奇書の老躯に時代の息吹を与える
書評:北方謙三著『水滸伝』(一、二) 王 勇 |
書物はまるで生き物のように、呱々の声をあげて生まれると、人間の意志とは関係なく独り歩きし、弱いものはあっけなく淘汰され、強いものはどんどん繁殖していく。『水滸伝』はその顕著な例で、幾度か禁書リストに加えられながらも、子孫を増やしつづけ、独自な作品群をかかえる大家族を築きあげている。そして今なお生命力が衰えていないことを、北方謙三氏の新作『水滸伝』が物語ってくれる。 中国の「四大奇書」の一つとされる『水滸伝』は、一七三四年のツングース語訳をはじめ、アジア諸国における翻訳・翻案・改作が盛んに行われ、倣作続書なるものは数えきれない。十九世紀からは、フランスを筆頭に、欧米諸国にも次々と紹介され、英訳『四海兄弟』の題名に示される通り、今や『水滸伝』は世界に享受される文学遺産となっている。 日本では、一七五七年に岡島冠山の和訳『水滸伝』が世に問われると、たちまち「水滸ブーム」が巻き起こった。「夜講釈しびれの切る水滸伝」といった俳諧は、当時の世相を的確にとらえている。 一七七三年に建部綾足の読本『本朝水滸伝』が上梓され、日本を舞台にした英雄豪傑が登場しはじめた。これを契機に、さまざまな「水滸物」が世に迎えられ、本場と一味違う庶民文学の領域が拓かれていく。 さて、北方謙三氏の構築した水滸の世界は、和漢のどちらとも言えぬ雰囲気を漂わせている。水滸マニアと自称する私には、懐旧感と新鮮味とを満喫させてくれる。 暴れん坊の魯智深が同志を募るために思慮深く走り、淫蕩な潘金蓮が武松との純潔な愛に命をささげる。著者は『水滸伝』という老躯に、時代の息吹を与え、心魂から湧き出る泉を注ぐことによって、人物が進化し、舞台が様変わりし、物語がおのずと成長する。 まるで久闊の知人の豹変ぶりに驚かされたかのように、その紆余曲折の経歴を知ろうとする衝動に駆られながら、第一巻『曙光の章』と第二巻『替天の章』を一気に読み終えた。宋江をはじめとする百八人の豪傑が生き生きと蘇えり、これからどんな運命を辿り、どんな奇跡を演じ、どんな感動を与えてくれるか、著者とともに全十三巻まで追ってゆきたい。 (『東京新聞』2000年12月3日、『中日新聞』同日付、 集英社『青春と読書』2001年1月号再録)
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