中国文化と日本文化
[HOME] [鑑真和上の世界]  [水滸伝の世界] [日本史料校注] [日本漢文典籍庫] [中日関係論壇] [中日英IT用語辞典]

 

長野県で毛沢東の親書を発見

 日本で発行される中国語の総合週刊新聞『中文導報』(2004年2月19日)によれば、一橋大学の加藤哲郎教授と中国留学生の許壽童さんは、これまでに知られなかった毛沢東の親書と蒋介石の電文など貴重な近代史資料を新たに発見したという。
 2003年8月、長野県川上村にある「信濃社会運動史料センター」の田井格氏は、故人となった某共産党要員から寄贈された資料の鑑定を、加藤哲郎教授に依頼。中国語の資料が含まれていると聞き、加藤教授は同大学博士課程に在学中の許壽童さんを連れて現地に入り、調査した。
 8月17日に、表面に英文が書かれた茶色の封筒に、手書きの中国語書類が四点あることを発見、これらは毛沢東・蒋介石と野坂参三との往復書簡で、これまでに知られなかった貴重な資料である。
 (1)林哲あての毛沢東書簡。1943年3月15日、毛沢東が延安に滞在中の日本共産党中央委員の野坂参三(すなわち林哲)に送った親筆の手紙。毛沢東は当時、日本兵捕虜の思想矯正に携わった野坂参三の仕事を評価している。
 (2)蒋介石あての岡野進電文。1944年1月3日、野坂参三(すなわち岡野進)が蒋介石あてに送った電報の中国語訳文。野坂参三は抗日戦争における蒋介石の指導的な役割を賞賛し、日本人民も中国軍民と手を組んで日本軍部打倒に戦うと意思表明している。
 (3)岡野進あての蒋介石の電文。1944年2月26日、蒋介石は岡野進の電文に対して、延安駐在の国民党連絡参謀郭仲容の代筆で、送った返信である。この返電で、蒋介石は岡野進の中日提携案に賛同する意向を伝えている。
 (4)岡野進あての毛沢東書簡。1945年5月28日、毛沢東から岡野進へ送られた親筆の手紙。毛沢東は1945年4月に開かれた中国共産党第七回代表大会における岡野進の講演原稿について、いくつかの訂正意見を述べている。また戦争終結後、天皇制をすぐに廃止しないという岡野進の主張に賛同している。
 以上のように、四通の書簡は野坂参三を中心に交わされ、終戦直前の共産党と国民党、中国と日本、アメリカとソ連の動きを如実に物語っている。(
040224)

 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル