謎宮会 1997/10

ダイアモンド・サンダーボルト

−ハードボイルドへの招待席−

第3回 LOVE MINUS ZERO

森高 有紀


 かつて『甲斐バンド』というロックバンドがいた。彼らのLP(懐かしい響だ)のプ ロモーションのために、本が作られた。
 それが、この「LOVE MINUS ZERO」で ある。
 多くを語らず、仲間に対しては気づかいをみせ、世の中の曲がったこと に牙を剥き...、そんなハードボイルドなバンドの新譜「LOVE MINUS ZERO」の為 に、収録曲名と同じタイトルをつけたこの短編集はできた。
 この短編集に作品 を提供した作家達は、現在ではより一層はばたいているハードボイルドの先鋭ばかり である。

 北方謙三、大沢在昌、船戸与一(文士劇でも大活躍だった)や、亀和田武、鏡明、 夏文彦、西木正明、森詠、内山安雄、の9人によるアンソロジーである。
 まさ に男の世界である。研ぎ澄まされた文体は、余分なものを削ぎ落としたボクサーの様 な切れ味を思わせる。 ミッキー・スピレーンのような病んだハードボイルドでもな く、ロバート・B・パーカーのように、流暢に流れるような、ハードボイルドでもな い。まさに、日本の戦国武士を思わせるような、ハードボイルドである。

 それ ぞれに個性あふれた、自分のハードボイルドを表現しているが、ミステリファンに、 一読して欲しい作品は、鏡明の「フェアリー(完全犯罪)」である。
 カリフォ ルニアの探偵の物語ではあるが、最後の結末の恐ろしさ。ロス・マクドナルドの「さ むけ」に通じる恐ろしさがある。
 本格推理小説としては、確かにこの作品は物 足りないが、ハードボイルド作品の全てに対して、本格物を期待するのは、間違いで ある。ハードボイルド作品は、推理小説のジャンルの一つではあるが、全てが合理的 に解決が行われるとは限らない。ハードボイルド作品が、いい加減というのでは無く 、あくまで伏線を意識して作られているか、いないかということである。
 そし て、またハードボイルドが、単なる暴力小説と思われていることも、かなり違うので はないだろうか。

 ハードボイルド小説は、己の内面を探す小説であると思う。 いかに、自分という人間を肯定して生きて行くか。それが、主人公の、または相手の 女性や脇役たちによって表現される。
 特に、現代では自分というものが見失い やすく、また自分を肯定しにくく、他人に(流行にも)流されて行くことが簡単であ るために、より簡単に生きようとする。
 ところが、ハードボイルド小説の人物 達は、自分という人間をぎりぎりのところに身を置くことにより、自己を確立し肯定 しようとする。生きている実感を味わおうとして、身体を痛めつけるような暴力に走 るといってもいいかもしれない。
 この短編集には、そんな男と女が描かれてい る。

 たとえば、私の好きな作家の一人、北方謙三の「LOVE MINUS ZERO ―風と 女―」もそんな物語だ。
 生きていることと、生き抜くことの違いが、描かれて いる。
 過去では生き抜いていた人物が、現在では一見生きているだけのように 見えたりする。周りから見えている状況だけでは、その人物が生き抜いているのか、 ただ生きているのかは、分からない。
 現在がただ生きているように見えている 人物も、生き抜いているのかもしれない。それは、自ら行動しているか、否かで決ま るものでは無いからだ。
 世の中に反発して、生きていくことが生き抜いている ことではないし、ただ風のように生きていることが、生き抜いていないと断言するこ ともできない。
 自分が他人に屈せずに生きること。それが、生き抜くことでは ないだろうか。

 大沢在昌の「デット・ライン」の主人公も、以前は確実に生き 抜いていた人物だ。その頃の知り合いからすれば、現在の主人公は生き抜いていない というのだろう。ただ、主人公にとっては、きっと今のほうが生きている実感がある ように思える。
 生と死に向き合わなければ、生きている実感が湧かないという のは、それは単に世の中に、マヒしているだけだろう。この主人公は、決して生と死 に毎日向き合ってはいない。しかし、他人を思いやることのできる余裕が、彼にはあ る。
 生きるということには、他人との係わり合いが必要だ。“生き抜いてやる ”といきまく、そんなチンピラには、他人を思いやることはできないだろう。
  “生き抜こう”と思わずとも、生き流されていない人物というものは、自分を持って いる。だから他人を思いやれるのだ。生き抜くとは、世の中と他人と自分と、それぞ れの係わり合いから生まれてくるものだからだ。
 そうはいっても、この世の中 にはチンピラのまま死んでいく者もいる。船戸与一の「キラー・ストリート」や内山 安雄の「TRY」の登場人物などだ。決して、参考にしたくない生きかただ。

 生き 抜くこと、駆け抜けること。それが、周囲からみたときに、単に格好つけただけなの か、しっかり地に足をつけて駆け抜けたのかで、本来のハードボイルドのかっこよさ が表現されるのだろう。『しょせん暴力小説だ』と決めつけて読んでいる人間は、結 局何を読んでも、暴力しか目に入らない。暴力が嫌いだからなのか、好きだからか、 それはわからない。しかし、生き抜くこと、駆け抜けることを表現するためには、暴 力...というよりは、痛みを知らなければ表現はできないであろう。肉体的なもの なのか、心理的なものなのか、は問いはしないが。

 ハードボイルドとは、痛み を感じる小説だ。

 「LOVE MINUS ZERO」でさまざまな痛みを是非感じて欲しい。

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