謎宮会 1997/8

自己中心的毒書日記 −1997.8−

浅井 秀明


 8月といえば帰省。私も帰省しました。帰省先での楽しみは旧友との酒と、おいしい食べ物(ああ、また太る)と、部屋に置いてある懐かしい本の数々と古いカセットテープ(CDじゃないところがいいんだよね)。帰ったら必ず読むのはわかつきめぐみ。何回読んでも面白く、そしてほんわかとさせてくれる。最近、『So What』が白泉社文庫から出ているけれど、これは特に読んでほしい作品。疲れたときに読むと、何故かホッとしてしまう。他には『黄昏時鼎談』『ご近所の博物誌』(どちらも白泉社)もお薦め。まあ、全作読んでほしいんだけれども。旧作もいいけれど、新作も書いてほしいんだよね。何で自分が好きになる漫画家って、寡作の人や未完が多い人ばかりなんだろう(高河ゆんとか、真東砂波とか、紫堂恭子とか)。
 懐かしいと言えば、最近買った「THE POPCON」のCDにはまっている。やっぱりこの頃の音楽はいい。別に今の音楽が悪いとかひどいとかを言うつもりはない(みんながあれだけ嫌っている小室系も好きだし)。ただ、あのころに聴いた歌は今でも口ずさめるし、心に響く。
 と、昔の音楽や漫画、それに小説にはまっていた分、新刊はほとんど読んでいない。しかし、それ以上にミステリを読まなかった理由がある。永山則夫死刑囚への死刑執行である。


○月○日 飯嶋和一『神無き月十番目の夜』(河出書房新社)。舞台は徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍になる前の1602年。場所は常陸国の北にある山里の村、小生瀬。そこで村の人がほとんど虐殺されたその真実とは……といった時代小説。本屋で「第二の京極か?」なんて書かれていたので思わず手に取ってみたが、少なくともミステリではない。
 戦国の時代から江戸の封建身分社会制度の時代へと移り変わる狭間での、一つの農村の物語である。といっても、この村の農民は江戸時代の完全分業制とは違い、戦があれば農民から兵民に切り替わり、それがために年貢も兵役の分緩やかであった。しかし、完全支配による平和社会にはそんな存在は無用。当然彼らにも決まり通りの、生かさず殺さずといった年貢の取り立てが押し寄せてくる。見方によっては時代へ抵抗した者たちのドラマとも取れるし、自由を奪われる事への最後のあがきにも取れる。設定は面白いのだが、訴えてくるものは少ない。構成力は買うんだけれども……といったところか。★★★。


○月○日 今頃読む帚木蓬生『臓器農場』(新潮文庫)。「臓器移植」をテーマにしたヒューマン・ミステリ。ここでメインとなるのは「無脳症児」。その名の通り、生まれてくるときに「脳」が無い新生児である。通常だとレントゲン等でわかるので妊娠数ヶ月で堕胎するし、もし生まれたとしても「脳」がないのだから生き続けることは難しい。主人公の看護婦が偶然「無脳症児」を耳にし、その真相を探ろうとすると協力者である医者、友人である看護婦が死に、そして主人公にも魔の手が迫る。
 多分「臓器移植」と「無脳児症」、そしてタイトルの「臓器農場」から“真相”は簡単にわかると思う。もちろん“真相”はあくまで題材であり、それを取り巻く人間模様と医学の狂気を主眼とした作品であり、最後の方がドタバタしたのがやや難であるが、面白い作品であった(★★★☆)。ただ、ここからは個人的な意見であるが、この“真相”、私は悪いこととは思えないのである(もちろん、法律にはふれるかもしれないが)。動物だって、免疫のためなら病気にかかっている自分の仲間を食べてしまうんだよ。どんな生物にだって生きる権利があるとは思うけれど、どうせ生き続けるのが難しいなら、他の人に役立てた方がいいんじゃない。


○月○日 自分がミステリ好きになった理由は、小学館の雑誌の付録に付いていたミステリクイズ本がとても面白かったからだ。その後、様々な出版社のクイズ本を買いあさっていった。しかし、最近の子供がミステリ好きになる理由の一つは、やっぱり「金田一少年」や「コナン」なんだろうと思う。そのせいか、最近のミステリクイズ本も、昔の文章+イラストから漫画に変わっていった。まあ、大概の児童向け入門書も漫画になっているようですけれども。
 ということで、原作本間正夫 漫画夏木れい『少年名探偵 トキオのフシギ事件簿』(有紀書房)。まあ、たまたま売っていたから買ってみた程度の児童書であり、正直言ってお子さま向け。中学生のトキオが簡単に警察の捜査に入っていったりという不自然さは、この手の児童書じゃどうしようもないんだろうな。まあ、謎自体も今更という程度のものだし。別に目くじらを立てようとは思わないけれど、漫画になると文章物より問題数が少なくなるんだよね。その分、昔よりつまらなくなったんじゃないかと思う。


○月○日 最近興味のあるのは死刑問題。ここ1年、いろいろな本を買っているのだが、そのほとんどが死刑反対論者からの出版物。この2ヶ月間でも戸谷喜一『死刑執行の現場から』(恒友出版)や、『年報・死刑廃止97』(インパクト出版会)を読んだ。
 前者は元看守長で仙台、大阪の現場での体験を書いているのだが、その内容があまりにも古い(20年前ぐらいか)! 今現在と全く違うので読んでいてつまらないのだ。唯一面白かったのは、死刑囚が恩赦になって、そのときは悔悛の情を見せていたのに、無期懲役囚になると途端に不良懲役囚になってしまったところだ。所詮人間、喉元過ぎれば熱さ忘れるといったところか。
 後者は1996年度の死刑反対フォーラムや死刑存置派と反対派のフォーラム、それに現在の死刑者数や執行状況など詳しく載っているので、死刑問題に興味ある方はお買い得かも知れない。
 しかし、結構いろいろな本を読んでいるのだが、私は死刑存値派。はっきり言って、死刑反対派の主張には納得いかないところが多い。ここはそれをいう場所ではないのでどこが納得いかないかを書く気はないが、いずれ場所を変えて書いてみたい問題である。
 と色々と読んでいたところへ、永山則夫死刑囚への死刑執行のニュースを聞き、読み始めたのが佐木隆三『死刑囚 永山則夫』(講談社文庫)。事件を起こすところから最高裁死刑判決が出るところまでのノンフィクション・ノベル。これを読む限りでは、永山則夫という男は実に頭が良い誇大妄想狂というイメージを受ける。『無知の涙』も『木橋』も読んでいないので分からないが、文学的才能の方も相当の物なのだろう。しかし、本人の才能と犯罪は別。“殺人”という行為が悪い行為であることは、周囲の人間環境に影響されない、動物が持つ本能と思う。よって、これだけの事件を起こせば死刑になるのは当たり前。佐木隆三は、どちらかに偏ることなくノンフィクション・ノベルを書いてくれるので好き。★★★★。
 死刑執行の後、色々な新聞を読んでいたけれども、「死刑が執行されて残念だ」という声ばかり(東スポは違っていたけれど)。どうもみんな、“人権”という言葉を拡大解釈しているような気がしてならない。犯罪に対する応報という概念は、そんなに残酷なことかね。


○月○日 最近、眼鏡をかけるようになったのだが、これがどうも気持ちが悪い。なんだか、フィルター越しで世の中を見ている気がする。もっとも、こんな世の中だから、フィルター越しでないと見る気にならないか。だから最近、眼鏡をかけた人が多いのかも知れない。


to be continued.

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