恋をしよう




 朝に、昼に、夜に…

 表情は人間という生物の内的感情をリアルに映し出す鏡であるといえる。
 もう少しくだけた言い方をするなら、要するに機嫌は顔に現れる、と言うことだ。現れない人間もいるにはいるが、それは特殊な訓練を受けたか、生まれつき無表情かで、つまりは稀である。
 そこにある水準よりも恐らく整っているであろう男の顔はかなり奇妙に歪んでいた。
 眉間にきっちり縦皺が寄り、眼差しは鋭く、頬は引きつり加減だ。額にはじっとりと脂汗が浮かび、呼吸も忙しない。
 緊張の面持ちと言えなくも無いが、どちらかと言えば変質者めいた様子と言った方がしっくり来る。
 その様子を横から窺っていたもう一人の男は、溜息と共に思考をそう結論付けた。
 観察者の男、緋勇龍麻は、開いたまま目も落としていなかった雑誌を片手に、寝転がっていたベッドから起き上がった。
「…お前ね」
 呆れを全く隠さない声で話し掛けると、変質者めいた男はその形相のままに龍麻を振り返った。
「なんだよ」
 返される返事もまた、不機嫌さをいっぱいに湛えている。
 龍麻は手元の雑誌をバシリとその顔に投げつけた。
「何分そうしてれば気がすむんだ」
「うるせ」
「相変わらず頭の皺たんねえな、俺は何分そうしてるつもりなんだって聞いたんだぞ」
「うるせっつってんだよ!」
 反抗的に返される声に、龍麻は口の端を吊り上げてベッドから立ち上がった。
 獰猛で凶悪な、今にも食いつきそうな感のある、実に恐ろしい笑顔だ。
「言えた状況か?」
「………」
 流石に変質者めいた男は押し黙った。
 小奇麗な部屋だった。
 広めのワンルーム。角部屋、片方に出窓、もう片方にテラス。でんと据えられたキングサイズのベッドの他には観葉植物があるばかりで、ほとんど生活観を感じさせない。
 窓からは柔らかい朝の日差しがさんさんと差し込んできている。
 肉食獣めいた笑顔を持続させたまま、龍麻はぽんと男の肩に手を置いた。
「ここは何処だ?」
「…お前の部屋」
「今は何時だ?」
「…九時過ぎって、とこか?」
「で、人様の部屋で朝っぱらから携帯片手に脂汗かいてんのは何処の大馬鹿野郎だ?」
 男はほとんど上目遣いに、目の前の男の顔を見上げた。
 完全に腰が引けている。
「さ、さあ?」
「てめえの名前も忘れてやがんのかこの大馬鹿やろう!」
 めし。
 龍麻は間髪入れずに男の顔を踏みつけた。
 蓬莱寺京一の顔を。

 まったく。
 そう呟きてえのは俺じゃねえかも知れねぇけど俺も呟きたい。
 なんだってこの! 蓬莱寺京一様がこんなザマ晒した挙句踏みつけられなきゃなんねーんだ!
「…お前はまず自業自得って言葉を覚えた方がいいな」
「って、俺声に出してたか?」
「思いっきりな」
 ふんとひーちゃんが鼻で笑う。その上、
「出てなくてもお前の顔見れば何が言いたいかってことぐらいは読めるけどな」
 と付け足した。俺の前で仁王立ち、実に偉そうだねぇ、くそ。
 るせーや。
 俺はひーちゃんから顔を背けた。そもそも野郎なんかの顔をまじまじと眺める趣味はねえんだけどよ。
「ったく…」
 溜息を吐く音が聞こえた。俺の頭をぽんぽんと何回か小突いて、ひーちゃんは俺の横に腰を下ろした。
 …考えたくはない、っつーか考えるまでもねぇけどこれは、怒るの通り越して呆れてやがんな。
「お前はまともに電話一本かけられないのか?」
「しょうがねえだろうが!」
「逃げ打ってんじゃない」
 図星。
 怒鳴って逆切れして、だからどうなるってモンでもねーの。追求されんのが嫌なだけだ。伊達に相棒やってねぇよ、バレバレ。
 怒鳴っても逆切れして見せても、俺が立った一本の電話をかけれずにいる事に変わりはねえんだよな。
 じっつになっさけねぇけどな。
 黙り込んで爪先なんかをじっと見てた俺の視界に、ぬっと白い箱が差し出された。
 正確には白と紺。
 顔を上げてひーちゃんを見ると、もう咥えてやがって『ん?』と顎で箱を示してる。俺はちょっと笑って、差し出された箱から一本抜き出して口に咥えた。
 ジッと百円ライターをひーちゃんが擦る。高めに上がった火に、お互いに顔を寄せて大きく息を吸い込んだ。そして同時に煙を吐く。
 白に紺のストライプ。マイルドセブン。吸ってんのは同じ銘柄。回せっからな。なんせ高校生ってのは貧乏なもんだ。
 洋モク吸いたがる奴も多いけど、んな金のかかる真似してられっかよ。ついでにヤバいしな、洋モクの方が匂いきついし、すーぐ犬神辺りが嗅ぎ付けやがる。
 ま、俺らもう高校生じゃねぇけど。習慣だしな。煙草の銘柄なんかそう簡単にチェンジできっかよ。
 俺らは暫く黙って煙草を吹かした。
 ジジむせえけど落ち着く。醍醐辺りに見つかったら大目玉だけどな。
 二人して一本ずつ灰にしてから、ひーちゃんがポツリと言った。
「今のままお前を中国に連れてく気はないからな」

「はあ?」
 ちょっと待てよ。そりゃ話が違うだろ。
「おいひーちゃん、連れてくってなんだよ。第一誘ったのは俺のほうで…」
 言いかけた言葉を、俺は噤んだ。
 大騒ぎをどーにか解決してガッコ卒業して。
 俺たちは中国に渡る事を決めてた。理由とか理屈とか、あんま真剣に考えてねぇけどな。
 ただ、もっと強くなりたい。そのために。
 連れてくとかじゃねぇだろ、一緒に行く、だ。どっちかがどっちかの手を引っ張んなきゃ動けないわけじゃない。
 にしたって今回の場合は、俺が誘ったんだし。どっちかって言えば俺のほうがひーちゃん連れてくってのが打倒じゃねぇの?
 そういおうと思ったんだけどな、ひーちゃんの目が、怖かった。
 怖いっつーか、殴られそうっつーか。
 なんで俺は言葉をとぎらせた。
「…ひーちゃん?」
 情けねぇことこの上ね−けど、俺は上目遣いにひーちゃんの顔を窺った。
 二本目に火を付けたひーちゃんは、大きく煙を吐き出してから口を開いた。
「今のお前じゃ連れてくにしかならねぇよ」
「ああ?」
「今のままのお前と飛行機乗ったってな、一緒に行くって気分にはならない。後ろ髪残してるお前なんか、連れてくが精々だ」
「後ろ髪ってなあ、なんだよ?」
 不機嫌に言った。
 ひーちゃんが何を言いたいのか、まあ分かってないわけじゃねぇけど。っつーか分かった、が正しいけど。
「掛け損なってる、その電話が後ろ髪だろ」
「………」
 口答えは、もう出来ねぇ。
「中途半端なまま逃げるお前と逃避行なんてのは俺は御免だからな」
 じろりと睨まれて、身が竦んだ。
「それともお前行く気がないのか?」
「ねぇわけねぇだろ!」
「だったらとっとと…」
 ねぇよ。ねえから…中国行かない気なんか全然ねえから!
「だからかけらんねぇんだろーが!」
 怒鳴った。
「このまんまにして行く気なんざ俺もねぇよ。会うんじゃなくてもな、なんかきっちり宣言してからじゃなきゃいけねえよ、俺だって!」
 うざそうに、ひーちゃんが眉を顰めた。
「だったらとっとと電話しろ」
「降られりゃいいけどな! それでも! そーじゃなかったらどーすんだよ、置いてくんだぜ!?」
 たった一本。
 それがかけらんねぇのはそのせいだ。
 かけて会って告って…その先は?
 降られりゃいいけど、そうじゃなかったら?
 それこそ余計な後ろ髪残して…惚れた女残して!
 ぽかんと、ひーちゃんは俺を見ていた。
 ふかっと煙を吹き出して、それから、
「馬鹿?」
 なんか眠そうな声でそう言った。

 かぱっと俺は口をあけたまま絶句した。…人の葛藤を馬鹿ってなんだよ馬鹿って!
「だって馬鹿だろうが」
 またひーちゃんがふかりと煙を吐き出す。
「よーはお前、自信があるわけね?」
 はい?
「でもってお前、自信がないわけね?」
 はい???
「更にお前、ベタ惚れなわけね?」
「はあ?」
 ついに声に出した俺に、ひーちゃんはそれはそれは意地悪く笑った。
「今現在はモノにできる自信あんだろお前は。けど離れた後のことまでは自信もてねえと。で、自分がいなくなった後アレになんか近付くのは嫌なわけだろ」
「なんだよそれ」
「お前が自分で白状したんだよ。降られねぇと思ってるから電話できねんだろうが。今モノにしてもいなくなった後誰かに持ってかれて無くすぐらいなら、最初からモノにできないほうがましだとか思ってんだろうが」
「………」
 図星。っつーか、言われてみれば。
 ひーちゃんはにやりと笑った。
「だったらとっとと電話しろ」
「おいいい???」
 なんでそう何だなんで!?
 目で訴える俺に、ひーちゃんはゆっくりと静かに言った。
「…なあ、俺たち何しに何処へ行くんだ?」
「中国に修行しに」
「それは今よかもっといいオトコになりにってことじゃねぇの?」
 そりゃま、へたれる為にわざわざ中国なんかいかねぇよ。
「なら問題ねぇだろ。取られたら取り返せんじゃねーか」
 何回でも惚れさせろよ。
 そう言って、ひーちゃんは笑う。
 俺は一瞬ぽかんとひーちゃんを見つめた。
 けど次の瞬間には携帯を手にしてた。
 全くもってその通りで。
 馬鹿だよ、俺は。馬鹿で結構だ。

『もしもし? なによあんたは朝っぱらから?』
 掠れた、寝起きの声。聞いたことねぇ、声。
「よお、今日暇か?」
『あ〜? 暇って言えば暇だね。もうちょっと寝たいけど』
 俺と寝ねえか? なんてのは飲み込んで。
「ならちょっと出て来いよ、話あっから」
『何処に何時よ?』
「一時に、西口でどーだ?」
『…まあ、いいけど』
「じゃあ、後でな、藤咲」
『後でね、京一』
 切った携帯を放り投げてキャッチする。その起動の向こうににまにま笑ってるひーちゃんの顔が見えた。
 やな顔してやがる。
 にやにやしながらひーちゃんが言った。
「顔、赤いぜ?」
「悪かったなあ! 寝起き声なんざ初めて聞いたんだよ」
「ついでになんで前かがみになってんだお前?」
 …若いからだよほっとけ畜生。
「可愛いじゃねえか? 声だけでかよ?」
 あーそーだよ。
「いーんだよ、ベタ惚れなんだから」
 居直ってふんぞり返った。
 ひーちゃんは軽く笑って、また白と紺の箱を差し出した。
 二本に同時に火をつけて、俺たちはまた煙をはいた。

 朝。
 呼び出して。
 昼。
 飯でも食おう。
 夜。
 までには告る。
 電話一本さえ躊躇する、ベタ惚れな女に。藤咲亜里沙に。
 どうしようもなくベタ惚れだ。朝に、昼に、夜に。

 朝に、昼に、夜に。
 全部のお前を惚れさせる。俺と同じだけ。
 声だけで元気に成る程、惚れてる俺と同じだけ。

 恋をしよう。

里子「…馬鹿だ」
京一「しみじみぬかしてんじゃえええええええええ!!!!!」
里子「いや…マジで他に言葉が思いつかんほどにお前って馬鹿だ」
京一「てめえ、全国五億くらいの俺のFAN今一挙に敵に回したぞ」
里子「発言まで馬鹿だな。日本国内に五億も人がいるか」
京一「全世界にならぶっちぎっているだろうが!」
里子「お前世界レベルの馬鹿だとは思うが、世界レベルの人気者ではないだろう」
京一「お前、一回くらい素直に俺のかっこよさとか書いてみたくなんねーのか?」
里子「そんな有り得ん話はどーでもいい。それより」
京一「有り得んって即答かよ。(脱力) それよりってなんだよ?」
里子「お前元気になったのやっぱ、龍麻んちのトイレで抜いてったの?」
京一「下品なことぬかすなあああああああ!!!!!!」







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