謎宮会 1997/10

私の好きな、西村ミステリー

北本 久喜

 西村京太郎のミステリーは、はっきり2つに分けられるだろう。鉄道モノを中心としたトラベル・ミステリーとそれ以外のものにである。“私の好きな”というと、話は後者にほぼ限定される訳だけれど、話の順序として、トラベル・ミステリーについての私見から触れていこう。

 明らかに、西村は鉄道ファンではない。というか、鮎川哲也にしても、津村秀介にしても、鉄道ミステリーと言われるものを数多く書いている人に、本当の鉄道ファンはいないのではないかとさえ、私は内心思っている。何故なら、本当に鉄道が好きなら、どうしても自分で枠をはめてしまう(自分の納得した形でしか鉄道を書けない)ことになる筈であり、そんなことを考えていては次々に小説を書くことなど出来る訳もないからだ。(鉄道ファンと覚しき)辻 真先や天城 一の発表ペースが、そのことをよく物語っていると思う。もちろん、西村にしても鮎川にしても、旅行は好きなのだろうと思うが、鉄道ミステリーの名手、と言われると戸惑うこともあったに違いない。
 だから、「寝台特急殺人事件」に始まる一連の鉄道ミステリーが読者にうけて、次々と書く羽目になった時、内心困ったことになった、と西村は思ったことだろう。慌てて鉄道の本を読み漁って、ミステリーに使えそうなネタを拾って来ては、自転車操業で仕上げては発表していたのではないか、と思われる。それが証拠に、西村がトリックに使ったものの多くは、鉄道ファン向けの本ではよく見かける情報なのだ。流石に最近では“鉄道”のシバリが薄くなり、地方を舞台にした旅情ミステリー傾向のものが多くなったようだが、あるいはこれは、ネタ切れの証明に過ぎないのかも知れない。

 それでも、ネタ切れの問題を別にしても、「寝台特急殺人事件」や、「夜間飛行殺人事件」、「終着駅殺人事件」あたりまでの初期旅行ミステリーは、かなり面白いと思う。この頃は、特に鉄道ミステリーを期待されていた訳ではなく、ただ目先の変わったものを書きたい、という西村の意向が優先されていたせいだろうか。鉄道関連の描写に必要以上にこだわることもなく、それまでの長編での西村の持ち味だった社会派的な味わいもかなり残されているのである。従って、全体としてのバランスも良く、鉄道ファンでも鉄道嫌いでも、それほど違和感なく作品世界に入って行けるだろう。
 敢えてこれ以降の鉄道ミステリから私の一番好きなものを選ぶと、「ミステリー列車が消えた」になるだろうか。西村作品によくあるケースで、この小説でも鉄道関連の記述に無理が目立つ部分が散見されるが、誘拐モノ特有のサスペンスと、鉄道施設を効果的に散らした追跡行(降車駅の設定は、分かってはいても、うまく作ったな、と思わせる)とがマッチして、一気に読ませるものがある。最後の、社会派の名残を思わせるオチはあんまりだとは思うが。

 で、話は戻って、初期ミステリーである。好きな長編なら、無条件で「四つの終止符」を挙げる(処女長編で、乱歩賞を受賞した「天使の傷痕」と同じ路線の社会派ミステリーなのだが、無冠のせいか「天使の傷痕」ほど話題にならないのが不思議である。謎の骨格は弱いかも知れないが、主人公の少年をめぐる物語は、その弱点を補って余りあると思うのだが)ことから分かるかも知れないが、私は、西村は本質的に本格派の作家ではなく、サスペンスに実力の出る作家だと思っている。双生児をトリックに使っている「殺しの双曲線」にしても、読者への挑戦を謳いながらも、実際は“双生児が何らかの行動を行って いる”ことが生み出すサスペンスがやりたかったんではないか、と勘繰ってしまう程である。今では西村ミステリーの代名詞になっている十津川省三にしても、本格的な活動を始めるのは「寝台特急殺人事件」以降であり、それまでは殆ど活躍の場を与えられていなかった絳緡△鬚えせば、十津川が必要な小説を、西村が余り書かなかった証明ではなかろうか?

 その辺を、より端的に示してくれるのが、初期の短編群だろうか。
 昭和36年の短編デビューから、作品の殆どが鉄道ミステリーになる直前の昭和56年(「寝台特急殺人事件」の上梓は昭和53年10月。鉄道ミステリー短編の第1作「新婚旅行殺人事件」の発表は昭和56年3月で、この年はまだ普通のミステリーの発表も散見されるが、講談社での長編鉄道ミステリー第1作となる「特急さくら殺人事件」の雑誌連載が始まった昭和57年3月以降は、短編もほぼすべてが鉄道ミステリになった)まで、約20年の間に西村が発表した短編は、180編余りになる。このうちの8割以上は、現在ではいずれかの短編集に収められている(尤も、その短編集の大半は、西村がブレイク した昭和56年以降にまとめられたもので、それ以前の発行は「南神威島」「一千万人誘拐計画」「11の迷路」の3冊しかない。鉄道モノでのブレイクがなければ、西村短編の殆どが闇に埋もれたのは間違いないところだ)訳だが、それらの作品群の紹介文を見れば分かる通り、殆どがサスペンス系のものばかりで、奇妙な味の短編や、純文学色が濃いものはあるが、本格謎解きを前面に出したものは余り見られない。昭和55年以前の3冊を見ても、同人誌『大衆文芸』に発表した短編群を自費出版した「南神威島」にせよ、長編「華麗なる誘拐」のオリジナルバージョンを表題作とする「一千万人誘拐計画」にせよ、とても本格派の著す短編集とは言いにくい。というより、本格短編は殆ど書いていないというのが正解だろう。

 これだけ増えてきた西村の短編集なのだが、そこに一つ大きな不思議がある。歴代の受賞作が殆ど収録されていないのだ。旧宝石の短編コンテストに採用されたデビュー短編である「黒の記憶」も、オール読物推理小説新人賞を受賞した「歪んだ朝」も、いずれも短編集には未収録である。普通なら、(知名度を考えても)表題作になっても不思議はないと思われるのに、スッポリ抜け落ちている。それでも「歪んだ朝」の方は、オール読物推理小説新人賞受賞作を集めたアンソロジーで読むことが出来るが、「黒の記憶」については、一度雑誌に再録されただけで、またすぐ読めなくなってしまった。同様に、こちらも 一つのエポック・メイキングとなった筈の、エラリー・クイーンのお眼鏡にかなって彼が編集した「日本傑作推理12選(機法廚房められた「優しい脅迫者」も、まだ短編集には収められていない。そして、私の一番のお気に入りが、この「優しい脅迫者」なのである。(ちなみに、(供砲房められた西村短編の「柴田巡査の奇妙なアルバイト」は「午後の脅迫者」に収められている。アンソロジーで読めるから短編集に入れない、という姿勢がある訳ではなさそうだが)

 理髪店を営む男の前に客として現れた中年の男が、轢き逃げをネタに店主を脅迫する。男は、エスカレートする脅迫の一方で、道路に飛び出した幼児を助ける、という矛盾した行動をとる。店主は男から逃げるために引っ越しをするが、執念深く現れる脅迫者。自分をなくした店主は剃刀で男ののどを掻き切るが、そこで男は不思議な最期の一言を残す。この男の正体は……。
 一言でいってしまうと、ワンアイデアに支えられた、ショートストーリーである。原稿用紙で50枚程度、という長さのせいか、サスペンスを盛り上げるには書き込みが足りない、という見方もあるだろう。会話が多く、地の文が短いせいか、ただでさえ淡白な西村独特の文体が、更にその印象を増している気もする。出来るなら、せめて中編程度の分量でまとめてもらえれば、よりサスペンスに溢れた展開が期待できたように思う。主要登場人物の二人についても、もう少し描写できたのではなかろうか――。
 しかし、そういった欠点を承知の上で、アイデアの面白さを採りたい。勘の良い人にはエンディングの予想がつくかも知れないが、それでもラストの手紙が残す余韻に、西村の持ち味(初期長編での人間描写と一脈通じるもの)は伺えると思う。私自身、TVドラマ化されたものを先に見てしまったせいで、本来行間から読み取るべきいくつかの情景を容易にイメージしてしまえたため、一層エンディングに感動してしまった面はあるかも知れないが、逆に言えば、そういった描かれていない世界まで想像することで、自分なりの読み方が可能であることを示しているともいえるだろう。そんな補い方を楽しむに絶好なテ キストなのである。
(なお、この短編は、推理作家協会が編んだアンソロジー「礼遇の資格」にも収められている。そういう意味では、文句なしの初期短編での代表作、と呼べるのかも知れない)

 繰り返して言う。西村京太郎は、サスペンス派の作家である。鉄道ミステリしか知らない人は、是非一度、初期の長短編を読んでみてもらえれば、と思う。

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