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  青春の遣唐使03 藤原貞敏

琵琶の奏でるロマンス

王 勇


 村上天皇のころ、玄象という琵琶が宮中から消えうせた。
源博雅は管絃の道に通じ、かすかに聞こえる音を捜し求めていくと、羅城門にすむ鬼がそれをを弾いていたのだった。

『今昔物語』巻第二十四「玄象琵琶、為鬼被取語」はさらに「此玄象ハ生タル者ノ樣ニゾ有ル。弊ク弾テ不弾負セレバ、腹立テ不鳴ナリ」とつけ加える。このような皇室秘蔵の琵琶といえば、もう一面ある。

幼少より覚性法親王に仕え、琵琶「青山」を賜わった平経正は、源木曾が攻めてくると、名器を返上して都落ちし、一の谷合戦で討ち死にした。その霊を慰めんと、僧行慶は管弦講を催し、青山を弾いて回向する。これは『平家物語』の「経正都落」を敷衍した能「経政」の梗概だが、『平家物語』はつづいて「青山之沙汰」の段で、青山の由来を述べる。

藤原貞敏が渡唐のとき、琵琶博士より玄象・師子丸・青山という三面の琵琶を相傳して帰途についたが、龍神がそれを惜しんで荒波が立ったため、師子丸を海底に沈めて二面の琵琶を持ち帰った。応和の頃(九六一)、村上天皇は清涼殿において玄象を弾いたら、唐の廉妾夫と名乗る幽霊が現われて青山を手にとり、貞敏に隠していた秘曲を天皇に授けたという。

藤原貞敏について、琵琶将来とともに、ロマンチックな恋物語が伝えられている。「三代実録」によれば、承和五年(八三八)入唐した貞敏は長安入りし、琵琶師の劉二郎にめぐり逢い、数ヶ月の間に妙曲を習得し、曲譜数十巻を贈られた。劉二郎はその才能を見込んで、劉娘を嫁がせ、帰国前には紫檀と紫藤の琵琶を贈った。

貞敏将来の琵琶譜はその弟子にあたる貞保親王撰の「伏見宮本琵琶譜」に伝えられている。巻末につけられた貞敏跋文によれば、唐の開成三年(八三八)八月七日に、遣唐使は揚州観察府に琵琶博士を請い、九月七日に貞敏は水館において簾承武に教わり、二十九日に学業終了に際し、楽譜を授けられたとある。

「教訓抄」や「筝相承系図」などをあわせて考えると、貞敏は揚州の水館(宿泊施設)で八十五歳の廉承武について琵琶を習い、師の女弟子(あるいは義理の娘)を娶り、琵琶譜と琵琶を授けられて帰国したと推察される。

『三代実録』に「他に才芸なし。能く琵琶を弾くをもって、三代の天皇に歴仕す」と評される貞敏は、三十一歳に入唐した琵琶ひと筋の青年だった。彼の将来した琵琶は、『禁秘抄』に皇室秘蔵の紫檀琵琶に擬されているが、正倉院に伝わる舶来琵琶のどれかに当たればと幻想してやまない。

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