謎宮会 1997/10

母さん、あの青い眼の探偵、どうしたでせうね――
  ――私立探偵左文字進シリーズを読む――

葉山 響

 左文字進の名前をご存じだろうか。『消えた巨人軍』で開始され、『華麗なる誘拐』『ゼロ計画を阻止せよ』『盗まれた都市』を経て、『黄金番組殺人事件』で残念ながら執筆が途絶えた日米ハーフの私立探偵・左文字進のシリーズは、その知名度及び作品数では西村京太郎のもう一つのシリーズ・キャラクター十津川警部と比ぶべくもないが、しかしこのシリーズはストーリーの面白さでは十津川シリーズに全く引けをとらない。特に評価の高い十津川シリーズの初期作品(『赤い帆船』『消えたタンカー』『炎の墓標』『寝台特急殺人事件』『終着駅殺人事件』など)と比べてみても同じことが言える。また、このシリーズは総合的に見ても実に異色のシリーズだったと思うのである。

先程も述べたとおり、私立探偵・左文字進の活躍譚は五作しか書かれなかった。が、このシリーズは埋もれさせてしまうには惜しい面白さに加え、ある特殊な特質を備えている。それは全ての作品が誘拐ものである(第四作『盗まれた都市』のみ違う)という点だ。左文字シリーズが僅か五作品で終了した原因は、このシリーズが同時期に書き進められていた十津川警部シリーズの人気に圧倒されてしまったため、活躍の機会を失ったこともその理由の一つだと思われるのだが、その他にも、このシリーズの方向性自体がシリーズの長期化を妨げたとも考えられる。このシリーズはそれだけの特徴を持った、異色のシリーズだった。誘拐ものばかりであるという点がなぜ異色に感じられるのか疑問を持つ方もおられるかもしれないが、身代金の受渡しや犯人の設定など誘拐ものは決まりきったプロットに陥りがちで、新しいアイデアを思いつくのはなかなか難しい。だから一作だけならばともかく、一人の作家が続けて何作も誘拐ものを書くのは至難の業と言われ、そのハードルを越えて誘拐ミステリに何作も挑んだ作家は笹沢左保や〈人さらいの岡嶋〉と異名をとった岡嶋二人、そして西村京太郎くらいしか思いつかない。左文字シリーズは、その難しい誘拐ものばかりで占められた作品群なのだ。いかに異色のことであるかがお判りいただけると思う。

 では西村京太郎が誘拐ものに注ぎ入れた新機軸とは何か――どの誘拐も、思いきりスケールが馬鹿でかいのである。西村は左文字に普通の誘拐事件を扱わせず、最初は誰でも知っている巨人軍を誘拐してみせ、次の『華麗なる誘拐』では日本国民全員を誘拐、第三作『ゼロ計画を阻止せよ』では内閣総理大臣、最終作では大人気番組のレギュラー俳優五人をスタジオから誘拐してみせた。そして肝心の内容のほうも、誘拐のスケールに負けることなく非常に思い切った展開を用意している。読者を飽きさせない筆力は流石である。

 第一の作品『消えた巨人軍』は、新幹線で大阪に向かったはずの巨人軍選手団/長嶋監督以下三十七人の選手全員が大阪に着くまでに全員消滅してしまうという思い切ったプロットを用意している。犯人は三十七人もの屈強なスポーツマンたちの誘拐にどうやって成功したのか?という謎に始まり、巧みに話を転がしつつ終局まで一気に持っていくところは手慣れたものだ。しかしこの作品、実はシリーズの中では一番つまらない。シリーズは順を追って読むべき、という不文律には全く賛成なのだが、しかしこのシリーズについては第一作からは手を着けないほうが良いと思う。『華麗なる誘拐』或いは『ゼロ計画を阻止せよ』あたりから入り、シリーズの面白さを知ってから読み始めることをお薦めしたい。

 ところで、誘拐されるのが巨人軍であるというところはいかにも西村らしい。もし他の作家が、野球選手たちを誘拐するというアイデアを使ってミステリを書くとすれば、まず架空の球団を生み出した上でその選手たちを誘拐し、そして誘拐された選手やその家族たちの心理描写などを書き込みながらストーリーを進めるという構成をとると思う。しかし西村は心理描写や人間模様の描写は敢えてばっさりと切り捨てて、「巨人軍の誘拐」というひたすら派手なインパクトを読者にぶつけた上で、細かく早い場面切替えと意外な展開で一気に読ませてしまう。〈じっくりと〉ではなく〈スピーディー〉に。ここにも彼らしい特質があると思うがどうだろうか。ちなみにこの手法はのちに最終作『黄金番組殺人事件』でもう一度使用されている。

 第二作品『華麗なる誘拐』では一層スケールが大きくなり、なんと日本国民及び日本領土にいる外国人全員が誘拐されてしまう。別に日本国民全員をどこかに監禁するわけではなく、ここで描かれるのはあくまで観念上の誘拐なのだが、このアイデアを思いついた柔軟な発想は素晴らしい。ある日総理のもとに一本の電話が入る。「私たちは日本国民全員を誘拐した。身代金を払わなければ人質を殺す」そして犯人たちは無差別に犠牲者を選んで殺人を犯し、総理に身代金を払うよう迫るのである。そして支払いが遅れたとして、今度は飛行機に爆弾を仕掛けて百人以上を殺害してしまう。犯人グループはどうやって五千億円もの身代金を取得するつもりか、そして左文字は犯人グループの正体をどうやって掴むのか? 身代金を取得するため飛行機まで墜としてしまうストーリーの展開も凄いが、身代金奪取の方法も実に意表を突いたもので、作品全体が奇想に富んでいる。そして後半、犯人に向けて左文字が放つ「計画が成功すればするほど、彼らの破滅も近づいている」という言葉の意味、犯人にかける罠の設定も堂に入ったものである。……多少褒めすぎているような気もするし、実際にはここまで巧く犯行計画は進まないだろうと思いつつも、良くできていることは確かであると思うし、まさにシリーズを代表する作品だと言えるだろう。

 第三作『ゼロ計画を阻止せよ』は、個人的にはシリーズ中最も興味深く読んだ作品である。左文字夫人・史子は街頭で刺された男の口から「ゼロ計画」という最後の言葉を聞く。左文字夫婦と矢部警部は「ゼロ計画」とは何かを推理するのだが(「ゼロ計画」とは何かを机上推理する導入部の展開がなかなか面白い)、それによって明らかになったゼロ計画とは何だったのか? 今度のテーマは〈首相誘拐〉であり、ストーリーの進行とともに「ゼロ計画」の真の姿が二転三転していくところが非常に面白い。意表を突いた方向にねじれていくプロット、繰り返されるどんでん返しが見事な秀作と言えるだろう。しかしこの作品、実はそれだけで終わる話ではない。

 第三作『ゼロ計画を阻止せよ』とこのあとの『盗まれた都市』は、対になる作品と言うことができる。この二作では、犯行を計画した真の組織は逮捕されない。逮捕もされず壊滅もせず、なんとその正体さえ明かされることなく作品は終わりを迎えるのである(そしてこの二作は非常にシミュレーション小説の色彩が濃厚である)。しかし、だからといってこの趣向がミステリのプロットを破綻させてしまっているかというと、決してそんなことはない。作者は組織の正体を明かす代わりに、意外な計画の全容を用意したり、あるいはどんでん返しを幾度も仕掛けることによってミステリとして中途半端な出来になることを防いでいる。そして、そちらの仕掛けで読者のミステリ的興味を保ちつつ、組織の正体を明かさずに終わることで茫洋とした恐怖感を残し、作品の外までその感覚を持続させるのである。その狙いがこの二つの作品を、更に印象深いものにしていると思う。

 第四作『盗まれた都市』は唯一誘拐から離れた作品であるが、作品の異色度はますます深まっていく。この作品では、突然ある都市が〈反東京主義〉に染まっていくというSF仕立てのようなプロットが展開される。外界からの情報を遮断して一地方都市が帝国化するという現実離れしたプロットは非常に無理があると言わざるを得ないが、しかし簡単に煽動され、やがては自らの意志で暴走していく住民たちの怖さや、情報操作によってファシズムの悪夢が再現されてゆく恐怖を鮮やかに描き出すことに成功している(情報操作の恐怖を扱った点では、本年度江戸川乱歩賞受賞作・野沢尚『破線のマリス』に先行している)。この作品は、大変危険な状況に置かれているにもかかわらず左文字の捜査が遊戯的に感じられてしまうなどの欠点も見受けられるのだが、それでもそれらの欠点に目をつぶりつつ面白く読み終えてしまうのだ。無理なプロットであることを充分に承知させながらも、それでも最後まで読者の興味を手放すことなく一気に読み終えさせてしまうその腕力には脱帽である。プロットの不安定さがかえってストーリーテリングの手腕を浮かび上がらせた力作。そしてこの作品、誘拐ものではないと書いたが、情報操作によって地方都市全体が犯人に操られるこの犯罪も、住民たちの精神を一種の非日常空間に連れ去った一種の誘拐ものと言えるかもしれない。ちなみに徳間文庫版の解説は連城三紀彦が執筆している。

 そして最終話の第五作『黄金番組殺人事件』は、再び正当な誘拐ミステリに還った作品。左文字は、たまたま出会ったテレビのプロデューサーから番組出演の依頼を受ける。その番組はゴールデンタイムに放送されている超人気バラエティー番組〈ザ・リクエストタイム〉だった。返事を迷っていた左文字のもとへ〈番組に出演すれば、お前を殺す〉という脅迫状が送られてくる。そして数日後、レギュラー俳優五人が同時にスタジオから姿を消してしまった――

 この作品では、とりわけ左文字の行動は不可解に見える。なぜ左文字が、誘拐された五人が揃って写っている写真を見たがるのか、そしてその写真を見た結果なぜいきなり遠く離れたフィリピンのセブ島に調査に出掛けてしまうのか、その理由は後半になるまで明かされないが、初めは突飛にしか思えなかった左文字の行動が、理由を明かされると充分に納得できるものであったというあたり、巧いと思う。本格ミステリではないので犯人を途中で見破ることは不可能だろうが、サスペンス・ミステリとしての筆づかいは老巧の域に達している。――しかし、この作品では臨場感を出すためなのか、当時の有名芸能人の名前をずらりと並べており、それが今となっては古めかしい感が拭えず、徒に作品を古びさせているのが残念である。実在する芸能人(和田アキ子、森繁久弥)と左文字が会話するシーンも違和感を感じてしまうし、実在人物の名前を作品内に登場させて臨場感を高める手法は(一部の作品を除いて)、私はあまり賛成ではない。

 『黄金番組殺人事件』は、シリーズの中では最もまともな誘拐ものであり、内容のほうも誘拐ミステリとして最も普通の展開を辿る。そしてこの作品を最後に左文字シリーズは書かれなくなる。それはもはや奇抜な誘拐ミステリの設定を思いつけなくなったことの証左なのだろう。しかしそれだからこそ、それまでに書かれた五作品は西村京太郎が極限まで誘拐ミステリに挑んだ力作群だと言えるのだ。西村京太郎はトラベル・ミステリばかりではない。お時間がありましたら、こちらのほうも是非!

 ――と、ここまで真面目に書いてきたけれど、左文字進はけっこういい加減なキャラクターだったとも言えるのだ。黒髪で青い目を持つハーフで美形、アメリカで私立探偵のライセンスを取得し、大学では犯罪心理学を学んでいて、更にアメリカで弁護士の資格を取っていたことが途中でいきなり明らかになり(第四作)、おまけに大学に通っていた頃は仲間とテネシー・ウィリアムズの芝居を公演した演劇青年だそうで(第五作)、そして彼は神の如き洞察力で事件をどんどん解決するのだ。……はっきり言おう。そんな奴絶対おらんぞ(笑)。案外このシリーズを止めた最大の原因は、実はここにあったりして。

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謎宮会 webmaster:meikyu@rubycolor.org(高橋)

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