十月 日々のできごと


過去のできごと
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2002/10/31

「小便」と云うものは、はたして「しょんべん」なのか「しょうべん」なのか。わたしは判断が付かず、困惑しておりました。同僚の新潟人O氏に尋ねれば、

「う〜ん、ボクの場合は“しょんべん”だネ。あ、いや、“しょうべん”が正しいかも…」

と、埒が空きそうになくなって参りましたので、「まっ、小便如きに頭を悩ましてもしょうがないのですね」と氏に申しました。

その言葉は氏の逆鱗に触れたらしく、「最初に振ってきたのはキミぢゃないか。それだからキミの周りからは人がいなくなって行くんだヨ。その点ボクなんか――」

と、また埒が空かなくなるのでした。


2002/10/30

白熱灯のスタンドがおのれの机を照らす情景を、同僚の新潟人O氏は、「寒風の吹く中、暖かみのあることヨ」と申されました。仕事に打ち拉がれ、ロマンティズムに逃れがちな氏を見るたびに、思うことがあります。斯様に、夢見がちな氏を現実界に引き戻してこそ、日頃から氏の厚情の恩恵に預かる身に課せられた道ではないかと。わたしは意気揚々と申し上げました。

「他の方の机には電気スタンドなど無い中に、ひとつだけ照らされた机があると、小生意気な、などと云う感情も沸いてくるものです」

氏は不快そうに仰いました。

「キミはどうして、粗を探すことしかできないのかネ?」


2002/10/29

同僚の新潟人O氏は、たいへんな疲労を被っている様に見受けられました。氏は、「コピーが終わるほんのちょっとの間、寝かせてよネ」仰い、おもむろに瞼を閉鎖なされようとしました。日頃から世話になり、氏に対して莫大な恩義を感じるわたしは、

「ほほほほほ」とか

「ひょひょひょ」など

奇声を発して、氏の安らかなる眠りの援護を致しました。氏はか細い悲鳴の様な声で云われました。

「眠れないのだよネ。キミはまるで変質者だヨ」


2002/10/28

やや寒気が感じられたので、分厚い格好をしておりました。

チョコとポテチを喰っていた同僚の埼玉人Hに「さむいのですよ〜」と声をかけました。Hめは、

「えむやまさんは皮下脂肪が少なく見えるからなあ」

などと小賢しく世辞を云うのでした。ほっほっほ。


2002/10/27

社内LAN用のメッセージ送信ソフトで、ヴィジュアルノベルにおける相互作用感を再現できるのではないか。斯様な考えが、ふと、頭の中を通過してゆきました。わたしは、取りあえず、同僚の北海道人Kに愛のメッセージを送りました。

「なおと(Kの下の名前)く〜ん、朝だよ。朝ご飯だよ〜♪」

北海道人Kの方からは、「どぅほほう」と表記の困難な笑い声が木霊して参りましたが、メッセージへの返答はありませんでした。

対話の進まないことに腹を立てたわたしは、取りあえず

「なおとさんですか? 素敵なお名前ですねえ♪」

と送信ソフトをもってして、ドジなメイドロボな口調で、ふたたび語りかけました。しかし、「だっはほほは」という奇妙な笑い声が職場に響くだけであり、わたしはにんげんの相互理解の難しさを感じずには居られなかったのです。


2002/10/26

昨日から「おぼえてい〜ますか〜♪」と飯島真理を聴き続けているらしい同僚の新潟人O氏が、目を虚ろにさせながら、

「愛を覚えているかネ、キミは」

と問いかけてきました。うざったい心持ちになったわたしは「そもそも最初から知りもしないものを、覚えているわけがないぢゃないですか」とあしらったつもりだったのですが、云った途端に、わたしは自分で云った言葉の意味するところを理解して、心に闇の広がってゆく心地が致しました。


2002/10/25

たとえ生身ではなくて、幻想だとしても、大好きな人がいると云うことはたいへんな仕合わせなことですよ。

わたしが、同僚の新潟人O氏に斯様なことを申したところ、氏は何かとても可哀想なものを見ている様な顔をされました。


2002/10/24

過労で心身を混乱させている同僚の埼玉人Hが、過剰な笑顔で傍らを過ぎていったので、わたしは、「笑顔が素敵ですねえ」と声をかけてみました。

「いつも、爽やかであることが基本ですよ!」

埼玉人Sは云います。ついでに「でも、えむやまさんの爽やかさにはかないませんよ〜」などと宣い、わたしを大いに喜ばせるのでした。


2002/10/23

コンビニを通り過ぎる時、「クリスマスケーキ予約受付中」などと云う感情を複雑にさせる文字列が目に入り、年の瀬を早くも感じるのです。

思えば、少年時代のわたしは、年の瀬が近づくにつれてわくわくを感じずに入られなかったのですが、いつからか、正月が過ぎる度に人生が縮小していく心地がリアルの感ぜられるようになり、ついでに「ああ、もうお年玉ももらえねえ、畜生めい」、そのまたついでに「あと何年か経ったら、上げる身に――」と、わたしはとても居たたまれなくなるのです。


『エネミー・オブ・アメリカ』で見ることの出来る国家安全保障局の“まるでNASAの管制室みたいぢゃん”なセットは、最初、すごくけばけばしい印象を受けるのですが、よく見ると舞台設定がクリスマスの季節と云うことで、コンソールがギラギラに飾り付けられていて、その真ん中にツリーが置かれています。アメリカ人はとてもおもしろいものです。


2002/10/22

ミニストップのミルクティと云うものを同僚の新潟人O氏は、たいへん気に入った模様だったのですが、いつも買いに行くと売り切れていると愚痴をこぼし、とてもうざったく思っておりました。

ある日、氏が出社なさると、その机の上にはミニストップのストローがポツンと置かれていたそうです。氏は、斜め後方に座する同僚の埼玉人Sに向かって、「はは〜ん、さてはキミだネ、Sくん。買ってきてくれたのだネ」と大いに喜色あふれる声で仰い、埼玉人Sは「勿論ですよ。冷蔵庫に冷やしていますよ」と目を輝かせながら答えたそうです。


2002/10/21

わたしは彼女のベットのそばに座っておりました。長年、病を患っていた彼女は、布団を引き寄せ顔を隠し、嗚咽しました。わたしがのぞき込もうとすると、彼女はわたしの肩に手を回し、わたしの胸に顔を寄せるのです。


「…要するに、たとえ夢であってもおねいさんに抱きつかれると云うことはとても気持ちの良いことだと思ったのです」

同僚の埼玉人Hは、それを聞いて「ほほぉ」と発しました。

同僚の新潟人O氏は、「けっ」と仰いました。


2002/10/20

少年期のわたしは、パトカーの行列を従えて、裕次郎と渡哲也が煙草を吸い道路の真ん中を闊歩するのを、目を輝かせながら見ておりました。わたしも、斯様に煙草をふかしたいと強く願ったのですが、社会の目に人一倍恐怖を覚え、且つ健康への執着が甚だしいわたしは、法律の許す齢を遙か昔に通過した今日に至るまで、渡になることは出来なかったのでした。

しかしながら、中年にはまだ程遠いとは云え、そろそろ渋いおやぢに転身する心構えも必要になるのではないかと思うようになった昨今、ふと同僚の埼玉人Hの机に、奴めのキャメルが転がっているのを目にしました。その時、脳裏には渡哲也の勇姿がありありと浮かんでいたことをわたしは告白せねばならないでしょう。

わたしは、おもむろに一本取りだし口にくわえるのですが、生憎と社内は禁煙でしたので、火をつけず口内に突っ込んだまま、自分の机に戻りぼ〜っとネットを彷徨い始めました。

暫くして気分が悪くなり、わたしには渡哲也は無理であることを知ることになったのでした。


2002/10/19

故郷を離れ、遠く福岡の街までやって来たとき、上司の沖縄人C氏は初めて鉄道を見ることになりました。その時のC青年は、感激のあまり、風呂敷包みを線路にくくりつけたと聞きます。線路が風呂敷包みを遠くまで運んでくると思ったのです。

それから数年の後、C青年は福岡の街を離れ、東京に住処を移しました。この街でC青年が如何なる境遇の中を生きてきたのか、わたしには知る由も有りません。しかし、あのころ溢れんばかりに持っていた純朴の欠片すら見出せなくなった今日に至る氏の姿を見る度に、わたしは魔都・東京の恐ろしさを思わずにいられないのです。


2002/10/18

職場に突然カレーの臭いが漂いました。臭いのもとを辿ったところ、会議室で同僚の北海道人Kが、カレーヌードルを仕合わせそうに啜っていました。

お腹を空かしていたわたしは、食事中のKを覗き込み、そして立ち去り、また覗き込むという不審な行動を繰り返しました。笑い上戸のKは、わたしの行為を「えへへ」と笑い、また「えへへ」と笑い、そして「えへへ」と笑いました。

物事に機敏に反応して音声を漏らすKを見ていると、音楽の止まない限り踊り続けるフラワーロックが思い出されてきました。また、Kが大量生産されたあかつきには、笑顔で地球が埋め尽くされ、地上に平和が訪れるような気もして来るのでした(←元ネタ『To Heart』ですね)。


2002/10/17

長期の休暇を前にして、上司の沖縄人O氏は、外面を見れば普段と変わらぬ平静を保っているように見受けられるのですが、心持ちは浮かれているらしく、コンビニのパンを食い散らかしながら、社内を歩き回り、

同僚の埼玉人Hに「暗い顔しているねえ」とか、
同僚の東北人Hさんに「悩ましげな顔だねえ」など

声をかけてまわり、仕舞いには上司の埼玉人K氏に「まだ帰らないのお? 俺帰るよお〜」と宣い、K氏に「五月蠅い、死ね」と罵倒されるのでした。


2002/10/16

事ある毎に、同僚の新潟人O氏の「なあSくん、聞いてくれヨSくん」と同僚の埼玉人Sに話しかけるのが、たいへん煩わしく、「Sくん、Sくんと五月蠅いのですよ」とわたしは氏に諌言申し上げました。

氏は、寂しい顔をされ、「そういえば、Sくん、Sくん云っているなあ最近。気が付かなかったよ」と軽く溜息をつかれました。

「ボクも寂しい人間になったものだヨ」

そう仰って、氏は外の周りに出て行かれました。


2002/10/15

これは同僚の新潟人O氏も気に入るだらうと、氏に『さよなら、青い鳥』を見て頂きました。フラッシュが終わった後、氏は暫く微動だにせず、やがて「ああ」と不思議な音声を発し始めて

「これは、きっとボクが作ったんだヨ」

と震えながら電波を飛ばし始めました。で、帰宅して、もう一度ご覧になったそうですが、辛くて途中までしか見られなかったと仰られました。


2002/10/14

これはよい曲ですよ、と長谷川都を同僚の新潟人O氏に押しつけました。聴き終わって氏は「確かに良いが、このジャケットはいかんと思うヨ」と仰います。

「歌と顔は関係ないですよ。aiko先生を見てくださいよ」

わたしは泣きながら、机に転がっていたaikoのアルバムを氏に投げつけました。

「確かにaiko先生は良いのだがネ、そのジャケットはしまってた方がよいと思うヨ」

ジャケットを見た氏は顔を歪めるばかりでした。


2002/10/13

三年間愛用して来た携帯が、先頃、ついに臨終を迎え、機種の交換となりました。ここ三年間の科学技術の進歩はめざましく、カラーの液晶といつでもネットに繋がれることの喜びのあまり、着メロはネットで探してきたマルチのテーマになり、待ち受け画面は「みさき先輩らぶらぶ壁紙(自作)」と成り果てました。

「ほらほら、みさき先輩ですよ。これでいつでも一緒ですよ〜〜〜」

狂喜するわたしを見て、同僚の新潟人O氏は「けっ」と発声し、仰いました。

「時々、キミのことが羨ましくなるヨ」


2002/10/12

わたしが、新潟人O氏のたいへん汚げな靴下を見て、顔を歪めたところ、氏は「キミはなんて顔をするんだネ」と仰り、かくして氏の長々しいお話が開始されました。

「キミがいつのそんな幸薄そうな顔をしているから、キミはいつも不幸で、周りに人は集まってこなくて、ひとりぼっちなんだヨ。キミの上司の沖縄人C氏を見給へ。あの爽やかな笑顔を見習うべきなのだヨ」

それで、丁度近くにいた上司の沖縄人O氏の顔を見遣れば、幸福とはほど遠い暗い顔をされていました。「なんか悩み事ですか?」と問ふと、氏は仰りました。

「変なもん喰って、腹が痛いんだよ。」


2002/10/11

その日は、良く晴れていた秋空であったと聞きました。

同僚の新潟人O氏は、同僚の埼玉人Sととともに外の周りに出ていたそうです。最近、出社当時に純朴さを完全に喪失し、粗暴の一途を辿る埼玉人Sに心を痛めていた新潟人O氏は、何か心地の良い会話で場を持たせようと、「なあ、Sくん」と声をかけ、透き通るような青空に浮かぶ一点の雲を指さしました。

「あの雲は、何に見えるなナ♪」

埼玉人Sは、虫けらを見るやうな冷たい目を新潟人O氏へ向け、「さあ?」と微塵の興味もその会話に持てないような声色で、云いました。

居たたまれなくなった氏は、無理な笑顔で「キリンビールのラベルみたいだあ、あはは」と理解に苦しむ事を己の問いかけに己で答え、そして車内は、再び静寂に包まれたのでした。

帰社なさった氏は、涙ながらに語り始めました。

「何なんだネ、アレは」

それは、生きることについての永遠の問いかけのようにも思われました。


2002/10/10

にこにこしながら牛丼を抱えて入ってきた同僚の新潟人O氏が、たいへん薄気味悪い感じがしたので、なにを嬉しそうにしているのか尋ねてみました。

「初めて近所のスーパーに入ったんだよ」

氏の語るところによれば、店員が全員おねいさんで、店長も女性で、「こう〜、女の人のきめ細かさと云ふものが、店内に行き届いてネ…」

わたしは「はあはあ」と適当に答えながら長くなりそうな氏の語りをぼんやりと聞き流していたのですが、やがて氏はとつぜん怒気を帯始め、

「何だネ、キミのその態度は? キミはそうやっていつも斜に構えて、人のことをうんこうんこなどと云ふんだよ」

斯様に気を吐いて、牛丼をかき込む氏の後ろ姿は、何となしに三十路過ぎの哀愁が漂っているように見受けられました。


2002/10/9

車の走行距離と云ふものは、得てして自慢の種になる様に思われ、例えば、同僚の新潟人O氏は仰います。

「キミは前に、一晩で百キロ走ったと云うが、以外と楽なものだったネ。ボクも昨晩かる〜く百キロ超えさせてもらったヨ」

斯様な会話を、氏と共にしていると、上司の沖縄人C氏が嫌らしき笑顔で近づいてきて、

「俺なんかここ三日で五百キロ超えたぜい」

と、ものすごく嬉しそうに語り始めました。

「したり顔で云ふ人がいるんですよ、走行距離を」

新潟人O氏は、とても不快そうに仰いました。


2002/10/8

暇を持て余してネットを漂っていたらしい上司の沖縄人C氏が、唸り声をあげながら「う〜ん、どうしやうかな? 買っちゃおうかなあ」と仰いました。

同僚の新潟人O氏が「何を買いたいのですかネ」と尋ねると、氏は「教えてやらぬ」と取り付く島もございません。業を煮やした新潟人O氏は、「知られたくないのなら、はじめから何も叫かねば良いものを。淺まし」と憤慨なさりました。

何を買いたいのか知られたくはないものの、でもでも何かを買いたいという態度だけは周知にして注目を被りたいという氏の態度は、奥床しいながら図太くありたい沖縄の海を意味不明に連想させる様でした。


2002/10/7

無邪気な衝動に身を任せて駆けずり回る同僚の埼玉人Sを見て、同僚の新潟人O氏は何か懐かしいものを見る様な顔をされました。

「ボクがかれの年の頃は、もっと大人だったと思うネ」

氏は頼まれもしないのに、訥々と語り始めました。

「あの頃は人生ってとても楽勝なもののやうに想ったネ。金はどんどん入ってくるし、若さ故に将来の不安もなく、気儘にその日を暮らしたものだヨ」

其処まで語られると、氏は暫しうつむき、やがて

「でもネ。どうしてこんなになってしまったのカナ」

と、ポツリと仰いました。

そのとき、氏の着ていたTシャツは、それが元々真白であったとは信じられないくらい黄ばんでおり、十日くらい洗濯されていない様に思われました。


2002/10/6

多忙無き休日に映画館へ足が向かうたび、人生がより暗い色彩へと染まっていく心地が致します。秋深まりゆく新宿の雑踏で、わたしは楽しげなひとびとの間をすり抜け、まんがの森で『度胸星』全四巻を購入し、帰宅の途につきました。

TUTAYAで買った『少林サッカー』のサントラは、コピーコントロ−ルされたものでしたが、我が家のドライブではリッピング出来るらしく、「ざま〜みろ、エイベックス。しねしね」と思いました。


2002/10/5

出張と云ふものは、お土産に苦心するものであり、気の利かぬ同僚の埼玉人Sなどは、韓国出張から帰った際、大量の韓国海苔と、肝臓に多大な負担をかけると思われる即席麺の山を持ち帰り、意外性のない男振りを笑顔と共に振りまいておりました。

同じく韓国へ出張に行かされる身としては、Sめのようにはならぬ様、なにか喜ばれるお土産はないかと、韓国のスーパーで考えておりました。それで、持ち帰ったのが、大量の韓国製お菓子(その辺に売ってあるスナック菓子等)であり、帰国して会社の机に積み上げたその菓子の山を見た同僚の埼玉人Hは、「流石、えむやまさん」などと、おおいにわたしを褒め称えます。

同僚の新潟人O氏は、その中のひとつを手にとって、「キミ、何かネ。このどぎつい黄色のパッケージは」と無礼にも韓国半万年の過度に雄大な歴史を批判するのですが、席に戻ってそのクッキー(?)をひとつ口にされた後、目の色を変え菓子山に突進し、その前に屯していた同僚の京都人Tを押しのけ、かつて難じたその菓子の束を鷲掴みにされました。

「うまいものはネ。すべてボクのものなんだよネ」

歓喜で目を潤ませる氏を横目に、わたしは韓国製何でもない市販のお菓子をお土産とした己の壮絶な機転の良さに感じ入るのでした。



所持品検査の後にパスポートを落として、大いに肝を圧壊させてしまったことは内緒なのです。


2002/10/4

ひきつづき、出張中です。


2002/10/3

出張中です。


2002/10/2

わたしも、時としては、おべっかなどと云ふものをつかって、あざとく処世をはかりたいと思うものです。

そこで、外の回りのついでに荷物の回収を頼まれ、「その荷物、どのくらいの大きさなのかネ。でかいのはいやだヨ」と喚いている同僚の新潟人O氏に、わたしはしたり顔で申し上げました。

「Oさんの心より、大きいものなどないのですよ」

氏は、果たして、「キミはよく、そんな白々しいことを云へるのかネ」と、一瞬、眉をひそめるのですが、やがて、満更でもないような感じで、

「まっ、それは真実なんだがネ」

と、仰いました。



出張のため、明日とあさっては更新がお休みになります。


2002/10/1

録画しっぱなしで、たまったアニメを見ておりました。昼休みに高校生が学校の屋上で弁当を食うシーンなどを見ると、「もし、わたしの通っていたあの高校に屋上があれば――」といつも恨めしい心持ちを感じます。

いつも屋上に入り浸りのわたしは、ある日、髪の長い盲目の先輩に「夕焼けきれい?」などと問はれ、その後の人生を大きく変えることに違いなかったのです。


明日から会社なので、今日は早く寝ることに致します。


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