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「シルクロード」という言葉は多くの方がご存じであろう。中国から中央アジアを通り、ヨーロッパにつながる「絹の道」のことである。シルクの売買から利益を上げようとする交易商人が歩いた道がシルクロードである。これに対し日本と中国との間には、実はブックロード、すなわち「本の道」あるいは「文化の道」があったという、大変興味深い見方がある。それを提唱したのは中国浙江大学日本文化研究所教授の王勇さんである。
中学校の歴史で学んだ遣隋使、遣唐使の派遣や鑑真和上をはじめ多くの中国人の渡来は、そのブックロードの直接の担い手であったという。今なら中国まで飛行機で数時間であるが、そのころは着けるかどうかもわからない船が交通手段である。それは、大変な危険を伴った交流だった。
その中国に、織物を中核とした朝貢物を持って渡り、帰途には万巻の書物を持ち帰った。経典をはじめとする多様な思想・哲学の文献は逐次日本人によって読破され、自らの文化と融合して新しい固有の日本文化に蘇っていった。
シルクロードをたどる西域の商人は年に何回となく中国を訪れ絹などの物資を運んだが、しかし、その物資を受け入れた先あるいは途中の国々は中国文化を受け入れることはなかった。たとえばイランには中国的な文明は跡形もない。
日本と中国の精神文化における関係の緊密さは、シルクロードの比ではない。
王勇さんは言う。
「物質は消耗されて文明を生産しないが、精神文明はみずからを再生する機能を持っている」(『奈良・平安期の日中文化交流』26ページ)。
「日本と比べて不思議に思うのは、このような高濃度な人的・物的な交渉があったにもかかわらず、西側諸国は中国と同じような文化を創りあげなかったことである。物を受け入れても文化は融合しないとしか説明できない。日本の場合はどうであろう。われわれは日本各地の寺院建築や正倉院宝物などを目にすると、妙に懐かしさが込みあげてくる。(中略)人間の往来を荒海に阻まれながら、どうして彼岸の日本に祖国そっくりの文化が創られたのか、しばしば考えさせられる。」(同)
漢字にしろ、書や茶道にしろ、暦にしろ、農業にしろ、宗教にしろ、漢方にせよ、中国から学び日本独自に発展させたものは限りない。江戸時代に全国各地にあまたの農書が成立した事実にも、中国古農書の影響が深く感じられる。また、東アジアの食の文化にも長い形成過程で中国が大きな役割を果たしている。
その関係の長い歴史の上でのこれからの日本、中国、アジアの未来ができていくのだということを十分に考える必要がある。農耕民族としての自然認識の共通感覚。衣服も燃料も食料も自給していく農村としての生き様の共通感覚。狭い耕地で多数の人口を養うために耕地を丁寧に耕し集約農業を進めてきた共通感覚。
中国は、これら狭小な土地に頼って生きる農耕民族としての共通感覚を持つ東アジアの人々に対し、数千年にわたって文化的なリーダーの役割を果たしてきた。
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