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他人の耳目

jiangnanke

  われわれは五官を使って外界の刺激を感知する。五官のうち、目と耳とがとりわけ重要であることは言うまでもない。知識の摂取は、ほとんど見聞に頼っているからである。

 目と耳を合わせて「耳目」という熟語が造られるが、「耳目を聳動させる」と言えば世間の注目を集める意味であり、「人の耳目となって働く」と言えば他人の代わりに行動するという意味になる。

 このように、目と耳は情報キャッチの重要な器官だけでなく、人間を人間たらしめるもっとも基本的な要因でもある。この意味で、文化の異同もまず耳目によって感知される。

一、太陽の色

 われわれは、特定の文化環境に育った人間として、つねに色眼鏡をかけて、異なった社会の物事や違った文化環境に育った人間を見がちなものである。

 同じ社会環境に身を置かれた人間同士でさえ、考え方にしろ、審意識にしろ、価値観にしろ、言葉遣いにしろ、行動様式にしろ、身振り手真似にしろ、多少なりとも個人差が認められる。ましてや異文化同士では、その差がさらに大きく開き、場合によっては正反対になることも珍しくない。

 たとえば太陽の色である。日本では国旗の図柄にしているから、「日の丸」の色を知らない人はいまいが、古代中国では、東方の太陽を司る神様は「赤帝」と呼ばれていた。

 このように、東アジア諸国では「太陽の色は赤い」というのはほぼ常識とされている。しかし、この「常識」は世界にも通用すると安易に思えば、これこそ大間違いである。

 世界各国の児童によって描かれた太陽の絵を集めて比較した研究者がいる。それによれば、アジア系の子供はおおむね太陽を赤く塗りつぶし、欧米系の子供はオレンジ色を多用するそうだ。

 それは単なる人種や国籍による生まれつきの相違よりも、むしろ子供をかこんだ文化環境がそうさせたといったほうが妥当であろう。

二、虹の色

 そういえば、虹の色も好例である。手元にある三省堂出版の『新明解国語辞典』を当たってみると、「虹」の項目には次の解説が施されている。

  (太陽と反対側の)雨上がりの空や、大きな滝のあたりなどに、七色の弓形をして見えるもの。空中の水滴に日光が当たって出来る。

ここに「七色」とある点に注目してもらいたい。中国でも虹と言えば七色である。それを取りあげた毛沢東の名詩句「赤橙黄緑青藍紫、誰持彩練当空舞」は、気宇雄大にして虹の色彩感を巧みに表出している。

 ところが、われわれが「当然」と思っている「常識」が所変われば、「非常識」になることがある。詳細には調べていないが、欧米諸国では「五色」を正解とするらしい。またアフリカなどでは「三色」、さらに「二色」と表現する民族さえいると聞いている。

 「へぇー、虹は三色?」七色派は思わず目を丸くし、愕然としてしまう。驚きは驚きでいいが、「アフリカ人は色盲が多いなの」と疑う人がいれば、事情が違ってくる。世界のなかでは、七色はむしろ少数派であろう。したがって、相手のことを色盲と思いこむわれわれのほうこそ、「色彩攪乱症」の患者として笑われているかもしれない。

 行き違いのままに相手を嘲笑するよりは、他人の目にもなって世界を違った角度から眺めてみたほうが、きっと異文化の理解に役立つものと信じる。

三、鶏の鳴き声

 それぞれの文化伝統を持つ国民が、それぞれの眼目をもって自然界と人間界を観察し理解していることは、右の二例で明らかになったと思う。

ところで、人間が外部の世界を認識する器官として、目と並んで耳も重要である。つまり知識の蓄積、理性の育成、教養の習得といった人間形成の過程において、聴覚は視覚に勝るとも劣らぬ役割を果たすのである。そして視覚と同様、聴覚つまり耳も民族によって異なってくる。

 日本語では鶏の鳴き声を「コケコッコ」と表現し、中国語では「オーオー(Wo-wo)」となり、英語では「コッカードゥードゥルードゥー(Cock-a-doodle-doo)」といった具合である。「コケコッコ」も「オーオー」も「コッカードゥードゥルードゥー」もすべて意味を表わさず、たんに音声のままを記録した擬音語だが、こんなに大きな違いがあるとは、いささか信じがたいものである。

 しかしながら、鶏の鳴き声が日本人の耳には「コケコッコ」、中国人の耳には「オーオー」、英語圏の人々の耳には「コッカードゥードゥルードゥー」と、それぞれ聞こえ、別に耳に故障が生じたのではない。

四、他人の耳目

 人間は外部の情報を、耳目などの五官を通じて頭脳へと伝達させる。この伝達のプロセスにおいて、情報はそれぞれの個人差や民族差などにより、従来の知識体系に抵抗なく組み込ませるために加工されることになる。

 それによって、太陽の色が赤くなったり黄色くなったり、虹の色が七色となったり五色となったり三色または二色となったり、鶏の鳴き声が「コケコッコ」となったり「オーオー」となったり「コッカードゥードゥルードゥー」となったりする。

 このように、情報の変容を通じてバラエティーに富んだ人類の文化が形成されるが、それがゆえにわれわれの世界がより美しくなり、より魅力にあふれている。

 したがって、異文化の交渉において、または他国の文化を正しく理解し、それを積極的に受け入れるために、わが耳目を閉じる必要はないが、要は他人の耳目つまり世界を認識するもう一つの窓があることを知っておくべきである。 

 

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