謎宮会 1997/10

メイのママ、西村京太郎を読む

中村 有希

  ※ メイはアメショーとヒマラヤンのハーフです

 学生のころ、西村京太郎にやたらとはまった時期があった。いや、別に、わたしが買い集めたわけでなく、当時、父親が通勤電車の中で読んでいた本を借りただけですけどね。しかし、さすがわたしの父親、パラノ的(死語)な読み方はわたしと同じで、ひとりの作家が気に入ると、その人の作品ばかり買い集めるというくせがあり、当時、うちの本棚は西村京太郎の本だけで、三メートルくらい埋まっていた。それをわたしは、全部読んでしまったのだ。

 単に十津川警部と亀井刑事が、いろいろな列車に乗って旅行をしてあるくだけのシリーズなら、あれだけ長期間、飽きずに読みまくったわけがない。そう、「どうせ、おじさんむけのトラベルミステリ」と、最初から敬遠している人には信じられないかもしれないが、あのシリーズはれっきとした本格物だったのだ。と思う。

 ただ、トラディショナルな形をとらず、非常にわかりやすく、誰にでも読めて、謎解きに読者が全然頭をつかわなくてもいい、という親切設計になっているために、本格らしく見えないのだろう。
 たとえば、わたしの愛するエラリー・クイーン大先生の場合、「ええ、犯人も方法もわかっています。でも、まだ最後の解決の章じゃないし、あ、そうそう、読者への挑戦もしてないし、だから、お父さんにもひ・み・つ」とか言って、手がかりだけをやたらばらまき、読者にさんざん頭を酷使させ、最後の五十ページくらいつかって、延々と謎解きをするというパターンをとっているので、ああいうのは、ホントに好きな人じゃないと、めんどくさくて読んでいられないかもしれない。わたしが、時刻表を見ただけで拒絶反応を起こすのといっしょで(わたしは時刻表もののほうがめんどくさい)。

 ところが、作品中で十津川警部は、本格物をまったく読んだことのない読者が、途中で棄権しないように、ところどころで推理を小出しにして、ワンステップごとに状況を整理してくれる。そして、わたしのような時刻表オンチが脱落しないように、「要するにいまは、この時間に、この列車に乗ることができたと証明できればいい、という話をしているんです」と解説してくれる。頭を使うのは十津川警部たちだけで、読者はそれを追っていけばいいだけなのだ。ああ、なんて親切。十津川シリーズは「サルでもわかる本格物」だと言ったら怒られるだろうか。

 このシリーズはほとんど「なんとか列車」をつかった殺人事件ばかりだけれども、実は、時刻表を駆使したアリバイ崩しだけではない。列車自体がトリックの小道具に(大道具かもしれない)なっている場合が結構あった。はず。……実は学生時代の記憶をたぐりよせながら、この原稿を書いているので、どのくらいのパーセンテージだったか、全然覚えていないんですが。それでも、作品中のトリックを使うためには、この列車に乗らなければならない、という、アリバイ崩し以外でトラベルミステリにする必然性のある作品は、たしかに存在していた。
 タイトルは覚えていないのだが、ある殺人が成立するためには、「振り子列車」に乗らなければならない、という短篇がそうだった。しかもそれは、非常に単純だけれども、刑事自身が実際にその列車に乗ってみなければ、解決できなさそうな殺害方法だった。被害者、犯人、刑事のすべてがその列車に乗る必然性があるのだ。短篇集におさめられているので、ぜひ探してみてください。

 わたしは西村京太郎はホネのある本格推理作家だと思うんだけどな。

 閑話休題。テレビの十津川警部と亀井刑事は、本のイメージと全然ちがうような気がするんですが、皆さんはどうお思いですか?

[UP]


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