謎宮会 2000/ 7- 8

似非乱読派感想文日記　その四

葉山　響

　三月遅れの日常を載せて♪

７月１日（土）

　本日は劇団惑星ピスタチオの残党が繰り広げる「激闘！飛龍小学校☆パワード」お昼の部を観に行く。観劇メンバーは広沢さん、大倉さん、田中成穂さん、そしてわたくし葉山の四人。僕は数年前に純ピスタチオ・メンバーによって行われた「パワード」の初演を観ているので、全開の公演と比較しながら楽しんだが、何より印象的だったのは上演時間が二時間四十分と異例なほど長かったこと。面白いから良いんだけど、もう少し脚本をブラッシュアップして短くしても良かったような感はある。イメージとしては初演のほうが緊密で面白かったような気もするが（何より初演で忍者不知火と真面目口パチオの二役をこなしていた腹筋善之介の不在は痛い）、後味に限っては今回の演出のほうが救いがあって良かったのではないか。キャストは相当変えられていたが、主人公を務めるのは矢張り保村大和しかいないということで、今回も彼が主演を続投。実に宜しい。なんだかんだ言っても楽しめました。
　それにしても、解散が元でお客さん来なくなってしまったのかなぁ。残念ながら後ろのほうでは空席も目立った。採算が取れなくなるとこれ以降の東京公演が見送りになるかも知れないので、芝居に興味のある方は是非とも西田シャトナーを筆頭とするアプリコット・メンバー（ピスタチオ残党）を応援してあげてください。面白いから。
　終了後は喫茶店に行きお話、そのあと広沢さん、大倉さんとお別れして田中さんと共に中野に向かい、ここで武田さんと合流してさっと古本屋を見てまわる。僕は赤江瀑の『海贄考』（徳間文庫）を購入。その後お肉を食べて喫茶店に向かい、散々喋って解散。　途中まで読んだ三雲岳斗『コールド・ゲヘナ２』（電撃文庫）が見当たらなくなる。何故だ、何故こんな狭い部屋の中で消えてしまうのだ？　仕方ないので中断処分。代わりに海野十三『深夜の市長』（講談社文庫／大衆文学館）を読了。ＳＦ風探偵小説というよりは、大人のための幻想冒険ファンタジーと呼びたい作品（或いは幻想的都市小説）で、
　主人公の間の抜けた言動が多少スリルを殺してしまっている憾みはあるものの、モダンな雰囲気があってそこそこ楽しめた。

７月２日（日）

　山崎豊子『しぶちん』（新潮文庫）読了。非常に古典的な作風だが圧倒的な力感を備えた作品集で、巻頭の「船場狂い」から一気に読ませる。関西商人の金銭への執念を短い枚数で描き切った表題作の迫力も申し分無いが、殊に巻末「遺留品」における人物造形が唸るほど上手い。「小説の中へ殺人のないスリラーを持ち込んでみたもの」と作者自身があとがきで語っているように、「遺留品」ともう一作「持参金」は推理趣味濃厚な作品で、落ちの決まらないミステリを読むよりは余程楽しめる。山崎豊子、侮れず。単なるベストセラー作家などでは決してない。『花のれん』と『ぼんち』も早急に読まねばなるまいな。
　読んだ日には書かなかったが、（覚え書きという意味で）山本周五郎賞選考評についての雑感を書いておこう。まずは何といっても貴志祐介『青の炎』（角川書店）に対する山田詠美のコメントが抜群に笑える。『青の炎』は未読なのでこれが妥当なコメントなのかどうか自分では判断のしようが無いが、「物語はどこから始まるものか」という重要極まりない点を直感的に押さえたもので、深く感じ入るものがあった。但し、その評価軸をそのままの形でミステリに適用して良いのかという点については疑問を感じるし、『青の炎』を倒叙ミステリとしての側面から読み解こうとしている選考委員が誰もいないのも気にかかった（まあ、そういう賞なので別に問題ではないのだが、但しあれほど酷い評価が成されたのは選考委員にそういう評価軸が全く存在しなかった所為もあるだろう。それを考えるとやや複雑）。選考委員は今年から大分若返ったが、そういう意味では以前よりも却って評価が保守的になった、という印象も受ける。あと、花村萬月が何故選考委員の仲間入りをしているのか個人的には非常に不思議。いろいろなジャンルの小説を均等に評価できる読み手とは到底思えないのだが。

７月３日（月）

　遂に出た、泡坂妻夫『奇術探偵　曾我佳城全集』（講談社）！　泡坂さんの新刊を手にするのは僕にとっていつもこれ以上無い喜びだが、今回は特に曾我佳城の全集なのだ、断然重みが違う。書店で見つけるやいなや欣喜雀躍して購入。大切に読み進めていこうと思う。
　黒川博行『二度のお別れ』（文春文庫）再読。デビュー作ながらもなかなか達者な出来栄えを示した作品。細かな感想は後日纏めて書こうと思うのでここではカット。

７月４日（火）

　ジョナサン・ストーン『三つの遺留品』（ハヤカワ・ミステリアスプレス文庫）読了。全体に漂うニューロティックな雰囲気も素晴らしいが、何といっても中盤から開始される己の命運を賭した知力闘争の迫力が見事の一言に尽きる。読み応え充分の上等なサスペンス・ミステリ、お読み逃し無きよう。
　知合いと、小説を読むための知識（前提的なもの）について話し合う。例えば「市松模様」と文章で書かれてもイメージできない読者は今どのくらいいるのだろうとか、「蟷螂の斧」の「蟷螂」がカマキリの意であることを知っている読者はどのくらいか、とか。知らない読者のためにそういった言葉を捨てるべきなのか、敢えて使い続けるべきか、注釈を入れることが果して親切ということになるのか、など。これは特に時代小説の分野で数年前からかなり深刻な問題になっているらしい。悩ましいので早々に話題を変えてしまったのだが……。

７月５日（水）

　ドストエフスキー『永遠の夫』（新潮文庫）読了。どうしようもなく卑屈で嫌ったらしくて惨めな男が死んだ妻の間男に向ける復讐心を描いた作品で（主人公はその間男のほう）、最初はつまらなくて「どうしよう」と思いながら読んでいたが（訳文も粗雑、赤ペンを持って徹底的に直してやりたい衝動に駆られる）、後半を過ぎると俄然面白くなって驚いた。いやぁこれは確かに世界的文豪にしか書けない作品です。嫌悪感しか感じられなかったキャラクターが、ある場面を境に妙に哀れな存在感を持って鮮やかに浮かび上がってくるのが見事だし、卑屈な男を徹底的に振り払うことが何故か出来ない主人公の精神状態も良く描けていて、ラストなどはむしろ爽やかな気分で読み終えてしまった。訳文が良かったらもっと面白かっただろうと思うと残念。それにしてもドストエフスキー、やっぱり面白いな。
　某百貨店のクリアランスセールでＴシャツとカットソーを衝動買い。そのあとブックオフで三浦俊彦『エクリチュール元年』（海越出版社）、水上勉『霧と影』（角川文庫）、横田順彌『水晶の涙』（徳間文庫）といった辺りを購入する。しかし個人的に最も嬉しかったのはこれ、エラリイ・クイーン『Ｙの悲劇』（講談社文庫）。何故か今まで縁が無くて手に入らなかったのだが、やっと手に入れることが出来た。早速中身を確認してみると、おお平井呈一、噂通り珍訳を見事にこなしてくれています。って御存知無い方もおられるだろうから一応説明しておくと、講談社文庫の『Ｙの悲劇』は訳者の平井翁が（探偵役がハムレット役者ということから発想したのか）ドルリー・レーンの口調を全て歌舞伎役者調で訳してしまっているのです。だからこんなふうになっている。「あたしもね、新聞に出ていたことはあらまし読んだけれども、どうせこまかい点は勝手に曲げて書いてあるだろうしさ、話が全部報道されたわけでもなかろうしね。でもまあ、あすこの一家のこととか、毒を入れた玉子酒のこととか、（中略）だいたい知ってます」といって、レインはつと腰を上げて、「ときに、あんた、お昼飯はすんだの？」
　……と、たいへん粋な口調の（？）レーンさんに変化している（従僕クェイシーの台詞まで「おめずらしいじゃござんせんか、警部さん」）。素敵だ。これはこれで実に面白いので、御興味があったら捜してみてください。

７月６日（木）

　梶龍雄『ぼくの好色天使たち』（講談社文庫）読了。呆然。これは間違いなく梶龍雄の最高傑作のひとつに数えられる話であり、小説的豊饒に陶然とさせられた。復刊するべき名品。
　「お寿司の食べ放題に行ってみようツアー」を決行。メンバーは大倉さんと我妻さんと田中成穂さんと葉山の四人。詳細は御本人の名誉を慮って書かないが、今日は文句無しに「我妻さんとトロ」が印象に残った日でした。あと別の意味で「成穂さんと烏賊」とか。わたくしは帆立の酒蒸しなど普段口にしないようなものも織り交ぜつつメンバー中最も個数を処理させて戴きました。満足。その後は喫茶店でお話モード。十時半ごろ解散。

７月７日（金）

　台風とうとう吹いた（→泡坂妻夫）。
　小森収編『ミステリよりおもしろい　ベスト・ミステリ論18』（宝島社新書）を購入し、帰りの電車の中で早くも読了。半分以上が既読だが、何度読んでも面白い評論は面白い。特に巻末に掲載された若島正の「明るい館の秘密　クリスティ『そして誰もいなくなった』を読む」は初出の『創元推理』で読んで驚嘆した評論で、このアンソロジーの中でも傑出した存在だと思う。清水俊二訳チャンドラーの問題点を判り易く解説した池上冬樹の評論も「本の雑誌」で読んで非常に感銘を受けたもの。ちなみに若島・池上の評論を続けて読むと、翻訳家・清水俊二が如何に作品の本質を捕らえた翻訳をしていなかったかということが明快に判る絶妙な構成となっているが、これは狙ったものなのか。それにしても早川は改訳版を出すべきだろう。ほか、推理小説の持つ問題点をこれ以上無いほど的確に示してみせた坂口安吾の評論は本格ミステリファンならば一度目を通しておくべきものだろうし、都筑の「モダーン・ディティクティヴ・ストーリー」論にも同じことが言える。読書も創造行為の一つであることを示した北村薫のエッセイも素晴らしく、小品だが典雅な才覚に満ちた丸谷才一の書評も楽しい。但し、矢張り『深夜の散歩』から丸谷だけを取り出すのは果して正しい行為だろうか、という疑問は残るし（福永武彦、中村真一郎だって内容・品格ともに負けてはいないのだから）、瀬戸川猛資のふたつの書評は果して彼の本領を伝えるものだろうか（特に後者の書評は、ハリウッドにデンゼル・ワシントンが登場した今となっては説得力が薄くなっていると思う）。とはいえ、ミステリについて何かを語りたい人は読んでおくべき本。こういった本がハンディな形態で刊行されたことは実に喜ばしい。

７月８日（土）

　家から一歩も出ず、家事もせず、本hも読まずにひたすら寝る。寝過ぎて気分が悪くなったが、起きていても頭がぼんやりしているのでやっぱり寝る。というわけでもう寝ます。おやすみなさい。
　とは言っても一冊だけ読み終えた。芦原すなお『ハート・オブ・スティール』（小学館）読了。私立探偵・笹野里子の事件簿、四編を収録。好き嫌いは分かれるかも知れないが、僕はこの連作私立探偵小説を支持する。最初はごく普通のライトなタッチのミステリだと思って気軽な気分で読んでいたのだが、五十五頁の展開に度肝を抜かれてからは膝を改めて一気に読み終えた。国産ミステリ史上、最もタフな女性私立探偵の登場に拍手。因みに、たまに顔を出す友人の私立探偵ふーちゃんは長編『月夜の晩に火事がいて』（マガジンハウス）の主人公。というわけで『月夜……』の読者も要チェックだろう。矢張り芦原すなおにはこれからもミステリを書き続けていってもらいたい。
　余談。これを読んでいて何故か思い出したのは荒木一郎の『シャワールームの女』（徳間文庫）だった。また読み返してみようかな。

７月９日（日）

　はやみねかおる『少年名探偵　虹北恭助の冒険』（講談社ノベルス）購入。うーむアニメ仕様のカバーには違和感が。
　冨士本由紀『氷砂糖』（集英社）読了。心理サスペンス風の短篇七編を集めた作品集で、山本文緒の上手さには負けるがなかなかの健闘ぶりを示しており、今後この作風のものを書き続けるならば唯川恵や桐生典子と互角に戦って行ける実力を備えていると思う。集中では「ひとさらいの夏」がとりわけ印象的（結末の付け方が僕好み）、続いて「田螺と水面の月」「亜種幻想」「蜘蛛」といったところがなかなか上手く描けていて楽しめた。やや作品の端々に、技巧を捨てるかそれとも技巧を駆使するかの見極めが付いていない感触が残っているものの、その辺りのふらつきを払拭できれば更なるレベルアップを望めるだろう。取り敢えず次作も要チェックか。いやそれより『包帯を巻いたイヴ』に遡るべきか。

７月10日（月）

　「あの書評家は信用できない」とか「あの書評家は褒め屋だ」という意見を耳にすることが多く、また往々にして頷かざるを得ない場合もあるものの、でも「ちょっと待って」と思う時もある。もともと雑誌に載っている書評というのは大雑把に言うと「面白い本が読みたいけれど、何を読んだら良いか判らない」という初心者のためにあるものであって、だから「さあ、こんな面白い本があるんですよ」という内容を帯びるのは或る意味当然なのだ。だいたい本好き、ましてネットで書評を書くようないっぱしの本読み（ミステリ読み）ならば、書評の出来を攻撃する前に自分で書店に行って、自分の嗅覚で面白そうな新刊を捜して然るべきだと思う。自分で見つけられなかった作品の書評を読んで書店に走るのはその後で良い。それが実現できるかどうかは個々の事情（時間的余裕など）に左右されるだろうが、少なくともそういうスタンスを持つことは重要ではないかと思う。特にそこの学生さん、時間が余っているのなら、クズも一杯掴みながら本に対する自分の嗅覚を養いなさい。昔と比べて本読みのレベルが徐々に低落しているような気がするのは、自分の足や自分の嗅覚で本を捜そうとしていないからではないかと思う。……ということを書いてしまったのは、今日初めて見たミステリサイトに書いてあったことを読んで思わず腹を立ててしまったからなのだが……。
　梶龍雄『大臣の殺人』（中公文庫）読了。うーむ。

７月11日（火）

　借りてきたパトリック・クェンティン『俳優パズル』（創元推理文庫）を読了、完成度の高さに唸らされる。滑らかなストーリー、個性的な登場人物、意外な犯人と長所尽くめの作品だが、とりわけ盲点を突く動機の設定が素晴らしい。これぞ演劇ミステリの最高峰。それにしてもクェンティンでこれほど満足できるとは自分でも意外。アメリカ本格の雄という言葉に偽りは無かった。割と淡白な印象だった『二人の妻を持つ男』、読み返してみようかしら。
　ブックオフでお買い物。杉元伶一『スリープ・ウォーカー』（講談社ノベルス）、いしかわじゅん『東京で会おう』（角川文庫）、ロバート・Ｋ・タネンボーム『検事補カープの怒り』（二見文庫）、フランク・グルーバー『グルーバー　殺しの名曲五連弾』（講談社文庫）、クレイグ・ライス『暴徒裁判』（ハヤカワポケミス）、以上全て100円。

７月12日（水）

　黒川博行『切断』（新潮文庫）再読。黒川博行の作風のターニング・ポイントとなった作品で、そのベクトルの転換が素晴らしい結果を齎したとはどうにも思えない点があるものの（昔の黒川なら『文福茶釜』のような物足りない仕立ての作品など書かなかったと思う。それにしても何故あれが直木賞候補になったのだ？）、取り敢えずこの作品自体は秀作だと思う。内容については別原稿でいずれ（←いつだ？）。
　更に日下圭介『偶然の女』（祥伝社文庫）読了。実はわたくし、日下の短篇集を読むのは『偶然かしら』（新潮文庫）に続いてこれでまだ二冊目だったりする。あんたホントにそれでミステリマニアか（はぁ、すみません）。涙も感動も壮大な謎もトリックもなんにも無い、ひたすら技巧とストーリーテリングだけで書かれた短篇群。それはそれで見事だし、却って新鮮ですらある。但しこの作品集、ざっと目を通す限りでは面白く読めるのだが、個々の作品の印象は残念ながら非常に薄い（例外は「老女の企て」。こういった話は好みです）。どうやら本書は落穂拾い的作品集だったらしく（本書は文庫オリジナル）、矢張り代表作品集『木に登る犬』『鶯を呼ぶ少年』を読まなければ日下圭介は語れない、との感を深くした。で、……えーと、『鶯を呼ぶ少年』、どなたか譲って戴けませんか？
　新刊書店にて二コラス・ブリンコウ『マンチェスター・フラッシュバック』（文春文庫）、恩田陸『ネバーランド』（集英社）購入。後者は嬉しいサイン本。

７月13日（木）

　一編ずつ大切に読んでいこうと思っていたのに、途中から止められなくなって結局全て読破してしまった。というわけで泡坂妻夫『奇術探偵　曾我佳城全集』（講談社）読了。至福のひととき。それにしても後半で作家・青瀬勝馬が登場したのには驚いた、やってくれるなあ、泡坂さん。何のことか判らない方は辻真先『合本・青春殺人事件』（東京創元社）に付された新保博久の解説を参照のこと。要するにこれ、インタビュアーが「あおせかつま」と「あわさかつま（お）」を聞き間違ったことから偶然発生した名前なのですね。それをヌケヌケと自分の作品で使用してしまうとは、矢張りダイヤモンド級の遊び心をお持ちでいらっしゃいます。というわけで最終短篇「魔術城落成」では、作者自らが登場人物たちと共に佳城苑を訪れていることになるのだ。それを知って読むと、泡坂ファンには更に感慨深いものがあるだろう。
　それはそうと、今日は『亜智一郎の恐慌』（双葉文庫）の発売日。心から敬愛する泡坂さんの文庫の巻末に、解説の関連資料作成者としてわたくし葉山の名前が載っているではありませんか。ありがとうございますありがとうございます心から御礼申し上げます新保さん＆編集部の方。だってこの世で一番好きな作家の本に自分の名前が掲載されているのですよ、これはいくら望んでも普通叶わないことじゃないですか。地道に原稿を書き続けてきて良かったと心底思いました。感涙。

７月14日（金）

　芦辺拓『怪人対名探偵』（講談社ノベルス）読了。乱歩の世界を現代に甦らせようと試みた長編だが、乱歩的な小道具を現代社会にばら撒いて自己満足を果したような安直なものではなく、「いかにして乱歩と現代を無理なく合致させるか」をいう点に心を砕いているという印象を受け、だからこそこの作品は高いレベルに於いて成功を遂げている。ミステリ的な大技を成立させるために多少細かな無理を強いている箇所もあるが、乱歩の世界を現代に溶け込ませる（全く風俗的背景が違うのに！）という無理難題に挑んで成功を収めた前では些細なことに過ぎないだろう。作者の力量が感じられる秀作。
　続いて笹沢左保『遙かなり　わが愛を』（角川文庫）読了。設定が丸ごとミスディレクションという技巧の鑑のような作品で、真相は非常に単純明快なものだが、それでも騙される読者は数多いに違いない。「こう書けば読者を誤った方向に誘導できる」ということをクリアに把握して書いているのだろうな。後半は敢えてサプライズ・エンディングの妙味を捨て、小説的余韻を選ぶような書き方をしており、その辺りを物足りなく思うか素晴らしいと思うかは読者の好みによって分かれると思うが、如何にも笹沢左保らしい配慮という感じで個人的には満足した。笹沢中期の代表作に数え上げられているだけのことはある。
　帰宅途中、なんとなく東中野のブックオフに足を向ける。スチュアート・カミンスキー『血塗られた映画祭』（新潮文庫）、深谷忠記『横浜・木曽殺人交点』（光文社文庫）購入。唯一買い逃していたカミンスキーのロストニコフ捜査官シリーズを漸く手に入れることが出来て満足。これでカミンスキーの文庫本は全て揃った。それにしても僕のようなカミンスキー・ファンって珍しいのだろうか、良い作家だと思うんだけどなぁ（文春文庫のトビー・ピーターズのシリーズも翻訳が止まってしまったし。ああ、この後もバスター・キートンやらヘミングウェイやらが出てくる未訳の作品が沢山あるというのに）。せめて扶桑社文庫のエイブ・リーバーマン・シリーズだけでも末長く訳し続けて貰いたい。解説書いてたの林家こぶ平だけど。
　深谷のほうは、『東京・上海　二重交点の謎』を改題したもの。題名が派手だったので興味を覚えて文庫化を楽しみにしていたが、いざ文庫が出たら改題されて矢鱈と地味なタイトルになってしまった。それにしても内容は同じなのに、どうして『東京・上海』からいきなり『横浜・木曽』に変われるのだ？　これを確認するだけでも個人的には読む価値がありそう。

７月15日（土）

　恩田陸『ネバーランド』（集英社）読了。ここに描かれている高校生に対し「リアリティが無い」と批判する読者って結構存在するかも知れないと思うのだが、そういう人たちの意見は取り敢えず無視しておきましょう。作者も当然それを納得ずくで書いているのだから、その批判は批判として意味を持たない。これは少年たちに或る種の聖性を意識的に与えた上で書き上げられた作品だろうから（なにせタイトルが"ネバーランド"なのだ、少年たちはピーター・パンに決まっているではないか！）、その作品に対し「こんな高校生はいない」という言葉を投げかけるのは筋違いの非難でしかないような気がする。素直にその世界を楽しめば良い、そんな作品だと思います。ちなみにこの作品はミステリではないので、そちらの期待を持って読まないように。作者も敢えて濃厚なミステリ仕立てにすることは避けたのだろう、『木曜組曲』の作者なのだから、やろうと思えば幾らでも強いミステリ的興味は演出できた筈なので。
　ところで作中のエピソードのひとつ、強姦がどうのお墓がどうのという辺り、もしかしてごとうしのぶのタクミくんシリーズが元ネタか？などと思った僕は邪道な読者だろうか（なんで男のお前が角川ルビーの内容を知ってるんだ――って、そりゃ読んだことがあるからですよお客さん、ははは）。それにしても、ああグリーンウッド。浅井さんなら判るでしょ？

７月16日（日）

　はやみねかおる『少年名探偵　虹北恭助の冒険』（講談社ノベルス）読了。はやみねかおるらしいミニチュア・パズラーを読む愉しみ。プロットは夢水シリーズより更に小粒だが、探偵役が大人から子供に変わったこと、そして舞台が商店街に限定されているということで、これはむしろ小粒になって当然だろう。夢水シリーズにしばしば現れていた「謎を解くことで発生する探偵の責任」というモティーフも今回は巧みに回避され（子供にそれを負わせるのは酷だからだろう）、素直に読んで楽しい話に仕立てられている。仄かな青春小説の味わいもあり、全体的に好感度は高かった（但し第三話の「透明人間」、これは作中論理が相当に面妖なので直した方が良いのではないかと思うのだが……）。しかしタイトルは『虹北みすてり商店街』のほうが良かったような気がする。
　髪を切る。そのあとブックオフで数点お買い物。多島斗志之『神話獣』（文藝春秋）、有爲エンジェル『神の子の接吻』（角川書店）、とみなが真和『ＥＤＧＥ』（講談社Ｘ文庫ホワイトハート）、都筑道夫『黒い招き猫』『十七人目の死神』『悪魔はあくまで悪魔である』（以上全て角川文庫）。都筑は100円コーナーに固めておいてあったのでこれを機に購入。今まで買っていなかったという辺りに、「著作を揃えよう」という意欲が欠落している自分の方向性が現れているかな。
　とみなが真和はシリーズ第一作。『神話獣』は今年になって『マールズドルフ城1945』と改題されて中公文庫から刊行された長編の元版。有爲エンジェルは、こんな作品が出ていること自体を知らなかった。『踊ろう、マヤ』（講談社文庫）により泉鏡花賞を受賞した女性作家で、彼女が書いた長編推理は二冊だけだと思っていたが、どうやらミステリの著作は三冊だったようだ。前の二冊は正直言って何の印象も残っていないが（読んではいる）、この作品はどうだろうか。帯の内容紹介を読む限りでは、彼女の作風に最も適した内容のようにも思われるのだが。

７月17日（月）

　笹沢左保『誰もが信じられない』（徳間文庫）読了。危篤状態の祖父に「お前の母親は殺されたのだよ」と告げられた車椅子の女性。祖父亡き後、父も義母も夫も皆信じられなくなった彼女は必死で真相を明らかにしようとするが……展開の妙が楽しめる、技巧的な心理サスペンスの佳作としてお薦め。ペシミスティックな笹沢の個性もよく現れている。
　「何を今更」の直木賞受賞である船戸与一『虹の谷の五月』（集英社）と、ダークホース金城一紀の『ＧＯ』（講談社）を購入。初版＋帯で買うことが出来てちょっと嬉しい。

７月18日（火）

　英国推理作家協会賞受賞作、二コラス・ブリンコウ『マンチェスター・フラッシュバック』（文春文庫）を読了したが、これのどこが「クールな暗黒小説」なのだ？　三十過ぎの年齢ながらＩＲＡのテロの惨状を見て吐いてしまうようなナイーヴな心根の持ち主の、「オレたちって昔はワルかったんだぜ」という回想が延々と続く、「クール」でなければ「暗黒小説」でもない、センチメンタルな回想サスペンスとしか僕には読めなかった。現代のパートで殺人事件が起こる点、あとはドラッグ世代のゲイの物語という点が異なるだけで、装飾を取り払うと基本的にはトマス・Ｈ・クックのプロットの組み立て方と殆ど変わるところは無い。で、当然の如くクックよりは数段下手であり、要するにつまらなかった。ゲイの描き方も通り一遍なものでしかなく、これを読むとマイケル・ナーヴァ（『このささやかな眠り』『ゴールデンボーイ』他）が如何に上手かったかよく判る。ドラッグ、ロック、ゲイセックスという「如何にも」ネタ三点をそのまま並べている点も恥ずかしい。英国はこの程度のものを有り難がっているのか？
　あと、協会賞ということは書いてあるがゴールド・ダガーかシルヴァー・ダガーかには全く触れていない解説は不親切だと思った（調べてみたら本書はシルヴァー・ダガー賞。ちなみにその年のゴールド・ダガーはジェイムズ・リー・バークに贈られた）。こういう情報ってどうでもいいことだと認識されているのだろうか？

７月19日（水）

　ロナルド・Ａ・ノックス『サイロの死体』（国書刊行会）購入。
　水見稜『夢魔のふる夜』（ハヤカワ文庫ＪＡ）読了。ケプラーとガリレオが出てくる話ということだけしか知らないまま手に取ったが、ＳＦだったのだなこれは。しかしＳＦとして書かれたことが、結局はこの作品をいまひとつ物足りないものにしてしまったように思われてならない。本書の面白さはまず間違いなく時代伝奇ロマンのそれであって、正直言ってＳＦの部分は足枷としか機能していないように感じられた（少年時代のデカルトが僅かに顔を出す場面など、完全に伝奇小説読者を意識していたとしか思えない）。但し逆に言うと、この作者は面白い時代伝奇ロマンを書ける筆力を充分に持っており、一度くらいは本格的な西洋伝奇オカルト綺譚に挑戦してもらいたかったと思う。筆を絶ってしまったらしいので、今となっては不可能かも知れないが……。それはともかく、伝奇ロマンとしては（ラストで腰砕けになるが）かなり楽しめたので、篠田真由美の『ドラキュラ公』（講談社文庫）辺りが好きな人にお薦めしてみたいと思います。
（後日譚：と書いた後で、この作品の書評をＭＺＴさん＠書物の帝国がお書きになっておられるのを見つけたので読んでみたところ、そうか、そう読む話だったのですかこれは。ＳＦ門外漢のわたくしでは掴み取れなかった部分を掬い上げておられるので、あちらの書評も是非参考にして戴きたいと思います。）

７月20日（木）

　祭日。読みかけの直木賞受賞作『ＧＯ』を会社に置いてきてしまったので他の本を読む。という訳で黒川博行『アニーの冷たい朝』（講談社文庫）再読。詳細はいずれ別原稿で。
　日が暮れた後、某掲示板の書き込みを見て秋山瑞人『猫の地球儀』（電撃文庫）を買いに行く。なかなか見つからなかったが池袋で漸く『焔の章』だけ見つけて購入。さて、『幽の章』はどこで見つければ良いんでしょうか。
　ブックオフではジョゼフ・ハンセン『闇に消える』（ハヤカワポケミス）、森真沙子『聖女のふりをして』（ＫＫベストセラーズ）、井上淳『琥珀色の謝肉祭』（ケイブンシャノベルズ）、森村誠一『東京空港殺人事件』（講談社文庫）、笹沢左保『悪魔岬』（光文社文庫）を購入する。『闇に消える』を買ったのは、先日のようにゲイ・ミステリについて云々するならば矢張り本家（？）シリーズの一冊くらい読んでおかなければと反省したため。

７月21日（金）

　アイザック・アシモフ『象牙の塔の殺人』（創元推理文庫）読了。折り目正しい小味な佳作といったところだが、作者がアシモフである以上もう少し溌剌とした謎解きを楽しませてもらいたかったところ。但し、クリスティーを思わせる動機の隠し方は矢張り上手い。
　続いて、ユニーク極まりない人名辞典である石上三登志『地球のための紳士録』（奇想天外社）を読了する。オーソン・ウェルズの項から始まり、ウェルズの業績について述べられた後、そのウェルズの劇団で俳優・マネージャーを務めていたウィリアム・アランドの項に移り、そのアランドについて述べられた後、今度はアランドが映画プロデューサーとして生み出した作品の監督を務めたジャック・アーノルドの項に移り……と、こういう具合に各項目が連綿と続いてゆく連鎖式人名辞典なのだ。ＳＦ・ミステリ・映画などその博覧強記ぶりは留まるところを知らず、人名辞典ながら一冊の読み物としても充分に面白く、凄い本もあったものだとひたすら感心させられた。なお、ロバート・Ｌ・フィッシュ→ジャック・ロンドン→野村胡堂→市川崑→アガサ・クリスティー→エラリイ・クイーン→鮎川哲也→高林陽一→大林信彦→ウィリアム・ボーダイン→ジェシー・ジェームズという辺り、どういう理由で各項目が繋がっているのか全て指摘できますか？
　三冊五百円のセールで買ったのは皆川博子『変相能楽集』（中央公論社）、佐江衆一『闇の向うに跳ぶ者は』（文藝春秋）、高橋義夫『黄塵日記』（講談社）。

７月22日（土）

　午前中のうちに金城一紀の直木賞受賞作『ＧＯ』（講談社）を読了。成程これは読むと褒めたくなる小説。かつて山田詠美『ぼくは勉強ができない』（現・新潮文庫）を読んだ時に感じた爽快感を久方ぶりに味わった。しかも感銘度はこちらのほうが高く、読んで損はしない作品だろう。あと印象に残ったのは、この作者ってたぶん人間の善意を信じることができる人だと思うのだ。今の世の中では善意を信じることができる人のほうが性悪説を唱える人よりも強靭な心を持っていると思うので、そこが何より素敵な小説だと感じられた。次に金城一紀が何を書くかとても楽しみ。今回の作は「在日ポップ・ノベル」というレッテルを貼られているが、基本的に何でも書ける人ではないかと思う。
　午後からは白梅軒オフ会に初参加。初めてお会いした惣坂真夏氏の奥様に"あるもの"を作成して戴けるようプッシュを敢行。果して作って戴けますかどうか、葉山は期待しているのですが。青木みやさんとも（殆ど）初めてお話しさせて戴く。楽しゅうございました。
　白梅軒店主さまより藤田宜永『鼓動を抱く女』、谷甲州『背筋が冷たくなる話』（ともに集英社文庫）を戴く。ありがとうございます。

７月23日（日）

　外出の途中で赤川次郎の最新刊『とりあえずの殺人』（光文社カッパ・ノベルス）を購入し読了。推理作家協会賞の候補にもなった破格のシチュエーション・コメディ『ひまつぶしの殺人』と、その七年後に書かれた第二弾『やり過ごした殺人』に続く第三弾で、第二作からなんと十三年ぶりの新作だが、残念ながら当初の予想どおり第一弾の面白さは見る影も無い。折角の面白いシチュエーションとキャラクターが使いこなされていないし（泥棒稼業の母親と詐欺師の長女は殆ど「単に登場しているだけ」のレベル）、もともとキャンパスを舞台にした学園殺人物という設定自体がこのシリーズの面白さを表現するにはあまりにも小さな舞台でしかなさ過ぎるのだ。但し、それでも取り敢えずは飽きさせずに読ませるところが赤川次郎の底力だろう。
　続いて、昨日戴いた谷甲州『背筋が冷たくなる話』（集英社文庫）を早速読了。怪奇小説の定番ネタを詰め込んだ幕の内弁当のような作品集で、個々の素材や味付けには特に惹かれるものはないが、纏めて一気に味わうとそれなりに満足できるといった印象。それでも敢えて一編だけ、強く印象に残ったものを挙げるなら冒頭の表題作「背筋が冷たくなる話」か。流石は『遥かなり神々の座』『凍樹の森』の作者だけあって、山の描写の迫真性が抜群に高い。
　もう一つ、森英俊氏がワセミスＯＢのサイトで絶賛しておられたジュヴナイル・ミステリの作者、新庄節美の（たぶん）今のところの最新刊である『ゴースト通りの怪人　ホラータウン・パニック』（小峰書店）を読了する。金曜日の後にすぐ日曜日を迎えてしまったという不思議な体験をした女の子。しかしクラスメイトの話では彼女に記憶が無いにも関わらず、彼女は土曜日もきちんと学校に来ていたというのだ。彼女の身に一体何が起こったというのか？　この謎がミステリとして解けるのならこれは大変な作品だと思ったが、真相は新発明の機械を使ったというだけ。だからこの作品はミステリではなく、サスペンス系ファンタジーとして読まれるべき作品だろう。講談社のシリーズのほうはまともなミステリらしいので、そちらに期待したい（といっても見つけられるだろうか。注文すれば手に入るらしいのだが……）。
　　ブックオフで山崎光夫『安楽処方箋』（講談社）、ルース・レンデル『ひとたび人を殺さば』（角川文庫）、クリストファー・プリースト『魔法』（早川書房／夢の文学館）、藤原審爾『贅沢な殺人』（角川文庫）、竹谷正『街医者の推理小説』（講談社出版サービスセンター）、図子慧『緋色の館』（小学館キャンパス文庫）購入。『魔法』は読んではいたが所有してはいなかったので半額で購入。読み返したかった作品でもあるし。自費出版の『街医者の推理小説』は、よくもまあこんな本がブックオフに並んでいたなあ。戸田さんから聞いて存在は知っていたけれど、真逆手に入るとは……ちなみに作者は「一流保険」が雑誌『幻影城』に掲載された人。その「一流保険」、この本にも収録されています。出来は全く期待出来ないが、まあ手に入っただけで満足という本でしょう。

７月24日（月）

　『南溟に吼える』以来実に十四年ぶりの新作、高橋泰邦『群狼の海』（光人社）を読了する。終戦直前、軍の命令で石油を求め、あまりにも危険な東京‐パレンバン間を往復した商船の船長と、その配下の乗組員の苦難の航海を描いた海の男たちの物語。出版元が光人社の上、戦争を描いているために戦争文学とだけ扱われてしまいそうだが、作者が高橋泰邦なので基本的に海洋冒険小説として楽しめることは保証済み。今回は実の父親をモデルとしていることもあってか、主人公の船長が完璧な人間であり過ぎたり、乗組員全員が船長に心酔しているところなどフィクションとしては物足りないところも見られるのだが、話を面白くしようと思えばいくらでも出来る実力を持った作家だけに、むしろ今回は奔放な展開になるのを抑えて書いたというのが実際のところだろう。海の男たちの造形が見事。際立った個性がある訳ではなく、細かな描写に筆を割いている訳でも全くないのだが、行間から「海に生きる男」という雰囲気が立ち込めてくるのだ。これは他の作家には真似の出来ない芸当だろう。そしてエピローグに込められた事実の重さ（軍人でもない商船の船乗りたちが如何に酷い扱いを受けたか――この事実には愕然とさせられた）と、柔らかに収束するラストが素晴らしい。現在七十五歳の作者だが、もっと海洋冒険小説を書いて欲しい。そして海洋ミステリを！
　なお、あとがきの「五十年来の夢がようやく叶った」の一文は実に重い。「こんなささやかな一編を世に出せるようにするために、これだけの歳月と、環境づくりが必要だった。（中略）一般の人々に海の世界を、とりわけ父たち商船乗りの海に生きる姿を、もっと煎じ詰めれば、戦時の不本意な苦闘を知ってもらうために、誇張でなく一生を賭けようと、非才を顧みず決心してからでも、四十年あまりになる」「五十余年間に熟成した結果、などと自分で言っては大方の失笑を買うにちがいないが、これだけ長く温めて書ける作品は、一生にひとつしかありえまい」――とまで高橋泰邦ほどの存在が書いたこの作品、たとえ好意的な評でなくとも多くの場所で取り上げられて然るべきだったと思うのだが、残念ながら書評などで取り上げられているのを見たことがない。悲しい、と思わざるを得ないではないか。

７月25日（火）

　服部まゆみ『シメール』（文藝春秋）読了。何処までも幻想に塗り込められた物語。但しそれは永久に終わらない甘美な幻想などではなく、所詮は砂上の楼閣なのだ。自分の内に存在する「こうあって欲しい」という願いを幻想にまで肥大させた夢見る登場人物たちの悲劇。画家は少年の美貌に天上の存在を夢見るが、実際の少年の内面はロールプレイングゲームのシナリオを練る歳相応の子供。少年が創造するシナリオが安っぽく見えれば見えるほど、少年の内面は画家の妄想とかけ離れ、二人の位置は無残なまでに引き裂かれてゆく。飽くまでエレガントながら、服部まゆみの作品中、最も突き放した視線を持つ作品。そして当然のことながら、今回も傑作である。

７月26日（水）

　図子慧『緋色の館』（小学館キャンパス文庫）読了。ジュヴナイル扱いするにはかなりシビアな内容を含んだサスペンス・ミステリ。犯人の設定には「逸らかされたな」という感想しか持てないが、取り敢えず手順は踏もうとした気配が残っているし、思わぬところに意外性も仕掛けられてあって割合楽しめた。初めて読んだミステリＳＦ長編『ラザロ・ラザロ』（集英社）が案外面白かったので手にとってみたが、どうやらこの作者、ミステリ的にも割と安定した実力を持っているらしい。さて、次は『晩夏』を捜さねば。

７月27日（木）

　ああ違う、『ラザロ・ラザロ』が初めてじゃなくて、図子慧はその昔『ピーター・ラビットは僕の友だち』（角川スニーカー文庫）を出来心で読んでいたのだ（新井素子の『くますけと一緒に』を読んだ後すぐだったと思う……って何を求めて読んだかバレバレですな）。最近記憶力が減退気味か？　たぶん暑いからだろうな。
　芦辺拓『和時計の館の殺人』（光文社カッパ・ノベルス）、乙一『石ノ目』（集英社／新書版）、高野史緒『ウィーン薔薇の騎士物語３』（中央公論社Ｃ☆ノベルズファンタジア）を購入する。若竹七海の作品を買っていないのは単に忘れたというだけ。
　私立探偵・柚木草平シリーズの新作、樋口有介『刺青白書』（講談社）読了。『初恋よ、さよならのキスをしよう』（スコラ→現・講談社文庫）以来本当に久しぶりに手に取った樋口作品、素直な気持ちで楽しめた。本書では柚木はむしろ脇役に回り、今回はちょっと冴えない女子大生・鈴女が主役を務める素敵な青春ミステリに仕上がっている。ミステリとしてもちょっとした仕掛けが施されているのでそんなに薄味ではないし、ラストの爽やかさなど天下一品。今年刊行された作品でありながら、鈴女と共に真相を追うカッコいい大学生がいまどき長髪を束ねたリングピアス男であるというところに、おじさん作家樋口有介の哀しい時代性を感じてしまう訳だが（ついでに言えばスポーツをやろうとすると途端にスポーツ刈りにする辺りも）、それはそれで目を瞑ろうではないか。俗に言う「社会の病巣」の詰め合わせ的な内容にしては、ほのぼのと爽やかに読み終えてしまったのでありました。満足。

７月28日（金）

　柴田よしき『象牙色の眠り』（廣済堂出版）読了。甘い腐臭の漂う昏い楽園の物語。こういう真相は通常ならば都合が良すぎるのではないかと感じられてしまうものだが（理由は当然詳しく書けない）、作中に確固とひとつの世界が確立されており、登場人物は全てその住人なのだと納得できるように書かれているため、異例ながら不自然な感じは受けなかった。筆力が無ければ成し得ない芸当。佳品。柴田作品のアベレージには目を瞠らされますね。
　続いて梶龍雄『灰色の季節　ギョライ先生探偵ノート』（光風社出版）読了。六編を収録した連作短篇集で、各編それぞれミステリ的にはさして凝った趣向に挑んでいる訳ではないが、この読み心地は矢張り梶の戦中青春ものでしか味わえない類のもの。個人的には非常に満足。客観的に見れば第三話がベスト、続いて第四話というところか。ちなみにこの二作は既成のアンソロジーにも収録されている作品です。第五話の余韻も好きだな。
　ブックオフにて帚木蓬生の新作『空山』（講談社）を手に入れる。前々作『受精』（角川書店）が残念ながら失敗作に終わっていた点、そして書店で『空山』を手に取ったらその『受精』と出だしがあまりにも似ていた点から嫌な予感がして買うのを躊躇っていたのだが、ブックオフで見つけたのなら買わなければなるまい。ファンとして完成度が高いことを切に願う。あとはルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズ最新刊『眠れる森の惨劇』（角川文庫）を購入。

７月29日（土）

　宮澤氏オフ「乱歩を偲ぶ会」に参加。その前に新宿でやよいさんと戸田さんにお会いして、まったりと社会派その他についてのお話をする。高木彬光の作品について割と突っ込んだお話が出来たのが個人的収穫。本当はこの場に浅井さんが居た筈なのだが……ああ浅井さんお会いしたかったです、浅井さんといろんなお話したかったです（とにかくいろいろなミステリを読破している浅井さんのような人は珍しいのです）。で、この時までは曲がりなりにも声が出ていたのだが。　六時集合、宮澤氏オフ。この頃になると声は最早努力しなければ出せない状態に陥る。いつもオフ会間際になると体調を崩すのはどうしてだろう。しかもアジアンテイスト豊かな二次会カラオケボックスでは「ああ、そんな御無体な」人間椅子狼藉下に……あ、だから「乱歩を偲ぶ会」なのか（←違うって）。まあそれはそれで楽しいから良いのですが。そのお蔭で殆ど喋らなくて済みましたし。ただ、葉山に話し掛けてくださった皆様、そういう訳（人間椅子じゃなくて声のほう）だったので無愛想な返答しかできなくてまことに申し訳ございませんでした。
　フクさんから問題作（？）の松村善雄『江戸川乱歩殺人原稿』（青樹社BIG　BOOKS）を頂戴する。ありがとうございます。やよいさんから楠木誠一郎『真説・伊藤博文暗殺』（祥伝社ノン・ノベル）を貸して戴く。ありがとうございます。

７月30日（日）

　朝起きたら完全に声が壊れていた。おまけに酷い咳に苦しめられる。でも本は読む。執念ですねこれは。
　というわけでエドマンド・クリスピン『白鳥の歌』（国書刊行会／世界探偵小説全集29）読了。ユーモアに満ちた楽しい作品であることは確かだが、クリスピンのものとしては平凡な出来。大好きな作家であるだけに評価も厳しくなってしまうのかも知れないが、トリックがゴテゴテしていてスマートとは言い難く、オペラ・ミステリとしても（巻末の解説では漏れているが）後年に書かれたバーバラ・ポールの『気ままなプリマドンナ』や森雅裕の『椿姫を見ませんか』のほうが活き活きとした出来栄えだと思う（但しポールの作品は「ネタ本からの引き写しが殆ど」だと何処かで批判もされていた。宇神幸男『ヴァルハラ城の悪魔』の中でだったか？）。読んで損は無いが、どうせ読むなら矢張り『消えた玩具屋』『お楽しみの埋葬』を先にどうぞ。但しクリスピンは間違いなく全作翻訳されて然るべき作家なので、国書刊行会の英断を期待したい。
（なお、解説で提示される「クリスピンはこの作品を最後にミステリを書くのをやめるつもりだったのでは」という指摘は卓見。そう考えると、ラストのジャーヴァス・フェンの台詞「わが探偵人生、華やかなりし頃……」がそのまま彼の探偵活動の幕引きの言葉とも解釈できるし、クリスピンが『白鳥の歌』以降不可能犯罪に拘らなくなったこともその証左と言えるかも知れない。）
　そういえば内容は忘れてしまったが、オペラに材を採った作品では山口正介の『道化師は笑わない』（新潮社）というのもありましたね。
　お昼にテレビをかけたら「21世紀の石原裕次郎を探せオーディション」という不思議な番組が放送されていたので（21世紀に石原裕次郎っていったい……）、御飯を食べながらぼーっと見ていたが、はっきり言って趣旨の段階から大笑い。結局真面目な新人発掘というよりはただの石原プロのお祭り騒ぎにしか過ぎないではないか。その人の才能に合った育て方をする気などさらさら無いということがオーディションの構成から透けて見えるし、折角才能のある候補者が現れても鋳型に嵌められてお終いだろう、候補者には気の毒なことではある。演技力審査の時の台本など「あったまわるー」というレベルのものだし、果ては候補者が拳銃を持って走らされる段に至っては、石原プロの十数年に渡る思考停止ぶりに笑いを通り越して感心させられてしまった。あと、命日の日に候補者をお寺に集め、法要の場で最終候補者を発表するというのはいくら何でも目に余るほど悪趣味ですね。そこまで故人に縋り付かなければやっていけないか、石原プロ。

７月31日（月）

　風邪で寝込むわたくし。しかし布団の中に本を持ち込み、咳を堪えつつ本を読む。
　関口苑生『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』（マガジンハウス）読了。或る意味でこれまでの受賞作品の評価を集大成したような乱歩賞通史であり、引用が非常に多いので過去の評価を知りたい時に非常に役に立ちそうな本。但し、章分けをせずにひとつの文章の流れの中で「受賞作品と時代背景の関連性」「日本のミステリ史に於いて江戸川乱歩賞は如何なる存在であったか」「個々の作品評」の三本柱を纏めて展開してしまっているため、受賞作全てを同一の軸で考察・評価しているという印象が薄いのはやや残念なところ。但し、第一の柱（時代的関連性）のみで押し切っていたら論考のインパクトが薄くなってしまっただろうから、これはこれで仕方の無いことなのだろう。幾つか疑問点も見られるが、なかなか面白く読めたことは確か。或る程度の刺激は与えてくれる本だと思います。
　なお、実は個人的に乱歩賞の評価よりも興味深く読んだのが端々に出てくる社会派の話題。社会派に関する伊藤整や丸谷才一の文章が読めただけでも個人的には大収穫でした。

　つづく。

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似非乱読派感想文日記 その四

似非乱読派感想文日記　その四