二〇〇三年一月

一月一日

元旦に、『まほろまてぃっく』を五時間にわたり鑑賞して悶えました。

わたくしどもは皆、まほろさんが大好きですが、かつて、同僚の埼玉人Hは「まほろさんと一緒にお風呂に入りたい」と告白いたしました。

わたしは、むしろ抱きかかえられて撫で撫でされたい。

一月二日

「まほろさん、まほろさんって熱病のように繰り言をしても、まほろさんはこの世にいないんだよ。明日も早いんだから、もう寝ろよ」

一月三日

みなじりさま、大槻さま、今日はたいへん有り難うございました。ビデオは帰京後に拝見させていただきます。


で、帰宅して、新春ドラマスペシャル『秋刀魚の味』を鑑賞いたしました。棒読み台詞の律儀な展開がパロディにしか見えず、大いに腹を抱える事と相成りました。


一月四日

『秋刀魚の味』

娘の路子を嫁にやった晩、平山は胸に空洞の広がる様な心地にあった。茶の間を侵す寂寥の感に耐えられなくなった彼は、先程からテレビモニターに熱を帯びた顔面を付着させている息子の和夫に声を掛けた。

「ギャルゲーかい?」

和夫は煩わしそうに、短い返答を吐いた。

「ギャルゲーだよ」

「トゥハートかい?」

「トゥハートだよ」

「あかりかい?」

「マルチだよ」

未だ冷め止まぬ酔いに身を任せながら、平山は「フィーリングハート」をゆるりと口ずさんだ。それはとても明るく哀しい音色だった。


一月五日

あの時、同僚の新潟人O氏は、いたく切迫した表情をなさりながら、同僚の埼玉人Sに何事かをお話しなさっておられました。

「キミ、頼むからドジを踏んで怒られないで呉れヨ。もう人が怒られるのを見るのはたくさんなんだヨ」

氏の目には光が宿っている様に見受けられました。

「別にキミの事を思って云っているわけぢゃないのだヨ。ただ、怒られる風景を見るのがとても不快なんだヨ」

立ち去ろうとする埼玉人Sの背中に目を遣りながら、氏はポツリと仰いました。

「幸せって何だろうネ?」


一月六日

お昼頃、空を見上げた同僚の新潟人O氏は、その澄んだ青さと高さに大層驚かれたと聞きます。

「ボクは思ったネ」

氏は少し笑って仰いました。

「空が何時もこんなに蒼かったら、きっとボクらは幸せだったに違いないネ」


一月七日

大いなる結婚願望に身を焦がす同僚の新潟人O氏(三十路)は、此処十年ほどある疑念に囚われていると告白なさいます。

「ボクみたいにかっちょいい男も珍しいというのに、どうして未だに独り者なのかネ? 人類の大いなる不思議だヨ」

返答に窮するわたしに一瞥も呉れず、氏は恍惚と誰にともなく語られます。

「世界はいつまでボクを放って置く気なのかナ?」


一月八日

昨年の暮れ、わたくしめが海上保安庁を訪れた際に頂いてきた感冒は、同僚の埼玉人Sを経由して同僚の新潟人O氏に感染いたしました。

「どうしてからだがこんなに熱いのかネ?」と火照らせた顔で自問なさるO氏は、「ふっ…」と気障に発声なさると、氏自身の問いに自答なさいました。

「それは、ボクが熱い男だからなんだネ」


一月九日

同僚の埼玉人Hの傍らを通り過ぎられているとき、同僚の新潟人O氏は埼玉人Hの足臭が氏のそれにたいへん似通ってきたことに気づかれ、小さな悦びが胸の内から沸き上がるのを否定できなかったと述懐されました。

「キミはボクと同じだネ」

氏は、某国連秘密機関の浴場で交わされた様な言葉をその時仰られたそうです。


一月十日

バットを振る同僚の新潟人O氏にわたくしめが眼差しを送ったとき、氏は表情を曇らせました。

「キミは、いつもいつも人を軽蔑するような目をしているから、ともだちが出来ないのだヨ」

氏は、バットで天井をつつきながら言葉を続けられました。

「あの晩、エレベーターから降りてきたときのキミは、童女誘拐殺人魔のような顔をしていたから、ボクは大いに引いたヨ」

恐らく、わたしが大変な眠気を感じながら帰宅するときの時を仰られているようでした。

「もっとボクのように、穏やかな顔に努めるべきだヨ。世界の平和はそこから始まるのだヨ」

氏の視線は、わたくしめにはとうてい理解できない地平線の向こうを、見据えている様に感ぜられました。


一月十一日

「ボクの生まれ育った新潟県新津市は、それはもう素晴らしい街だったよ」

同僚の新潟人O氏は、喜々として故郷のことを回想なさいます。

「油田の櫓が何処までも広がっていてネ。街は活気づいていたヨ」

郷愁の想いに身を委ねられた氏を止めることは誰にも出来るはずがありません。氏は語り続けられました。

「ちなみに人口は67,425人 (平成12年3月31日現在)だヨ。とうぜん、キミみたいな変質者など皆無で、皆良い人ばかりだヨ」


一月十二日

同僚の北海道人Kが大変なる悪食であることを事ある度に同僚の新潟人O氏が仰っていたことは、今でも覚えております。

「驚いたヨ」

氏は本当に驚いた顔をなさってしました。

「蜜柑十個を喰った後、カップ麺をふたつ平らげたそうだヨ、かれは」

少し離れたところで、北海道人Kは朗らかに笑っていました。


一月十三日

同僚の新潟人O氏 今日の語録

「解っていたんだヨ。本当に友だちと呼ぶことのできる人間なんて、この世にいないって事は」

一月十四日

同僚の埼玉人Sが「邪魔だなあ」とぼやきながら机を片づけていたとき、同僚の新潟人O氏は「邪魔なのはキミさ」と仰いました。

「キミだけぢゃない。みんな邪魔者なんだヨ。でも、それでも、ボクらは生きたいと望むんだよネ」

氏は少しだけ哀しい顔をされていました。

一月十五日

同僚の新潟人O氏は、あの夜、会社の窓に映る小さな月を見上げていらっしゃいました。

「もう、冬も終わるネ」

その時、氏の胸の内に如何様な思惑が巡っていたのか、今となっては知る由もありません。ただ、最後に、氏はとても寂しい声色で仰ったことだけは、今でも鮮明な映像を伴って思い出すことが出来るのです。

「正月にカード使い過ぎちゃってね。首が回らないヨ」

一月十六日

「女性は良いよネ、女性は」

仕事の相手が女性の方になると、同僚の新潟人O氏はいつもそんなことを仰います。ただ、そんな時の氏は、語勢の良さとは裏腹に、いつも物悲しい目をされていたのが印象的でした。

「この歳まで生きていると、にんげん誰だって何かあるものサ」

氏はそっと呟かれて、部屋を出て行かれました。

一月十七日

帰宅されるとき、同僚の新潟人O氏は「待っている人も居ないのでネ、帰っても意味無いよネ」と仰せられました。

「考えてみれば、どうせみんな独りぼっちで死んで行くから、遅いか早いかの問題なんだよネ。独りぼっちだって事は」

其処まで云われると、氏は外の闇の中に消えて行かれました。

一月十八日

「世界は朝露にその全てを写すことが出来るんだヨ。キミもいつもコソコソしないで、ど〜んと構えて生きてみたらどうだネ、ボクみたいに」

週末の夜更けに、帰宅の途に着こうとしていた同僚の新潟人O氏は、インド人の言葉を剽窃して、わたしに声をかけられました。「早いお帰りですね」とわたしが申し上げると、氏は忙しなく仰られました。

「買っておいたモヤシが腐ってしまうからネ、今日は早く帰るんだヨ」

一月十九日

年賀状の量はその人の人望の厚さを表すものと、同僚の新潟人O氏は熱く語られていました。

「キミには一枚も来ないだろう、ふふふ。ボクはなかなかのもんだヨ。大半がカード会社からのものだけどネ」

仰っていることの内容の暗さを跳ね返す様に、氏はあくまで朗らかでした。

「思えば来るはず無いよネ、年賀状なんか。素敵な仲間達は皆、ボク独りを置いてけぼりにして、あの世に逝ってしまったヨ」

その時のわたしは、謎多き氏の過去を思いがけなく垣間見られたような心地に、軽い当惑を覚えました。そして、続けて語られる氏の口調には、もう先程の軽快さを聴くことは出来ませんでした。

「幸福な青春時代を過ごした罰なのかな、これは。いつまで代償を払い続けなければならないのかナ」

一月二十日

「ボクは、もう、大それた望みなんて抱かないヨ。ただ、毎日何事もなく早く帰れて、自炊が出来ればそれで幸せだヨ」

唐突に、同僚の新潟人O氏はそんなことを仰るので、わたしは不審を感じずにはおられませんでした。

「冷蔵庫の中身を腐らせるなんてもうたくさんなんだヨ。あの肉が腐っていたなんて、思いもよらなかったよ。思いっきり食べちゃったヨ」

その時の氏は、泣きそうな顔をなさっておられました。

一月二十一日

「あの洞窟陣地の中は、すごくじめじめしていたヨ」

総菜の唐揚げが、異様に分厚い衣に覆われていたことについて、ぶつぶつと不平を仰っていた同僚の新潟人O氏は、ふと、そんなことを漏らされました。

「艦砲射撃に晒され始めたとき、皆思うことは同じだったヨ。神様、神様ってネ。神様なんて居ないことは知っていたヨ。でも思わずにはいられなかった。誰もがもう長く生きられないことは解っていたからネ」

氏は、机に埋めていた顔を上げられ、夜が更け人気の無くなった社内に視線を暫く漂わせました。その目は、遠い過去をあてなく彷徨っているように、その時のわたしには感ぜられました。

「復員して、故郷に戻る汽車の中で、ボクはずっと考えたヨ。どうしてボクだけ生き残ったのか。あいつらはどうして死ななければならなかったのか、とネ。でも、新津駅に降り立って、焼け野原に広がる今まで見たことのないすごい青空を見たとき、涙が出てきたヨ。ボクには解ったんだ。この空のためにあいつらは死んだんだって」

立ち上がられた氏は、「ついつい湿っぽい話をしてしまったヨ、ふふふ」と仰いながら去って行かれました。

一月二十二日

その時、同僚の新潟人O氏は、たいへん高揚なさっている様に見受けられました。

「覚えてい〜ますぅ〜か〜♪ 手と手が触〜れあったとき〜♪  ――イイネ、イイネ。『手と手が触れ合う』のだヨ。きゃあああぁぁぁ〜〜〜」

その様子を見て呆然としているわたしをご覧になったときの氏は、物凄い笑顔をなさっておられました。

「キミィ、そんな辛気くさい顔をするものぢゃないヨ。ニンゲンは考える葦ぢゃないか。アリストテレスもそう云っているよ。素晴らしい生き物なんだヨ」

一月二十三日

大層血相を変えて、同僚の新潟人O氏は同僚の北海道人Kを叱りつけておられました。

「キミは何て事をしたんだ。給湯所の手拭きで顔を拭くなんて、言語道断だヨ。ボクがそのタオルで手を拭くとき、キミの雑菌が付いてしまうヨ」

最後には「それが北海道の流儀なのかネ? 本土では通じないヨ」と氏はたいへん厭らしい顔をなさっておられました。

一月二十四日

同僚の新潟人O氏は、たいへんな上機嫌でした。「あいどんの〜〜、うんたらかんたら♪」などと唄った後、ちょっとだけ昔話をされました。

「あのとき、新津駅にたどり着いたボクは、真っ先に実家の方へ向かって歩き出したヨ。行けども行けども、焼け野原でネ。すごく不安だったヨ。家はやっぱり焼けていたヨ。父も母も亡くなっていてネ。家族で生き残っていたのは、疎開していた妹だけだったヨ」

氏は、床に落ちていた新聞を拾い上げられ、目を細められました。

「それからしばらくは土方をやっていたんだけど、ある冬の日、あんまりにも寒くて新聞紙をかぶってみたんだヨ。それがすごく暖かでネ。こんなに新聞紙がすごいものとは知らなかったヨ。まだまだ、世界にはボクの知らないことがたくさんあるのだナ、と感動したヨ」

懐かしむ様に、氏は新聞紙に顔を寄せられ、インクの臭いに恍惚となさりながら、更に一言仰いました。

「因みに、段ボールもすごいんだヨ」

一月二十五日

「ボクはカッチョイイからネ、何を着ても似合うんだヨ、キミと違ってネ」

同僚の新潟人O氏は、新年早々においてカードでコートをお買い求めになられたそうです。

「カッチョイイと云うことはネ、きっと罪なことなんだヨ」

氏の高らかな笑い声が、場違いな歌声の様に殺伐とした職場に響きわたりました。

一月二十六日

職場に険悪な雰囲気が漂うと、同僚の新潟人O氏はいつも耳を手で覆い、「聞こえないし、何も見えないヨ〜」と繰り言を仰っていました。

難が去ると氏は長い溜息をつかれます。その音には絶望の香が絶えず色濃く漂っている様でした。

一月二十七日

「旧制高校の受験に札幌を訪れたときのことだヨ。ボクは北海道にとても強い憧れがあったヨ。だから、雪祭りで泥だらけの雪像を見たとき、すごく落胆したヨ。それから随分時が経ち、この会社に入って北海道人Kに出会ったとき、ボクの北海道への憧憬は消散してしまったネ。たとえ雪祭りが泥まみれであっても、其処に住まうひとびとは純朴であったと信じ続けていたんだネ」

(同僚の新潟人O氏、ある日の回想)

一月二十八日

「小学生の夏祭りの時だったヨ。その頃のボクは――今でもそれは否定できないけどネ――とんでもない美少年だったんだヨ。見ず知らずのおねいさんにいきなり写真を撮られちゃったりされてネ。タイヘンだったヨ。思えば、ボクは見事に実践しているネ。イイ男は結婚できないって事を」

(同僚の新潟人O氏、ある日の回想)

一月二十九日

「ボクは意気地無しだヨ」

同僚の新潟人O氏のお話は、その言葉から始まりました。

「意気地無しっていうのは、大変に母性愛をくすぐる言葉でね。ボクはもう何人もの女性に愛されてきたヨ」

そう仰って、はにかんだ様な顔をぬけぬけと晒されます。

「でもネ、結局、誰ひとりとして仕合わせに出来た人は居なかったよ。校庭の裏で告白してきたIさんも、新津市立図書館のカウンターでいつもボクに微笑んでくれたKさんも、皆ボクは不幸にすることしかできなかったヨ」

氏は「どうしてなんだろうネ」と呟かれ、ペヤングお好み焼き風焼きそばを召し上がり始めなさいました。そして、「まずい」と仰いました。

一月三十日

「キミの呉れたペヤングお好み焼き風焼きそば不味かったヨ」

同僚の新潟人O氏は、同僚の京都人Tに苦言を呈されると、大きな溜息をつかれました。

「たった一人残された妹だけはネ、仕合わせにしたいと願ったヨ。ボクは本当に一生懸命働いたヨ。だから、彼女が嫁に行く晩は、すごく寂しかったけど、同時にとても安堵したヨ。ボクの人生の多くは彼女の仕合わせの為にある様なものだったからネ」

幸福なる会話をしている筈の氏は、しかし、随分と陰影を帯びた顔になって参りました。

「何でこんな事になるんだろうネ。折角、これからだってときに。妹の旦那は間もなく事故で亡くなってしまったよ。ボクはネ…、ボクはネ……。結局、誰も仕合わせに出来なかったんだヨ」

氏の静かな嗚咽が閑散とした職場に響きました。

一月三十一日

「ボクは大きいおねいさんが大好きだ。ココロもカラダもネ」

(同僚の新潟人O氏 語録)


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