始まりは、そば好き、というところにあった。
また、皿そばで有名な地が兵庫県は北の方に出石としてあることも。
そして、電車では到底行けない場所という事も。
夏休みが終わり、とある講義中。
いつものようにたあいのない話をしてると・・・、松茸狩りに行かない?てな案が。。。
場所は、下宿してる石田くん(仮名・以下敬称略)の実家。<font size="+2">出石っ</font>。
松茸狩り、というのは石田の祖父が収穫しなかったらしく場所も分かってる、としった企画者、北沢くん(同仮名・以下敬称略)の案だった。
私は、松茸にも引かれ、そしてなにより出石の皿そばっ、に引かれ・・・気付けば運転手に。(^^;
ところが10月も半ば近くになり、いよいよ決行日直前、となったところで問題発生。
台風が近づいてきてたんです。これが・・・。(笑)
でもって、どうする?、という事になり、、、最終的に直前金曜の朝に「台風の直前に強行する」ということになっちゃたんですねぇ。(笑)
つまり、台風が刻一刻と近づいてくるのと、出石まで行ってちょこちょこやって帰ってくる、のとの競争なんてことやっちゃったんです。まぁ、その時点で松茸はほとんどあきらめて。
そば食うぞぉ〜っ。って、怒涛の25時間は始まった。
16日朝
浅い睡眠より覚める。あんまり寝てない。起きて一番に見たのは台風情報。
北沢と電話で連絡をとりあって、台風が通りすぎた後にするか前にするかを話し合う。
台風が通り過ぎた後、日曜に行くというのも考えられたが、そうなると道路状況がどうなるか分からなくなる(山に囲まれてる為、出石に入れなくなるかもしれなかった)可能性があったため、やはり台風前に行って帰ってくるという案が決議された。(笑)
16日夕方
最終的な予定として、私がまず西ノ宮の北沢を拾い、東大阪の石田を迎えに行き、そこから高速および一般道で出石へ。で、石田実家宅にて仮眠の後、出石で観光・そば喰い。そして速攻で帰って来るということに。
16日PM9時
AILA、神戸の家を出る。若宮より阪神高速にて西ノ宮は北沢宅へと。
すでに何度か行ってるため、迷う事無く直行。
16日PM10時
西ノ宮北沢宅を出立。
石田実家宅への手土産品などを買いに西ノ宮をうろつき、リカーショップで灘の地酒など購入。
東大阪の石田下宿へ、一般道でもって大阪を横断、向かう。
ただ北沢のナヴィにしたがって次を右・次を左、と車を走らせる。
暗くて・・・どこを走ったものやら。。。
16日夜最後
東大阪は、石田下宿宅近くに車を停め、ほとんど台風で行く気を無くしてる石田を家から引きずり出す。ぢつは、夕方の最終予定時には石田にはその旨伝えてなかったっ。(笑)
「まぢで行くん?・・・この台風前の雨の中。。。」
17日突入
東大阪の石田下宿宅から、近畿自動車道を使わず、ひたすら一般道を通って吹田まで。
吹田で、中国縦貫高速道路に乗る。
ところが、さっそくの渋滞。(^^;
トラックを巻き込んだ事故で、とろとろ運転でしばらく走る。
渋滞の向こうはガラガラ、というのは常識だが・・・ここでちとトバシに入る。
これがこの後の運命だったのか。。。
西ノ宮のインターを過ぎ、しばらく・・・。山陽自動車道の看板が見える。
そして、この夜のメインっ。舞鶴自動車道。
16日 深々夜
真っ暗な中、前にも後ろにも、そして対向車線にもライトの光りひとつ見えない舞鶴自動車道。
車のライトを消すと、ガードレールの反射板の反射光さえ消え、山間の高速道路には車のエンジン音とワイパーの動くウィコウィコウィコウィコという音しかしなくなる。
ラリーの一流ドライバーは目隠ししてても運転が出来るというが、ホントの真っ暗な中での運転は、自分がまっすぐ走ってるのかすら分からなくなる。
あわててライトを点けると、ヘッドライトの中をこちらに向かって降ってくる雨が、やけに雨粒がでかく感じられる。
17日 早々朝
福知山で舞鶴自動車道を降り、9号線を使い、ひたすら夜道を走る。
こちらの方が、街灯はあるしトラックも走ってる為、反対に走りやすい。
福知山からは、国道9号線や県道312号線などを使い豊岡方面へ向かう。
17日 AM5時
出石は石田宅に転がり込む。
出石は出石でも、市街地(一応観光地だし・・・)から我々都会モンにとっては相当離れた・・・、でもそんなに離れてない、という山間の小さな村落の一角に石田宅はひっそりと立っていた。
なんと、十数LDKの田舎によくある豪邸。(^^;
都会モンには広すぎる。余裕のありすぎる空間にとまどい・・・。(笑)
鍵が開きっぱなし(普段から閉めないらしい)なのに、さらに驚く。
石田の弟が、普段利用してる部屋の一つに、布団が三つ敷いてある。
一応連絡はしてあったものの、朝の5時に着くとは、ホント迷惑な連中である。
17日 朝
結局、寝ずに話し込んでいた我々。(爆)
枕は、思わず童心にもどってか(精神年齢低い。(^^; )武器となっていた。(自爆)
うとうとはしたものの、ほんのちょっと騒いだりして・・・迷惑かけまくり。(><
豪勢な朝食が用意されてて、それを食べた一行は、少し霧のでかけた谷間の村落を抜け、出発。
17日 昼前
豊岡市内へと。石田の母校などに乗り込んだり、古本屋を見つけて思わずCD(田村直美
N’)を買ったりと、豊岡市内をうろちょろ市内観光。
ここでは、さすが田舎。車が少ない事をいいことに、普通の道路でいきなりUターンかますなどちょ っと神戸ナンバーの評判を下げる無茶苦茶荒っぽい運転を披露する。(笑)
やがて、本日のメインイベント、出石の時間がなくなりつつ事に気付き、急ぎ出石へと向かう。
17日 昼
メインっ!皿そば・・、じゃなくて出石っ。
でも観光地。(笑)
バスとか来てるし、雨のなかだってのにそこそこの人込み。
もう、とるものもとらずに皿そばを食べる。。。味はこの際おいといて、、、次に期待しよう。
ちと適当な店に入ったのは失敗、とだけ。
17日 昼過ぎ
まぁ、同じ兵庫県内。とばせば4、5時間で来れる事も分かったし、今度は一人で来てそばだけを楽 しむのもよし。観光に入る。。。というより、土産物を物色する。
その土産物屋で、次(おそらくはそう遠くない今年以内(爆))に来る時のための店を聞き出す。
そして、毎度の酒屋によっての地酒。(笑)
お土産屋なんぞで酒なんて買やしない。やはり酒を買うにゃぁ地元の酒屋。(^^;
観光の時に食べたジェラード。
昔モーニング系の朝日だったか何かで見た店。60種類以上のアイスクリーム。
出石そばアイスは、珍味っ。(笑)
地酒アイスとかいちじくとかモロヘイヤとか・・・観光地の店にしてはそこそこ。
17日 夕方前
堪能、とまではいかないまでも、そろそろ帰らないと台風に追いつかれる。
という事で、帰途に着く。
それにしても、この日は運がよかったのか悪かったのか。。。
何か買ったりするのに車から離れた時は、雨はちらつく程度とか降ってなかったりで、いざ車で走り出してみると豪雨になって・・・。
まぁ、運がいいとしておきましょう。(笑)
17日 夜
9号線、舞鶴、中国縦貫、近畿自動車道、を使い東大阪へ。
途中、中国縦貫で、約8キロの事故渋滞に巻き込まれる。(;_;)
西ノ宮インターでぴたっと停まって、にっちもさっちもいかない。なぜなら、渋滞の途中でインターが無く、逃げれないから。
にしても、教習所行ったのか。あの路側帯を平気で走り行く連中。。。
17日 PM9時
東大阪から、西ノ宮の友人宅へ到着。
あとは、帰るだけ。阪神高速に乗り、一路家へ・・・。というところで、京橋過ぎからまたもや渋滞に巻き込まれる。それにしてもつくづく渋滞に縁のあった強行軍だった。
17日 PM10時頃
帰宅。なんとか台風直撃からは免れる。
家の前で、車の中(やっぱり色々食べたり放り込んだりしてたんで)を掃除&整理して・・・、車の外周をチェックする。。。
・・・・・・・・左後部ドア後方から左後輪の上辺りまで、3、40センチの傷が。。。(;_;)
気付かなかったぁ〜。。(;_;)
18日 昼(これを書いてる時)
お天っ気、お天っ気。かんらから。(;_;)
台風一過、晴天が広がってる。。。(;_;)
今回、私はデジカメを持って行ってなかった。というのも、台風の中、雨が当たる可能性が少なくない状態でデジカメを持ち歩くのは少々リスクが高すぎるんじゃないかと判断したからで。
というわけで、写真は残念ながらありません。
徹夜明け、でした。。。
毎度のハチミツチャットで朝まで生チャをした後・・・でした。
朝、阪神高速を走ってる時、朝日は目に突き刺さり・・・でも午後からの期待に興奮した私には、そのくらいの光りはどうというものではありませんでした。
自衛隊の方から朝一番でチケットをもらい・・・友人を拾った私は、今日の目的地、貝塚港へと向かいました。途中で、西ノ宮でいつも私を連れ出してはナビをするのと、ガッコの方は東大阪の方をまわってのもう一人、という友人二人を拾う為にいささかの遠回りをして。
結局、港に着いたのは昼の1時半前でした。
体験航海乗艦券。には1345までに新貝塚2号岸壁とだけ。探すの苦労したぁ。(^^;
埋め立て地らしき地区の外れ・・・、まるで某特車2課の基地(笑)がありそうなその先に、軍艦2隻は泊まってました。すでに少なくない止まってる車の量。
艦の方を見ても、そこそこの人だかり。
はやる気持ちを抑えて、車を止めます。
泊まってる艦は、よしのとのしろ。ちくご型護衛艦9番艦11番艦。残念ながらすでに老朽艦である。
乗るのはよしの。
乗艦券を自衛官のごついおじさんにもぎってもらって、タラップを上る。
甲板上は、そこらかしこに毛布のような敷布をひいた家族連れらしきグループや、またボーイスカウトの少年らの一団が走り回っている。手すりには、落ちないようにか普段は張ってないネットまで張ってある。意外に子供の姿が目に付く。
1時50分くらい。出航準備に入る。少し前から、腰につけた受信機には、タグボートとのやり取りが普通の船舶無線で入っていた。タグボートは2隻。のしろからの出港である。
少し前、同じ船舶無線では、水上警察とのやり取りがあった。付近を航行中のモーターボートとかを近づけないように、との事だった。・・・と、これらからも分かるように、当日私はデジカメ、受信機を装備していってた。ただ、乗艦する時、予備の電池を車の中に忘れてて・・・結局デジカメ優先ということで受信機は時たましか電源を入れなかったのだが・・・。
水上警察の艇は、今回の体験航海の間中ずっと護衛艦を護衛するかのように付いてきてた。
艦内は、思った以上に広かった。ただ、広いといってもそのスペースに定員の約150人が乗り込むとなると・・・。まぁ、ベッドとか・・・潜水艦見た後だけに居住環境、、、悪くはなさそうだった。
艦内などでの詳しくは・・・、艦の写真を見ていただくとして。
乗艦してすぐ目に付くのは、三つのの筒が束ねられた短魚雷の発射管。両弦にそれぞれ1つ。計6発。
そこから左舷より艦首方向に向かうと、その先にはこの艦の主砲、76ミリ50口径連装速射砲が鎮座している。艦首から右舷を後方へ向かうと、艦内へのハッチが開いている。が、あえてその横を通りすぎ、さきほど乗艦したときのタラップを横目に、艦中央に向かう。
すると、アスロックSUMの8連装発射機が、唯一近代戦に耐えうる兵器としてその影を甲板に伸ばしている。後でこれは上下各4管とも稼動状態展示、されたが、装填されてたのは下の両端、2管のみだった。そして、その後方。40ミリ連装機銃は・・・ほとんど骨董品。(;_;)
第二次世界大戦時の米軍の主力兵装だよ。これ・・・。こんなのを第一線から退いたとは言え、重宝してる護衛艦は・・・、ちょっと、ねぇ。。。(><)
確かに、100メートルに満たない小さな艦体に、アスロックだのバウ・ソナーだの可変深度(曳航)ソナーだの・・・短魚雷発射管はまぁほとんどの護衛艦につんであるからいいものの、ごちゃごちゃした艦上構造物は、レーダーの的になって下さいと言わんばかりの形状・・・。
でも、やはり非常脱出口なる小さな円形ハッチが設置されてるのは、さすが軍艦、といったところか。
一緒に行った友人二人は、目ぇをきらきらさせてデジカメ片手にまるで野原で喜び駆け回る小犬のような(笑)私を・・・、一人はお前は何パクるか分からへん、と附いて周り、もう一人は上甲板で疲れたと潮風(結構風はきつかった)にあたっていた。。。
護衛艦「ちくご」型9番艦「よしの」
昭和47年度計画 三井玉野造船
就役:昭和50年2月6日
基準排水量:1500トン
全長:93.0メートル
全幅:10.8メートル
吃水:3.6メートル
主機:三井12V28型Nディーゼル4基2軸、出力16000馬力