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交流による文化の模倣と創造

――池田温著『東アジアの文化交流史』を読んで――

王 勇

 

このほど吉川弘文館より刊行された池田温著『東アジアの文化交流史』は、東洋史学界の久しく待ち望んでいた氏の論文集である。それに収録された十五点の論考は、三十余年にわたって著者の絶えぬ思索と考証の結晶であり、日本国内のみならず、中国や韓国そして欧米の学界にも大きく寄与するものと思われる。

一、学際的な視野

著者は唐代法制史の権威として世界に名声を馳せているが、その複眼的な視野と綿密な文献調査とによって、本来の領域を超えた国際的または学際的な論文を少なからず世に問わせている。これらの論文は東アジアの文化現象を立体的かつ動的にとらえ、氏の主著たる『中国古代籍帳研究 概観・録文』(東京大学出版会)および『中国古代写本識語集録』(大蔵出版)とは趣向の異なった学問体系をなしている。

わたくしは大学院生のころ、氏の名作「裴世清と高表仁」をはじめて拝読し、その堅実な学風に魅せられて私淑し、関係論文の集大成をかねてより祈願しつつ、中国語版の翻訳を手がけていたこともあって、本書の刊行をなによりも嬉しく思った。

さて、本書は「東アジア古代の外交」、「古代日本の大陸文化摂取」、「中近世東アジアの文化交流」という三部構成に、以下にあげる十五点の論文を収録している。

1、東洋学からみた『魏志』倭人伝

2、義熙九年倭国献方物をめぐって

3、裴世清と高表仁――隋唐と倭の交渉の一面――

4、日本国使人とあだ名された呂延祚

5、天宝後期の唐・羅・日関係をめぐって

6、蕭穎士招聘は新羅か日本か

7、大中入唐日本王子説(以上は第一部)

8、天長節管見

9、中国の史書と『続日本紀』

10、『貞観政要』の日本流伝とその影響

11、正倉院文書と敦煌・吐魯番文書(以上は第二部)

12、前近代東亜における紙の国際流通

13、麗宋通交の一面――進奉・下賜品をめぐって――

14、明人王国鼎の宗礀あて書状について

15、『梅花百詠』をめぐる日・琉・清間の交流(以上は第三部)

二、文明論の構築

右のうち、新稿の「明人王国鼎の宗礀あて書状について」をのぞいて、それより以前に学術誌や論文集などに掲載されており、その一部は早くも中国語または韓国語に翻訳されている。つまり、個々の論文については、公表のたびにひろく読まれてはいるけれど、整然と一冊の著書にまとめられると、著者の学風や志向などがより鮮明に読みとれてくる。

 全体的な傾向として、まず言えるのは、東アジアの視点である。近代より以来、歴史学は国家ごとに細分化され、学際領域の文化交流史といっても、「中日」あるいは「日韓」といったように、二国間の関係として捉えられるのが普通である。東アジア諸国を流伝する文化を全方位に把握するのは、少なくとも中国・朝鮮・日本について専門的な知識を必要とする。このような気迫と学力を有する学者は、まだ僅少であるといわざるを得ない。

 つぎに指摘したいのは、歴史的な通観である。著者は唐代(六一八〜九〇七年)を専門としているにもかかわらず、六朝から明清にかけての千余年間に目配りし、文化の生成流転の軌道を時代とともに追跡している。文化は空間的に伝播するとともに、時間的に伝承されるものと見なせば、研究対象を特定な時代に限定してしまうと、その全容の解明に支障を来たすことになる。本書を拝読して、われわれが専門とする時代の前後に、もっと目を配り、より教養を増やす必要性があることをつくづく感じた。

さらに注目されるべきは、日本史への回帰である。中国と日本の学界風土の相違は、学問の分類法にも表されている。たとえば、歴史学の再分類として「中外関係史」は中国にあって日本にないが、「東洋史」は日本にあって中国にない。日本における「東洋史」は日本史に対して用いられることが多い。日本をふくまない東洋史学は、学問構造として不安定な印象を受けるが、本書のように日本を研究の基点におく東アジア研究こそ、われわれにとってより示唆に富む貴重なものである。

三、私なりの読み方

論文集なるものは個々の単独論文から構成されるため、その組み合わせようによって複数の読み方が可能である。わたくしはそれ以前に、本書所収の論文を預かり、漢訳作業にたずさわっている関係上、著者とはやや異なった分類と配列を試みている。本書の持つ多様な可能性のひとつとして、ここにあえて私なりの読み方を示しておこう。

 (一)人間の往来。地域間の文化交流は、人間の移動によって促される。このことを示唆する論文は、本書に六点(3、4、5、6、7、14)収められている。「裴世清と高表仁」は中国資料を生かした日本史研究の傑作とされ、三十余年前の論文だが、今日でも遣隋唐使研究の必読文献である。「日本国使人とあだ名された呂延祚」は短文ながら、『朝野群載』に「日本国使」と渾名された呂延嗣を呂延祚の誤りとしてその官暦などを明らかにした。「蕭穎士招聘は新羅か日本か」と「大中入唐日本王子説」は蕭穎士の招請国と王子の出身国を日本とする通説に疑問を呈して新羅説をとなえ、学界に一石を投じた。

(二)文物の流布。人間の移動にともなって、文物はしきりに越境する。東アジアをかけめぐる文物を取りあつかった論文は三点(2、12、13)あり、「義熙九年倭国献方物をめぐって」は『義熙起居注』の「倭国献貂皮人参等云々」とある朝貢品に目をつけ、高句麗との共同入貢説を補強し、その背景にある東アジアの国際情勢を鋭く分析した。「前近代東亜における紙の国際流通」は漢字文明をささえた紙の流通を、空間的には中国・朝鮮・日本の三国、時間的には近代以前の千余年間にわたって概観した。その気宇壮大な視野に感銘を受けるだけでなく、朝鮮紙と日本紙の逆輸出にも興味を引かれる。

(三)書籍の交流。文物のなかでも、書籍は精神文明の交流を担うという特別な意味を持つ。こうした主旨の論文は四点(9、10、11、15)収録されている。「中国の史書と『続日本紀』」は漢字文化圏を特徴づける漢文史書の伝統を背景として、日本史書の発生・模倣・独創などを論じる。「『貞観政要』の日本流伝とその影響」は唐代君臣の問答を集めた『貞観政要』の受容史を書誌学的にたどった。「『梅花百詠』をめぐる日・琉・清間の交流」は、「梅花」という美的対象そして「百詠」という作詩伝統を共有する日本・琉球・清朝の文人らの詩的な交友関係を、詩集『梅花百詠』を通して詳述した。

(四)知識の伝達。知識を正確かつ迅速に伝達する情報力は、古今東西を問わず、国力を示す指標のひとつである。本書において、該当論文は「東洋学からみた『魏志』倭人伝」と「天長節管見」である。前者は日本の情報が中国へ、後者は中国の知識が日本へ伝わる過程において見られる影響を考察した。

 本書を通読して印象深いのは、東アジア諸国の文化が相互交流のなかで、刺激を受けて発生し、変容しつつ成熟し、融合しながら地域共有の文化遺産を創りあげたということである。まさしく書名に示された通りである。

(『アジア遊学』第39号、勉誠出版、2002.5

 

 

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