恋をしよう




 朝も、昼も、夜も…



 表情は人間という生物の内的感情をリアルに映し出す鏡であるといえる。
 もう少しくだけた言い方をするなら、要するに機嫌は顔に現れる、と言うことだ。現れない人間もいるにはいるが、それは特殊な訓練を受けたか、生まれつき無表情かで、つまりは稀である。

 そこにある、水準より遥かに整った女の顔は、多分に漏れず感情を映し出していた。
 整えられた眉は通常よりも深い弧を描き、きゅんと吊り上がっている。その下にある切れ長の瞳も同様で、眉のカーブに合わせるように、目尻が上を向いていた。
 茶系のリップペンシルできっちりと縁取られ、濡れたように光るオレンジ色のルージュを塗られた唇は、きりりと引き結ばれている。

 分析の必要も、説明の必要も無いだろう。現す所は一つ、不機嫌である。
 周囲を見渡せば、その理由もまた、推察するまでもなかった。

 古びた店である。
 壁に沿っていくつかの木製のテーブルが並び、店の中央に設えられた調理場を囲んでカウンター席が設けられている。
 不衛生な雰囲気はないが、かと言って上品な印象も無い。衛生的で、そして実に庶民的だ。白い壁にはもう何年分もの食べ物の匂いが染み付き、そして店内自体にも食欲をそそる香ばしい香りが漂っている。

 女は目の前に置かれたどんぶりを見下ろし、大きく息を吐いた。
 唇と同じ色に塗られた爪のついた指が割り箸を取り上げる様は、なんというか、なんと言おうと、思い切りそぐわない。何も爪に限ったことではない。

 オフホワイトのスプリングセーターに黒いタイトスカート。同じく黒い華奢なヒールに、首もとのゴールドジュエリー。肉感的な肢体をスーツとは行かないまでも十分にスクウェアで通用する衣装に身を包み、濃すぎるほどでも無いがかっきりとメイクを施した女に、この店は悲しいほどにそぐわなかった。
 さして広くはない店内に点在する他の客から、同情と奇異の視線が投げかけられるほどだ。

 女はどんぶりに浸した箸を、麺を引っ掛けないままに引き上げ、テーブルに頬杖を突いた。
 対面に座る連れは、そんな女の不機嫌な様子に気づくこともなく幸せそうに麺を啜っている。

「で?」

「んあ?」

 女の低い声に、連れは漸く顔を上げた。麺を租借することは止めようとはしなかったが。

「何のようなんだい、京一」

 女、藤咲亜里沙は不機嫌さを隠そうともしないままに連れに、蓬莱寺京一にそう問い掛けた。



 まったく。

 あたしの心理を今一番表すのはこの単語だろうと思う。
 あたしは目の前で幸せそうにラーメンを頬張る京一を眺めて、肩を落とした。

 朝、10時。
 携帯にコールが入って、待ち合わせが一時に新宿西口。
 そして直行したのが真神生御用達のラーメン屋。
 気合入れて来た自分が実際とことん馬鹿に思えてくるわ。

 かと言って今更帰るともいえないし、…言いたくないし。
 気に入らない男が相手ならそもそも待ち合わせなんかしないわよ。まかり間違って二人で会うことになっても、適当な、まぁ、よーするに退屈した時点でこっ酷く振るわ。

 決めたカッコでラーメン屋。
 この状況であたしが大人しくしてるのは、まあ、こいつがまんざらでも無いからなのよね。

 …もっとも不機嫌なのに変わりはないんだけど。

「で?」

 できるだけ低い声で、あたしは京一に問い掛けた。

「んあ?」

 ラーメン頬張ったまま返事するのはどーかと思うわ。頭痛くなってきた。

「何のようなんだい、京一」

 そのくらいははっきりさせといたってバチは当たらない。
 卒業式も終わった。こいつはどーだか知らないけどあたしは進学先も決まってるし、今はのんびり準備期間。年より臭いとは我ながら思わないでも無いけど、少々だれてたいところを呼び出しに応じたんだから、その理由が『なんとなく』だとか『ダチが紹介してくれって煩くってよー』何てのは願い下げなのよ。

 不機嫌満載で睨んでも、京一はびくともしなかった。
 ずるずるずる、もぐもぐ、ごくん。
 食べかけだった一口を実に丁寧に飲み込んでから口を開いた。

「ちょっと顔見て話しときてえことがあったんだよ」

「なによ?」

「あー…その、な」

 ごにょごにょと口篭もる。
 あたしは目を見張った。

 蓬莱寺京一ってオトコとの付き合いが、付き合いって言っても付き合ってるって意味じゃないわよ、その付き合いもいい加減長くなるけど、口篭もる京一、なんてのにはお目にかかったことがない。

 って言っても打てば響くように答えが帰ってくるとかそう言うんじゃないわよ。単にこいつ思ったことが全部口から出るのよ。単に。

「なんなの?」

「いや、だからまず腹ごしらえしてんだよ!」

 そう言って京一はまたどんぶりに視線を戻した。
 一心不乱って言うのがこれほど似合う食いっぷりって言うのもそうそうお目にかかれるもんじゃないわねー。

 ふう。
 あたしは息を吐き出して肩を落とした。

 まったく。

 ホントこれ以上の言葉はないわ。
 まったくしょうがない。不愉快で、不機嫌で、それでも帰る気にならないあたりなんかが。



 王華を出た頃にはもう三時をすぎていた。

 すっかり食べる気をなくして伸びきったあたしのラーメンを京一が始末してたからだけど。文句言いつつぺろりと平らげちゃうんだから呆れるわよ。しかもその前にギョーザとラーメン二杯平らげといて。まぁ、男ってのがものすごく食べるって実例はこいつだけじゃなくよーく知ってるからどーとも思わなかったけど。醍醐や紫暮が異常な食欲発揮するのはあたりまえな気もするけど、ぱっと見細い龍麻や如月、壬生だって、食べる時にはこっちが胸焼けするほど食べるもの。

「んーっ!」

 あたしは背を伸ばして肩をこきこきならした。こいつの前で気取っても仕方がないってもんだわ。王華の椅子ってば木製で堅くて肩がこるのよ。
 京一も同じように首をバキバキ言わせてる。

 変な話よ。まんざらでも無い男の前にいて気取らないあたしも、こんないい女前にしてどっからどう見ても平然としてるこいつも。

「おっしゃ、いくか!」

 京一があたしを振り返る。

 どこへ? って聞きたいけど止めた。聞いてどうなるものでも無いし。
 気に入らなくても、なんだかんだいってついて行きそうだもの、あたし。
 ただ、肩をすくめて、あたしは京一の後を追った。



「いーかげん口割ったらどうなのよ?」

 あたしはやっぱり対面に座った京一をじろりと睨み据えた。

 現在七時。
 夕食がてらに入った店が居酒屋って言うんだから、あたしもいい加減付き合いがいいと思うわ。

 それまでも酷かったわね実際。
 何するでもなくどーでもイイコト話しながら歩いてたら、頭の悪そうなのに絡まれて乱闘。嬉々として名乗るんだから頭が下がるわ。
 おまけに喧嘩だって通報されて、逃げる羽目に陥って。

 気がつけばこんな時間。そしてこんな店。

 煙草の煙で霞みがかった店内で相向かい。四人用のテーブルを占拠して、あたしたちは座っていた。それほど込んでなかったのが幸い。
 適当につまみと飲み物を注文してそれがでて来てからの、問いかけだった。

「あー、それな」

 チーズ揚げを口に放り込み、京一は早くも半分ほど空になったジョッキをテーブルに置いた。水滴が輪になってる。

「それよ。暇じゃないとは言わないけどね、これだけ引っ張りまわされて口割らないってんならいくらあたしだって怒るよ」

 じろりと睨んでも完全にかえるの面になんとやら。
 京一はもう一個チーズ揚げを摘み上げながら言った。

 さらりと。
 あっさりと。

「好きだ」



 空白。

 どこかで酔っ払いが大声で歌ってるのが聞こえる。
 店員の制止の声とか、乾杯の音戸とか。食器の音、時計の針の音まで聞こえる。
 どうやら耳はいかれたわけじゃないみたいだわ。

「は?」

 それでも聞き返さずにはいられなかった。
 多分ものすごく間抜けな声で、顔で、あたしは京一に問い返した。

 返事は同じ。

 さらりと。
 あっさりと。

「好きだ」

 流石にこれ以上問い返しは出来ない。
 藤咲亜里沙の名にかけてね。
 あたしは引きつりそうになる頬の筋肉にもう全力で総動員をかけて、にっこりと嫣然と笑った。

「初耳だねえ」

 京一は困ったように鼻の頭を掻く。

「そりゃ、言ったことねえからな」

 真理だわ。
 あたしは今度こそ自然に心から笑う。

「じゃああたしも言ったことなかったこと言うわ」

「あ?」

「好きよ」

 ぽかんと京一が口を開けた。
 どー見たってあたしからこんな答えが帰ってくることなんか想像してませんでしたって顔だわこれは。
 あたしはその顔を眺めて、クスクスと笑った。

 まったく、ホントまったく。

 どーしようも無いわ、これは。



 あたしたちは揃って店を出た。
 態度がぎこちなくなんかならない。
 顔を合わせるのが照れくさくなんかならない。
 揃って夜の街を歩きながら、それにあたしは苦笑した。

「な、藤咲」

「なんだい?」

 ふいに呼ばれて、あたしは京一の顔を見た。
 まったく普段と変わらない顔を。雑踏の中だって言うのに足を止めて、京一はネオンを見上げてる。あたしもそれに習った。

 少しの沈黙、そして京一はぽつりと言った。

「俺中国行くわ」

「へえ?」

 驚かなかったっていったら嘘になる。けどあたしは短くそうとだけ返した。

「怒んねーの?」

「怒って欲しいの?」

 逆に問い返す。

「まったくどーしようも無い男だね。なんだって告った後にそんなこと言い出すのよ?」

「あー、そりゃ、黙って行く気なかったしな」

 好きだって事も行くことも。

 そう言って、京一はへへっと笑ってあたしを見た。
 あたしは肩を竦めた。

 どーしようも無いわ、まったく。

 あたしも笑った。

「半日」

「あ?」

「アンタでも半日かかったってとこに免じて許してやるわ。どこでもいきなよ」

 そう半日。
 このどーしようも無い男でも、何もかも全部口からでちゃう男でも、半日かけた。

 ねえ、つまりはそれだけ勇気がいったって事じゃない?

「愛のねえ台詞だな」

 不満そうに京一が唇をとがらせる。その鼻先をあたしは指先でつついた。

「告ってすぐ中国行くとか言い出す男に言われたくないね。ま、アンタを好きな間は待っててやってもいいわよ?」

「べーつにいいぜ、待ってなくても」

「ちょ…」

 汗の臭い。
 言いながら京一はあたしを引き寄せた。
 雑踏に隙間が開く。見られてるのは分かってたけど、あたしは抵抗しなかった。
 覗き込んでくる顔を睨み返す。

「何よ?」

 片目を瞑って、京一は言った。

「また惚れるくらいいいオトコになって帰ってくるからな」

 あたしは思わず吹き出した。

 ああホントにまったくもう。

 どーしようもないわ、これは。

 近づいてくる顔にも、あたしは逆らわなかった。
 雑踏のなかで、唇が、重なった。



 朝。
 呼び出されて。
 昼。
 ラーメン屋で食事。おまけに乱闘。
 夜。
 唐突な、二つの告白。

 そこにあるのは蓬莱寺京一と言う、一人の男。
 どうしようもない男。朝も昼も夜も。



 朝も昼も夜も。
 変わらないアンタに、変わらず溜息をつかされて。
 そして変わらないアンタに、朝も昼も夜も恋をしてる。



 恋をしよう。





里子「オーイ、花輪の準備いいかー?」
京一「花輪?」
里子「なんだお前まだいたのか。ほれ(差出)」
京一「………オイ」
里子「焼香に何人来るかわかんないから湯のみちゃんと用意してなー」
京一「オイいいいっ!」
里子「忙しいだけど。なんだよ」
京一「なんだこの香典ってのはあああああぁっ!!!!!」
里子「(涙を拭う)ふ…成仏しろよ」
京一「だからなんで!?」
??「何でもなにも無いでしょう?」
京一「え?」
??「…死んで下さい」
京一「え、え、え???」
里子「さーて、葬式の手配手配っと…(そそくさと逃)」
暗転。何処かからか響く大絶叫。







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