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歴史を背負う意味

王 勇

 

 「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集された中学用の歴史教科書が三日、内外から懸念されるなか、文部科学省の検定に堂々と合格したそうだ。日本政府の姿勢に対して、中国や韓国などアジア諸国から強い反発が予想されるが、それよりも心配されるのは、この教科書によって「大東亜戦争」を正当化する教育をうけて育つ日本の若い世代が、二十一世紀の担い手として、果たしてアジア隣国の人々とうまく付き合っていけるかという問題である。

  新旧世紀の交替をきっかけに、過去を回顧し、未来を展望する気運が、世界のどこでも高まっている。ことに複雑な過去を共有しているアジア諸国は、あらたな隣国関係を構築するために、自他ともに「歴史」をどう位置づけるかに、神経を尖らせざるを得ない。

  中国ではここ十数年、ケ小平氏の「改革・開放」路線を受けついで、市場経済の道をひた走りながら、国際感覚にとんだ未来志向の若い世代を育てようとしており、小・中学校の教科書にも大きな変化を見せつつある。

 そんな兆候のひとつとして、旧日本軍がらみの「抗日もの」が大幅に減りつつある傾向を指摘することができよう。愛知淑徳大学の三宝政美教授の調査によれば、「抗日もの」は文化大革命後に刊行された『十年制小学教科書』には七話あったが、一九九〇年の『義務教育六年制小学教科書』では三話に減り、さらに現行の『六年制小学試用教科書』になると、二話だけになったという。

 今から二十年ほど前、日本人といえば、日章旗をかついで日本刀を振りまわす獰猛な侵略者が、すぐさまに思い出されたが、中日間の国交回復をきっかけとして、礼儀正しくかつ教養豊かな日本人像が、高級感たっぷりの日本製品とともに現われるようになった。

  歴史像と現実像のどちらを次世代に伝えるべきか。中国が「歴史を鑑として未来を切り開く」精神に基づいて、後者を選ぼうとしている姿勢は、教科書における日本像の変遷によっても見て取れよう。

 筆者のような専ら「抗日もの」によって育てられた世代は、日本軍と戦った親父の目を盗んで日本語をこっそり勉強し、はじめて日本に足を踏みいれたときは悲壮感さえ抱いたものだった。こんな誤解や辛い思いをわれわれの子供たちにさせてはいけないと思っている。

 ところが、こうした中国側の動向とは裏腹に、日本では近年、「新しい歴史教科書をつくる会」に象徴されるように、アジア諸国の人々に多大な苦痛と損害を与えた侵略戦争を肯定し、美化しようとする動きがかなり活発になっていると言わざるを得ない。

 彼らの主導した教科書が検定合格になったことをテレビの速報で知った中国の同僚は、「旧日本軍の成し得なかった遺業を天真爛漫な子供に受けつがせる気か」と電話をかけてきた。そこまで日本国民の良識を疑わなくてもよいと思うが、このような教科書を阻止できなかった日本社会の現実に対する、われわれ「知日派」と目される日本研究者の驚きと悲しみは、決して小さいものではない。

 ひと昔、中国の大学の日本語科では、日本史の授業に日本の中・高校の歴史教科書をそのままテキストとして用いるところが多かったようだが、近年はそれが激減していると聞く。歴史観の相容れない世代が今後どう向かい合うか危惧せざるを得ない。

 歴史を背負うということは、良い意味でも悪い意味でも、人間の宿命である。どの民族にも美しい伝統と醜い過去とがある。美しい伝統を受けつぐだけでなく、醜い過去を直視して反省するか、あるいはそれを不当に美化するかによって、その民族の未来像を推し量れることができる。歴史教科書が、日本の将来を方向づける「百年の計」としての配慮をもって編まれることを切に望むゆえんである。

(『東京新聞』文化欄、2001.4.9)

 

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