漂着船に残された文献資料を駆使して知られざる

日中交流秘話を発掘、新たな江戸時代像を描き出す。

書評：大庭脩著『漂着船物語』

王　勇  

舒明四年（六三二）、第一次の遣唐使とともに来日した高表仁は、帰国後に「路は地獄の門を経る云々」と表現して、渡海の恐ろしさを人々に語った。約千年後の江戸時代になっても、日中間を行き交う帆船は、しばしば難破に見舞われていた。

本書は、延暦期の遣唐使船に始まり、鎖国時代に来航した中国船までの漂流物語をテーマにしている。著者がこれまで看過されがちだった中国の遭難船に目をつけたのは、「物事がまともに進んでいる時はあまり資料は残らず、事故があった時（中略）資料が残る」からだという。

中国泉州から宋の海船が出土したり、韓国新安から元の貿易船が打ち上げられた際は世間を騒然とさせたが、漂着船の文献資料は埋もれた歴史を出土品よりも生々しく語ってくれる。したがって、本書の価値は少なくとも数艘の清代貿易船の発見にも匹敵するだろう。

漂着船をめぐって、日本側の救助記録、唐船側の提出書類、公私の筆談録、当事者の手記、第三者の見聞記など、多様多彩な資料が残されている。本書はこれらの一級史料を駆使して、知られざる日中交流秘話を満載し、新たな江戸時代像を描き出している。

まずは貿易資料である。遭難船から提出された書類には、出港地や航路はもちろん、積荷の品目や数量それに産地、また乗組員の名前や年齢、ときには本籍地まで記されている。唐船はシルク類・陶磁器・漢方薬・砂糖・書物・骨董品・文房具などを運んでくるが、遭難した場合、シルク類から積荷を海に捨てるというのは、ちょっと意外である。

遭難船は修理不能と判断されたら、船神（天妃像）を地元の寺などに供養して、焼却または解体されてしまうが、日本側には詳細な記録や写実的な船図がいくつか残されている。これらによれば、唐船の細かな寸法がわかるのみならず、黒塗りの船腹に白い円形があるとか、「海若安瀾」（海若は海神のことで、順風満帆を祈る吉祥文句）の扁額を掲げているとか、船首に鳥の目を描いているとかもわかり、航海資料として面白い。

また文化交流の資料としても注目に値する。宝暦三年（一七五三）に八丈島に漂着した南京船の場合、島に流されていた二人の流人の活躍を記憶にとどめたい。武士の和田藤右衛門は、筆談によって唐人と意思を疎通し、救助活動を可能にした。絵師の狩野春潮は船員六十三名の肖像画をリアルに描き、清朝人の風俗画として珍しい。

安永九年（一七八〇）、儒者の伊東藍田は、元順号が千倉浦に流されたことをうわさに聞き、江戸から駆けつけて筆談を持ちかけた。その実録『遊房筆語』をひもとくと、海外知識を渇望する儒者らの面目が躍如としており、また筆談による沈黙の対話がどれほど唐人を慰めてくれたかもよく分かる。

　元順号も損傷がひどくて破棄され、一行七十八名は日本船三艘に分乗して長崎へ移送される。副船主の方西園は絵画にすぐれ、沿路の景色を逐次に活写したのが絵日記『漂客奇賞図』である。そのなかに富士山の図があって珍しがられる。長崎の唐人屋敷に足止めされる中国商人にとって、富士山を実見するチャンスはない。不幸な境遇にはあったが、海上から富士山を眺められた方西園は「目睹して実に大観なり」と感激して絵筆を走らせた。

　ところで、著者がこれほど漂着船にこだわった発端は、そもそも積荷にふくまれる舶来書籍の調査にあった。日本文化に多大な影響を与えた中国書籍は、奈良時代より以降は遣唐使らの将来に頼ってきたが、十七世紀からは専ら中国商船によってもたらされていた。

元禄十一年（一六九八）に五島沖で難破した寧波船の資料を調べると、船主から福江藩主へ差し出した文書に、遭難の一部始終を述べた後、貨物リストが添付されている。それに墨三千斤・古画五箱・書六十箱・古董十六箱などがみえる。著者の推計によれば、一箱は三十冊ほどで、合計千八百冊あると見積もられるという。

　江戸時代の後半になると、書籍の需要がますます大きくなり、文化元年（一八〇四）の例だと、十一艘の来航船のうち、十艘が本を積んでいる。そのうちには、将軍や大名らの注文書もあれば、禁書とわかって積み返しを命じられたものもある。

　中国船は積荷を売って、金・銀・銅・俵物などを持ち帰る。注目すべきは、汪鵬や伊孚九らの「儒商」が中国の佚書や日本の古籍を購入して中国にもたらした事実だ。『七経孟子考文并補遺』や『吾妻鏡』が中国の知識人に刺激を与えたことはよく知られている。

　前近代までに、書物が商品として流通し、人間の往来が制約された時代に文化交流の主役を演じたケースは、東アジア以外に類例は少ない。この意味で、本書は日中文化交流の特質を知るために必読の書であるといえよう。

（『しにか』2002年1月号）