第11回★日本と中国の関係を遡る
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王勇『中国史のなかの日本像』(農山漁村文化協会)
近年、政治面でも経済面でも、世界中から大きな注目を集めている中国。日本も遅れをとるまいと、企業進出などは盛んにおこなわれているが、どうやら両国の歯車はあまりかみ合っていないようだ。
個人としての日本人には好感は持たれても、企業人や公人としての日本人は嫌悪されがちだ。というのも、中国と政治的、経済的な交渉はおこなっても、中国の歴史や文化については、少しも知ろうとしないからだ。企業人や公人などは、中国はおろか、日本の歴史や文化にさえ何の関心も持っていない人が多いらしい。
今週はまず、このことを愁いて、未来に向けてよりよい関係を築くために書いたという、王勇の『中国史のなかの日本像』(農山漁村文化協会、2000年9月、\1950)を紹介したい。
両国の関係は紀元前にまで遡る。そしてなんと、唐や宋の時代(7世紀から13世紀頃)までは、日本はユートピアであり、宝物がたくさんある国と考えられており、日本に住む人々についても、器用な民、礼儀正しい民、好学の民という好印象を持たれていたという。
それが、元(14世紀)以降、元寇や倭寇の暴力的で残忍な振る舞いや、豊臣秀吉の侵略などで、悪いイメージが芽生えはじめ、近世になって、かつての好印象が回復する兆しは見えたものの、近代の日清戦争などによって、悪い印象が助長し、現代に至るのである。
好印象を持たれた理由は、中国人の宇宙観、世界観とも関係があるらしいが、唐宋時代までは、相当な知識人や学僧などが訪中していたことも大きな要因だろう。一方、元代以降は、一部の僧や商人などを除いて、倭寇のような海賊か、侵略目的の武士あるいは軍人などの日本人が、中国を脅かしたのである。
現代の企業誘致や、外交などをおこなっている当事者も、知識人ではなく、無知で教養がなく軍人気質さえ帯びている日本人が多いといえるのではなかろうか。奢らずに、少しは謙虚になって、せめてこの本ぐらいは読んで、日中史を勉強してほしい(特に森とかいう首相)。
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