謎宮会 1998/8

読書日記・八月　ＳＩＤＥ：Ａ　《国産本格ミステリの部》

葉山　響

　ちょっと大袈裟な題を付けてはみましたが、単に今月読んだ本の中から今年刊行の本格ミステリ関連作品を抜き出してまとめただけにすぎません。今月は本格ミステリの新刊が多いし、この際ついでに読み残していた本格も片づけちゃおうと思って読み進めたんですが、一ヵ月で楽勝かと思いきや、いろいろ他のジャンルに浮気もしていたもんで読み残し本格全部を片づけることは出来ませんでした。今年前半は引っ越しその他で何かとばたばたしていたから、本が全然読めなかったのですよ。だから未読本がまだいっぱい。『グランド・ミステリー』（これ読んでないってまずいよなあ）『スコッチ・ゲーム』『ミステリークラブ』……近いうちに何とかしたいとは思ってるんですけど、来月は『人狼城の恐怖』四冊読まなきゃならないし、『宴の始末』『屍鬼』も出るから読めないだろうなあ。ため息をつきつつも、今月もささやかな読書日記、始めさせていただきます。

No.44　『密室・殺人』小林泰三（角川書店）→井戸端ミステリ会議へ

No.45　『探偵宣言　森江春策の事件簿』芦辺拓（講談社ノベルス）

　レトロな本格。味わいも雰囲気も謎の解き方も非常にレトロ。言い換えれば古めかしい作品なのだが、別に面白くないと言っているわけではない。但し、これを新本格の枠内に入れるのは無理だろうし、ある年代以下の人たちには受けないだろうなあ（それが一番強く現れているのが「殺人喜劇のＸＹ」で、悪ノリの饒舌体が古めかしい上に凄まじく読みにくく、この文体を捨ててもらって本当に良かったと思う。冒頭の若者二人の会話も寒かった。二十代がエンタツ・アチャコを会話に出していること自体ズレている）。でも逆に言うと、ある年代より上の人には受けるんだろうと思います。ＳＲマンスリーの寸評でも評価は概ね好意的だったし。
　集中一番面白く読んだのは「殺人喜劇の不思議町」で、懐古趣味的な雰囲気に楽しく浸らせてもらったが、本格としては特殊な海難救助用具の知識が無ければトリックが解けないのでアンフェアだろう（長編『地底獣国の殺人』でも、ある英単語の意味を知っていなければ誰が殺されたか特定できないようなところがあった筈）。対して冒頭の「殺人喜劇の時計塔」は、画面にして想像してみると非常に馬鹿馬鹿しいトリックが面白く、ミステリとしての一番を個人的に選ぶならこの作品である。最後に明かされる連作長編趣向のほうは、後から考えついたネタならばよく健闘していると思う（が、なぜそこまで連作趣向にこだわるの？）。力作であるが、取り敢えず私は今年の芦辺作品では『死体の冷めないうちに』のほうが好き。そして私は、たぶん芦辺拓にしか書けない作品になっているのではないかという予感のある新作『十三番目の陪審員』（これ、Ｂ・Ｍ・ギルの『十二人目の陪審員』にかけているんだろうか）のほうに期待しています。

No.46　『ブードゥー・チャイルド』歌野晶午（角川書店）

　寡作を守る良心の作家、前作『ＲＯＭＭＹ』以来三年ぶりの長編。ついでに言えばこの作家初めてのハードカバーである（今までは全部新書だった）。
　真相はすぐに見当がつく。では面白くないかといえば、面白いんだな。堪能しました。肌理細かく張り巡らされた伏線の妙だけでもこの作品は読む価値があると言うに足りる（特に旅館の新館オープンのくだりは、よくぞここまで気をつかったと感心した）。小説面も新作を出す度に確実に成長を遂げており、ミステリの面白さと同時に話の流れが非常に重視されているという感触を受けた。真相の意外性では前作『ＲＯＭＭＹ』に劣るものの、トータル・バランスではこの作家最高の仕上がりと言っていいのではないか。しかし一番驚いたのは何といっても“名探偵”の存在で、よくこんな名探偵を成立させたものだ。一見戯画的で荒唐無稽な名探偵だが、丁寧な書き込みをしているのでそう感じさせないし、頭脳明晰な名探偵が「外に行こう」と言われた途端にちょっと動揺してしまう、そういう人間的肉付けの部分もしっかり書き込まれているため、ロボット的冷たさを感じさせてしまうようなよくある失敗にも陥っていないのだ。それでいて底が知れないような存在感も与えるあたり、見事なものである。真相にちょっと無理を感じる部分がないわけではないけれど、敢えてそこには目を瞑る。今年の収穫のひとつとしてお薦めしたい。

No.47　『鯉沼家の悲劇　本格推理マガジン』鮎川哲也編／宮野叢子ほか（光文社文庫）

・『鯉沼家の悲劇』……宮野叢子の代表作品。今までは中島河太郎の「推理部分が薄手」という指摘ばかりが印象に残っていたが、読んでみると面白いではないか。今の人には書きにくい悠揚迫らざる文章が心地好く、まさに雰囲気的には相当の作品である。過去に幾人もの評者が指摘している通り、解決部分に至ると雰囲気が崩れるのが非常に残念だが、当時の枚数制限などの諸事情を考えると仕方ないだろう。気分的にはその点を攻めるよりも、このような端正な文章で本格推理を書こうとした作家がいたということを記憶に留めておきたい。旧家の女主人が口にする伝法な言葉遣いに味がある。この味がミステリで楽しめるとは思わなかった。できることなら彼女の『伝説の里』という長編も非常に読んでみたいと思うのだが、関係者の皆さん、如何でしょうか？

・「病院横町の首縊りの家」……まずは横溝の謎に、岡田鯱彦と岡村雄輔が揃って解決を書いているという点が嬉しい。『薫大将と匂の宮』など当時の本格派のホープだった岡田と、手堅い本格中編を書いていた岡村、共にもっと読む機会を作ってほしい作家なのだ。せめて岡田の『赤い頸巻』（『樹海の殺人』は期待外れだったからもういい）と岡村『加里岬の踊子』だけでも是非復刻をお願いしたい。内容のほうは、彼らが競作しているだけで嬉しいから内容は正直言ってどうでもよかったので、期待していなかった分だけ結構楽しめた（逆に言うと、過剰な期待はしないほうがいいと思います）。

・「見えない足跡」「共犯者」……どちらも面白く、あるべきところにあるべきものを収めていく解法が気持ち良かった。どちらか一篇挙げるなら絶対に「共犯者」のほうで、さすが以前に山村正夫が「代表作のひとつ」と称揚していただけのことはあるが、「見えない足跡」のからりとしたユーモアも捨てがたい。それにしても、以前は完全に幻の作家だった狩久だが、現在読もうと思えばこの二篇の他にも「落石」「壁の中の女」「すとりっぷと・まい・しん」「らいふ＆です・おぶ・Ｑ＆ナイン」が入手可能のアンソロジーで読めるのだ（ついでに夫人の四季桂子が書いた「胎児」も『妖異百物語』で読める）。狩久はもはや幻の作家ではない!?

・最後に、これは全くの個人的な話だが、茹で卵をつくろうとして鍋を火にかけ、そのまま忘れてしまったことがある。焦げた匂いで漸く気づき、慌てて鍋に向かって突進したら、水が無くなって鍋の中で卵の殻がぶすぶす焼けていた。一時間も経たないうちにこうなのだから「見えない足跡」に出てくる作家の家って絶対火事になってるな（笑）。ちなみに焼けた卵のほうは、ちょっと好奇心がわいたので恐る恐る食べてみたところ、案外香ばしくて美味でした。たしかアジアのどこかでは茹で卵じゃなくて焼き卵（玉子焼きに非ず）をつくるのがポピュラーであると何かの本で読んだのですが、なんとなく納得。

No.48　『鬼流殺生祭』貫井徳郎（講談社ノベルス）→井戸端ミステリ会議へ

No.49　『数奇にして模型』森博嗣（講談社ノベルス）

　常々森博嗣には批判的な態度をとっていたわたくしではございますが、今回はわたくし、なんとなく納得してしまったのですね。他の作家なら大抵“狂気”で片づけてしまうような動機を、五百頁近くの枚数を使って延々と組み上げたことが納得の原因になりました。言うなれば、動機の描き方を評価したいといったところでしょうか。これほどの長さを必要とするネタではない（だから長すぎるという批判は正当性がある）にせよ、少なくとも個人的にはあまり長さを感じず、はっきりと「ここはいらない」と思った箇所も無く、ペットボトルロケット発射の場面もなかなか印象的でしたし、国枝助手とその存在をすっかり忘れていたお久しぶりねの金子君がなかなか良いアクセント・キャラクターになっていて、なんか書いてるうちに気がついたけど今回の作品ってもしかして結構気に入ってるんじゃないか私（笑）。いや、別に絶賛しようとは思っていないんですけどね、でも今回、森作品では初めて最後まで犯人に気づかなかった（おお！）ので、評価が甘いんです。そんなことはさておいても、今回の萌絵はコスプレしたり看護婦に化けたり、マニアにはこたえられない内容でしょう（笑）。次回『有限と微小のパン』で一応シリーズに決着がつけられるようですが、どうせここまでやったのなら思いっきり甘々のエンディングにしてほしいと思います。

No.50　『金のゆりかご』北川歩美（集英社）→井戸端ミステリ会議へ

※　この作品が『ブードゥー・チャイルド』と同時期に出るとはなあ……この二冊は名探偵の設定が非常に似ていて、どちらか片方を読んだならもう一方も読んでみてほしいと思います。終盤におけるどんでん返しの面白さでは『金のゆりかご』ですが、伏線の張り方の肌理の細かさなら『ブードゥー・チャイルド』であり、探偵対犯人の構図の迫力なら『金のゆりかご』である一方、その名探偵が良く描けているのは『ブードゥー・チャイルド』だと思います。後味の点に作者の配慮が見られるのは『ブードゥー・チャイルド』ですが、『金のゆりかご』は後味の悪さをそのまま読者に突きつけることが狙いでしょうから後味の悪さはこの作品の瑕疵ではありません。結局この二つ、比べようとすると優劣は読者の好みの問題になりそうなのですが、とにかくどちらの作品も本年度本格ミステリの収穫であることに変わりはありませんので、御興味のある方はぜひ読み比ベてみてください。

No.51　『匣の中』乾くるみ（講談社ノベルス）

　淡々と読み進み、淡々と読み終わりました。「ぐらぐら」も興奮もしませんでしたが、お好きな方はお好きでしょう、たぶん。最後に出てくる暗号らしきものを解いた方は私にも答えを教えてください。

No.52　『幻惑密室』西澤保彦（講談社ノベルス）

　今年初めの井戸端ミステリ会議のお題に挙がっていながら、結局今まで読んでいませんでした。ごめんなさい。で、この人のキャラ作りの上手さは相変わらずですね。超能力者問題秘密対策委員会出張相談員略してチョーモンイン（見習）の神麻嗣子嬢が実に可愛い（その反面、実は案外魔性の女って気もしないわけではありませんが）。それに加えて水玉螢之丞センセーの挿絵が付くとはもはや反則状態（笑）。能解警部と語り手の保科のキャラも良く描けていて、三人の会話のやり取りも滑らかで、これからこのシリーズは楽しみです（ただ、今回は嗣子嬢の存在感が薄いのがちょっと寂しい。次回は更なる活躍を期待したい）。一方、ミステリとしての出来を考えると、今回は約束事（ゲームのルール）がかなり多くて中盤ちょっと混乱してしまいました。その割に真相はかなり判りやすく解かれるので安心しましたが、もう少しシンプルな設定のほうが良かったという気がします。あと、真相解明の手前で真の動機が形を変えてあからさまに書かれているところが大胆で面白く感じました。

No.53　『新世紀「謎」倶楽部』二階堂黎人監修（角川書店）

・篠田真由美「十人目の切り裂きジャック」……“現代に甦る切り裂きジャック”の趣向。「たぶん、こうなるだろうなあ」という予想どおりの展開を辿るが、アイデアの処理が巧みなので読んで損は無い佳品。余韻を残すラストの一行が決まっている。★★★。

・小森健太朗「インド・ボンペイ殺人ツアー」……ミステリ版インド紀行文。日本ではあり得ない、如何にもインドな話のサゲが効いている。ミステリ的な面白味は殆ど無いけど、そんなにつまらなくはないですよ。★★☆。

・芦辺拓「《ホテル・ミカド》の殺人」……なんと三重パロディ。アール・デア・ビガーズが創造した名探偵チャーリー・チャン、ダシェル・ハメットのサム・スペイド（なぜ彼だけ姓が暈されている？）、そして最後に正体が明かされる三人目の名探偵。この作者特有のレトロな味わいが巧く生かされたネタだとは思うが、事件のほうは三人の名探偵の存在と釣り合っていないのが残念。それはともかく、芦辺さんのこういう時代物をもっと読んでみたいという意味を込めて★★★。

　　　　・村瀬継弥「藤田先生、指一本で巨石を動かす」……藤田先生シリーズ。無理が多くて感心しないが、暖かな視点が心地好いので取り敢えず★★。但し、いじめに発展するのを防ぐために藤田先生はこのようなことを計画したと説明されるけれども、逆にこのトリックのネタを知りたいために後日クラスメイトたちが体の弱い少年を問い詰め、それがかえっていじめに発展してしまわないかということがとても気になった。こういう奇術的な演出で教育を行うとき、それに素直に納得してあげる子供たちのほうが、実は教師よりも余程おおらかな心を要求されるのではないか、そしてそういう教育方法は実に危なげなものではないか、そう思いました。

・北森鴻「鬼子母神の選択肢」……舞台となる京都のお寺の雰囲気もさることながら、ユーモラスで暖かな人物造形が抜群に上手い。後味も爽やかで、しかも作品に“常時このレベルの作品は書ける”という安定感がある。★★★★。よく考えると北森鴻の短編を読むのはこれが初めてなのだが、これならば短編の評価が高いのも頷けます。

・柴田よしき「観覧車」……こちらも舞台は京都。各シーンが美しい。毎日観覧車に乗り続ける女の謎を主人公の境遇と絡めて描いた作品で、魅力的な人物造形とほろ苦い結末でなかなか良い短編に仕上がっている。★★★。私立探偵・下澤唯のシリーズは、京都という舞台が必ず謎解きに反映されるというユニークな連作になっているので、一冊に纏まるのが楽しみである。

・二階堂黎人「縞模様の宅配便」……お久しぶりねシンちゃん、相変わらず可愛いわ（おねーさま化してどうする）。ミステリとしてのネタは小粒だけれど、冒頭から一貫してこれだけ気持ち良く笑えりゃそこそこ満足していいのではないか。★★★。それにしても、いったいケン一ってどんな顔してるんだ？

・愛川晶「だって、冷え性なんだモン！」……《創元推理》に二回に渡って掲載された犯人当てミステリに手を加えた改良バージョンで、応募解答で指摘された点を補足してあるため更に整合性が増している。難易度はさして高くないが、作者が仕掛けた伏線を全て回収するのはちょっと難しいかもしれない。★★★☆。ただ、初出のときは特殊な発表形態だっただけに結構面白く読んだのだが、ひとつの短編としてまとめて読むと案外地味。個人名義の短編集に収録するときは、応募解答の選評や優秀解答の原稿も合わせて掲載したほうが派手で面白いと思います。

・西澤保彦「蓮華の花」……自分の記憶が現実と違っていたことを知った作家は、なぜ誤った記憶が紛れ込んだのかを調べ始める――という設定はなかなか面白いが、ラストの不気味さが上手く伝わってこなかった憾みがある。どうせ作品を書くという行為なんて誰かの影響無しには考えられないでしょ？　★★☆。但し、歌野晶午の『ブードゥー・チャイルド』と同じ時期に読まなければ評価はもっと高くなっていたかもしれない。読むタイミングが悪かったかも。

・谺健二「新・煙突綺譚」……第１回創元推理短編賞候補作品。サイレント映画かジャッキー・チェンか、という大がかりなトリックは結構好きだが、その後の“脱出”に関する小ネタのほうで興醒め。こういうバカなトリックは細かい仕上げなど気にせずに、すっぱりとインパクトだけで勝負したほうがいいと思います。また、本来ならこれはとてもいい話になった筈なのだが、犯人の設定に関する後味の悪さや、××自身に事件の真相を語らせてしまったことなど、いくつか構成上のミスがあったように思う。冒頭の雰囲気の良さ、非現実なトリック、シュミネさんというキャラクターの魅力などを考えると、これは後味の良いファンタジー的なミステリにしちゃったほうが良かったんではないか。勿論、「それはお前がそういう話が読みたいだけだろう」と言われると、「その通りです」と答えるしかないんですけどね。★★★。

・歌野晶午「ドア⇔ドア」……信濃譲二シリーズ。事件そのものは地味でも、小道具をたくさん使うなどしてちょっと気の利いた倒叙物に仕上げている。長すぎもしなければ短すぎもしない、短編向きの素材をしっかり選んでいるところが良く、最も短編らしい面白さを持った短編はこの作品だろう。★★★★。信濃譲二が出てくる短編はなかなか僕好みなので、早く一冊にまとめてほしい。

・総括……先月出た『不条理な殺人』と比べると、バラエティに富んだ趣向、ルーティンワーク的な作品が無くてどの短編もそれなりに力が入っているという点から、こちらのアンソロジーのほうが強く印象に残った。小森・柴田・歌野の三氏を除くとあとは全て鮎川賞絡みの作家というのも面白い。但し『不条理な殺人』は六百五十円でこちらは二千円以上、値段のことを考えると折角の好印象も薄らいでしまいますが。まあ、買って損は無いとは断言できないけど、読んで損は無いと思います。

No.54　『能登はやさしや鬼までも』辻真先（光文社文庫）

　まず題名が良い。続いて帯の文句が良い。文庫書き下ろしというところも良い。値段も良い。で内容のほうは、年末のベスト・ミステリ・ランキングの候補になるような力作しか読まない人には全然お薦めできないが、ぽっかり空いた時間を軽い読み物でも読んで楽しもうかという人にはお薦めである。何しろ二時間以内で簡単に読めるのだから、ちょっと休憩に読み始めても家事・仕事・勉強その他に殆ど支障は無いだろう。この読みやすさ、軽さ、しかしミステリとしても結構しっかりと書けているところなど、なかなかできませんよ、これは。職人ですね。後味も悪くないし。分厚い新刊ラッシュの中、たまにはこういう軽いものもいいなって思いました。

No.55　『鮎川哲也読本』芦辺拓・有栖川有栖・二階堂黎人編（原書房）

　出たこと自体は嬉しいのですが、全体としてはあまり面白くない、というか、折角の鮎川読本なのにわくわくしないといった印象でした。なぜわくわくしないのか――結局これは鮎川作品に深く切り込んだ原稿がひとつもないのが原因だからではないかと思います。まず、なぜ無いのか不思議だったのが、鬼貫警部・星影龍三・三番館バーテンの各シリーズキャラクターを案内・解説する欄。この欄がないために、三番館バーテンのシリーズは倉知淳の原稿くらいしかフォローしていないという非常に悲しい事態になってしまいましたし、シリーズ・キャラクターものから入ろうとする初心者にとってはかなり取っ付きの悪い本になってしまったのではないでしょうか。そして、纏まった評論がない（ひとつくらいは必要でしょう）。一応芦辺拓のトリック論は掲載されていますが、私はあれでは満足できません。その中で北村薫の原稿はやはりさすがと言えるもので、全長編レビューの何倍も鮎川の本を読みたい気にさせてくれますが、でももっと長く書いてほしかった。また、有栖川「時を超える魔術」も鮎川に対する敬愛の念が伝わってきて良かったと思います。エッセイのほうは、作家のものより昔の編集者のほうが面白く、この人たちのエッセイを入れたのは目の付けどころが良かったと言えるでしょう（但しこれも、生島治郎の大異色作『浪漫疾風録』の中にたった三頁ながら出てくる鮎川のほうが数段良く書けていると思ってしまったのですが）。パロディ短編では芦辺と有栖川が面白かった。芦辺「田所警部に花束を」は、田所警部を主役に据えたところといい、殺される人物の名前といい、シリーズ・キャラクターを総出演させたところといい、マニアならここまでやらなきゃね！と快く楽しめる出来でした。有栖川「下り『あさかぜ』」はさらに鮎川のコアな部分をパロディ化した短編で、時刻表トリックには笑いながらも感心。このネタは使い方さえ巧ければ、パロディでなくても充分作品を支えられるネタだと思います。そして鮎川の「占魚亭夜話」は、如何にも鮎川らしいミステリで満足。幻の作品「ポロさん」も叙情的でいい短編でした。鮎川の筆力はもっと高く評価されていいと思います。

No.56　『光と影の誘惑』貫井徳郎（集英社）

　書き下ろし二篇を含む中編四篇を収録した作品集。個人的にはこの本、トータルで『慟哭』に並ぶ完成度だと思う。個人的には、優れたどんでん返しを備える「我が母の教えたまいし歌」の完成度が最も高いと思うが、アメリカを舞台にした私立探偵小説風軽パズラー「二十四羽の目撃者」もこの作者には珍しくユーモア・タッチを採用しているのが魅力的。中盤における主人公のその場凌ぎの迷推理が楽しく、後味もよい。また、よく考えれば結構単純な真相を、展開の奇妙さとストーリーの緊迫感で覆い隠した「長く孤独な誘拐」も捨てがたい（最後の一行の「決然と」が好き。この締めはなかなか上手い）し、途中でトリックに気づいてしまうとその後の陰惨な展開がちょっと辛く感じる表題作だって、途中で気づいたのは伏線が誠実に張ってあるからであり、なによりこれがきちんと“貫井徳郎らしい作品”になっているのが強み。この作品集はこれまでの貫井作品の特色がほぼ全て現れており、また「二十四羽の目撃者」のような新境地開拓を思わせる作品も入っているから、貫井作品の入門編としても打って付けだろうし、これまでの貫井作品を全て読んでいる人も充分楽しめる出来だろう。なお、帯には「本格テイストの傑作ミステリ集」と書かれているが、テイストどころの話ではない。これが現在の本格のひとつのあり方なのだと私は思います。

　今月読んだ国産本格ミステリ関連作品は以上の通り。他ジャンルの作品は《ＳＩＤＥ：Ｂ》のほうにまとめてあります。《ＳＩＤＥ：Ｂ》はNo.56／アントニー・バークリー『地下室の殺人』からNo.70／太田忠司『天国の破片』まで。よろしければそちらのほうもご覧ください。それでは。

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読書日記・八月 ＳＩＤＥ：Ａ 《国産本格ミステリの部》

読書日記・八月　ＳＩＤＥ：Ａ　《国産本格ミステリの部》