謎宮会 1996/12

新刊日記(10〜11月)

香月桂

 宮部みゆきの久しぶりの長編『蒲生邸事件』(毎日新聞社)は時間旅行の物語、ジャック・フィニイや広瀬正を思い出した。終盤での「今カラデモ遅クナイカラ原隊ニ帰レ」の使い方の上手さには舌を巻く思い。時間旅行者の心の葛藤を縦糸に、「歴史は変えられるのか」というテーマを横糸に綴られるストーリーはまさにプロの物語書きの面目躍如、評価は★★★★☆。宮部さんは時代小説短編集『堪忍箱』(新人物往来社、★★★☆)も刊行、中では「敵持ち」や「てんびんばかり」が際立った出来。「十六夜髑髏」などホラー短編も収録されているから、ミステリ・ファンの方も読んでみてはどうだろうか。ホラーと言えば坂東眞砂子の初の短編集『屍の聲』(集英社)も刊行された。恐怖と悲しみが交錯する表題作「屍の聲」、嫌な話だが絶妙な「正月女」などいずれもレベルが高い。★★★★の出来、しかし敢えて厳しく★★★☆としておきます。

 直木賞を受賞して勢いづいている乃南アサも短編集『氷雨心中』(幻冬社、★★☆)を刊行した。すべて職人あるいは技術者の世界を扱ったもので、実力はあるのだが、いまいちひねりが足りないという印象。しかし、能面の制作を依頼に来た女を描いた「泥眼」、これは巧い。一方、長編『結婚詐欺師』(幻冬社)のほうは、失礼ではあるがこれが想像していた以上に面白く読ませてくれたのである。偽りの外見と経歴を身に纏って次々に女を騙す結婚詐欺師、それを追いかける刑事たち。二元描写で展開するストーリーはシンプルな故にその流れに澱みが無い。評価は★★★★。

 復刻では『仁木兄妹の事件簿 兄の巻・妹の巻』(出版芸術社)の二冊が刊行された。仁木兄妹の短編のみを集めた本はこれが初めてでとても喜ばしいのだが、これらの短編がすべて仁木悦子の実力を遺憾なく発揮した作品だと言えるかというとそうも言えないような気がする(好みの問題かもしれないが)。『夢魔の爪』や自選短編集『石段の家』なども簡単に手に入るようになるのが一番良いのだけれど……。なお、仁木兄妹シリーズの長編のほうは、第一作『猫は知っていた』が講談社文庫の大衆文学館から復刊され、また第四作にしてシリーズ最後の長編『黒いリボン』が角川文庫リバイバルコレクションから来年復刊の予定。お見逃し無く。

 ミステリの始祖エドガー・アラン・ポォが残した三つのオーギュスト・デュパン探偵譚『モルグ街の殺人』『マリー・ロジェの謎』『盗まれた手紙』。この三つの作品でポォはあらゆるミステリの趣向を書き尽くしており、これ以降に書かれたミステリはすべてこの三つのどれかの趣向に含まれてしまうという定説がある。笠井潔が『群衆の悪魔 デュパン第四の事件』(講談社)を執筆した背景には、これ以外の四つ目の趣向、犯人=「群衆の悪魔」を提示し、その事件をデュパンに解かせようという意図があったのではないか(もっとも私なんかに難しいことはわからないけど。そのへんのことを既成の評論家はどう捉えるのかな、と楽しみにしていたら、取り上げてるの見たことないんだよなこれが)。笠井潔の群衆論を精読するも良し、山田風太郎の明治物のような伝奇ミステリとして楽しむのもひとつの楽しみ方だと思う(マルクスやジョルジュ・サンドら有名人が勢揃いする)。事細かに調べ上げられた17世紀フランスの描写には頭が下がる思い。しかし謎解きミステリとしての興味のみで読むと寂しいかもしれないな。評価は一応厳しく★★★★、笠井さんはこの後にも物凄いものを刊行しています。それはまた後で。

 小杉健治『多重人格裁判』(双葉社、★★★☆)はなんとあの原島弁護士が三たび登場する待望の長編。無差別猟奇殺人犯の弁護に立った原島は、容疑者の全面無罪を主張した!果して彼は本当に無罪なのか?さすが法廷ミステリの旗手、リアリティは抜群と言っていいのだが、欠点は早くからネタが割れてしまうこと。健闘してはいるのだが、原島弁護士の久しぶりの登場ということで期待が大きすぎたかな……。でも後半はなかなか読ませてくれました。

 東野圭吾『名探偵の呪縛』(講談社文庫、★★★)は今年刊行の連作集『名探偵の掟』(必読!)に続く文庫書き下ろし長編。やや薄味でそんなに高い点はあげられないが、それでもラストで登場人物の口を借りて語られる著者の本格推理への思いは読み逃せない。また同時に刊行された高橋克彦『白妖鬼』も、やはり今年刊行の連作短編集『鬼』からスピンオフした書き下ろし長編。感心するほど面白いです、お薦め品。

 「鬼」と言えばもうひとつ、SF作家菅浩江が初めてミステリに挑戦した『鬼女の都』(祥伝社)も登場。かつてファンタジー長編『氷結の魂』を面白く読んだのでかなり期待したのだが、真相が途中で予測のつくものばかりという点には敢えて目をつぶっても、作者が物語の核に据えたはずの「京都の怖さ」が全く伝わってこないのが痛い(別に赤江瀑と同レベルのものを期待している訳ではないのだけれど……)。評価は★★☆、次作に期待します。

 少年ものに目を転じて、はやみねかおる『魔女の隠れ里』(講談社青い鳥文庫)は名探偵夢水清志郎シリーズ第四弾。このシリーズは既成作品の謎や動機を借用している部分も見受けられるものの、子供向けとは思えない、ほとんどバカトリックと紙一重な大トリックが楽しめるシリーズであり、楽しい本格ミステリに仕上がっている(第三弾「消える総生島」はこれでもかこれでもかと詰め込んだ壮絶パロディ!)。しかし何よりも印象深いのは、子供たちに伝えるべきテーマを著者がきちんと考えているところだろう。しかもテーマと謎解きは綺麗に結びついていて、いきなり作者が「さあここからは道徳の時間」とテーマを声高に主張し始めるという白々しさを感じさせない。作者の視線の暖かさが窺える作品、星を付ければ★★★★(でもこれって褒めすぎかな)。

 続いて11月の新刊のご紹介。京極夏彦『絡新婦の理』(講談社ノベルズ)は前作『鉄鼠の檻』を更に四ページ上回った最大の長編。今回も京極ワールドは絶好調、こんなに長いのにもかかわらず一度読み始めたら中断することなど考えられないくらいのページ・ターナーぶりを発揮している。今まで姑獲鳥、魍魎、狂骨、鉄鼠と四種の妖怪が物語の核として描かれてきたが、今回の絡新婦の存在感が最も圧倒的。これまでの長編も無類の面白さを誇っていたが、今回の『絡新婦』は更にそれらを上回る(あるいは『魍魎の匣』と並ぶ)最高傑作、評価は文句なしの★★★★★。いやあそれにしても骨董屋今川の喋り方は伝染するのです、ははは。

 西澤保彦『麦酒の家の冒険』(講談社ノベルズ、★★★☆)はシリーズ・キャラクター匠千秋とその仲間たちが登場する“酩酊ミステリ”。最初から最後まで、ここまで明るくがばがばビール飲み続ける小説というのも珍しい(アル中で暗く飲んでる、というのならあるかもしれないが)。論理展開にやや強引な点も見られるが、謎の設定が非常に面白く、安定した面白さで読ませてくれる。全編推理だけのミステリというのはやはり心が踊るなあ。それにこのレギュラー陣も楽しくていいね。章題も最高(笑)です。ミステリマガジン一月号に掲載の短編「卵が割れたあとで」もいい出来だぞ。

 栗本薫『あなたとワルツを踊りたい』(早川書房)は最近流行(していいのかこんなもん?)のストーカーを扱った長編だが、たぶん最後はこうなるだろうなあ、という想像どおりに終結するストーリーはあまりに予定調和すぎて、高い点はあげられない。評価は★★。

 文庫書き下ろし『シャドウ・ブルー 青の幻影』(ハヤカワJA文庫)は第三回ハヤカワ・ミステリコンテスト受賞者、山田風見子による初の長編。日本でカントリー・サスペンスとは珍しい、と思っていたら作風は海外の作品そのもの。文章やキャラクター造形が想像以上に巧みで、失礼ながら思わぬ拾い物をした、という感じ。特に暴れ馬のブレイクは、ひかわきょうこの西部劇マンガ『時間をとめて待っていて』のジェシーに匹敵するキャラクターだ!ただ気になるのは、犯人があまりにも見え見えで、最初はこれは何かのミスディレクションなのかと勘繰ってしまったほど。ここのところは直さないといけません。でも新人さんでこの完成度は立派です。文庫だったこともあるし、よし今日の私は太っ腹だあ、ご祝儀がわりに評価は大甘で★★★★!

 一方、角川mini文庫の第一弾として書き下ろされた吉村達也『定価200円の殺人』(☆)は、たとえ200円でも無駄にすることは決して許されないということを嘔っているのだが、こんなつまらない本に200円払うことは無駄遣いではないのだろうか(わぁ辛口)。

 井上夢人『もつれっぱなし』(文芸春秋、★★★☆)は全編会話文のみで構成された短編集(こういう試みは他に笹沢左保の『どんでん返し』や長編『同行者』、黒崎緑『しゃべくり探偵』がある)で、ほとんどミステリではないが、どんでん返しなども仕掛けられてあって楽しい出来に仕上がっている。井上夢人は会話文も上手だなあと感心した(とても読みやすいのだ)。軽いと感じる人もいるだろうけど、これはこれでいいと思う。

 坂東眞砂子『山妣』(新潮社)は重量感溢れる1200枚の大長編。多彩な登場人物や、明治末期の寒村の生活風景を圧倒的な筆力を駆使してみっしりと書き込んでいる。第一部は通俗小説的展開、第二部は一人の遊女が山に逃げ込むまでの顛末が描かれており、正直言って途中までは「………」だったのだが、第三部に突入し、主要登場人物がすべて山の中に入ってからのサスペンスの盛り上がりは素晴らしい。でも……やっぱり少し長過ぎるような気がする。内容の面でも、好きな人と嫌いな人にはっきり分かれるだろう。私もちょっと、こういうのは苦手。完成度で評価すれば★★★★☆、でも好みから言うと★★★☆。こういう本は星を付けて評価するのは本当に難しい。間をとって星は★★★★としておくが、興味ある方はお読みになったほうが良いと思います。

 山田正紀の連作ミステリ『女囮捜査官』(トクマノベルズ)が遂に完結。このシリーズは内容はそれぞれ独立しているけれど、1から順に読んだほうが良いと思う(『3/聴姦』はほとんど別格扱い、他とスケールが違う。サービスして★★★★☆の出来だ!)。最終巻の『5/味姦』は、シリーズ完結ということもあって★★★☆。不可能犯罪などの読者サービスといい、警察の腐敗を正面から描くテーマ性といい、よく調べてありよく考えられてはいるのだが、今回も内容が陰惨なのが残念(『2/視姦』は本当に陰惨だった)。ラストでヒロイン・志穂に襲いかかる運命も過酷なものだし……。山田氏には『帰ってきた北見志穂』のような続編を書いてもらって、志穂の元気な姿をもう一度見たいものです。それにしても今年は『絡新婦の理』といい、藤桂子の『我が母の教え給いし』といい、そしてこの連作といい、傲慢な男性社会を糾弾する作品が目立ったのが印象的でした。

 貫井徳郎『天使の屍』(角川書店、★★★)は中学生の連続自殺事件の謎を扱ったもの。比較的珍しい設定でもなく、とりたてて目新しい展開も見せず、結末も容易に想像がつく。こんなこと書くと、何だいいところなんて無いじゃないかと思われるだろうが、感心したのは作者がこのテーマをヒステリックに扱わなかったこと。やたらに「荒廃だ、荒廃だ」とあげつらってみせる態度は読んでいて非常に疲れるのだが、この作者にはそれが無く、ストーリーは淡々と進んで読みやすい(文章も非常に滑らか)。そこに好感を持った。ただし疑問も無いではなくて、自殺した主人公の息子は「青木君は強い人でした。それこそあたしが見習いたいと思うくらい、芯が強い人でした」と同級生から評価されているのに、簡単にああいうことをしてしまうだろうか?しないだろうと思うんだがなあ……でも、いずれにせよ貫井さんは力のある人なので、今後も気合の入った力強いものを書いてほしい。期待しております。

 そして笠井潔『天啓の宴』(双葉社)はメタミステリの傑作。いや、単に私の趣味に合っただけなのかもしれないけど、とても面白かった。思わず電車の中で読み耽りましたからね。幻の小説『天啓の宴』の作者は誰なのか、そしてその原稿は今何処にあるのか?語り手は章ごとに入れ替わり、時制もスライドされ、はっきり言ってややこしいが、ここまで凝った作者探しミステリは珍しい。本当は前述の『群衆の悪魔』に★★★★☆あげても良かったんだけど、厳しく星四つにしたのはこの本との差別化を図るため。私はこちらの方が熱中して読めました。星五つを付けるのはちょっと躊躇ってしまうのだけれど(紙の質のせいか?)、文句無く★★★★☆の出来は保証できる。お薦めの一品。

 対談集では『大沢在昌対談集 エンパラ』と『セッション 綾辻行人対談集』が刊行された。読み物としての面白さは『エンパラ』のほうに軍配が上がる。楽しいタイトル、愉快なお喋り、そしてユーモア溢れる構成(この文章起こしの力は称賛に値する)。読んで損のない対談集。一方、「麻雀界のカモネギ」綾辻行人の『セッション』はそのような読み物の面白さは少ないものの、そこで語られる本格推理談義が楽しい。そして西原理恵子の巻末袋綴じマンガは、以前彼女のマンガエッセイに綾辻が登場したときの話とかぶるネタも多いのだが(そこでも綾辻はむしり取られ、綾辻は「ボクはもう京都へ帰るんだい」と泣いていた)笑えるぞ。ただし西原さん、ミステリのさし絵マンガは既に傷だらけの勇士、推理文壇の地雷踏みチャンピオン森雅裕の本において魔夜峰夫がやっています。西原さんが考えるよりミステリは奥が深い(?)のだ。

 やれやれ、こんなに長い文になってしまったけど、ここまで読んでくれた人っているのかな。読んでくれた方、ありがとうございました。次回はこんなに長くなりません。それではまた。

(編注:原文とは段落の区切りを変えてあります)

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