書評:揖斐高著『江戸の詩壇ジャーナリズム』 王 勇 |
漢詩という窓から江戸文学の世界を覗きみると、わが目を疑うほど奇妙な風景に驚かされてしまう。「小難しく、硬直し、時代遅れ」の漢詩がなんと「文学の最先端を行く、高感度な文学形式」としてもてはやされているからだ。 江戸文学といえば、町人層の台頭とともに流行りだした俳諧・草双紙・浮世草子・読本といったものばかりが強調されてきたけれど、揖斐高氏は漢詩こそ「もっとも中核的な文学ジャンル」だと主張する。 こうした常識をくつがえすような仮説を裏づけるべく、引き合いに出されるのは、『五山堂詩話』という漢詩評論集である。文化四年(一八〇七)からスタートを切り、ほぼ年に一巻のペースで十五巻まで刊行した。 これが「不特定多数の読者を対象に、同時代の情報を定期的に提供する刊行物」という条件を満たし、日本におけるジャーナリズムの濫觴とされる。そして、その著者は奇しくも「ジャーナリズムの神様」と呼ばれる菊池寛の先祖にあたる菊池五山である。 近代においては、巨大な産業として成り立っているジャーナリズムが、漢詩という文学ジャンルから始まったのは、誰もが意外に思うかもしれない。揖斐高氏はこの点を十分に意識して、同時代の資料を博引しつつ、その成因を入念に分析したのである。 つまり、内部の要因としては、遊歴詩人と勤番詩人とによって漢詩が地方へ庶民へと広がっていった事情があげられる。また外部の要因としては、南宋の田園詩と清代の性霊説詩論を受容した事実が考えられる。 内外の契機によって、漢詩は空想の心象風景から眼前の現実風景へと視線を変え、日本化と大衆化とを達成し、爆発的な人気を博したのである。こうして十九世紀の初頭、日本のジャーナリズムは文字どおり、詩的な出発を成し遂げたのである。 (『東京新聞』2002.1.27)
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