風水の虚を捨てて

 王　勇  

  七九四年に行なわれた平安遷都は日本文化発展の歴史からみれば、どんな意味を持っているか。今年は遷都千二百周年にあたり、この問題をあらためて考える結構な節目であろう。

　［平安楽土の祈願］遷都の翌年正月、天皇と臣下は一堂に会して、唐風の踏歌（あられはしり）を奏して新京落成を賑やかに祝った。歌詞の一例をあげると、

      山城、楽を顕す旧く伝へ来り　　帝宅、新に成す最も可憐なり

  　   郊野、道平けく千里を望む　　　山河、美を擅にす四周に連なる

とあり、最後には「新京楽、平安楽土、万年春」の祝辞を加えている。

　君臣は唐都西安に範をとった新京の壮観を賛美しながら、人間楽土への憧憬と万年帝都への幻想を、ことごとく平安遷都に託したのであろう。桓武天皇は雄大な政治的プランを実現するために、新天地に帝都を求めたにちがいない。そこで、千秋偉業の象徴として、平安楽土が祈願されたわけである。

　［皇都と風水］遷都はまず地理的な移動であるが、皇都のばあいは「四神相応の地」（『和漢三才図会』）がもっとも理想的とされる。四神とは四種の霊獣のことであるが、これを地形でいえば、東に河川（青龍）・南に沼沢（朱雀）・西に大道（白虎）・北に高山（玄武）があれば、皇都の繁栄が約束されるという。

　このような中国の風水思想が日本の造都事業に大きな影響を及ぼしたことはいうまでもない。たとえば七０八年に出された奈良遷都の詔に「平城の地、四禽は図に叶ひ、三山は鎮を作し、亀筮並びに従ふ。都邑を建つべし」とみえる。奈良以前の古都が大和盆地に集中している大きな原因は、その風水思想にかなった地形にあるとおもわれる。

　［水系の新都］しかし、平安京については、『日本紀略』に「此の国、山河襟帯は自づから城を作す」と記すのみで、帝都の模範にかなう「風水宝地」ではなかった。だとすれば、山背（城）に都を移した意図はなんであろうか。十年さかのぼって、桓武天皇は大和をはなれて長岡に新都を造営するとき、「朕、水陸の便あるを以て、都を茲邑に遷す」と説明している。

　奈良朝の後期、律令集権国家の規模が急速に拡大するにつれて、四通八達の中枢機能をもつ開放的な首都が要求されるようになった。奈良盆地の閉鎖空間を脱出して、淀川水系に位置する山城に長岡と平安の二都を営んだことは、時勢の然らしめる選択であり、風水の虚を捨て地形の利をとる自主的な主張でもある。平安時代はこのようにしてスタートを切った。

［遷都の時機］平安遷都のもつ歴史的意味をあかす前提として、七八四年に行なわれた長岡遷都を無視することができない。延暦元年（七八二）正月、桓武天皇の即位によって勢力をうしなった天武系の氷上川継は、内裏に乱入したクーデターを起こした。事件の三か月後に、桓武天皇は平城京の造宮省を廃止し、遷都の意志をほのめかした。しかし、なぜ二年待ってそれを実行に移したのか。

　長岡遷都の詔勅に「十一月朔旦冬至、これ歴代の希遇にして王者の休祥なり」とある。延暦三年（七八四）は六十干支の最初にくる甲子で、『詩緯』に「辛酉革命、甲子革政」というように、物事を改める最良の時機にあたる。また、十一月朔旦冬至というのも二十年に一度しかない時運で、まことに「歴代の希遇」というにふさわしい。桓武天皇はこの「王者の休祥（吉祥）」とされる時機を待ちに待って、遷都という形をもって「革令改政」の幕を思い切ってあけた。

［平安京時代］平安京は日本の首都として、明治二年（一八六九）の東京遷都までに千余年も機能した。狭義の平安時代は一一九二年の鎌倉開幕をもって終止符を打たれたが、平安京の育んだ国風文化の伝統は貴族から武士そして町人に受け継がれ、自らを完結してきた。

　首都の興廃をもって歴史を区分するならば、日本の文明発展史は大きく奈良京時代・平安京時代・東京時代の三期に分けられるかもしれない。すなわち、神武から光仁までの四十九代天皇は大抵、奈良盆地に帝都を営み、半島や大陸より中国文明をむさぼるように吸収して、野蛮社会から文明社会への道を歩んだ。つづいて、桓武天皇の平安遷都より七十二代を経て孝明天皇にいたるまで、京都を舞台に中国文化を咀嚼・加工して独自な国風文化を創り出した。そして、明治天皇の東京遷都をきっかけとして、日本は欧風米雨の洗礼を受けつつ、東西融合の現代文明を形作った。

　平安京は、奈良の唐風期を承け東京の西洋化を啓く、もっとも日本的文化を生み出す母体である。つまり、この千有余年のユニットに、五世紀前後から蓄積してきた中国文化が十分に反芻されて国風文化の養分と化し、いっぽう十九世紀後半から滔々と押し寄せてくる西洋文化を選別して受容する素地がしっかりと作られておいた。

　平安京を舞台に演出された時代はさらに細分化することもできるが、巨視的な文明論からみれば、凛として自らの完結と尊厳を主張しているのである。

（『東京新聞』文化欄、1994.10.12）