謎宮会 2001/01

はみだし探偵漫画日記 草野唯雄の『犬の首』

広沢吉泰

今回は草野唯雄の特集ということで、氏の作品の漫画化作品である『犬の首』を紹介 します。いつもの「探偵漫画日記」の拡大版なので、「はみだし探偵漫画日記」とした のですが、はみだし物の私立探偵が書いている漫画のコラムみたいでかっこいいですね (なんて間違えるやつはいないか)

さて、まずは原作の小説を紹介することとしましょう。

『犬の首』(昭和50年)はハラハラ刑事シリーズと銘打たれた草野唯雄のユーモアミス テリシリーズの第1作です。このシリーズは以降『警視泥棒』(昭和51年)『死の舞踏 (サンバ)』(昭和52年)と続くことになります(初刊の版元はいずれも祥伝社。な お、筆者のテキストは角川文庫版)

「ハラハラ刑事」とは、警視庁坂下署に勤務する柴田与三郎部長刑事(45)と高見茂作 刑事(27)のコンビです。柴田与三郎は、チビで丸顔にチャップリン髭をたくわえてい ます。胸ポケットに5〜6本の色の異なるボールペンを指していて、内容によって色分 けしてメモをとります。ビニール製のショルダーバッグには様々なものが入っていま す。高見茂作は身長190センチ、体重105キロの巨漢です。茫洋とした風貌のため“モサ さん”と渾名されています。趣味は食べることと寝ることで、苦手は朝の早起きです。 姓名のどこにも「ハラ」という言葉がないのに、このデコボココンビが「ハラハラ刑 事」と呼ばれているのは、その捜査が型破りなため苦情が相次ぎ上司の木下係長や同僚 をハラハラさせるからです。容疑者を追跡中に通行人を突き飛ばして全治一か月の骨折 を負わせたり、逃げる容疑者に発砲したら弾丸が民家のプロパンガスのボンベに命中し て建物が半焼、といった無軌道ぶりで『犬の首』事件のときには、捜査から外されて内 勤事務に回されていた有様でした。その二人がスーパー「富士ストア」の景品表示法違 反の調査という「やりすぎようのない」地味な調査に出向いたところ、なんとその裏に は大陰謀が潜んでいて、ハラハラ刑事たちの爆走が始まる……というものです。

さて、「富士ストア」が企んだ陰謀というのはこういうものです――ある都議会議員 の支援者を「瀬戸内海への3泊4日の船旅」と偽って集め、彼らに船中でコレラ菌入りの 食事をさせる。また、宿泊地である手古島の旅館の水源にもコレラ菌をぶちこむ。そし て、島の電話ケーブルを切断してコレラが発病しても連絡がとれない状態にしてしま う。これで手古島の旅館の人間と議員の支援者を皆殺しにしてしまおう、という途方も ない計画なのです。かつては、こういった常識はずれのものに対する蔑視の言葉として 「そんなマンガみたいな」というものがありましたが、そういう意味では漫画化するの に適した作品であったといえるのかもしれません。こういった規格外の陰謀には、これ また枠を外れたハラハラ刑事コンビでなければ対抗できないことでしょう。手続きを無 視した乱暴な捜査を行ないながら、彼らは陰謀に迫っていくのです……。

ちなみに、ハラハラ刑事シリーズは第3作の『死の舞踏』以降書かれていないのです が、それは彼らが活躍する事件を考えるのがだんだんと難しくなってきたからではない でしょうか? 第2作の『警視泥棒』では、ロケットを利用して沖縄の米軍基地に核爆弾 を打ち込もうという途方もない計画が描かれており、続いて発表された『死の舞踏』で は舞台はブラジルにまで拡がっています。ここで筆をおさめたあたり、草野唯雄はさす がであったといえましょう。海外にまで活躍の場をひろげておいて、第4作でまた坂下署 管内の事件に携わらせるわけにもいきませんし、かといって007ではあるまいし柴田 と高見を宇宙に行かせるわけにもいかないでしょう。3作での退場を惜しむ声は多いので すが、筆者はよい納めどころであったと考えます。

一方、漫画の『犬の首』ですが、こちらは1984年7月26日の刊行で、この時期に講談社 が手がけていた「コミックノベル」という叢書の第6弾として出版されました(同時に 刊行されたのは日下圭介『蝶たちは今…』作画は水島健一朗)作画を手がけたのは峰岸 とおるです。手元にデータがないので、略歴等は記することができないのですが、個人 的には「少年マガジン」で連載していた『素晴らしきバンディッツ』という野球マンガ が記憶に残っています。

『犬の首』は、ほぼ忠実に漫画化されているのですが、一点だけ原作と大きく設定が異 なるところがあります。それは脇役で登場する辻久子という婦人警官の描写です。

辻婦警は、シリーズの第1作である『犬の首』から登場しているのですが、実はこの作品 では具体的な容貌の描写はありません。そのせいか、峰岸とおるは〈かわいい活発な女 の子〉を描写するときの彼の絵柄を用いて、辻婦警を描いています(ええ〜っと、こん な表現でわかりますか? 峰岸とおるの絵を知らない人にはなんの役にも立たない説明 ですが……)手古島にむかう「ときわ丸」に潜入して、犯人に発見されて高見刑事とも ども海に投げ込まれ、救助を待つ間高見ととしんみりと語り合う……といった役どころ で一種のヒロイン的な役割を負っているので、峰岸がそういった描写をするのは無理な いところだと思います。筆者は漫画から先に入ったので、『犬の首』を読んでいるとき は、ハラハラコンビや木下係長といった登場人物は全部峰岸とおるのキャラクターで動 いていました。もちろん、辻婦警も。それだけに、シリーズ第2作の『警視泥棒』でこの 一節を目にしたときは固まってしまいました。

辻久子婦警、二十六歳。めっぽうエラの張った勇ましい顔で、いくらいじってみたとこ ろでまず男の視線が必ず素通りするタイプだ。それを補って余りあるのが口八丁手八 丁、坂下署のガラッ八の尊称を奉られている。

「エラの張った勇ましい顔」……「男の視線が必ず素通りするタイプ」……「坂下署の ガラッ八」……といったショッキングな言葉が飛び込んできました。これまで抱いてい たのと一八〇度といってもよい程に異なった辻婦警の実像に頭がクラクラしてしまいま した(嘘です。ちょっとおおげさですね)

コミックノベルの『犬の首』が刊行されたのは、先に記したとおり1984(昭和59)年 で、この時点ではハラハラ刑事シリーズは全て刊行されているので、この食い違いは峰 岸とおるの確信犯ではないでしょうか。『警視泥棒』での辻婦警の容貌の描写を読ん で、峰岸は「これじゃ絵にならない」と頭を抱えたことでしょう。先に書いたとおり 『犬の首』での辻婦警は、なかなか言動において可愛いらしい側面もあり、とても「坂 下署のガラッ八」とは思えないキャラクターでしたから。

実際のところ、草野の中でも辻婦警のキャラクターは『犬の首』時点では固まってな かったのかもしれません。例えば、第3作になって寄木志津子という婦警(こちらは美 人)が登場するのも、その傍証といえるかもしれません。シリーズを始めた時点では、 辻婦警だけで女性キャラは充分と考えていたのが、第2作で辻婦警を完全なコメディの キャラクターにしてしまったため、やはり捜査課の彩りに女性キャラは必要だと考えて 寄木婦警を登場させた……そういった「迷走」ぶりがうかがえるような気がします(っ て、これはあくまでも想像ですが)

でも、ここまであれこれ想像して、辻婦警のキャラの違いは、『犬の首』しか読まず に描いたためのチョンボだったりしたら笑うなぁ……。

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