日本文化とか何か 王 勇 |
中国語版の『日本文化――模倣と創新の軌道』を二十世紀末ぎりぎりに脱稿した。新世紀を担う中国の若い世代に、日本文化の歴史を全面的に紹介しようとする衝動が、足かけ四年間の作業にピリオドを打たせた。 日本人は中国の伝統文化にしか目を向けず、中国人は日本の近代技術のみに目を光らせるという傾向は、ここ十数年ますます目立ってきている。中日間に起こる様々な摩擦の根源は、このような着眼の行き違いに由来しているのではないか、そう考えさせられることしばしである。 世紀交替をきっかけに、日本人はもっと現代の中国文化に関心を持ち、中国人はもっと日本の伝統文化に興味をしめすべきだと痛感していたとき、高等教育出版社から、中国の大学共通テキストとして用いられる日本文化通史の執筆を依頼され、引きうけた。 日本文化とは何か。この素朴な疑問から筆を起こしたが、より複雑な疑問を残したままに終止符を打たざるを得なかった。
「世界に誇るべき日本文化とは何か」と日本の若い世代に問うと、インスタントラーメンとかウォークマンとかアニメーションとかいう回答が多かったことに驚かされる。 しかし同じ質問を日本以外のアジア諸国の人々に聞いても、おそらく似たり寄ったりの回答しか返ってこないだろうと予想される。韓国では金大中氏の英断によって、日本文化がつい最近ようやく解禁されたが、それもカラオケや漫画などの大衆文化を主として指しているらしい。 どうやら世界に通用する日本文化といえば、真っ先に「娯楽文化」が思い出され、能楽や歌舞伎といった伝統文化を海外につよく印象づけてないのが実情のようだ。それには大よそ二つの原因が考えられる。 日本人には日本文化を外国人に理解できない特殊なものと思いこみ、それを秘境化してしまう向きがあり、外国人には日本文化を過去の侵略戦争と関連づけて拒絶反応をしめす動きがみられる。神道の例をあげよう。 わたしの勤務する浙江大学日本文化研究所は、中国初めての「神道と日本文化」なる特別講座を大学院に設置している。それ以来、国内外の関係者から「なぜ神道に手をつけるのか」といった疑問や心配の声がしばしば寄せられてくる。そのつどに「神道は、約二千年にわたって日本文化の基層を培い、日本人の精神世界を築いてきた。したがって、神道を抜きにして日本文化は語れないからだ」と答えるようにしている。 しかしそれにしても、神道を研究しようとすると、思いがけない壁にぶつかってしまう。神社関係者は、神道を日本の国粋として神秘的なベールを覆わせ、外部の視線をなるべく遮断しようとする。アジア諸国では、百年足らずの国家神道を敬遠して、それが約二千年の神道文化のすべてだと誤認する。 二重の壁に阻まれる外国の研究者は、神道に手をつけようとしても手のつけようがない。したがって、多くの研究者はわたしと同様、日本文化の表層に足止めされ、閉ざされた秘境のまわりをうろつきながら、嘆くしかなかった。 一九九九年、浙江大学日本文化研究所創立十周年にあたり、その記念行事の圧巻として、宝生流能楽の中国初公演を実現させた。宝生英照氏と深見東州氏らの華麗な演出は、満場の観客を陶酔させ、テレビや新聞にも大きく報じられた。「日本の演歌は知っているが、こんな立派な芸術もあったのだ」という観客の感想は、われわれに何かを示唆しているように思われた。
日本文化は明治維新を境に、中国文化の焼き増しか西洋文明の猿真似にすぎないとよくいわれる。「独創性に乏しい」というのも、日本文化が軽視される原因の一つとなっている。 日本の学界では、文化を「模倣」と「独創」に峻別し、しかも模倣文化を低く見、独創文化を高く認めるという風潮は、どの国よりも強く感じられる。外国から多くを学んできた日本の「模倣文化」を恥ずかしく思う一部の歴史家は、史実を曲げても「独創文化」を主張しようとする。平城京と長安城とを比べて、わずかな相違を見つけると、「ほら独創都市だ」と誇らしげに「国民の歴史」を再構築しようとする学者さえいる。 上垣外憲一氏はその新著『日本文化交流小史』(中公新書)で、「独創は尊く、模倣は恥だ」という見方を激しく批判し、学習(模倣)と記憶(継承)とを「人間の基本的な能力」と評価し、そして民族間の文化交流が学習、伝統文化の継承が記憶に相当すると論じる。卓見である。 そもそも文化を模倣と独創とに二分するのが間違っている。古今東西の事例を調べれば、生きている文化は、時間的に継承され、空間的に伝播するものである。時空を軸にして流れる動画から、静止画面だけを切りとってみれば、模倣やら独創やらに見えるかもしれないが、文化生成の全過程を視野に入れれば、模倣と独創の交錯する中間様相がくっきり浮かびあがってくる。 純粋の模造品は文化として機能しないレプリカであり、また純粋の独創品を唱える人には「鶏と卵とどっちが先だ」をまず答えてもらいたい。模倣と独創は程度の差こそあれ、等しく文化創造の手段である。そして、文化はその担い手の人間と同じく、遺伝子をもって伝承し流布し、再生されるのである。 このような話をしたら「仮名は模倣か独創か」と問い質されたことがある。外形として片仮名は漢字の一部、平仮名は漢字の草書体に由来しているから模倣であるが、本質は漢字を模写するためでなく、日本語を表記する必要から生まれてくるものだから独創だと答えた。 東アジア諸国の人々は、頻繁な文化交流の蓄積によって、美意識や世界観、倫理道徳や文明志向などにおいて類似した心象風景を精神世界に形成させてきた。彼らの創った文化は、結果として似ていても、それぞれの民族の精神発露であり、独自な創造と認めなければならない。 古代日本の独創品として扇子をあげることができる。しかし、それも団扇や木簡にヒントを得ている。十一世紀の初め、高麗はその模造品を中国に輸出し、中国では扇骨を増やし紙を両面に張るように改良して日本に逆輸出する。日本は「唐扇」に刺激され、「末広」「雪洞」「鎮折」の扇形を開発する。 「扇子」という文化は、まるで生き物のように伝播しながら模倣され、模倣の過程で創意を加えられ、自己完結に向かっていく。時代的な継承と空間的な伝播を無視して、模倣か独創かを論じられないことは明らかである。
グローバル化が著しく進んでいる今、各国の民族性をどう保っていくべきかは世界的な課題となり、日本文化の行先にも当然のことながら国際化の問題が横たわっている。 民族性と国際化は、果たして両立できないのか。ここで思い浮かんでくるのは、中国文化の最盛期を象徴する長安城である。この人口百万をかかえる国際都市の特徴は、まさしく文化の「呑吐」にあると考えられる。呑吐とは異文化を呑みこんで唐文化を吐きだすことである。 アメリカ人のシェファー博士は、その名著『サマルカンドの金桃』のなかで、唐王朝に取りいれられた西域文明として、動物・植物・織物・食物・香料・宝石・武器・薬物・調度品など二百点近くの舶来品を列挙して説明している。 十万人以上の外国人が長安城を行き交い、町々には舶来品が満ち溢れ、歴代の唐帝がほとんど異民族の血筋を引いているにもかかわらず、盛唐文化の民族性を、誰が疑うのだろうか。外来文明を受けいれる自信にあふれ、自国文化を積極的に輸出させるのが「大唐気概」と表現されるが、それに匹敵できるのは今のアメリカぐらいであろうか。 文化は国際化のもっとも活発な地域に吸いつけられて繁殖し、そこの民族性を帯びて、さらに四方に広がっていく。この意味で、国際化のなかに民族性が醸成され、民族性があるゆえに世界に迎えられる。 日本の優れた伝統文化は、たとえば茶道・華道・香道・柔道など何一つとして国際化の結晶でないものはない。極秘裏に創られ、門外不出とされるものは、たいてい短命に終わる。中国に佚して外国に存する書物を表現する「佚存書」という奇妙な造語は、民族性と国際化の不可分な関係を教えてくれる。 日本の和服が唐代の服装にルーツを持ち、中国の人民服が日本の学生制服に由来していることを考えれば、民族性を保つために国際化を斥けようとする主張の幼稚さをあらためて思い知らされる。
模倣も独創も民族文化を創出する有効な手段と認め、わたしは日本列島に足跡をしるした人類とともに、日本文化の悠久な歴史をたどった。また文化は時間的に継承され、空間的に伝播しつつ、成熟していくものと考え、書名に「模倣と創新の軌道」というサブタイトルをつけた。 文化は生き物である。人間より遥かに長生きする。われわれはあくまでもその時空をまたぐ生命体の一部にかかわる瞬間的な伝承者と改良者にすぎない。「われこそ造物主なれ」と驕れば、たちまち文化の破壊者になりかねない。 「日本文化とは何か」――日本の歴史文化を研究する者として、その歴史を探求し、その未来に祝福を捧げながら、今の日本文化が伝統継承と国際交流のなかで、どう進化していくかをじっくり見守って、結論を急ぐことはない。 (『出版ダイジェスト』2001年1月1日)
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