謎宮会 1998/9

読書日記・九月

葉山　響

　今月号の《小説すばる》に目を通していたら、大森望さんが『密室・殺人』（小林泰三著・角川書店）のレビューを書いていた。すると最後のほうに「結末の意味がよくわかってない人が大多数みたい」と書かれていたのだが、これは私が先月井戸端ミステリ会議で「最初はよく判らない点がひとつあった」と書いたところと明らかに違う箇所である。やはり予想したように、この作品は読む人それぞれで判りにくいスポットが違ってくるらしい。私が良く判らなかったのは、「一ヵ月前の猟奇殺害事件」って結局何だったんだろうということなのだ。本筋の謎は良く出来ているのに、こっちの猟奇殺人のほうは大したフォローが無いまま終わってしまったような気がする。……と感じたのだがこれは気づいてみると全くの見当違い。この本を読んだとき、私の頭が完全なるミステリ・モードに入っていた故のミスなのだが、要するに、猟奇殺人を起こしたのはアレだったんですね。だから「本格とホラーの完璧な融合」だったんですな。この本がクトゥルー神話ネタだと気づいていながら、この意味には気づかなかったのだから情けない。皆さんは気づいておられましたか？　この部分は評論家も気づいていない人が多いようなので（「ストーリーがお粗末」とか「ホラーになっていない」という批判は、これに気づいていない故の発言だろう）、未読の方は心して読んでください。

No.71　『キラー・オン・ザ・ロード』ジェイムズ・エルロイ（扶桑社ミステリー文庫）

　唯一翻訳されていなかったエルロイの長編。シリアル・キラーのロード・ノヴェルといえばジャック・ケッチャムの『ロード・キル』（私は未読）があったが、これはたぶんそれを超えているのではないか。さすがにエルロイの作品は濃密である。
　大量殺人者の逮捕までの人生を、籠の中にいる昆虫の観察日記をつけるようにちょっと冷めた視線で描いているのが効果的。中盤でもう一人の殺人鬼とクロスする、ケレン味あるプロットも素晴らしい。殺人に至るまでの過程、そしてその後の犯罪をエレガントなまでの文章で描いた前半と、それとは対照的に、生き延びるために人を殺さなければならない精神状態に追い詰められた主人公が完全に壊れていく様を描いて嫌悪感を感じさせる後半。前半と後半をはっきりと分けるターニング・ポイント「第四章　稲妻は二度打つ」で、主人公はもう一人の殺人鬼と交錯する。そしてその第四章を取り囲むように、第三章と第五章はほぼ全体が異常殺人の新聞記事で埋められている。というように、理知的に計算された構成も見逃してはならない点だろう（殺人鬼の独白録という形で始められたこの作品に、なぜＦＢＩ捜査官の日記が紛れ込んでいるのか――という疑問も、ラストで合理的な説明が与えられる）。全てが闇の中に消えていくようなラストも圧巻。凡百のサイコ・キラー物と違い、これだけ書いてくれりゃ読み出も充分にあるってことで、サイコパス小説の最高峰でしょう。

No.72　『秘密』東野圭吾（文藝春秋）

　一昨年のワセダミステリクラブ主催の講演会で「今度はファンタジーを書く」と発言していた東野さんだが、たぶんこれがその作品だろう。帯には「究極の謎」と書かれているが、読んでみるとこれは北村薫『スキップ』と似た設定のファンタジー（とはいっても、『スキップ』の逆バージョンを更に二ひねり半ほどさせた設定だからそっくりではない。プロットの処理も『スキップ』とは似て非なるもの）で、ミステリではない。ならば「究極の謎」とは何なのかと考えながら読み進めたが、これは最後まで読んでやっと判った。編集部が「究極の謎」というコピーをつけたくなった気持ちも判る。それをここに書いて良いのかどうか迷ってしまうが、それを書かないと自分がこの作品の何に一番感銘を受けたのかが書けなくなってしまうので、取り敢えず書いてしまおう。先入観なく作品を読みたい人はこの先は読まないでください（ちなみにこの本、装丁が素晴らしい。小豆色の渋い表紙を取り除くと、そこには目の覚めるような色使いで娘の部屋が描かれている。スティーヴン・キングの『ミザリー』もそうだったが、こういう遊び心を持った装丁は文藝春秋のお得意か。個人的にはこういう装丁、どんどん試みて欲しい）。

　……で、ミステリではないのに「究極の謎」とはどういうことかというと、この話、かなり強烈なインパクトを残すリドル・ストーリーとして終わるのである（少なくとも私はそう読んだ）。主人公はラストで「究極の謎」に出会うことになるのだが、この「謎」が心底切ない。勿論それまでの展開も充分に読ませる。徐々に壊れていく「夫婦」の姿を驚くほど滑らかに描き上げてあり、東野圭吾がミステリを離れてもこんなに上手い小説を書ける人だとは正直言って想像していなかった。が、何といってもラスト。もしかすると、このラストの為にそれまでの話を書いたのではないかと思われるほどで、これほど鮮やかに決まった長編のリドル・ストーリーは今まで存在しなかったのではないか。この作品は九分九厘までミステリではないと言えるが、リドル・ストーリーがミステリのジャンルの一つとして認識され得るなら、これは実に最後の数頁で見事なミステリに転化するのである。……でもまあ、この作品がミステリであるかどうかの議論など、この完成度の前では塵芥同然。そしてただ上手いだけではなく、新しい試みに対する野心が垣間見えるからこそ評価できる。お薦めです。

No.73　『人狼城の恐怖　第一部／ドイツ編』二階堂黎人（講談社ノベルス）
No.74　『人狼城の恐怖　第二部／フランス編』二階堂黎人（講談社ノベルス）
No.75　『人狼城の恐怖　第三部／探偵編』二階堂黎人（講談社ノベルス）
No.76　『人狼城の恐怖　第四部／完結編』二階堂黎人（講談社ノベルス）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　→以上、井戸端ミステリ会議へ

No.77　『お楽しみの埋葬』エドマンド・クリスピン（ハヤカワ・ミステリ文庫）

　ＨＭＭ８月号の〈ポケミス〉復刊アンケートを見ていると、昔読んだミステリを無性に読み返したくなってくる。今度の11月号で復刊全ラインナップが発表されるようだが、その前に数冊読み返してみようと思った。そこでまず手に取ったのが、復刊アンケートでは７位にランクインした『お楽しみの埋葬』。細かい筋は忘れていたので、初読と同じくらい楽しめた。
　こんなに楽しいミステリは滅多にない。誇張ではなく、本当に読み終わるのが勿体ないほどニヤニヤ、クスクスさせてくれるのだ。本来なら迫真のシーンになるはずの犯人とのカーチェイスも、笑いのツボを心得た展開で思う存分楽しませてくれる。キャラクターもくっきりと描かれており（特にゴクツブシと呼ばれる豚の使い方が見事）、知的な閃きに満ちたユーモラスな文章にはため息さえ出てしまう。これは訳文の質もかなりいいのだろう。勿論ミステリとしてのプロットも素晴らしく、過不足なく張られた伏線、巧妙なミスディレクション、意外な犯人と文句なし、つまりどれをとっても見事だから褒め言葉以外は何も言うことがない。褒めすぎかもしれないが、私にとってはオールタイム・ベスト級の作品なので、これを褒めずに何を褒める、という気持ちで一杯である。倉知淳ファンの方にも絶対のお薦め（倉知淳のユーモアは英国風なので、倉知作品が好きな人はサイモン・ブレッドやクリスピンの作品を十二分に楽しめるだろう）。この本は古本でしか持っていないから、復刊されたらもう一冊買おうと思う。保存用にもう一冊買っておいても絶対に損のない作品だと言えます。

No.78　『暗い鏡の中に』ヘレン・マクロイ（ハヤカワ・ミステリ文庫）

　創元には恨みがある。創元は以前マクロイの『家蠅とカナリヤ』を刊行すると予告していたはずだ。だから私は神保町の古本市で『家蠅とカナリヤ』の旧訳が掲載された《別冊宝石》を見つけても買わなかったのである。それなのに出さないとは何事だ。さっさと訳せ、とっとと出せ。ついでに彼女の短編集も出してほしい。マクロイの作品を初めて読んだのは中編「人生はいつも残酷」だったこともあって、彼女のショート・ストーリーには個人的にも愛着があるのだが、それだけではなく「燕京綺譚」「歌うダイヤモンド」など、彼女は実際に優れた短編を数多く書いている。是非ともこれらの傑作群を一冊に纏めるか、或いは未訳を多く含んだ短編集を企画してほしい。……で、今回読んだ『暗い鏡の中に』は〈ポケミス〉復刊アンケート23位の作品。ドッペルゲンガーを扱っていることでも有名な作品である。
　ほぼ五十年前に執筆された作品であるが、現在でもなお味読に耐え得る名品である。正直言っていま読むと、本格ミステリとしての構成には特別目を瞠るほどのものはない。では何がこのミステリを現在でも読むに耐えるものにしているかというと、それはレース編みの如く繊細に綴られた文章であると思う。たおやかな恐怖に読者を引きずり込む文章の吸引力、次々にイメージを膨らませていく描写。この文章によりサスペンスは次第に高まっていき、遂に臨界点を迎えたとき、名探偵ウィリングの謎解きが始まる。ラストに解明される殺害トリックも、それだけを取り出して考えると格別凝ったものではないが、この文章で書かれているからこそ、そのトリックは悪魔的な美しさを伴うのだ。そして幕切れの余韻は比類がない。ニューロティック・スリラーのエレガントな名品であり、やはり忘れられてしまうにはあまりに惜しい作品である。

No.79　『弥勒』篠田節子（講談社）

　篠田節子は初読のようなもの。角川ホラー文庫から刊行された短めの長編『美神解体』だけは読んでいたのだが、篠田ファンに言わせるとそれは「篠田節子を全く読んでいないに等しい」らしい。ということで、いきなり新刊の『弥勒』を読んでみました。
　非常に良く書けている。描写力もレベルが高い。読んでいる間は否応なく作品世界に引きずり込まれた。読んでよかったと思う。……だが、しかし、それなのに。読んでいるときはあんなに面白かったのに、読み終わるとなぜか奇妙にこの長編、印象が薄いのである。それが何故なのか自分でも上手く説明できないのが歯がゆいが、物凄い小説になり損ねた小説というか、この筆力があったらもっと読後の充実感が無かったら嘘だろうというか、そんな気分なのである。各エピソードは非常に良く描けているものの、物凄いシーンが続くというよりは、（口が悪いけど）そつなく纏めているといった印象で、過剰な部分が無いというか、「全部捨ててもこれだけは伝えたい」という気迫がいまいち伝わってこなくて、だから最後まで読んでも、クーデターの残酷性とその末路を書きたかったのか、偶像崇拝否定を描きたかったのか、「この世に救いは必要なのか」という問題を掘り下げたかったのか、それとも他に何かテーマがあったのか、なんとなくテーマが判然としなくて、結果「クーデターの勃発と収束」というシミュレーションの研究結果を読んだような気分になってしまった、というわけなのである。筆力もある、大変な力作でもある、しかし僕としてはいまいち「これは凄い」と騒げない。騒ぎたかったのに。そんな本でした。

No.80　『私が愛した悪党』多岐川恭（講談社文庫）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.81　『鎮魂の森』樹下太郎（出版芸術社）

　樹下太郎は短編の名手であるが、長編にも『銀と青銅の差』のような秀作がある。今回読んだ長編『鎮魂の森』にも注目すべき箇所は見られる。何より応召をプロットの核に据えたところが面白い。が、やはりこの人は短編のほうが上手いようだ。長編だと折角のアイデアが引き延ばされて中だるみしてしまうのである。読みながら途中で「この辺りでさっさと終わったほうが良いのではないか」と何度か思ってしまった。脅迫者の正体もこの展開では推理不可能。秀作とは呼びがたい。同時収録の短編「お墓に青い花を」のほうがずっと引き締まった出来なのだが、しかし樹下のレベルを考えると首を傾げるところもある。現在唯一簡単に入手できる樹下の作品がこの本だけでは樹下が気の毒。ぜひとも短編集の復刻をお願いしたい。

No.82　『実況中死』西澤保彦（講談社ノベルス）

　超能力者問題秘密対策委員会出張相談員（見習）神麻嗣子の超能力事件簿シリーズ第二長編（ああ長い）。本命の謎（つまり、ボディの正体）とその解決は意外性があってそこそこ楽しめたのだが、しかしその他の解明がかなり荒っぽいのが気になった。ここで一つ一つ例を挙げると犯人からトリックまで全部バラすことになるので控えるが、結構雑な点が目立ったように思う。また今回は謎よりも、能解警部と保科の微妙な関係の面白さで読ませるが、その反面、嗣子嬢の存在感が前作より更に薄くなってしまったのが残念である。この先、警部と保科の関係を中心としてシリーズを進めても面白いとは思うのだが、個人的には、このシリーズは飽くまで“超能力事件簿”なのだから、嗣子嬢を中心に据えて奇想溢れるストーリーを展開していってほしい。
　今回、本筋よりも興味をひかれたのが出版中止となった『転送密室』という作品の行方。作品内では保科が書いたミステリとなっているが、『転送密室』は西澤の新刊として実際に講談社ノベルスから六月初旬に刊行が予定されていた本である。ここに書かれているのが本当の出版中止の事情なら、果たしてネタが重なった作品とは何だろう。小説の中ではネタがぶつかった作品は女婦木ミラ著『浮遊夜会』となっていて、このタイトルは否応なしに『不夜城』を連想させるが（中島みゆきを連想する人は……多くないだろうな）、馳星周が本格ミステリを書くわけがないからこれは却下。西澤の作風から考えて、ネタがぶつかったと連想できるのは、刊行期日も考慮に入れると奥泉光の『グランド・ミステリー』（読んでないけど）と柴田よしきの『柚木野山荘の惨劇』だろうか。特に後者は猫の話でありパソコンの話でもあるから、『幻惑密室』に出てきたアボくんが『転送密室』に出てきてあれこれとやっていた可能性はあると思う。更に「女婦木ミラ」は本格以外の作品でデビューしたと書かれているが、柴田よしきのデビュー作はクライム・ノベル的警察小説の『ＲＩＫＯ』だった。というわけでネタが衝突した作品とは『柚木野山荘の惨劇』か？　誰か答えを教えてください。

No.83　『瑠奈子のキッチン』松尾由美（講談社）

　不条理劇とミステリとＳＦからそれぞれ等間隔の地点に位置するような、奇妙な筋の作品である。当然ながら、話の筋はいくら奇妙であっても何ら問題ない。しかし、展開の奇妙さのほうにはある種の戸惑いを感じた。つまりどういうことかと言うと、読みながら「どうしてここでこうなってしまうんだろう」と思ってしまったのである。それまでは比較的ほんわかと話が進んでいたのに、中盤で主人公がマンホールの中に入ると、何やら話が突如生々しくなるのだ。日常感溢れる台所に非日常的な不条理謀略劇を組み合わせたアイデアは高く評価したいし、ラストにも面白いテイデアが幾つか見られるのだが、中盤で秘××ラ×のような陳腐なものを登場させてファンシィな雰囲気を打ち砕いてしまったことが惜しまれる（しかもこの人の文体は生々しいものを書くのに向いていないと思う）。そこそこ面白いけれど、もう少し面白くなるかと思ったんだけどなあ……

No.84　『霊名イザヤ』愛川晶（角川書店）

　良い作品であるとは思うのだが、後味が悪い。ミステリなのではっきりとは書けないが、こういうタイプの後味の悪さは正直言って好きになれない。但しミステリとしては良く書けていると思う。大抵こういう「主人公が罠にはまっていく話」を読むと、主人公が望んで悲劇に驀進してるようにしか思えなくて苛々することが多いのだが、この話はそういう不自然さ（あるいは「この主人公ってバカ」と思わせるような箇所）がないので、サスペンスとして上出来の部類ではないか。また、本格としては犯人がミエミエだと思って読んでいたが――そして実際、半分は当たっていたのだけれど――残り半分は作者にしてやられた。この真相、なかなか意外である。二箇所ほど疑問の残る点はあるけれど（幼女誘拐殺人事件の処理と、ある登場人物の行動の不可解さ）、結構いいんじゃないですか。愛川作品には未読のものが多いのだが、発表済の作品の中にこれよりも出来がいいものがあったならもう少し話題になっていた筈だから、つまりこれが愛川氏の最高傑作だろう。陰惨な展開が好みに合うかどうかは別として。

　ちなみにこの話の第六章は「モザイクの中の猫」と題されているが、デビュー作『化身』の続編として創元から刊行予定だった長編のタイトルがやはり『モザイクの中の猫』だった。この長編は『鏡の中の他人』のあとがきで「刊行できなくなった」と書かれていたが、『霊名イザヤ』はそのアイデアを転用したものかもしれない。あるいは『モザイクの中の猫』改稿版とか。『化身』も『霊名イザヤ』も幼稚園が舞台の話だし。でも、どうして折角書き上げた長編の刊行が不可能になったのだろうか。理由を知りたいですね。

No.85　『ユキの伝言』下田治美（角川書店）

　傑作『愛を乞うひと』の作者による短編集（ミステリではない）。『愛を乞うひと』がそうだったように、ここに収録された短編も壊れた親子関係を扱っている。インパクトが少し弱いかもしれないと思いつつも、なかなか面白く読んだ。表題作「ユキの伝言」は、利発な子供だったユキが突如赤ちゃんの精神状態に戻ってしまう話。「診断名、異常なし」は自分の娘の精神状態に異常があると心配し、精神科を渡り歩きながら自分を責める母親の話。「ユキの伝言」に出てくる、自分の娘にどこまでも関心が持てない母親のキャラクターは、「診断名、異常なし」の母親と対極の位置にありながら、どちらも病んでいることでは同じ。最近問題になっている症例を扱っているが、その問題を仰々しく訴えずにきちんと作品の中に溶け込ませている（最近の“お勉強ミステリ”が駄目なのは、取り扱っている問題をどうしても仰々しく訴えてしまうところだろう）。高校の教師に誘惑されてセックスをしたら、妊娠したと連絡が来てうろたえる大学生を描いた「十八歳の誓い」は、主人公が相手の教師に思わず投げかけてしまう残酷な言葉にドキリとさせられた。こういう、思わず残酷な部分を見せてしまった瞬間を切り取って描く女性作家って最近多くなりましたね。微笑みながら子供を生むことに執着する女性教師のキャラクターも印象的で、個人的はこの短編が集中のベスト。作者の下田治美は才能ある人なので、今度はもっと長いものを書いてほしい。

No.86　『冬休みの誘拐、夏休みの殺人』西村京太郎（中央公論社Ｃ☆ノベルズ）

　昭和41年から43年にかけて執筆された、少年向け推理小説三篇を収録。書誌的には、西村が『天使の傷痕』で乱歩賞を受賞したのが昭和40年であり、昭和41～43年間に執筆された作品では『Ｄ機関情報』『太陽と砂』がある。だからこの『冬休みの誘拐、夏休みの殺人』は彼の最も早い時期に書かれた作品を纏めたものであり、本作の刊行はディープな西村ファンでなくともなかなか興味深いものと言えるだろう。高校生向けに書かれた「その石を消せ！」「まぼろしの遺産」と中学生向けの「白い時間を追え」が収録されてあり、少年向けという制約を作者が意識していたためか出来は特筆するほどのものではないが、プロットの作り方が如何にも初期の西村らしい凝り方をしていて面白く感じた。何の意味もない行動をしようと計画し、ただの石をリュックに詰めて九州に運ぼうとした少年がダイヤモンドを運んでいると誤解されて誘拐事件に巻き込まれる「その石を消せ！」、久しぶりに再会した少女に声をかけたら人違いだと膠も無くはね返されるが、知らないうちにポケットに彼女名義の定期券が入っていたことから不可解な事件に巻き込まれる「まぼろしの遺産」、このプロットの味わいは明らかに「一千万人誘拐計画」や『華麗なる誘拐』などの秀作を書いていた頃の西村の味わいと同じもの。そういうわけで、西村の初期作品をあらかた読み尽くしている人が当時を懐かしがって読むにはなかなか良い本だろう。しかし前述の通り出来はそんなに特筆すべきものではないので、全然西村を読んでいない人は、迷わず大人向けの初期長編から入ってほしいと思います。

No.87　『怪獣男爵』横溝正史（角川文庫）
No.88　『大迷宮』横溝正史（角川文庫）
No.89　『黄金の指紋』横溝正史（角川文庫）
No.90　『迷宮の扉』横溝正史（角川文庫）
No.91　『金色の魔術師』横溝正史（角川文庫）
No.92　『女王蜂』横溝正史（角川文庫）

　ある同人誌の原稿を書くために読み返しました。詳細はそちらに書くのでここでは割愛します。

No.93　『猿来たりなば』エリザベス・フェラーズ（創元推理文庫）

　小味ながら、きりっと引き締まった佳作。フェラーズといえばサスペンス色が強い作品の書き手、という印象があったのだが、こんなにしっかりした、何処から見ても本格に見える本格を書いていたとは。これを読んで、フェラーズのイメージを少し変えなければならないと思いました。
　幕開けがユーモラスなだけに最初はユーモア・ミステリと思って読んでいたが、次第に人間関係がどろどろしてきて、最後のほうはかなりブラックな味わいになる。その辺りのテイストは読む人それぞれの好みによるだろうが、ボケとツッコミの迷探偵コンビ、エキセントリックな容疑者たち、そして殺されるのはなぜかチンパンジーと、如何にも本格ミステリ、という雰囲気が楽しい（あるいは解説で森英俊氏が指摘している通り、「如何にも本格ミステリ」というところに黄金時代パズラーのパスティーシュ的な味わいが感じられる）。真相はさして意外なものではないが、逆に言うとこの、さして意外ではない真相を覆い隠す手際に見るべきものがあった。伏線も堅実に張られているし、プロットもごちゃごちゃせずにすっきりと纏められているから、本格の教科書的作品と呼んでもいいだろう。しかし何よりこの作品で特筆しておきたいのは、真相に触れることになるのではっきりとは書けないが、とにかく読み終わったらそのまま本を閉じないで、改めて冒頭を読み返してみてほしいということだ。作者の大胆さに驚かされること請け合いである。

　最後に中村有希さん、翻訳家デビューおめでとうございます。これからの御活躍を期待しております。翻訳の合間に謎宮会にも原稿書いてくれるととっても嬉しいんですが（笑）。

No.94　『仏蘭西シネマ』多島斗志之（双葉社）

　僕は映画ファンではない。というよりも、そうならないようにしていると言ったほうが正しいだろう。読書の他にこれ以上趣味を増やしたら、僕は過労で倒れてしまう。
　さてこの作品、多島斗志之の作品ではあるが、ミステリではなかったので驚いた。広義のミステリに含める人もいるかもしれないが、この作品の面白さは謎の追求にあるのではない。内容は、著者自身が『このミス／98年度版』で書いている文を借りると、「往年のフランス映画《肉体の悪魔》にまつわる物語。名作の評価を受けながら、監督クロード・オータン＝ララはなぜ三十年以上もの間、その再上映を許そうとはしなかったのか」というもの。つまり、本書はミステリというよりも映画の物語であり、監督クロード・オータン＝ララの物語なのだ（物語といっても、映画ファンではない僕にはどこまでが事実でどこからが虚構なのかよく判らない。とはいえ、トリュフォーやゴダールの名前くらいなら知ってるけど）。……で、この作者にとって気の毒なのは、この本が刊行される前にセオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』という、映画フリークのための化け物のような作品が刊行されてしまったことだろう（ちなみに私はこの本を読んでいない。興味はあるが、「映画ファンでなければ辛いかもしれない」と書評されていた本に四千円払う度胸はちょっと無かった。但し五十頁ほど立ち読みしてみたところ、あれは映画ファンでなくとも、ひとつの「情熱の物語」として楽しめるような気はする）。あの本の前では、たぶんこの本のスケールなど吹き飛ばされてしまうのではないか……しかし、いつも言っている通り、小品には小品なりの良さというものがある。ストーリーの殆どがフランスで展開される名画のお話を、秋の夜更けに静かに楽しむのも良いのではないか、と思います。

No.95　『名探偵　水野紗杜瑠の大冒険』二階堂黎人（実業之日本社）

　うーーーーむ。蘭子シリーズはまだしも伝奇的趣向とスケールの大きさで読ませるけど、それを取っ払った水野シリーズってはっきり言って問題あると思う。今回はいろんな作品のパロディや本歌取りに走ってるけど、本来こういうものは本家よりも出来が良くないと意味ないんじゃない？　『本陣殺人事件』のトリックが実行不可能だからって新しいトリック考えた「『本陣殺人事件』の殺人」は、トリックが本家の美しさにまるで及ばないから単に本家にケチつけただけに終わっているし、「折角のエビスビールが伏線になっていない」と西澤保彦の『麦酒の家の冒険』に不満を持って書いた「ビールの家の殺人」も、この解決だったら本家でエビスビールが伏線になっていなくて良かった良かったって思っちゃうくらいの出来でしょう。島田荘司的ミステリを真似した後続作品、つまり津島誠司の『Ａ先生の名推理』を揶揄したらしい「空より来たる怪物」は、津島の「叫ぶ夜光怪人」とか「山頂の出来事」とか「怪物Ｘ」が元ネタなんだろうけど、細部を整えようとして長くなりすぎちゃった二階堂作品よりも、いっそバカトリック一本勝負だった津島作品のほうが短いしすっきりしていて私は好き。二番目に入っている「ヘルマフロディトス」は女子高生の日記の文体だけで早くも拒否反応を覚えてしまった。頭悪そうな文章が続く割には「事情通」なんて絶対女子高生が使わなそうな言葉も出てくるからなんかギクシャクしておかしいし、いまどき「トキメキのティーン」なんてフレーズはねーだろーよ。そういうわけで二階堂さん、水野シリーズを書き続けるのなら、本腰入れて改良しないと駄目だと私は思います。

No.96　『女賊』橋本治／絵＝岡田嘉夫（集英社）

　江戸川乱歩が描いた美貌の女賊の物語『黒蜥蝪』を、新たに黒蜥蝪の一人称で描き直したもの。光源氏の一人称で『源氏物語』を描き直した『窯変源氏物語』の作者らしいアイデアである。橋本によってエピソードが大胆に膨らまされた箇所もあるものの、基本的には『黒蜥蝪』の内容をそのままなぞっており、言葉の選び方も美しく、何より岡田嘉夫の絵の力が凄まじい（色彩も素晴らしい）から、値段はちょっと高いが十二分に楽しめる一冊となっている。但し、舞台を現代に移し替えようとした点は理解に苦しんでしまう。このデカダンな妖しい物語を現代日本に移植してみようという実験的な試みだったのかもしれないが、〈ゆりかもめ〉の一言が出てきただけで読んでいるこちらとしては、美しい夢から無理矢理引き剥がされたような気分になってしまった。とはいえまずはお薦めの一冊。このお話は来年、篠井英介の一人芝居で上演されるらしいが、篠井英介でこの原作ならたぶん成功は間違いないのではないか（しかも脚本のほかに衣装その他まで橋本治が担当するらしい）。楽しみがまた増えたと言えるでしょう。近日刊行予定の『マルメロ草紙』という作品にも期待。

No.97　『月曜日の水玉模様』加納朋子（集英社）

　七篇を収録した連作短編集。帯には「『ジハード』よりもけなげで、『ショムニ』よりもリアル!?」という読書意欲を削ぐようなダサダサの宣伝文句が書かれてあって、この帯のせいで加納さんの本ながらも第一印象は凄く悪かった。そのせいか最初の二篇を読んだ時点では「特別どうってことない話じゃん」と醒めきって読んでいたのだが、第三話「水曜日の探偵志願」辺りから次第に盛り上がってきて、読み終わる頃にはすっかり感心。一つ一つの短編の出来も良いのだが、連作として非常にバランスが取れており、さすがデビュー以来連作ばかり発表してきただけのことはある。各話のエピソードの配置・配分が計算し尽くされていて、特に第六話「土曜日の嫁菜寿司」の見事なエピソードの配置には唸ってしまった。それまでの登場人物を勢揃いさせた最終話「日曜日の雨天決行」も連作の締めとして素晴らしい出来。ラストで登場人物勢揃い、という最近流行りの手法には感心させられることは少ないのだが（「これは上手い」と思ったのは井上ひさしの『十二人の手紙』と結城昌治『出来事』くらいか）、しかしこの作品ではソフトボールの選手を集める、という設定を打ち出したのが上手い。軽いが隅々まで気が配られた連作短編集、面白かった。ただ加納さんにはそろそろ、自らの作品世界を粉々にするような作品も書いてほしい。また単行本未収録のノン・シリーズものも結構溜まっているはずなので、そちらもそろそろ蔵出ししてくれると嬉しいのだが。

No.98　『マニアックス』山口雅也（講談社）

　傑作短編集『ミステリーズ』の姉妹編。《メフィスト》に掲載された作品が多く入っているので、殆どの短編は読んでいた。《メフィスト》で一篇一篇読んだ時は正直言ってあまり印象に残らなかったし、個々の短編の完成度は『ミステリーズ』に劣っているだろうが、しかしこうやって一冊になったものを纏めて読むと、やっぱり強い独自性があって面白い。集中では、島の漂着物を蒐集して暮らす女性を描いた恐怖譚的ミステリ「孤独の島と島」、豪奢な一幕劇を観たような余韻を残す「人形の家の家」の二篇がベストだろう（どちらか一方を挙げるよりも、違った世界を持つこの二篇を纏めて挙げておきたい）。展開が巧みな「《次号につづく》」も楽しめた（反対に「エド・ウッドの主題による変奏曲」のような話は正直言って好きではない。まあ、好みの問題だろうけど）。全体としては本格ミステリよりもホラー寄りの作品集で、このベクトルが今後の山口雅也の活動の方向を指し示すものなのかどうかは今のところ見当がつかないが、暫くは山口雅也の動向が楽しみです。個人的には、ホラーのほうに行ってもらいたくはないのだけれど。

No.99　『ひとりで歩く女』ヘレン・マクロイ（創元推理文庫）→来月の井戸端ミステリ会議へ

　どうせシングルかアルバムで全部持っているんだから買うことはないと思っていたのに、発売されるとやっぱり買ってしまったＢ'zのベスト・アルバム《Ｔｒｅａｓｕｒｅ》。特典として『Ｂ'z The Book Ｔｒｅａｓｕｒｅ』も付いてきたし、〈Ｐleasure'91～人生の快楽～〉と〈ＲＵＮ〉もリニューアルされているので結構満足できた（これに、リクエスト15位にランキングされていたという近来の傑作〈スイマーよ！〉が入っていれば申し分無かったのだが）。ところでＢ'zといえば、謎宮会的な発想で印象に残っているのはＬＩＶＥ‐ＧＹＭ　Ｐleasure'93のタイトル“ＪＡＰ　ＴＨＥ　ＲＩＰＰＥＲ”。このモジリには「あ、やられた」と唸ってしまった。勿論元ネタはＪＡＣＫ　ＴＨＥ　ＲＩＰＰＥＲ（切り裂きジャック）である。……というわけで、本当は読書日記のNo.93は『Ｂ'z The Book Ｔｒｅａｓｕｒｅ』なのではあるが、これを挙げるのはズルいような気がするので、これは番外として挙げておきます。

　というわけで来月はいよいよ百冊目、No.100／奥泉光『グランド・ミステリー』（角川書店）から。それでは皆さん、御機嫌よう。　

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謎宮会 webmaster:meikyu@rubycolor.org(高橋)

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