秋の百夜




 緋勇 龍麻が大学1年の秋に誰にも何も言わずに姿を消した。理由は真神学園の卒業生の仲間達に聞かされた。その理由は藤咲 亜里沙にとっては、酷く苦い想いと温かな心地とを同時に心に蘇らせる。
『龍麻くんのお父さんとお母さんが火事で死んじゃったんだ。でも、それは本当は火事なんかじゃなくて…、ボク達が闘ったアイツらみたいのが起こした怪奇現象なんじゃないかって、アン子が言ってたんだ。アン子と天野さんが調査してみるって…』
 彼の失踪に気づいたのは美里 葵。そして《力》は持たないが、あの事件当時から色々と協力していた真神学園の卒業生、遠野 杏子が、龍麻を探す為に仲間達全員に連絡を入れたのだった。知らせを聞いて、藤咲自身も大慌てで駆けつけた。そして、そこで会った桜井 小蒔にそう聞かされたのだ。
 唐突に姿を消した理由は予測出来る。多分、龍麻はそれらを追いかけて行ったのだ。誰の手も借りようともせずに。
 だからこそ藤咲は尚更気にかかる。
 そうまでして誰にも何も言わなかったのは復讐の為だったのでは、と思うからだ。
 誰も自分の復讐に巻き込みたくはない、と。同じ事を劉 弦月が仲間になる時に言ったという。だから違うと、真神の卒業生達は口を揃えて言う。だが藤咲にはそうは思えなかった。
 劉の場合は彼の復讐の相手が自分達と同じ『凶星の者』だった。
 だが今回は違う。寧ろ、藤咲自身がやった、弟の為の復讐…いや、報復に似ている気がするからだ。
――――ううん、龍麻に限ってそんな事、ある訳ない…。
 そうは思っても、不安は心の何処かにあったような気はした。
 どちらにしても、龍麻が見つけられない今となっては、意味はない。
 ただ、きっといつか仲間達の元に帰って来る、という確信だけは揺らがなかった。



 それから、4年の月日が流れていた。


 初めは、なんでもないダイレクトメールの葉書が始まりだった。
 藤咲は自宅のベッドの上でラフな格好で寝転がっている。いつもなら捨ててしまうようなダイレクトメールなのだが、何となく自室まで持って来ていた。
 どうという事はない、喫茶店の開店の案内の葉書だった。それ自体はいいのだが、何故、新宿区内の店の葉書が来るのかと少し疑問も持った。だが、こういうものはどういう所から住所を手に入れているか知らない訳ではない。況して、送って来る方は相手があの『藤咲 亜里沙』とは知る筈もないのだろう。
――――このあたしを知らずに送って来るなんて…。
 その淡いグリーンの葉書を見つめ、ちょっとだけ悪戯心のこもった笑みを浮かべると、続きを口にした。
「コイツ、生意気じゃない? このアタシに向かって!」
 指先で葉書を弾いてから、この葉書を送った相手が驚く様子をなんとなく想像してしまって、そしてそんな事を楽しんでいる自分がなんだかおかしくて、つい吹き出す。
 それから、葉書の案内に書かれている住所をもう一度確認した。
「新宿か…。…ふーん、それじゃ、行ってやろうじゃないの。暇つぶしに」
 明日の土曜はモデルの仕事はない。自分が行けば、こんな葉書を寄越した相手とその場にいる客くらいは驚かせてやれるだろう。それに新宿なら、舞子と紗夜が桜ヶ丘中央病院にいる。適当に暇を潰してから、彼女達と遊びに行くというのもいいかもしれないと考えていた。


 藤咲は正直言って、此処が本当に新宿区内なのかと思った。裏通りにあると言えばその通りなのだが、喫茶店の前からほんの数メートル離れるだけで、そこは当たり前の新宿の喧噪になる。なのに、この店の前は思いのほか静かだった。
 カラン、とドアが開いた事を告げる小さなベルの音が鳴る。ワンテンポ置いて、いらっしゃいませ、と声がする。藤咲は突然その場で魔法にかかったように動けなくなった。
 彼女が気づかないうちに、手からバッグが滑り落ちる。それを店員らしい長身長髪の男が藤咲の前に屈み込んで拾い上げ、バッグを手渡そうと彼女の顔を覗ける高さに顔を上げた。その途端。藤咲はいきなり男に平手打ちを食らわせた。
「――――ッ、…キツイ挨拶だなァ」
「当たり前よっ! 今まで何をやってたのよッ!」
 藤咲の目の前にいるのは、あの龍麻だった。藤咲が見知っている頃に比べて髪が随分長い事と、微妙に痩せた事以外は、特に変わっていないように見えた。
 藤咲は必死で隠そうとしていたが、やはり声が喉に詰まる。
「…ホントに…、今まで…ッ!」
「…静養してました…」
 あまりに意外な事を言われて、藤咲は、瞬時反応が遅れた。
「……えッ?」
「怪我を負ったのさ。それこそ桜ヶ丘に辿り着けなかった程にね。暫く歩く事も出来なかった。それで静養をしてたのと、落ちた体力を戻すのに修行をやり直していた」
 藤咲やその仲間達は、一度龍麻が死にかけたのを見た事がある。それは今思い出してもゾッとする。その龍麻が今まで姿をくらます程の怪我というのは、どれほどのものだったのだろう。体躯を両腕で抱き締め、動揺する自分を押さえながら藤咲は龍麻に問うた。
「…一体何があったのよ!」
 そうは言ったものの、今すぐにその答えを聞けるとは思っていなかった。ただ、龍麻が本当に目の前にいるのだと解って、藤咲はこの4年間押さえていた龍麻への感情が一気に沸き上がって旨く言葉を紡げずにいた。実際あまり話したくないのか、龍麻は少し困ったような顔になり言葉を継げずにいる。これ以上、問い詰めても答えは得られない事を知った藤咲は、ひとつ大きな吐息を吐くと言葉を吐き出した。
「…もういいわよ…」
 緊張していた自分をそっと解きほぐし、カウンター席に座り込んだ。
「………」
 何も言わず龍麻はカウンター内に入ると、湯を沸かし始めた。ふたりとも何も言わなかった。カップや器具が触れ合う音だけが店内に響いていた。
 どのくらい黙っていたのか、龍麻が唐突に名を呼んだ。
「今の仕事はモデルだったよな? じゃあケーキとかはマズイか…」
「ああ、そういうのはいらないよ」
「店で出す軽食やケーキの試食してもらって、感想を聞こうと思ってたんだよ。これは自慢出来ると思ったのにな」
 その言い草に思い当たり、藤咲はつい吹き出した。高校時代に1〜2度だけだが、彼の手作り料理を食べた事がある。尤も、それを一番ご相伴に預かったのは当時龍麻の部屋に入り浸っていた京一だろうが。
「ふふ…。もう少ししたら舞子と紗夜を呼ぶわ。あの子達にお願いしなよ」
「もう少ししたら、か?」
「そう。折角のチャンス逃すテはないもの?」
 龍麻を指すように指先を立てた藤咲の仕種を、彼は笑いながら受け止めている。こんな言い方だったが恐らくは本気なのは伝わった筈だ。もう一度、それを口にしようとした時、彼は藤咲の前にカップを置いた。淡い青色のカップに薄い水色の紅茶が入っている。それはとても良い香りがした。
「どうだ?」
「うん、美味しい。いい香りだね」
「お前ならそういうのが良いかと思ってね」
 龍麻はカウンターの向こう側から、微笑みながら言った。だが、相変わらず何処か拒絶されているような態度に、藤咲は少し苛立ちを覚えた。
「どうして…」
「え?」
 本当に無理矢理聞くつもりはなかった。だが、龍麻の中途半端な態度は気に入らなかった。藤咲の知っている龍麻とは何処か違う。だからこちらから強引にでも聞き出さなければならないと思った。そうしなければ、きっと自分が後悔する。あの4年前の時のように。
「一体何のつもり? このあたしを馬鹿にしてんじゃないわよッ! 懐かしいからって呼んだわけじゃないんだろ!?」
 急に龍麻の表情が戸惑うのが解った。だが、それもすぐに無表情に変わった。
「…じゃあ言おうか。そのうち多分お前の力を借りる事になる。死ぬ覚悟が出来るなら、協力してくれ」
 高圧的にものを言われ、藤咲は瞬時、面食らう。
「前の時のような…東京を護るという大義名分は無い。奴等の狙いは俺だけらしい。けど、俺は死にたくないから闘うだけだ。俺の…両親を殺しただけでは足りないらしい」
 龍麻が眉根を寄せ、痛みに耐えるように瞳を閉じる。左手で右手を包み込むように添える。それが何を意味しているのか、今の藤咲には解らなかった。
「両親は…養父母は《力》を持たない普通の人間だった。そのふたりが俺を護る為に死んでいったんだ。況して実の両親からも護られ受け継いだ生命だ。何処の馬鹿か知らないが簡単にくれてやる程、この生命は安くない。それを思い知らせるくらいはやるかもしれない。…だから正直、仲間達をあまり巻き込みたくないんだ」
 自暴自棄になっている訳ではないのだと、この時、藤咲にも解った。龍麻という男は人並みに悩みもするし、怒りも哀しみもある。以前は目の前の事を解決するのが目的となっていたからか、今の状態に比べれば随分落ち着いた男に見えた。今は両親を失った怒りと哀しみに扇動されているとは言え、自分の信念を曲げたりせず、ただ激情に振り回されている訳でもない。
「…変わってない…ね、龍麻」
「…まあ、いろいろあったから性格は前と違う方に曲がってるかもな」
 藤咲としては少し心配だったのがそれが明らかに杞憂だったと解っただけで充分だ。何よりはっきりと話してくれたその事実が嬉しかった。
「お前も変わらないな、藤咲」
「ふふ…、そこは『いい女になった』っていうものじゃない?」
「だな…」
 龍麻は苦笑しながら、カウンターから出て来ると藤咲の手元にあったカップを、熱いお茶を入れたものと取り替えた。
 これに口をつけ、一息入れた。
「ねえ龍麻…。この4年、あたしがどんな気持ちだったか解ってる? あたしはあんたをずっと待ってたわ」
「………参ったな…」
 はっきりと気持ちを聞かされて、かなり当惑したようだった。
「俺は…。悪いが俺も待ってる奴がいるんだよ」
「彼女がいるって事?」
「………」
 彼は肯定しなかった。それでも待っているという事は、片思いという事なのかもしれない。
 本当はそれを聞いただけでも胸が苦しかった。だが、それで簡単に諦めるくらいなら、龍麻を待っていたなどとは言えない。自分にとって龍麻は簡単に諦められる相手ではない。
 藤咲は妖艶に見える笑顔を作ると、指を立てて彼を指した。
「そう。じゃああたしがあんたを絶対手に入れてやる。絶対振り向かせてやるわよ?」
「…本当に変わらないな、お前」
「うふふ…。当たり前じゃない。あたしは簡単に諦められる恋なんていらないわ。それとも、しつこい女は嫌いとか?」
「いいや。自分の望むものを簡単に諦める奴は、こっちから願い下げだ」
 それを聞いて、藤咲は少しばかり驚いた。しかし、それは彼も同じという事なのだろう。
「これじゃ、あたしは宣戦布告みたいじゃないのよ」
 わざわざ溜め息を吐いてみせると、龍麻が吹き出すのが解った。
「ま、そういう事かな…」
 ふと気づくと、外は雨が降り出していた。
 どちらも愛しい人を待つ、秋の夜長のひとときだった。


                                  了







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