謎宮会 1997/8
戸田 和光
「硝子の家」(光文社文庫)の巻末で、山前 譲が『必読本格推理三十編』の中で挙げている、ということで、急にミステリファンの間で話題に上るようになった本である。今までに聞いたこともない作家・作品ということで、何なんだこれは、という意味で上がることが多かった気もするが、ともかく“必読”とされている以上、一回は読んでみることにしたものである。
行方を絶った内縁の夫の消息を求める依頼を受けた私立探偵が、調査を進める中で、失踪した男の前妻の殺人事件に巻き込まれ、殺人事件担当の警察官らとともに、捜査を進めていく、というスト−リ−である。その後、第二、第三の事件が起こり、それらの真犯人は誰か、という命題が、最後まで読者の興味をつなげる構成だ。
一読した感想としては「結構まともに“本格”してるじゃないか」といった感じになるだろうか。
確かに傑作とは言えないし、現在まで忘れられていても当然かな、といった程度の出来ではある。如何せん、謎も小粒だし、小説全体を通しての印象が小さいのだ。
しかし、足を使った探偵である割には、地道な捜査記録といった印象は受けないし、社会派色も殆ど感じさせない。また、伏線としての底は浅いが、捜査する中で知ったことが後で意味を持ってくる、という構造も、きちんとした本格を目指しているな、と思わせるものがある。しかも、事件の謎が少しずつ解けていく中で、新たな事件が発生し、それによって、推理していた内容が少しずつ否定されていく、という展開も、本格本格しているように思う。ただ、その仕掛けに深みがない(事件の構造が透けてしまう)点や、ストーリーに起伏が欲しいと思われる所では台風に襲われる描写が続く、という辺りに、作者の本格作家としての限界を感じてしまうのは否めない。
文章面では余り古さを感じないし、良くも悪くも通俗的なキャラクター造形・事件設定であるせいか、動機面等にもそれ程には古びた印象は受けない。現在読んでも、そんなに辛くはないように思う。反面、魅力ある設定はなく、主人公すら、暫くすると忘れてしまいそうな人物である。また、トリックの一つに、現在では存在しないあることが使われている部分に時代を感じる。尤も、解明のきっかけ(証拠)になるという展開であるから、謎を解こうという立場で考えるなら、大きな問題はないだろう。
私が一番気になったのは、佐伯という地名を“サエキ”と読んでいる点である。現地の警官までそう言っているのはあんまりだと思うのだが、それとも、この当時はそう呼ばれていたのだろうか。この地名がトリックの一翼を担っているだけに、なんか変な印象を受けてしまった。なお、主人公の事務所が別府になっていたこともあり、地図を広げてみたところ、大分県の南端近くに深島という島があった。風花島は架空の島ではなく、ここがモデルのようだ。対岸の町は釜江ならぬ蒲江。畑野浦といった地名は、実在していた。それだけに、佐伯の扱いは気になるところだ。
全体の感想としては、必読とは言いにくいけれど、一回くらい陽の目を見せてやりたかった気持は分かる、といった感じになるだろうか。三十作もあるから、一つくらいマイナーなものも混ぜておきたい、と思ったら、候補には挙げたくなるくらいの特徴は感じられる。特に、作家向けの本格ミステリの小説作法の一例としてなら、ある程度の教科書にはなるかも知れない。
書誌面を書き添えておこう。昭和36年2月10日、桃源社刊。読切倶楽部という雑誌に、数回に渡って連載されたものだそうだ。
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