謎宮会 1996/12
戸田 和光
大層な表題ですが、大した内容のものではありません。とある邦画のタイトルをもじってみただけです。(元にしたものがマイナー過ぎたりして…)
最近、ごくごく一部で話題を集めている作家‘はやみねかおる’を、少しだけメジャーにしてみようか、というための一文です。
まずは、お約束の著作リストから……。
1. | 怪盗道化師(ピエロ) | 講談社 | 90. 4.16 |
2. | バイバイ・スクール | 講談社 | 91. 7.30 |
(同) | 講談社青い鳥文庫 | 96. 2.15 | |
3. | オタカラウォーズ | 講談社 | 93. 3.22 |
4. | そして五人がいなくなる | 講談社青い鳥文庫 | 94. 2.15 |
5. | 亡霊は夜歩く | 講談社青い鳥文庫 | 94.12.15 |
6. | 消える総生島 | 講談社青い鳥文庫 | 95. 9.15 |
7. | 魔女の隠れ里 | 講談社青い鳥文庫 | 96.10.15 |
短編は、多分発表していないのではないでしょうか? (尤も、夢水シリーズ中で“神木が歩いた事件”に何度か触れられているので、断言はしにくいのですが……)従って、上記の7冊が、この作家の全作品ということになるのでしょう。
‘はやみねかおる’がマイナーなのには理由があります。「講談社青い鳥文庫」という発行元を見て、感の良い人はすぐ分かるかと思いますが、彼は、こども向けの本ばかりを書く、児童文学作家なのです。だからこそ、(発表先が少ない)短編はないだろうと思った訳でありますが絳紂2燭税麓らしい、と言われそうですが、でも、ちょっとだけ待って下さい。ごく一部でではあっても、それなりのミステリファンたちが話題にする作家なのです。ただのジュニアミステリではありません。大人でも十分楽しめる内容を含んでいるのです。
著作リストの4〜7は、“名探偵夢水清志郎事件ノート”と銘打たれた、本格仕立ての一連のシリーズです。そして、このシリーズに、はやみねの特徴がよく現れているように思います。作者自らがあとがきで「ミステリーが好き」とうたっている通り、その作品からは、ただ売れそうだから書いてみた、というだけでは終わらない、ミステリスピリットが感じられるのです。
(ということで、以下の記述も、夢水清志郎シリーズを中心にして書いたものです。その他の作品については、後述した個々の作品の感想を参照して下さい)
メイン・トリックは、どちらかと言えば、新本格系の作家が手掛けるような、一発勝負の大トリック(見方を変えれば、破天荒なものも多いですが)が中心ですし、それなりの伏線も敷いて、意外な真犯人を演出しています。また、本の大半は、いくつかのエピソードを織り込んだ連作形式なのですが、ただの短編の羅列に終わらせることなく、構成にも配慮して、全体で一つのストーリーとなるようにも作られているのです。
確かに、個々の事件の謎は底が浅く、ミステリを読み慣れた大人たちが読むと、その内容やトリックはすぐ見当がついてしまいます。大長編にはしにくい子ども向けの宿命として、一つ一つの物語への書き込みが足りないのも否定できないでしょう。ただ、読み終えた時、何だこれは、といった腹は立たないのもまた確かなのです。
多分それは、行間に作者の暖かな視線を感じるからでしょう。例えば、天藤 真のミステリを読んだ時のような雰囲気でしょうか。天藤ミステリが、壮年者が若者に注ぐ眼差しを基本にした暖かみを感じさせるとするなら、はやみねミステリからは、ちょっと年とった若者が小学生に注ぐ眼差しを感じる、とでも言えるでしょうか。実際、はやみねは(1964年生まれの)現役の小学校教師だそうですが、確かに先生が児童に対しているような印象を受けます。その一つの例として、彼のミステリでは殆ど人が死にません。というか、事件の背景で人が死んでいたことはあっても、正面切って人の死を描写した部分はないのです。
日常の謎というにはもう少し規模の大きな事件(例えば、ちょっとした傷害事件や人間消失など)が中心で、そこには何らかの人々の意思が存在していますが、それらは必ずしも悪意とは限っておらず、少しばかり考えさせるところもある、余韻の残るエンディングを心掛けているような気がします。
流石に私は、大人向けのミステリを含めて、その年のベストに挙げる、といったことまではしません(95年のベストミステリに「消える総生島」を挙げた人がいます。何を隠そう、東京創元社の戸川編集長です)が、ワーストに挙げる気はしませんし、小さな声では確かに面白かったよね、とは言いたくなる、そんな作品群なのです。
また、はやみねミステリの一つの面白さに、有名ミステリを明らかに意識したとしか思えない、パロディまがいのネタが多いことがあります。それらの中には、事件そのものが先行ミステリと同じというものもありますし、いくつかは、それらを更にアレンジした場合もあります。構図そのものに前例があるものも見受けられますが、事件の背景に巧みに何かを織り込んで、単なる二番煎じに終わらせない工夫がなされているように思います。やはり、学校の先生らしい配慮と言えるでしょうか。
また、もう一つの面白さとして、(事件とは決して呼べない)どうでもいいようなエピソードに、名探偵氏が真面目な顔で解決を与えることの面白さも挙げておきましょう。明らかにされた真相も、実際どうでもいいようなことが多いのですが、それでも思わず拍手したくなるような、ちょっといい謎解きにも捨て難いものがあります。
青い鳥文庫から出ている5冊は、比較的容易に入手できるかと思います。どれか1冊でも手に取って、試しに読んでもらえたら嬉しいな、と思います。
私のお薦めは、ミステリ的な要素を求める人には「消える総生島」か「魔女の隠れ里」あたりからの、一方ジュニアミステリの要素を優先したい人には「バイバイ スクール」からの入門となるでしょうか。1時間程度で一冊読み終えることが出来ます。長大ミステリの息抜きには絶好だと考えます。
この先は、個々の小説を読んでの私の感想を並べたものです。
真相をストレートに明かすようなことはしませんが、このお話の本歌はこの辺にあるのではないかな、といったことは書いています。従って、ある程度のネタは割ってしまっております。ご注意下さい。(といっても、普通のミステリファンの方であれば、事件部分を読めば気付くことだとは思いますが。だから、トリックパターンを明かす等、多少のルール違反をしています。尤も、その本の狙いには直接は影響してないつもりです。はやみねミステリは、個々のトリックではなく、全体の構成で見せるミステリなのです)
これからはやみねミステリを読んでみようと思った方は読まないで下さい。既に読み終えた人にはそうだそうだと頷いてもらえれば、と思いますし、今後も読む気がない人は、こんなことを考えた作家が居たんだ、といった感じで楽しんでもらえれば幸いです。
註)青い鳥文庫の5冊はともかく、現在では比較的入手しにくい(図書館に行けば読めますが)2冊にまで触れるのはルール違反かと思うのですが、幸か不幸かこの2冊は、かなりミステリ味が薄いので、タネを明かす心配もないのでした。従って、この2冊だけ未読の方でも、この感想集は安心して読めます。念のため。
作者のデビュー作。本編で児童文学新人賞に入選し、そのまま出版されたものである。怪盗道化師を名乗る人物を主人公にした、11話からなる連作である。
一言で言ってしまうと、この作品はまだ単なる児童文学であって、ミステリとはとても呼べない。一般読者としても(後続作品が小学高学年を想定している感じに比べると)中学年以下を対象にした感じがする。さすがに私も、この小説まで他の人に薦める気はしない……。
‘同級生の悪口’や‘クリスマス’など、“普通の人には価値のないものを盗む怪盗”という基本発想は、E・D・ホックの怪盗ニックシリーズを連想させてミステリ好きの片鱗は感じさせるが、その料理法は明らかに児童文学のそれであって、大人のミステリファンにはつらいかも知れない。それが証拠に、(主人公の飼い犬が人間の言葉を解するのはともかく)本物の異星人や雪ダルマ、ホタルの化身が登場して各エピソードに解決を与えるのは、確かに馴染みにくい。
その中では‘ビルの影を盗む’という話が、破天荒ながら理詰めの解決(といっても、現実的ではなさそうだが)を与えていて、一番印象には残る。あるいは、この辺りに、後のはやみねミステリの出発点があるのかも知れない。
サブタイトルの通り、廃校寸前の山奥の小学校で次々と起きる不思議な事件を描いた長編である。
“七不思議”と、おまけ(?)の幽霊バス事件の計8個の謎が連続して起き、最後に全て合理的に解明される、という、極めて標準的な構成のミステリである。一つ一つの謎は小粒だが、それぞれに丹念に伏線が引かれていて誰にでも謎解きが出来るようになっているし、アイデア自体は極めて素朴だが、はっきりと分かるトリックのパクリも感じにくい。「読者への挑戦」が挿入されているのも、ダテではないだろう。
そういった意味では、あざとさの少ない、かなり良心的なジュニアミステリと言えるように思う。事件の舞台となる世界も小さいせいか、それ程の無理も伺えない。その分、大掛かりな面白さや、ミステリファンならではのこだわりは感じられないから、夢水シリーズとはかなり印象が違い、大人向けの要素が少ない面は否定しにくいだろう。
面白かったのは、犯人自らが“七不思議”を作る、という部分だろうか。ホワイ・ダニットの面を追求していながら、最後にあっけなく片づけられてしまった気がするのは残念だが、ホワイ・ダニットと“七不思議”とが関連して、独特の効果を挙げているような気がした。
全体のバランスが余り良くない(一冊の半分近くまで、七不思議事件が始まらない)ために、事件についての書き込みが少なく、駆け足気味なのが惜しまれるが、これは児童文学の宿命なのだろうか。徹頭徹尾ハッピーエンドにこだわって、読後の印象は仲々に爽やかだった。
小学6年生3人組の一夏の冒険を描いた長編である。
作者自ら「最初は純粋本格推理小説になる予定だったのに……(中略)推理小説にするのをあきらめました。これはSF冒険小説です」とあとがきで書いている通り、やはりミステリ風味は希薄かも知れない。宝さがしを目的とした冒険物語なのだが、宝物が宇宙人の残した何かという設定だし、宝物を取り合う相手が宇宙人なのだから、本格的なミステリになる訳はないのだ。
しかし、そういった基本的な道具立てを除くと、割と正統的な(ジュヴナイルの)造りである。宇宙人は主人公との“一週間行動しない”という約束を守って(!)彼らの好きにさせるし、発見した意外な宝物をどうするか、真剣に悩む主人公の姿は(ちょっとばかりテーマは大きいけれど)思いっきり青春している感じだ。SFのお約束を使ってはいるけれど、展開はそんなに無茶しておらず、読んでいて気になる程ではないと思う。
ミステリの要素としては、宝物の隠し場所を示す暗号は(底は浅いが)仲々面白いと思う。ただ“迷路の町”という設定が殆ど生きていない(巻頭の地図を見ると、この作成にはかなり時間をかけたように思う。“迷路館”のそれより、余程複雑である。しかし、その複雑な迷路が全くストーリーに関係ないのだ)のが残念だった。当初の予定通りに推理小説になっていれば、この町はより大きなポイントを占めていたのだろうか。
また、個人的には、エンディング近くの偽者探しが好きだった。ストーリーにはさして関係ないアイデアだとは思うのだが、いい味を出していると思う。5人といわず、10人くらいは見つけるようにして欲しかった……。
ミステリさえ期待しなければ、やはりはやみねワールドは感じられると思う。
掌編1編と、長編1編からなる一冊。
シリーズ・キャラクター達が初登場した一冊なので、人物紹介が中心となる点は仕方ないだろう。冒頭の掌編などその典型で、もし、このシリーズの他の本を先に読んでいたなら、謎でもなんでもないことを仕掛けていることが分かる。尤も、ちゃんと伏線を引いていることを読むだけでも、それなりに楽しめるだろうが。
長編は、人間消失が5回繰り返されるという大仕掛けのもの。全部違ったトリックを使っているが、その中では、「ホワイトチャーチ卿の絵」をジェットコースターでやってしまった2番目のには笑ってしまった。また、心理的なトリックをうまくアレンジした3番目と4番目のトリックは、割と面白かったが、どちらかといえば機械トリックと言える最初と最後のそれは無理が過ぎるようで、バランスが良くないように思えるのが惜しい。
やはりこの長編の一番のポイントは、“名探偵が謎を解かないことに、ちゃんと理由がある”ということだろうか。事件の構図が見やすいため、読者にもすぐ予想がつくのだけれど、確かにこれなら誰も謎を解かないだろうね、きっと。といいながら、事件の動機をもう一つ重ねている辺り、当たり前だけでは終わらない点は悪くないだろう。
でも、嘘をついた例として“「Yの悲劇」の犯人はドルリー・レーンだ”というのを挙げるのは、やはりルール違反だと思うぞ、私は。
掌編2編と、中心となる長編からなる一冊。
長編のメイントリックは、かなり大規模なアイデアだが、ちょっとばかり無謀が過ぎた気がして、余り好きになれない。何より、メカニズムに曖昧な部分が残っている気がするし、問題となる施設の位置関係をそれ程はっきりとは描写していなかったように思えるのが気になる。(その割に、時計塔の傾きが明確に規定されているのが面白いところか)
それに、真犯人の悪意なき動機も、見方を変えれば(小学生には)重過ぎるのではなかろうか? 確かに伏線は引いてあるにしても……。
サブトリックとして「黄色い部屋」のアレンジを使っているが、その複雑化に中学生心理に基づく証言を用いているのが、作者らしい工夫かも知れない。同じく、チェスタトンパターンのアレンジである冒頭の掌編でも、事件成立の背景に小学生心理を織り込んでいるのが印象深いところ。
なお、掌編のいくつかが長編の事件背景を簡単に語ったものになっているのがこのシリーズの特徴なのだが、本書では“マスコミを利用する”といったかなり消極的な使われ方である点も惜しまれる気がする。その中では、巻末の掌編(その真相自体もかなり笑えるものであるが)の謎解きの伏線を、長編の中で引いている(それもさり気ない1行で)のが面白いか。
しかし、“マジック研究会の厚川部長”というのは、やはりあの人が出典だろうか?
同じく、掌編2編と、中心となる長編からなる一冊。
余りに有名な「神の灯」パターンの大胆アレンジだけで、長編一つを支えてしまった、という一冊。と言ってしまえばそれまでだけど、このアレンジによって、山・人・館・島といったものを消すことが出来ることに気付いた、という点が偉大だと思われる。消し方よりは、消えたことによる事象の面白さが本書の持ち味だろう。特に、見る人の角度の違いで消えるものが変わる、というのが私には面白かった。
また、事件の(表面的な)動機も、簡単には頷けないけど気持ちは分かる、といった感じで、ミステリマニアの心理をくすぐるものであるのも楽しい。終わってみると、冒頭の掌編が、一応の伏線になっていることが分かるのもうまいところだろう。その上で、もう一段深い真相を用意してある(これを動機に使うのが良かったかどうかは難しいとは思うけれど。これをやりたいなら、類似した動機を使った「大誘拐」のように、もう少し事前の書き込みをして欲しかった気がするので)ことに拍手。敢えて言えば、冒頭の掌編をミスディレクションにしたようなものだと考えるからだ。
尤も、その冒頭の謎は「三毛猫ホームズの推理」のアレンジだと思うのだが、解決を自然なものにしようとした割には、ナイフによる死というのは、うまい方法ではなかった気がする。結果の不可思議さだけに頼っても良かったと思ったのは私だけだろうか。
作中に出てくる固有名詞(「探偵映画」、「黒死館」、「霧越館」etc)には笑ってしまうが、それ以上に笑ったのが、巻末の掌編。“老人は何故本屋で50円玉を5円玉に両替したのか”という、俗称「五円玉九枚の謎」。解決はやはりちょっといい話、で終わるのがはやみねミステリらしいが、これってやはり、あの話のパロディだよね?
中編、掌編、長編、という構成の一冊。
どこかで見たことがあるトリックを、比較的素直な形で提出した印象を受ける。と言ってしまっては誤解を受けそうだが、それらをサブトリック群として巧みにあしらって、全体として新たに構成して別なトリックを仕立て、一つの連作とした一冊である。
冒頭の中編は、島荘チックの物理的トリック(「天狗」トリックのアレンジという見方もあるかも)と、「最長不倒距離」のスキーのアイデアを加えたもの。料理法はいかにも新本格、といった感じだが、その動機をあの辺に求めているのが、はやみねミステリらしくて好感が持てる。
長編は、ストーリーの基本が「幽霊列車」。伏線まで同じなので、仕掛けはかなり見易いが、この長編では、この事件を被害者側が狙われる理由として取り入れていて、これに気付いても、そのまま謎の本質には辿り着かないようになっている。その上で、細かいトリックをいくつも織り込んで(といっても、密室からの人間消失とか空中を歩行する人影とか、一つ一つはそれなりに派手だ)事件に複雑な様相を加えている。また、犯人から提出された心理試験に重要な意味を持たせている点など、細かい所まで目を配った構成である。更に、冒頭の中編の存在自体が、一つのミスディレクションになっていることなど、かなりよく考えられたものだと思う。「斜め屋敷」を思い出させるような家の謎を、単なるエピソードとして提示しているのも、ちょっとばかりお洒落である。残念なのは、一つの機械トリックに無理を感じることと、わざわざ未解決のまま残した謎の存在だろうか。割り切ってしまっても、それ程不都合はなかったと思うのだが。また、事件の動機が“復讐”であるのも、はやみねミステリらしくなくて、少しだけ気になった。
あと、忘れてならないのが、真ん中の掌編。前後の中長編とは直接関係ない内容なのだが、何気ない謎解きを行って、いい後味を出している。こんな単純な解決でいいのかと思いながらも、読む者を楽しくさせているなら、やはりこれは成功しているのだろう。
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