謎宮会 1997/10
新田 康
去る平成9年9月27日(土)、日本推理作家協会50周年記念の文士劇『ぼくらの愛した二十面相』が上演された。会場は東京・有楽町よみうりホール。
何しろ今回は、最初からアテが外れてしまった。チケットの発売日は8月1日(金)。平日だったため、「会社の昼休みにチケットぴあに電話するの、面倒くさいなあ」と思った僕は、翌日土曜日にノコノコと横浜ルミネのチケットぴあに、出かけることにしたのだが、これが大失敗。コンサートのチケットを買うときは急いで予約の電話を入れる僕も、まさか文士劇のチケットが発売日に完売するとは全く予想できず、翌日でも、余裕で買えるだろうと、たかを括ってしまったのだ。あとで聞いたら、1,100席がなんとたった5分で完売したとのこと。SMAPもまっつあおである。
翌日の土曜日にノコノコとチケットぴあに出かけた僕が、店頭のおねーさんから何と言われたか、いうまでもないだろう。慌てた僕は、チケット・セゾン、日本推理作家協会、よみうりホールと電話をかけまくったが、既に手遅れ。がっくりである。僕と同じメにあった人、沢山いるんだろうなあ。そんな人は今これを読みながら、「そーだったんだよー」と力強く頷いているに違いない。
「仕方ないや」と、もう劇を観に行くことは諦めていたのだが、幸運にも日本推理作家協会に所属している方からチケットを一枚いただいたので、観に行けることとなった。ほんとラッキー。多少なりともコネがあったから、チケットが手に入ったようなものである。観に行けない人に悪いなあと思いつつも嬉しい。
しかし考えてみれば、当代人気の作家が一挙に42名も出演する劇なのだ。こんな機会は二度とないと見るべきだろう。熱心なファンであれば、遠い地方からでも、少々無理をして駆けつけてくるかもしれない。本公演のチケットは、最初からプレミア・チケットとなることが、運命づけられていたといえるのである。
公演当日。田中成穂さん、鎌田昌一さんと神田の三省堂書店で待ち合わせて、会場のよみうりホールに向かう。開場1時間半前の16:30に到着すると、入り口で整理券を渡された。僕の整理券番号は309。つまり僕の前に、既に308人ものお客さんが、ここに来ていたことになる。「みんな気合い入ってるなあ」「昨日の晩からの泊まり組も、いるんじゃないの?」と話していたら、僕らのすぐ後の人で整理券の発行はおしまい。僕らはギリギリのところで、間にあった訳だ。
何しろ指定席なし、全席自由である。この後は、本当の意味でのサバイバル・レース、早く並んだ順ということになる。整理券の発行も当日急に決まったらしく、そんなところからも文士劇の反響の大きさに対する推理作家協会側の戸惑いが見え隠れしているような気がした。文字通り、嬉しい誤算というやつだろう。渡された整理券も真っ白な台紙に、「日本推理作家協会」のハンコと、ナンバリングで番号が押されただけのシンプルなもの。まあ、デザインを凝りまくった整理券なんてのも、普通ないだろうが。
とりとめのない話しをしている僕らの横を、時々、見覚えのある顔が通り過ぎていく。評論家の中島河太郎氏、作家の折原一氏、マンガ家の喜国雅彦氏、翻訳家の大森望氏……。東京創元社の戸川安宣氏の顔も見える。「会場の前で会いましょう」と言っていた廣澤吉泰さんは、なかなか来ない。「遅いなあ」とボヤいていたら、広島の短大の先生である光原百合さんと、ライターの福井健太さんが到着。次いで廣澤さんも到着。ところがなんと光原さん、チケットを広島に置き忘れてきたとおっしゃる。僕らもどうしてよいか分からず、「係員の人に事情を話して、入れてもらったらどうですか」ぐらいのことしか言えない。「いやあ、劇を観られないのは仕方ないんですが、浅羽(莢子)さんに一言謝っておかないとねえ」と光原さん、いつもの笑顔を崩していないが、心の中ではさめざめ泣いていたことだろう。しかし、劇が終わった後で訊いてみたら、ちゃんと会場に入れたとのことで、ほっとひと安心した。
また思いがけなく、創元推理倶楽部東京分科会のメンバーである中村有希さん、笠井みちるさんが連れ立ってやってきた。文士劇を観に行くとは聞いていなかったので、驚いて「チケット手に入ったの?」と訊いたら、さる筋から、ある交換条件で(と書くと、えらく怪しいな)チケットを手に入れたとのこと。
そうこうしているうちに、「整理券をお持ちの方も並んで下さい」とのおふれが出て、僕らも列に並ぶこととなった。もう既に整理券を持たない組の列は長く、階段のずーっと下の方まで続いている。念のために説明しておくと、会場のよみうりホールは有楽町そごう百貨店の7階にある。我々、文士劇の観客の列は、百貨店の隅っこにある階段を下に向かって、ずーっと延びている訳だ。僕らは三百番代なので、列の最後尾の方である。階段を下りながら「こりゃヘタすると、一階まで行っちゃうんじゃないの」と冗談のつもりで話していたら、本当に一階までたどり着いてしまった。「おいおい、本当に着いちゃったよー」とキャッキャはしゃいでいる僕らに、「何だこいつら」と言いたげな視線をサングラスの奥からチラリと投げかけながら、生島治郎氏が横を通り過ぎてエレベーターに乗り込んでいった。
僕らの前に並んでいた和服姿のおばちゃんとお喋りしているうちに開場時間となり、列はゆっくりと動き出した。それにしても、建物の1階から7階までを足で一往復することになるとは思わなかった。動いては止まり、動いては止まりを繰り返し、やがて僕らも再び7階にたどり着いた。
ホールに入ると、入り口で「日本推理作家協会」のロゴの入った茶封筒を渡された。中身はパンフレットと、十二月に出版される文士劇の記録本の宣伝チラシ、そして文庫本が一冊。全ての封筒に、著者直筆サイン本が一冊ずつ入っていたのである。僕と鎌田さんの封筒には日下圭介氏の乱歩賞受賞作『蝶たちは今…』が、田中さんの封筒には花村萬月氏の『真夜中の犬』がそれぞれ入っていた。中には目立って膨れあがっている封筒を手にしている人もいる。あれはきっと京極夏彦氏の本が入っていたのだろう。「御祓い済」のハンコがポンと押された京極氏の本が。あるいは船戸与一氏の本だったのかもしれない。
またこの日は、劇団てぃんか〜べるのスタッフが、10月17日(金)〜19日(日)に行う公演『十二国記』のチラシを配布して、地道な宣伝活動を展開していた。こちらの公演日も間近に迫っており、こういう宣伝活動を見ても熱気が伝わってくる。頑張れ!
開演に先立ち、北方謙三日本推理作家協会理事長による舞台挨拶があり、併せて客席に座っていた中島河太郎、山村正夫、生島治郎、阿刀田高の歴代各理事長が紹介された。
さあ、いよいよ開演である。
『ぼくらの愛した二十面相』のストーリーは複雑だ。日本推理作家協会50周年記念の文士劇の稽古場が物語の舞台である。つまり、劇の中で劇を演じているという、入れ子構造のストーリーになっている訳だ。いかにも脚本の辻真先氏らしい、凝った設定のおはなしである。
42名もの出演者ひとりひとりに見せ場を作って、なおかつ一本筋の通った話にしなければならないのだから、脚本の辻氏は苦労されたことだろう。ヘンな人物(勿論、役柄の上では、ということである)が次から次へと登場するので、なかなか話の流れが読めないが、ラストには二重、三重のドンデン返しが用意され、見事一本筋の通った物語に仕上げることに成功している。
演じる作家の方々は、演技のうまい人と、そうでない人の差が大きく、そのアンバランスがまた面白かった。宮部みゆき、新井素子、浅羽莢子、真保裕一の各氏の演技は堂に入ったもので、舞台慣れしてるんじゃないかとさえ思わせるものがあった。また北村薫、黒川博行両氏とも、さすが元教師だけのことはあって声がよく通り、大勢の人に向かって喋り慣れているんだなあと感心させられた。声だけでなく、演技も堂に入ってたのは、文化祭や学芸会で鍛えられたものだろうか。
うまいとはいえないものの、実に味のある演技をしていたのが、北方謙三、大沢在昌、井沢元彦の各氏である。新保博久氏はこの三人とは違った意味で、いい味を出していた。キャットフードを手に、迷子の三毛猫ホームズを捜し回る、赤川次郎氏の素朴な演技もよい。
また出演者の中では最年長の、麓昌平氏の熱演も目を引いた。文字通りの熱演。複数の役柄を、それぞれ力いっぱいに演じていた。
京極夏彦氏はそこにいるだけで絵になる人だから、演技など下手でも構わないのではないかという気もするが、演技のほうもなかなかコミカルで上手だった。京極氏はやはり、優れたマルチタレントなんだなあとしみじみ感じる。
逢坂剛氏は小説の作風からは想像がつかない悪ノリぶりで、一杯ひっかけて舞台に立っているのではないかと勘ぐりたくなるほど楽しい演技(?)を見せていた。また、逢坂氏はフラメンコ・ギターの演奏、泡坂妻夫氏はマジックと、特技を持っている作家はそれぞれ見事な腕前を披露して、場内を唸らせた。
綾辻行人、山口雅也の両氏は、それぞれ半七、銭形平次と人気捕物帖の主人公に扮しての登場。ご自身の作品のキャラクターでないのがちょっと残念。しかしこの両氏、特に山口氏のちょんまげ姿なんて、今後二度と見られない大変貴重なものだといえよう。
他にも篠田節子氏の熱演(ひっくり返った拍子に、頭を床に強打した)や、映画版浅見光彦(誰のことだかお分かりですね?)登場のハプニング(計算されたものだが)、江戸川乱歩の歌う『城ケ島の雨』が会場に流れたこと等々、紹介したいエピソードは沢山あるが、キリがないのでこの辺にしておこう。大体この文士劇の模様はTV放映されたことでもあるし。但しNHKのBS放送なので、TVでご覧になれない方も多かっただろうが、そんな人は友達にビデオ録画を頼む等して、あとは皆さんご自身の目でお楽しみ頂きたい。
終演後ロビーに出たら、いきなりTVのインタビュアーにつかまってしまった。「劇はいかがでしたか?」「お好きな作家は?」等いくつかの質問を受ける。ふと後ろを振り返ると、田中さんも鎌田さんも僕からずりずりと離れていって、あらぬ方向に視線を投げたりなんかしている。俺たちまでインタビューされちゃ、かなわんと思っているのだろうが、その「私はこの人とは、なあんの関係もありませんよ」的な態度はないんじゃないの、と内心ちょっと傷ついてしまった。それにしてもこのインタビュー、TVで放送されたのだろうか?「フジテレビです」って言ってたけど。
ロビーで廣澤さんたち(東京創元社の伊藤詩穂子さんと、巽昌章さんの奥さんがメンバーに加わっている)と合流してダベっていると、やがて作家の方々がロビーにぞろぞろと出てきた。日頃一緒に遊んでいる浅羽莢子さんには創元推理倶楽部東京分科会から花束を贈ったが、楽屋には入れないということで、公演前に係の人に預かってもらっていた。「ひと言、挨拶だけでもできたらなあ」と思っていたので、これ幸いと浅羽さんが出てきたところをつかまえて挨拶する。浅羽さんは、花束も喜んでくれたが、それより中村有希さんからのプレゼント(木村拓也グッズの詰め合わせ)に感激した様子。「わたしが本当に求めているものを持ってきてくれた、その心遣いが嬉しい」とのこと。ここでも「恋する莢子」は健在である。
「辻真先さんは、今日はいらっしゃってるんですか?」と訊いたら、「そこにいらっしゃるわよ」。浅羽さんが指をさした方を見たら、確かに山村正夫氏や、東野圭吾氏らと談笑している辻真先さんの姿がある。最近ちょっとしたご縁から辻さんと手紙のやり取りをしている僕は、ひと言挨拶しておきたくて浅羽さんにそう伝えると「じゃあわたしが、ご紹介しますよ」と言って、僕を辻さんに引き合わせて下さった。辻さんは「ああ、あなたが」とにっこり笑って、僕に向かって深々とおじぎをした。(こんな大ベテランなのに、なんて腰の低い方なんだ)と感動した僕は、それでかえって緊張してしまった。その場で十分程立ち話をしたが、「新田さんが手紙で教えて下さった本は、みんなメモして探してるんですよ」と言って下さったのは嬉しかった。実はその日、万一辻さんに会うことが出来たらお渡ししようと思って、辻さんへの手紙の中で推薦した絶版本を一冊持ってきていたのだった。その本を差し上げて、辻さんの著書『サハリン脱走列車』にサインをいただき、「じゃあ、また」とお別れした。
その様子をじっと見ていた田中成穂さんが「僕も本を持ってくればよかった」とえらく悔しがっている。田中さんは志水辰夫氏の大ファン。ふと見れば、僕らのすぐ横に志水辰夫氏が立っているではないか。しかし、やはり著書を持っていなければ、初対面の作家には声を掛け辛い。憧れの作家が目の前にいるのに、声を掛けられないなんて……田中さん、その夜はモンモンとして眠れなかったかもしれない。
今回の文士劇、推理作家協会50周年にふさわしい、遊び心に満ちたお祭りイベントだったといえよう。このように楽しいイベントが、またいつか催される日が来ることを願いつつ、僕らはよみうりホールを後にして居酒屋さんへ向かったのだった。
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