二〇〇三年四月
四月一日
小説Cの日々(その六)
國府田マリ姉が歳を取らないことにCが気のついたのは、彼が福岡の大学へ通っている時のことであった。秋刀魚の蒲焼きをおかずにして丼飯をかき込んでいたCは、そのアイデアが浮かんだ途端、喉を詰まらせた。
その後も彼の人生に於いて続けられた観察の結果、マリ姉から半径1メートルまでの空間が極めて遅滞した時流によって支配されているという確信にCは至った。マリ姉1メートル半径内では、マリ姉に近接するに従い、乗数倍に時流が停滞して行くと推察されたのだった。
30代に達したCは、帰郷の際、年老いた両親から「いつまでそんな人追いかけているんだい」と問われた。Cは云った。
「マリ姉は人ぢゃないよ。天使だよ」
四月二日
昼過ぎに起きる。会社へ行く。
夕方頃、同僚のC氏がたいへん仕合わせそうにゲーム雑誌を読む。
夜十時頃、松屋で書見をしながらカルビ焼き定食を喰う。
夜半過ぎに会社に戻る。同僚O氏がすでに帰っている。しね。
夜明け前に帰る。寝る。
四月三日
疲弊。夕方に起きる。会社へ出る。
同僚C氏が、コーヒーを飲みながらパソコンで巨人戦を見る。
氏はその後、鯖の味噌煮とチキンの竜田あげとサラダとご飯を丼で二杯喰う。「全部で\980だったぜい」とつややかな顔で云う。
夜半過ぎ頃に帰る。書見をして寝る。
四月四日
昼前に起きる。会社へ行く。週末モード。疲弊。
課内のNo1とNo2が暫く不在。No3の同僚C氏が、胴回りに付着した肉を忘却した様に、社内を跳躍してまわる。氏はその後、ハヤシライスと卵焼きとサラダ(計\1420)を喰って、更に胴回りを膨張させる。
夜半過ぎに帰る。ギャルゲーを少しやって寝る。
四月五日
夕方に起きる。会社に出る。
引き続き週末モード。課内は人も疎ら。仕事をしたり書見をしたりする。
夜半過ぎに帰る。ギャルゲーをしてやや悶えて寝る。
四月六日
昼過ぎに起きる。
映画を二本観た後、クリームシチューを作って食べる。食い過ぎて暫く失神する。
目が覚めた後、ギャルゲーを少しやる。悶える。夜明け前に寝る。
四月七日
ガガガSPと云うものは、コザック前田が失恋をしなくなった時点でネタが枯渇し始める様な観があって、その意味で不幸だと思う。
四月八日
昼前に起きて会社へ出る。
わたしどもに同僚のO氏が「うまそうだネ」とメロンサンド(ホイップクリーム)を見せびらかしにする。その後、それを喰った氏は「これはうまくないヨ」と喚く。たいへん五月蠅い。
夜明け前に帰る。ギャルゲーを少しやる。悶える。疲弊。寝る。
四月九日
昼過ぎに起きる。会社へ行く。
トンカツと豚汁とご飯二杯を喰った同僚のC氏が「血生臭いよこの肉」と云う。同僚O氏がその様子を見て「沖縄戦の記憶が蘇っているのだヨ」と解釈するのを聞く。
夜半過ぎに帰る。ギャルゲーをやる。悶え死ぬ。
四月十日
生活リズムが狂乱的に振動して、一日が疲弊のままに終わる。雪さんたすけて。
四月十一日
昼過ぎに起きる。会社へ行く。
テレビに映し出された鰹に獰猛な食欲を刺激された同僚のC氏が回転寿司へ行く。取引先のプロデューサーの態度が悪いと同僚O氏が泣き喚くのを鼻糞をほじりながら眺める。
四月十二日
夕方に起きて夜に会社に出るがじめじめして気持ち悪く温泉にでも行って抱き枕でゴロゴロやりながら一日中書見でもしておれば仕合わせになるよなあと思っているとラーメンとチャーシュー丼を喰いに行った同僚のC氏が腹を揺らしながら通り過ぎるのが見える。
夜半過ぎに帰る。映画を観て寝る。
四月十三日
投票所で手が勝手に動き「ドクター中松」と書きそうになる衝動を、もし「ドクター中松」と書いたら一生悔恨の内に暮らすに違いないと云う想像によって阻止する。
夜に会社に行って日が変わる前に帰って映画を観て寝る。
四月十四日
小説Cの日々(その七)
Cが細君と出会ったのは見合いの席でのことであった。
見合いの前夜、正座を強いられた彼は、大層厳粛な顔つきをした母親と向かい合う羽目に陥っていた。彼女の手には國府田マリ姉のサードアルバムが握られていた。隠蔽の極みにあった其れが母親の手中に至った経緯は、Cにとってたいへんなる不可思議であった。
母親の口からは小言らしきものが暫く発せられていたのだが、Cの思惑は彼の年齢を鑑みるに社会的には不相応な所持品とされるマリ姉CDの新たなる埋設パターンに焦点が当てられ、母親の賢明なる忠告はCに届きそうもなかった。Cの母は顔を崩した。
「御前はもう、生身の女性を好きにならないといけない歳になったんだよ。もし、其れが出来なかったら、何もかもお仕舞いになってしまうんだよ。凄惨なゴールが、人生に終着点に待っているんだよ。独りぼっちで、死んでいかなければならなくなるのよ」
Cには沖縄の生ぬるい夜風にただただ漂流する様な顔を変えることが出来なかった。母は「御前は何時だってそうなんだね」と諦めの言葉を云った。
見合いの席に臨んだCは、当惑を感じなければならなかった。何を話して良いのか、解らなかった。Cは生身のおねいさんと共有する話題を微塵も持ち合わせていない己に初めて気がついた。ただ、Cにとって幸運なことに、将来に於いて細君となるはずのその女性は、世間から離れた風情があった。そして、賢明な女性でもあった。彼女はCが独り暮らしをしていることを知って「タイヘンですねえ」と童女のような感心の仕方をした。単純なCは得意げになって、そうでもない、よいところもあると胸を張り、更に言葉を繋いだ。
「独りだと、オナニーし放題なんだな」
Cはとても正直な人間だった。彼女はそんなCを何時までも愛していたいと思った。
四月十五日
腹が減ったので同僚Kに何かないかと尋ねると「便秘の薬ならある」と云う。
カレーを喰って寝る。
四月十六日
夜カレーを喰う。
「別に女体を抱いたことがなくても、濡れ場は描きうると団鬼六が云っていた」と同僚O氏が語る。
朝カレーを喰う。
四月十七日
夜カレーを喰う。
「三十も越えれば自慰に精神的安らぎを求めることは出来ないヨ」と同僚O氏が云うのを聞く。
朝に寝る。
四月十八日
「キミは初めて借りるエロビデオにどきどきするはずだよネ。でも、複数回見ていると、実用に価しなくなるよネ。そして、また別のエロビデオを借りる。どきどきする。飽きる。また、別のものを借りる。どきどきする。飽きる…。呪われてしまったボクらはね、死ぬまでその性の大海を泳ぎ続けなければならないのだヨ」
四月十九日
同僚C氏が自販機の前でペプシを飲んで小腹を膨張させているのを見る。
同僚O氏が19歳の時つき合っていたゆきなおねいさん(仮名)のことを夜中に思い出して「どきどきしてきたヨ」と云うのを眺める。
帰る。一週間ぶりに布団で寝る。
四月二十日
「男は汚いヨ。綺麗なおねさん達だけをボクはずっと見ていたいんだ」
四月二十一日
Oは淫欲の大海を泳ぎ続けなければ死んでしまう“シャーク”な男であった。数年前、裏ビデオの入手ルートを失ってしまった彼の日々は、不安との戦い続けだった。だが、そんな非日常に終焉の兆しが現れたことを彼はもう知っている。裏ビデオコレクターの友人Kによって新ルートがもたらされたのである。
Oは男の汚らわしい身体を嫌っていた。アレは女性同士のナニでなければならぬと固く信じていた。しかし無念なことに、Oのコレクションには洋物のアレでナニしか存在しなかった。新ルートの登場によって未来の開ける心持ちにあったOは、日本人物の同性でアレでナニをキミは持っているかネとKに尋ねた。Kは満面の笑みで其の問いを肯定した。
Kの持ってきたビデオのパッケージを見るまで、Oには知る由もなかった。Kが男色家で同性という言葉がかれにとってはおねいさん以外のものを意味していたことを。
四月二十二日
同僚C氏が「昨夜はイタリア料理を食ったぜい」と平和そうな顔で云う。
四月二十二日
へぽ〜ん
四月二十三日
一日1000kcal以下の栄養摂取なのに腹が一向にへこむ気配を見せない同僚C氏は本当に不思議な方だ。
四月二十四日
同僚O氏の靴下が臭い。何とかして呉れ。
四月二十五日
己の性癖をリベラルな物と信じて疑わないOには、決して譲れられぬ事もあった。
例えば、アングロサクソンのおねさんにはしおらしさと云う物が無い故に、おねいさん同士のアレでナニは、日本人のおねいさん相互のアレでナニでなければならぬ。しかし、Oはそれを見たことがない。裏ビデオの新たなる入手ルートを友人のKからもたらされたOが、鼻息も荒く其処に求める物を求めようとした事は、わたしどもの想像に難くない。
「でもネ、ないんだヨ。いくら探しても、何処にも、ないんだヨ」
捜し物は、見つかってしまったら、捜し物ではなくなってしまうんだよネ。Oはそんなことを意味不明に考えた。
四月二十六日
「ハーマイオニーはかわゆいよネ。ボクもホグワーツに入りたいヨ」
エマ・ワトソンと二十も己の年齢が離れていることを知ったOは、焼きが物凄い勢いで回っている情景を心象の内に浮かべて不思議な心持ちになった。Oは、己の健全なる性向が童女愛好癖と云う変態の極致に覆われつつある事に、人生の終局を覗かされていた。
「二十年前のボクはね、桁外れにかわゆかったんだヨ。だからボクも、あそこに入れる視覚があると思うんだヨ」
Oの人生は三日前をもって三十三年の時を経過した。
四月二十七日
昨晩、同僚C氏は、ねぎコーンラーメンと麦飯と煮卵を喰って人生を満喫し、その代償として更に体重を増加させた。
四月二十八日
多忙。
四月二十九日
「結婚したいよう〜、結婚したいよう〜。こんなに寂しがりやだったなんて知らなかったヨ、ボクちん」
四月三十日
疲弊する。