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ブックロードのある風景

                            王 勇

二〇〇〇年四月から、日本史専攻のわたくしが国文学研究資料館に客員教授として招かれたのは、ブックロードの縁だったと思っている。中国に流出した和書を現地で調査していた岡雅彦教授が、私どもの中日書籍交流に関する著書に注目してくれたことから、客員招請の話が始まったらしい。

それはともかくとして、「東西交流はシルクロードを通して行なわれ、東アジアはブックロードによって結ばれる」と、ブックロード論を夢中に提唱している私にとって、和書の調査・収集・研究の諸機能を併せ持つ資料館は魅力的であり、すぐに承諾した。

共同研究 資料館における一年間、客員教授は共同研究を主宰することを義務づけられている。「何をテーマにしたら良いか」と岡教授に相談したあげく、「ブックロード――中日書籍交流のメカニズム――」と決め、以下の趣旨書を関係者たちに送り、共同研究員を募った。

「東アジア諸国の文化形成の深層には濃密な精神的交流があり、文明志向・美意識・ 道徳観・思考様式・風俗習慣・行動規範などにおいて共通的な基盤が存しているとみられているが、そうした精神文明の交流は主に書物を媒介として行なわれ、その結果はまた書物を通じて具現化されると考えられる。そのような、書物を介しての精神文明交流のメカニズムを解き明かすべく設定された概念がブックロードである。本共同研究ではこの概念に基づき、東アジア諸国のうち特に中日間の文化交流の歴史を、書籍の伝播・流布・書写・翻刻・引用・翻案・改作などの具体的様相の検討によって追究することを目的とする。さらに書籍を刺激源とする文学の発生・継承・変容・創造の仕組みを明らかにすることをも目標とするものである。(後略)」

その後、共同研究の趣旨に賛同するという回答がつぎつぎと返ってきた。中国哲学の戸川芳郎教授、日中交渉史の大庭脩教授、平安文学の田中隆昭教授、漢文学の後藤昭雄教授、日本史の村井章介教授と新川登亀男教授、江戸文学の徳田武教授、それに在日する中国人の看板学者ともいうべき張競教授、王敏教授、銭国紅博士が加わり、この豪華な顔ぶれをみると、さすが資料館の方も驚いたそうだ。

それぞれに専門の異なった著名な学者たちがブックロードによって結ばれ、ささやかな共同研究を大いに盛りあげてくれた。そして共同研究が終了した六ヶ月後に、論文集『奈良・平安期の日中文化交流−−ブックロードの視点から−−』が農文協より刊行された。これも資料館のおかげで小さな奇跡を実現させたと言えるのかもしれない。

古書調査の旅 客員教授が所属する文献資料部には、十数人の専任教官が配属されている。三階のコピー室に通じる廊下の両側に、研究室がずらりと並んでいる。そこを通るとき、いつも足音を立てぬようにゆっくり歩く。というのは、かならずといっていいほど、ドアを開けっぱなしの研究室があるからだ。

あとで聞いた話だが、文献資料部には教官が入室したら、ドアを開けておく不文律が昔からあったという。そうすると、ドアを閉めている研究室の主はすべてお留守だということになる。それにしては、ときに半数をこえる留守番は多すぎるではないか、最初はそう思っていた。

その理由は、まもなく明らかになった。館内で出会った同僚らに挨拶すると、彼らはたいがい出張から帰ってきたばかりか、これから旅に出ようとしている。原典研究を学問の基盤としている資料館では、教官たちはしばしば各地の公私図書館や神社仏閣などに出かけて、文献調査を精力的に行なっていた。そして、貴重な古書をマイクロフィルム等によって収集し、研究者の利用に供している。現在は三十万点ほどの調査を行ない、十八万点あまりの作品を研究者に提供している。世界に類例の少ない機関である。

日本国内の調査とほぼ平行して、海外に流出した和書の現状調査も手がけられていた。ただし、これらの調査は欧米を中心に行なわれ、ここ数年は韓国や台湾にも手を広げるようになったが、ブックロードの発祥地である中国大陸はまだ手つかずの状態にある。

わたくしの本務校である浙江大学日本文化研究所では、一九八九年から「中日書籍交流史」の共同研究プロジェクトが発足し、日本古書の中国流入も重要な課題の一つとなっている。その成果は『中国館蔵和刻本漢籍書目』や『中国館蔵日人漢文書目』などにまとめて刊行されている。

こうした情報を紹介して、中国での調査をお薦めしたところ、松野陽一館長はこころよく聞き入れてくれた。二〇〇一年の一月と八月の二回にわたって、松野館長率いる代表団は上海図書館、浙江省図書館、浙江大学図書館、寧波天一閣博物館をおとずれ、和刻本を中心に調査したのである。

これらの調査を通して、ブックロードは中国書の輸出を意味するものだけでなく、日本の古書もかなり海外に流出していたことが明らかになった。

詩集『雑抄』 資料館の教官らが海外に流出していた和書のゆくえを懸命に追跡しているのと同じく、わたくしは日本に伝わって中国では失われていた佚存書に目を光らせている。そのなかでも、遣唐使らの持ち帰った書物がどう読まれ、どこに保存されているかは、わたくしの関心事である。

はからずも資料館に在任中、ある大発見にめぐりあった。住吉朋彦氏の紹介によれば、宮内庁書陵部に『雑抄』という唐詩の残巻が所蔵されているそうだ。その情報に接するや、すぐに宮内庁書陵部に出かけて原物を調査しようと思った。

松野館長は、私のために書陵部の関係者に連絡を取り、閲覧の当日はご多忙にもかかわらず、自ら書陵部まで同行され、原物を調査するときには有益なアドバイスをしてくれた。手帳を調べると、当日の欄に

「書名:雑抄。撰者:不明。形は胡蝶装の冊子本、薄手の黄紙12枚を四つ折にして48面。高さは約28.5cm、幅はおよそ12.7cm。書陵部の検索番号:70165/1(伏2036)。唐人の詩集であること間違いない。大発見か。」

と書き込まれている。至福の一時を過ごすことができた。

その後、マイクロフィルムの撮影と複製を依頼し、その貴重さをあらためて思い知らされた。本文の第一面の冒頭には「雑抄巻第十四」と書き、行を改めて「曲下」とあって、以下は20人の34首の楽府詩と散文1首とを抄録している。そのうち、18首は『全唐詩』などに漏れており、いわゆる「佚詩」に属するもので、大発見と言わねばならない。 

書物との出会いは、まさしく禅宗のいう「一期一会」そのものである。上海図書館で調査したころ、日本では国宝の指定をうけるはずの光明皇后の写経と対面したときの感動を、今も鮮明によみがえらせている。

東アジア諸国はかつてブックロードによって結ばれ、文明発展の道をともに歩んできた。海外に流出した日本古書の調査も、日本における中国佚存書の調査も、単なる懐古的な情緒を満たす行為ではなく、書物によって伝わる文明の遺伝子を今の社会に確認する意図が、わたくしにはあるのである。

資料館の原典重視の学術風土は、ブックロードの思索を熟成させてくれる最適な環境であった。原典のもつ個性を一冊一冊と虚心に見つめると、書物はまるで生き物のごとく見えてくる。こうした日々の感動は、わが心に残る美しい風景に凝縮されて、今もありありと脳裏に浮かんでいるのである。

王勇  二〇〇二年九月九日

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