謎宮会 1996/12

みすてり読断城

城主 刑部姫

十一月二日

 初回を書いた折りには気づかなんだが、書評を書くことは、そもそも毎月一定の数の書物を読むことが前提になっておる。姫のごとく、買うたことは買うたが、読むのは何やかやと口実を設けて先延ばしにしておる者が、書評などに手を染めたのは間違いであった。じゃが、今さらあとへは引けぬ。

 そこで、あまり書きとうないが、前回よりの持ち越しで『コズミック』。何も言うことはない。否、何も言いたくない。

十一月五日

 遅まきながら『鉄鼠の檻』を読んだ。面白いが長い。最初の二作は戦後間もなき時代にした理由が今一つ判然とせず、また何も日本でなくともよかったと思わぬでもなかった(そんなことを言えば、国産みすてりの大半は日本でなくともよく、また海外みすてりの大半も、その国でのうてもよいのじゃが)。

 しかるにこれと、その前の『狂骨の夢』には、日本に致す理由はもちろん、戦後の混乱が一応、おさまったかに見える時期を舞台とした意味が、ある程度あったと思う。誰とは言わぬが、さしたる理由があるとも見えぬに、あえて昭和四十年代に舞台設定をしておる作家もおるが、爪のあかを煎じて飲ませてやりたいわいの。

十一月九日

『ローウェル城の惨劇』。とりっくは凄い。ようも考えたものじゃ。それは認める。じゃがそこへ行き着くまでの地獄よ。十六歳当時のおのれがかわゆうて、元のままの形で出版したじゃと。ばかにいたすな。あのような乱れた文章、よいかげんな展開を延々読まされる苦痛がわかっておるのか。それにあの、登場人物の口調の絶えず変わることはどうじゃ。本来ならあれだけで、どの人物も明らかに多重人格ゆえ、証言能力なしとなるところではないか。まあ、ほとんど飛ばし読みじゃったがの。

(しかし実のところ、あのとりっくには以前、どこかで見たような気が漠然とつきまとうてならぬ。同じ、というのではなく、どこか似た感覚がある、という程度なのじゃが。ええい、読んだあとまで苛々させてくれる作品じゃわい!)

十一月十一日

 巷でいろいろと評判を聞くゆえ、『七回死んだ男』を読んでみた。いくら勘定しても、八回死んだとしか思えぬ。何か根本的な勘違いがあるのであろうか。しかし達者な筆じゃ。小説を楽しゅう面白う書くこつを心得ておる。匠千暁やらいうシリーズものより、この手のえすえふ仕立てのもののほうが好きじゃな。

十一月十五日

 国内みすてりだけでは枚数が稼げぬゆえ、海外ものも取り上げることとする。情けなや。国内で数が出ておらぬわけではない。寝食を忘れて読みまくらねば到底追いつけぬほど出ておるのじゃが、読みたい気分になるもののみをよりわけて参ると、なぜかこうなってしまうのじゃ。

『ランプリイ家の殺人』。人により『ランプリイ家の死』となっておるようじゃが、こうした混乱は早いところ整理してほしい。二十年かそれ以上、新訳の出ておらなんだマーシュ作品ゆえ期待して読んだ。近頃の海外みすてりにとんと見られなくなった本格謎解き。ま、かなり昔の作品ゆえ当然じゃが、久々にこうしたものを堪能した。もっとも、本格臭が強すぎる気もいたした。登場人物のあくが強いは、作者が演劇畑の人のせいか。被害者が、殺されただけでは足らぬがごとく、ひどい言われようをされておるのにはいささが同情。姫とて、あのような弟にそう何度も金は貸さぬわえ。借りる時にはへこへこし、返す段になると(または、この場合のように借りられぬとなると)ごうつくばり呼ばわりするのは、洋の東西を問わぬらしい。

十一月十九日

 創元推理最新号の『高塔綺譚』。どこが面白いのかさっぱりわからぬ。文語口語入り混じりの新聞記事でまず興を削がれた。そうしたものが当時なかったとはいわぬが、いかにも接木めいた部分が露骨にすぎる。「本物らしく見せる」ことこそだましの本分と知れ。あとも展開がぐじゃらぐじゃらとして、幽霊の何のという部分も、周りがそうした調子ゆえ、少しも引き立っておらなんだ。

十一月二十日

 『蒲生邸事件』はよう書けておる。二・二六事件を取り上げるとなると、男の作家はどうも記録小説的になって面白うないが、宮部みゆきの書きかたは、当時、現場周辺に在住の庶民が感じたであろう自然な不安や混乱に着目しておって快い。みすてりではないと言う者もおるようじゃが、野暮なことよ。

 あえて難を申さば、ふきという女中が少しばかり教養がありすぎるように書かれておる点か。言葉遣いは仕込まれればよくなる。いざという時の気構えも人柄としつけがものを言う。じゃが、思考能力はそれを育てる教育あってのもの。ふきが、たとえばもとは女学校へ行っておったが、家の没落で奉公に出た、とでもいうならわかる。これは生来の頭のよさとは別もので、いかに頭がようても、思考する下地――想像力を働かせる下地というてもよいが――のなきところでは、おのずと限界がるものなのじゃ。

十一月二十八日

 この原稿を書くのに忙しく、『蒲生邸』以後、ほとんど何も読んでおらぬ。姫の叩書機(こうしょき。わーぷろともいう)は、「蒲生」が名前として登録されておらぬゆえ、「かま」および「せい」で入力しなければならぬ。「がもう」と入れると「鵞網」と出る。これはこれで美しい。なぜ「蛾毛」と出ぬのか、不思議な気もするが。

十一月二十九日

 ふと思い出したのじゃが、かつて『蒔くごとく刈り取らん』なるみすてり(国産)があった。米国が舞台であった気がするが、作者名や出版社はおろか、いかなる話であったかも、きれいに記憶から欠落しておる(あまり面白うなかったことは、なぜかおぼえておる)。確か十四、五年、否、二十年近く前の作品であったと思う。一度考えだすと、わかるまで落着かぬ性分ゆえ、このままでは来月も何も読めぬ。誰か知らぬか。教えてくりゃれ。

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謎宮会 webmaster:maki@inac.co.jp (高橋)

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