦めて仕事に戻ろうととぼとぼ歩き始めると、時間がとんでもない早さで流れを取り戻し、「はわわ〜」と情けない声を発している内に、知らぬ間に今日も敗北してしまったのでした。


2002/6/20

毎日、遅くまで残って労働に勤しむ同僚の埼玉人Hへ、上司の埼玉人K氏がなにやら労りの言葉をかけている様子でした。氏の温情にすがりたいと思った卑しきわたしは「もっと働いているわたしのこともいたわってくださいよ〜」と情けない言葉を氏に浴びせました。

氏は困った表情をされ、「君は別班だからなあ。そうだ、直属の上司、沖縄人Cくんに慰めてもらえ」と申されました。

当の沖縄人C氏は、その一時間ほど前に「腹減った。何喰おうかな」と腹を叩きながら帰宅されていたのでした。


2002/6/19

かみさま、ここがばれていたみたいです。
どうすればよいのでしょうか。


2002/6/18

眠いよう。


2002/6/17

ふへ〜。


2002/6/16

はへ〜。


2002/6/15

わたしは信じられぬほど鈍足な人間ですが、通常の歩行だけは足早にセコセコと致します。同僚の新潟人O氏は、泣きそうになりながらパタパタと彷徨きまわるわたしの姿を見て、「何かにおびえてるやうだね」と云います。

それはまことにもって真実なのですが、残酷な事実は空虚な美化へと昇華すべきと考えるわたしは、「違うのですよ。人生が限られたものと知っているからコソコソ歩き回るのですよ。わたしは限られた生を享受したいのですよ」と氏に云いました。

「君、それではまるで蝉ぢゃないか」

氏は涼しげな顔で人生の真実を語るのでした。


2002/6/14

「われわれに必要なのは休養です」
「そんなものは死んでからとればよい」
(小林源文)

でも、死にたくはないですよねえ。


2002/6/13

本日のおねいさん日記

朝の恵比寿駅に降り立てば、このせかいが午前九時に出勤するひとびとによって支えられていることを、社会の限りなき繊弱な寄生虫であるところのわたしにも理解できるような気がいたします。「明るい労働疎外!」と意味の分からぬ語句を頭に浮かべながら歩いていると、せかいは就職活動中と見受けられるおねいさんをわたしの視界に出現させました。

就職活動のおねいさんは、どうしてかわいいのでしょうか? 不安でドキドキしているおねいさんは、いつだってかわいいのです。


2002/6/12

早朝。涼しく曇る三鷹の空の下を車で走っておりましたところ、バス停に寄り添ってうたた寝をするおねいさんが目に入りました。このせかいは、あのかわいいおねいさんのものに違いないと思いました。


2002/6/11

蒸し暑くたいへん不快な深夜のできごとでした。駐車場の入り口に佇んでいると、同僚の新潟人O氏が車で道路に出ようとしていました。氏は、わたしの哀れな顔を見つけると「hahahaha」と高らかに嘲笑しました。わたしは氏の愛車、パルサーのボディを傘の柄でぼこぼこ叩きました。


2002/6/10

曇天の隙間から見える青空が美しい。

ああ、これはいかん。


2002/6/9

夜の八時頃、サッカーを観戦せんと阿佐ヶ谷駅のホームを小走りで駆けていく恋人たちを見て、「今日も平和ですなあ」などとは断じて微塵も思ったりはしないのですよ。


2002/6/8

暇無き毎日を送るようになると、楽しみといえば、喰うことくらいになってしまいます。

新発売の「チャーシュー丼弁当」をわたしがしあわせそうに食べていると、「いい匂いがするなあ〜」と上司の沖縄人C氏が外灯に吸い寄せられる蛾の如く近寄って参りました。

さいきん、氏の一挙一動に過敏に反応するわたしは、「さとうきびに覆われた大地で幼少→青年期を過ごすからそんなに食に対して意地汚くなるのですよ。薩摩藩が侵犯するのも当然のことなのですよ」と氏に対して混乱した批判を投じました。

氏は、荒れ果てたわたしのこころに塩水をなすりつけるような朗らかな笑顔をされ、「買おうと思っている携帯、三万五千もするんだよ。でも、すげえ薄いんだぜい」と申されました。


2002/6/7

業務のあまりの状況のひどさに涙目になっているわたしを見て、上司の沖縄人C氏は「考え込んでも仕様がないよ」とおのれの太鼓腹をぽんぽんたたき、「一日一杯、ドクターペッパー」と沖縄の青い海のような鮮やかな表情をして、それを吸引し始めたので、わたしは机に転がっていた赤のボールペンを氏に向かって投げつけたのでした。


2002/6/6

同僚の東北人E氏が、童女を愛して止まない同僚の徳島人Yのデスクトップを見て微笑んでいたので、「何を笑っておるのですか」と咎めました。

「生態のよく解る壁紙だねえ」と春の微風に吹かれたような顔で氏はおっしゃるのでした。


2002/6/5

さいきん閑を持て余しているらしい忌まわしき制作の埼玉人A氏から、同僚の新潟人O氏のもとへ、猫虐殺画像が送られて参りました。「人間の死体は平気だけど、愛玩動物のそれはいや〜〜〜〜」とO氏とともに興奮し、手で顔を覆いながらも指の隙間からちらりと見ようとするのですが、度胸が無く「やっぱりいや〜〜〜〜」と女子高校生の如くはしゃいでいると、傍らで同僚の東北人Hさんが「もう帰る」と不快気に声を荒立てました。

そんなHさんに、わたしは興奮の余波にのって「わたしより早く帰るとは何事ですか」と暴言を吐くのでした。Hさんごめんなさい。ついでにわたしに愛をください。


2002/6/4

日本代表とアイダホ州立大学パソコン部サッカーチームが対戦するとしたら、わたしは民族共同体の壁を越えて、声を枯らして、とうぜん全員がギャルゲーを愛しているナードであるところのアイダホ州立大学パソコン部を応援してみせます。こうして、愛はこの世界を包み込んで行くはずなのです。

そして、「愛が地球を救う」なんてうそっぱちなのです。愛は地球をぶっこわしてしまうに違いないのです。


2002/6/3

深夜に都心を通過すると、方々にお巡りさんが立っているのが見受けられます。国家権力に奇妙な憧れを抱く完全無垢に善良な小市民であるところのわたしは、「くうう〜、かっこええ」と思ってしまう平和な夜明けなのでした。


2002/6/2

しあわせというものは、油断しているとすぐに手の平から飛び立ってしまいます。だからといって、離さぬようしっかり掴んでしまうと、圧壊してしまうように思えます。

月曜日がまたやって来ちゃうのです。いやだいやだ。


2002/6/1

小説 ドクターペッパー


調布飛行場の脇を通るとき、いつもわくわくする。ひしめき合う住宅地を抜けて、ぽっかりとしたその空間に出ると、懐かしい景色に出会える。

子どもの頃、郊外に広がる田園地帯を、よく自転車で通り抜けた。自転車を止めて地平線を眺めると、夕暮れに照らされた高層住宅が彼方に見えた。そんな斜陽な景色が素晴らしい。

一年前のちょうど、いまくらい。飛行場の脇道で車を止めて、小さなスタジアムの青い光をずっと見つめていた。とても疲れていた。

道端の草むらで、自販機が孤独に光を放っていた。吸い込まれるように歩いて行き、前に立って硬貨を入れた。

赤銅色のそのスチール缶を見たとき、すこしだけボタンを押すのを躊躇した。嫌な予感がした。缶には「20種類以上のフルーツフレーバー」と印字があった。何のことかよく解らなかった。

車に乗って、缶を開けると妙な香がした。飲んだ。




「ぶはぁっああ、うげえ」



<完>



わたしはあのとき飲んだドクターペッパーの味を記憶から落っことしておりますので、もはやそれがどんなものか語ることは出来ません。ただ、ドクターペッパーを口にしたあの熱帯夜の湿っぽい車内で、ひとつ浮かんだ言葉がありました。「ニッキ水」です。みなじりさまは、ニッキ水を飲んだことがありますか?

ドクターペッパーを一口飲んだところで、わたしこれ以上の吸引を試みたくはなかったのですが、生来の貧乏性のため捨ててしまいのもどうかと思い、無理矢理飲んでしまいました。重苦しい余韻とともに胸焼けがいつまでも残りました。


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