謎宮会 1997/8

あるジュニア長編

田辺  京

 仁木悦子を語る時、忘れてはならない二つの要素があると思っています。日本のミステリにユーモアや明るい雰囲気を吹き込んだ、というのを一つめとするなら、二つめは、子供を中心にしたミステリの書き手、という要素です。ここでは、この後者について触れてみたい、と思います。
 これは更に、大人の目から語ったもの(「粘土の犬」など)と、子供の視点に立ったもの(「かあちゃんは犯人じゃない」など)に大別できますが、その多くが短編です。その書き方では長編を支えることができなかったのかも知れませんが、彼女特有の暖かさを感じさせてくれるお話を、長編でも読みたい、と思ったことはありませんか? この思いを満足させてくれる(?)数少ない小説として挙げられるのが、昭和36年に書かれた「消えたおじさん」です。

 仲良しの小父さんが姿を消しました。届け出た交番に無視された少年は、行方を求めて聞き込みを始めます。犯行を目撃した幼女が見た不思議な単語の意味を解き、怪しげな会社に単身乗り込んで行きますが、逆に捕まってしまいます。何とか知恵を働かして逃げ出し、ひょんなことから助け出した女性とともに、悪者たちを捕まえるべく、再び怪しげな会社に侵入するのでした……。
 小学6年生の一人称で語らせるせいか、それともジュヴナイルであるせいか、時に説明が回りくどい部分はありますが、そこは仁木悦子の小説ですから、ミステリ的な骨格をはずしてはいません。謎があっけなく解かれるとか、冒険が必ず成功してしまうとか、おじさんの血縁者に偶然出会うとか、話が余りに順調に進みすぎるのが気になりますが、年少の読者の興味をつなぐことを考えれば、仕方ないのでしょうか。

 途中からは冒険色が濃くなり、物語のトーンが多少変わります。犯人達が逮捕されるラストに向けて、延々追跡行が続くのですが、この辺りの興味は別な一点(なんて言うと、その内容が分かってしまうかも知れませんが)に移っているように思います。スれたマニアが読むと、すぐ仕掛けが分かるのが弱点ですが、それを想像した上で読み進めば、別な面白さを感じる可能性もあるでしょう。
 最後にすべての謎が明かされて、小説は終わります。犯行の裏側は警察による一方的な説明で語られるだけ、ということで、本格ミステリ的な興味は薄いのですが、まあそれは贅沢な望みでしょうか。ハッピーエンドで終わり、印象は悪くないと思います。

 仁木悦子の子供もの(子供の視点で語られるもの)としては珍しく、飛び込み型に分類される気がします。加えて、小さな冒険が基調にあるせいか、表立って、作者の視点の暖かさが伝わりにくい面もありますが、断片的に見られるほのぼのとした描写タッチに、彼女の持ち味は感じられると思います。何より、ストーリー全体を通して伝わる明るさは、健在です。

 そう言いながらも、人は死ぬのが仁木ミステリらしいところ(彼女のタッチは、日常の些細な事件を書くことに向いていた気がします。世が世なら北村 薫や加納朋子の先駆たりえたと思うのですが、その一方で、彼女の小説の大半では人殺しが語られるのが不思議なのですが)なのですが、まあこの小説では、小説の幕開きの前に一人死んでいるだけなので、子供が読んでも違和感はそれほど感じないでしょう。

 講談社青い鳥文庫で再刊された版も絶版になってしまったようですが、図書館では見つかるかも知れません。見つけたら、読んでみて下さい。

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