謎宮会 1998/10

読書日記・十月

葉山　響

　はぁ。今月も『塗仏の宴』は読めなかった。『宴の支度』すらまだ読めていない。でも他の未読本は順調に片づけているので、今年中に読みたいと思っている積ん読の新刊本はあと十冊ほど。笠井潔の『天啓の器』と北森鴻の『闇色のソプラノ』、それに西澤保彦の新刊を読めば、今年の本格については一応語ることができるかな、などと生意気なことを考えております。でもこの後も服部まゆみ、折原一、藤木稟、霞流一の新刊が出るので、そう安心してもいられないといったところでしょうか。北森鴻の短編集も出るし……そう言えば、もう少しで刊行される北森鴻の『花の下にて春死なむ』も、もう出ている芦辺拓の『探偵宣言』も貫井徳郎の『光と影の誘惑』も、初出は〈創元推理〉のものが多いですね。全部他の出版社から出てるけど、創元はもう短編集は出さないんでしょうか。他にも、刊行が予告されていた平石貴樹の『笑ってジグソー、殺してパズル』も出てないし、天藤真の全集も暫く出ていない。創元には頑張ってほしいのだけど。

　それから或る人に言われて驚いたのですが、もしかして皆さん、私がここで取り上げている本を全て買って読んでいると思っていらっしゃいますか？　確かに買うものは買ってますが、こんなにたくさん買えるわけないじゃないですか。いろいろあるんですよ、読む方法は（笑）。それでは今月も始めましょう。

No.100 『グランド・ミステリー』奥泉光（角川書店）

　全体的にはミステリというよりも、純文学的なＳＦを読んだという印象。何が現実で何が虚構なのか次第に混沌としてきて、霧の中を手探りで歩いているような気持ちになる。そのような、世界がねじ曲がり歪んでいくようなプロットにミステリよりもＳＦのテイストを強く感じたのだが、読み終わってみるとミステリとしても一応謎が割り切れるので若干吃驚、というところか（これを読んで、たまにはＳＦもいいものだ、これからはＳＦも読んでみようかなと思った。そう思わせるということはＳＦとしてもかなり良く書けているということだろう）。全体的に見ても個別的に見てもこれはかなり良く出来ている小説で、個別的には第一章「真珠湾」の戦争＋青春小説的な面白さ、第二章以降のサロン小説としての面白さなど、いろいろな楽しみ方が可能であり、特に僕は第三章「ミッドウェー」の異様極まりない雰囲気（ほとんど恐怖小説）が強く印象に残った。そして全体を通して浮かび上がるメタ歴史小説的な味わいがとても魅力的。さらに、センテンスの長い独特の文章も非常に印象に残り（もしかすると谷崎『細雪』のあの文章を多少意識したのかもしれない――と思ったのは作中に『細雪』が出てきたからなのだが）、この作品で何が一番印象に残ったかと聞かれたら、僕はこの文章を挙げるかもしれない。
　とにかく、楽しむ箇所が読む人それぞれに違うであろう非常に多面的且つ壮大な作なので、読む人各々の『グランド・ミステリー』があるだろうと思う。遅まきながら、各ジャンルからの絶賛も大げさではなかった、と確認した次第です。

No.101 『赤い額縁』倉阪鬼一郎（幻冬舎）→井戸端ミステリ会議へ

No.102　『死の内幕』天藤真（創元推理文庫）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.103　『消える総生島』はやみねかおる（講談社青い鳥文庫）
No.104　『魔女の隠れ里』はやみねかおる（講談社青い鳥文庫）

　同人誌の原稿を書くために読み返しました。詳細はそちらに書くのでここでは割愛します。

No.105　『殺す』Ｊ・Ｇ・バラード（東京創元社）

　これはミステリ的な構成という点では破綻しているものの非常に面白かったので、バラードは今まで一冊も読んだことがなかったが、せめて『結晶世界』と『第三次世界大戦秘話』くらいは読んでおきたいと思った。平和な住宅地で三十二人の大人たちが殺害され、十三人の子供が誘拐される。犯人像をめぐって諸説入り乱れる中、主人公の精神科医は一人の刑事と共に真実に近づいていくというストーリー。犯人はすぐに割れる（すぐに見当がつくという意味ではなく、かなり早い段階で明かされる）が、その後の展開も読みごたえがあり、特に動機の描き方が凄く、一見不条理な動機のように思えるものの、読み進めるうちに圧倒的な筆力で説得させられてしまい、これからはこういう犯罪が増えていくのだろうというところまで納得してしまった。空恐ろしい余韻を残すラストも秀逸。さらに、本書が発表されたのは今から十年ほど前だということで、予見性という点でも本書は素晴らしい。短い話だが、そこら辺に転がっている大長編を読む以上の満足感を与えてくれた。
　ちなみに本書においてたびたび言及されるハンガーフォード事件はレジナルド・ヒルの『完璧な絵画』導入部のモデルになった事件であり（『完璧な絵画』の訳者あとがきには触れられていないが、そうとしか思えない）、バラードとヒルという二人のベテラン作家が同じ事件をどう扱ってみせたかということを読み比ベると面白い。バラードは真面目であるが、ヒルは一体何を考えてニュースを見てたんだか……（笑）。でも、其処が如何にも英国の作家らしくて好きなのですが。

No.106　『有限と微小のパン』森博嗣（講談社ノベルス）

　森博嗣の作品の中ではこれが一番出来が良い――と言い切るのは『すべてがＦになる』をもう一度読み返すまで控えるが、読後の充実感は過去十冊の中、この作品が一番だった。これは完成度が高くなったというよりも、僕が森作品の雰囲気に慣れきってしまったからなのかもしれない。だから近いうちにデビュー作の『Ｆ』をもう一度読み返して、それからこの作品について判断したいと思います。この作品についてはそれまで保留。

No.107　『炎の背景』天藤真（角川文庫）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.108　『多重人格探偵サイコ１』大塚英志（角川スニーカー文庫）

　「なんだ、割と面白いじゃないか」という思いと「まぁ、こんなもんかな」という思い、二つの感想を持った。結構禍々しい話題ばかり耳に入っていた作品だけに、どんな陰惨な話なのだろうかと一応覚悟して読み進めたら、なんだこれは気色は悪いが普通のエンタテインメントではないか。こんなもんで業界の人間は戦々恐々してしまうのか？　ラジオドラマの放送を躊躇ってしまうのか？　これが駄目なら先月読んだ『キラー・オン・ザ・ロード』なんて焚書処分だろう。バラードの『殺す』など映画化されるというではないか。本書はマンガの分野ではセンセーショナルだったのかもしれないが、活字にすると普通のエンタテインメントであり、それ以上でも以下でもないと思う。
　作者は「この小説を角川ホラー文庫ではない別な文庫から出版すればある意味で凡庸なミステリーもどきでしかない」と書いている。その通りだと思うが、それでも一応ストーリーの緊迫感はなかなか良く書けていて（但し小説としてではなくマンガの緊迫感だが）、メディアミックス系の作品では昨年刊行された黒沢清の『ＣＵＲＥ』（監督自身が書いた同名映画のノベライズ）よりも迫力はある。どっちが面白いかと聞かれたら『ＣＵＲＥ』を挙げるけれど。でも、帯には綾辻・法月両氏の推薦文も付いているから、読んで損はないかもしれない。……ただ、この作品の一番の疑問は、なぜマンガ周辺の閉塞的状況を打ち破ろうとするマンガのサイドストーリーが小説という形で発表されてしまったのか（それもあとがきでわざわざ「凡庸なミステリーもどき云々」と嘔っていながら）ということである。それは作者本人じゃないから判りませんが。

No.109　『殉教カテリナ車輪』飛鳥部勝則（東京創元社）→井戸端ミステリ会議へ

No.110　『十三番目の陪審員』芦辺拓（角川書店）

　芦辺拓、渾身の力作である。日本に甦った陪審制度という興味深い設定を中心に据え、リーガル・ミステリーの面白さを大胆に導入しながら、それでも屋台骨の部分はしっかりと本格ミステリ。さらにＤＮＡ鑑定のトリック、半倒叙的プロットの面白さ、マスコミ・政治家・裁判制度などの諸問題を追求した社会派的構成など、ネタを詰め込んだ充実感が素晴らしい。社会派的構成については、諸問題を強く弾劾するために多少片方に偏ってしまったような感もあるが、その不満を吹き飛ばしてしまうほどの作者の気合が気持ちいいし、名探偵弁護士・森江春策の優しさが「巨悪を弾劾する」という仰々しさを和らげ、ストーリーをいい雰囲気に運んでいる。またこの作品では、犯人の行動やトリックを前半で割っておきながら、それでもなお謎の面白さを残しておく形式、つまり半倒叙的形式が採用されており（作者はあとがきでこのプロットを「逆本格推理小説」と呼んでいる。また佐野洋はこういうプロットを慥か「逆倒叙推理小説」と呼んでいたような記憶もある）、そこに推理のレベルでは解きあかせないだろうＤＮＡ鑑定のトリックを嵌め込んで、最初からそのトリックを明かしてしまい、しかしトリックを最初から明かすことによって却ってそのトリックの面白さを見事に引き立てている。このように、半倒叙という形式が見事な効果をあげているのだ（この手法を読んで、僕は草野唯雄の最高傑作『女相続人』を思い出した。トリックを使用時に明かすことでそのトリックの面白さを活かした例では夏樹静子の『Ｗの悲劇』か）。

　そしてそれに加え、二重底の真相を用意したプロットも評価したい。いったい殺人事件の裏には何があるのか（その答えをはっきり書いてしまっている帯はできるだけ見ないでほしい）、敵は裁判の終幕で何を狙っているのか、さらにさらに、こんな大がかりなことを策謀した真の動機はいったい何だったのか――最後の問いの答えには私、思わず膝を打ちました。なるほどそういうことだったのか、それならば犯人側もこれだけ大がかりなことを仕組もうと考えるかもしれない、という具合。弱点もないわけではないが、芦辺拓にしか書けない作品に仕上がっているのではないか、という予感はやっぱり外れていなかった。お薦めです。
　――なお、あとがきで触れてあるテレビドラマ〈帝都の夜明け《昭和三年の陪審裁判》〉は慥か、日本テレビ系《水曜グランドロマン》の開始記念番組として制作されたものではなかっただろうか（開始されて二週目か三週目に放送されたものだったと思う）。このドラマは確かに傑作で、原作があったら絶対に買って読もうと思ったら、オリジナル脚本だったので驚いた記憶がある（つまり、それだけ完成度が高かったということ）。役者陣も今は亡き草野大吾など、渋めだがいい役者が揃っていた（これも記憶なので間違っていたらごめんなさい）。たぶんビデオ化はされていないと思うのだが、今からでもビデオ化してくれないだろうか。その価値は十二分にある作品だと思うのだが……。

No.111　『池袋ウエストゲートパーク』石田衣良（文藝春秋）

　オール讀物推理小説新人賞受賞作「池袋ウエストゲートパーク」と、それに続くシリーズ連作短編三本を収録。で、一昨年あたりにこの本を読んでいたら評価も多少は変わっていたかもしれないが、もはや去年に阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』を読んでしまった僕としては、この本、内容が古めかしいとしか感じられず、僕はこれを「現代の青春ミステリ」と呼びたくない。池袋を舞台にして現代の青春ミステリを書こうとしてはいるものの、このストーリーの骨組みはそのままヤクザの人情話にも置き換えられるものではないか。第一、現代の若者（笑）が義憤に燃えて行動するって設定だけで、もはや嘘っぽい。であるから、もしかしてこの作品は「現代の若者を理解しようとしているオジさん連中にはウケがいい作品」なんじゃなかろうか。とはいえ慣れてくるとそこそこ読めるから別にいいって言っちゃ言えるんだけど、でもなあ。それと個人的に気になったのは、何度か出てくる「あきれたボーイズ」っていう呼称で、作者も四十前後の年齢だから当然知ってるだろうと思うけど、どうしてもこのフレーズでは「あきれたぼういず」を思い出してしまい、だからこの呼び名が出てくると坊屋三郎とか益田喜頓とかが出てきた気分になって非常に落ち着かなかった（笑）。……表紙にモデルの櫻田宗久君を採用して、現代っぽさを醸しだそうとした造りの本だけど、内容的には何ら新しくない。この手法で現代の青春ミステリは無理でしょう。ちょっと「これでいいいのか」的な気分になりました。

No.112　『罪灯（つみともしび）』佐々木丸美（講談社）

　ふらりと入った古本屋で偶然入手、とっても嬉しい。早速読んでみると、予想を上回る出来だったので非常に満足できた。四つの短編から成る連作集で、春都、夏都、秋都、冬都の四人の女子高生が各篇の主人公をつとめ、探偵役も四篇それぞれに違う男性が登場する。この連作ミステリ、扱われる事件のネタや作品のカラーは各篇それぞれ違えども、実はストーリー展開は殆ど一緒。どこがどう一緒なのか（それがこの作品の趣向と言えるのだが）、それをはっきり書いてしまうこともできるけど、敢えてここでは書きたくない。現在絶版で入手困難な本ではあるが、古本屋などで見つけたら是非とも手にとって、御自分で確認していただきたいと思います（ちなみに、最後に至って全てが繋がる連作長編趣向ではありません）。……また、私はこの中の一篇を読んで、『姑穫鳥の夏』のあのトリックに前例があったことを知って愕然とした。笹沢左保の某長編にも良く似たトリックを使用しているものがあったが、あれよりも『姑穫鳥』に近い作品があったとは。驚きました。
　非常に独特な作品世界に浸りきるのも良し、少女たちの青春ミステリとして楽しむのも良し、連作の巧さに感銘を受けるも良し。各篇の終わりに必ず“百人浜”が言及されるのもファンには嬉しいお約束。この本、慥か文庫になっていない筈だけれども、勿体ないなあ。リリカルな傑作本格ミステリ『崖の館』を始めとして、佐々木丸美作品の纏まった復刊を希望したい。

No.113　『大蛇伝説殺人事件』今邑彩（光文社カッパ・ノベルス）

　今邑彩は比較的、出来不出来の差がはっきりしている作家だと思う。今回は調子が悪いほうの今邑作品で、何故か全体的に素人っぽさが感じられてしまう。たとえば中盤、「そういえば『ヤマタノオロチに会いにいく』と行って旅行に出たわ」と登場人物が語る場面があるが、そんな突拍子もないこと言われたらふつう意味を問い糺すだろうに。これは飽くまで小さい欠点でしかないけれども、他にも探偵役がたまたまヤマタノオロチについて専門家並みの知識を持っていたり、そのヤマタノオロチに関するペダントリが結構うるさく感じられたり、こういう本格ミステリ特有の不自然さが今回はかなり目立ってしまっているのだ。トリックのほうは別に問題ない（新味はないけど）としても、トリックの演出方法となると、やはりこれも空回りしているように思えるし……探偵・大道寺綸子の折角の初長編なのに、これではちょっと残念な出来。決して下手な作家ではない筈なので、次回作に期待します。

No.114　『八月の降霊会』若竹七海（角川書店）

　プロット的にこの作品は傑作とは言えないだろう。現在・過去併せて数件の殺人が起こるのだが、人物関係の面ではつながっているものの、殺人の動機や犯行計画そのものには重要なつながりがあるわけではないので、結末でぐいっと引っ張ると全てが一点で綺麗に纏まるという話ではない。だから本格ミステリとして見ると、サイドストーリーが多すぎて論理・構成のエレガントさには欠ける憾みがある。……しかし、である。さすがは若竹七海、全編を覆うサスペンスが見事のひとこと。中でもとりわけ降霊会シーンの緊張感は凄まじく、この場面だけでも思わず「傑作」と言ってしまいたくなる。そして、このホラーでしか終われないような話に取り敢えずは論理的な解決を与える力業にも目を瞠らされた。が、この作品の本当の凄さは、全ての謎解きが終了した時点から始まる。それについて詳しいことは一切書けないが、若竹七海の本領が発揮された凄絶なラストが待ち受けているので、こういう展開が嫌いな人は全く駄目だろうが好きな人は喜ぶはずだ（笑）。少なくとも若竹ファンは必読だろう。
　後味は決して良くないが、我慢して読んでもらいたい。本編は小林泰三『密室・殺人』と並ぶ本年度最上級の本格ミステリの異端児であり、ホラーファンも必読の作品である。それにしても今年の角川のミステリって変な作品が多くて充実してるなあ。

No.115　『ヴァンパイア・パニック』一条理希（集英社スーパーファンタジー文庫）

　読書日記No.05で触れた『サイケデリック・レスキュー』の続編。前作では、例えば十六歳の少年が財閥の会長になっているとか、レスキュー隊の中に“怪盗”が混じっているとか、すぐに自分のところで開発した最新技術に頼るとか、そういう嘘っぽい箇所が混じっているのに文句を付けたが、今回は更に荒唐無稽なプロットになっており、少なくともこのシリーズにおいて、作者は現実的なプロットで話を進める気は全く無いらしい。僕としては、そういう嘘っぽさを排したほうがこの作者の作家的力量が引き立つと思っているだけに残念である。とはいえ好きな作家であるだけに、取り敢えずは面白く読んだ。でもやっぱり「ウィルスをばら蒔くために企業がわざわざコウモリなんて飼うか」とか、そういう点が気になってしまうのだ。真摯な視点が心地好いし、作家的才能もあるだろうと思われるだけに、勿体ない気がして仕方がないのだが。

No.116　『虚構の空路』森村誠一（講談社文庫）→再来月の昭和ミステリ作家再評価へ

No.117　『帽子屋の休暇』ピーター・ラヴゼイ（ハヤカワ・ミステリ文庫）

　久しぶりのヴィクトリア朝ミステリ、久しぶりのクリッブ部長刑事シリーズ。佳作。第一部は退屈、でも第二部に入ると面白くなる。第一部では、ちょっと変わった男が避暑地で目にした女性に憧れ、彼女を付け回して当の女性と知り合いになる。そして今度は彼女のためになると信じて彼女の夫を付け回す。第一部の内容はこれだけ。そうして男の視点で女性一家の人間像をしっかりと描いておいて、第二部で突如バラバラ殺人を起こす。そんなわけで第一部は正直言って退屈だが、第二部に入ると構成的に意味があったと了解できるから、緩慢な第一部も首肯できる。第二部からはクリッブ部長刑事が登場し、真相を求めて動き回る。真相は決して派手なものではなく、意外なものでもないが、バラバラのピースがあるべき箇所に収まっていく絵解き場面が楽しい。しかしそれだけでは終わらない。最後にもう一つ殺人が起こり、クリッブはその殺害トリックを解かなければならなくなる。そのトリックを見破った後、彼はもう一つ選択をしなければならなくなるのだが、それは読んでのお楽しみ。絶賛するほどじゃないけれど、ラヴゼイらしいプロットが楽しめる佳品である。

No.118　『ヴァスラフ』高野史緒（中央公論社）

　時は二十世紀初頭、壊滅前のロシア帝国において開発されたバーチャル・リアリティのバレエダンサー、ヴァスラフ。芸術家のイマジネーションを体現した彼の踊りに人々は心を奪われ、ロシア皇女まで巻き込みやがては発狂する人間まで現れる始末。そんな中、ハッカーの〈オデット〉はヴァスラフとの接触を繰り返すうち、ある考えを実行に移すのだが……という内容の通り、本書は現実と虚構の皮膜を揺るがす典雅なＳＦであり、伝説のダンサー・ニジンスキーを主題にした芸術家の孤独の物語である。バーチャル・リアリティの中に入り込んで現実世界に戻ってこれなくなる人間、そして彼らが発する「現実って何？」という問いが、ここでは非常に飲み込みやすく書かれているため、ＳＦ門外漢の私にも気軽に読めるのが非常に助かる。ネット上の会話を戯曲形式のように並べた構成も読みやすく、且つ、新しさ（ネット）と同時に古典的（戯曲）なものも感じさせて巧いと思った。面白い。但し今回は、高野史緒の他の作品に比べると軽量なのがちょっと寂しかった（無駄に長いよりはずっといいけれど）。ジャンルに関係なく、この人が仏教小説を書こうがポルノを書こうが私は読むので、早く次の作品を書いてほしいと思います。

No.119　『されど道なかば』羽田雄平（角川書店）

　時代小説。前作『峠越え』を読んでいないまま、いきなり続編のこの作品から読んでしまったが、なるほど、まだこういう手法が残っていたか。これをミステリに応用すると、かなり面白いものが書けると思う。本作は純粋なミステリとして評価するべき作品ではないが、謎めいた展開を辿るのでミステリ的な面白さが全く無いわけではないし（しかもどんでん返しが仕掛けられてあって意表を突かれた）、読んで面白いという点が何よりの強み。御興味がおありの方は手にとってみてください。
　主人公は思考よりも行動の人。そんな彼でも家柄はいいし長男であるし人望もあったので若くして家老に就任する。本作はそこから始まるのだが、何しろ彼は難しいことは一切考えようとしない（というより難しいことには気づかない）ので、藩のお家騒動などの権謀術数には疎すぎるほど疎い。ところが父親と弟は物凄く頭が切れるので、彼は二人の言う通りに行動する。が、彼は自分が何の目的のために行動しているのか実はいまいち良く判っていない。主人公が良く判っていないから、当然読者のほうも何が行われているのか良く判らないという仕掛けなのである。これはミステリとしても充分に魅力的なプロットではないか。この作者が書こうとしたのは飽くまで時代小説であるために、ミステリとしての面白さという物差しでは計り難い作品になっているが、とにかく僕にはこのプロットはとても新鮮に感じられた。春風のような主人公の人柄と、ちょっとクセのある脇役たち、そして全体を包む柔らかなユーモアもなかなかいい味を出している。作者には失礼だが、これは意外な拾い物でした。

No.120　『日曜探偵』天藤真（出版芸術社）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.121　『日曜日は殺しの日』天藤真・草野唯雄（カドカワノベルズ）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.122　『演じられた白い夜』近藤史恵（実業之日本社）

　近藤さんは好きな作家だし、冬の孤島の寒々としたイメージが作品世界とうまく噛み合っていて雰囲気的にはなかなか好みなのだが、飽くまでミステリとして判断するとネタが迫力に欠けて印象が薄い。短編で纏めるとそれなりに良かったとは思うのだが、かといって舞台の台本と現実の殺人を並列させた上、孤島で連続殺人を起こすならやはり長編分の枚数が必要だろうし……難しいところだが、やはりこれだけではインパクトが弱くて食い足りない、もう一つか二つくらいトリックやひねりを加えてほしいと思った。それからもう一つ、近藤さんの描く恋愛が次第にパターン化しているのではないかと感じられてちょっと心配です。とはいえ次作に期待。

No.123　『鈍い球音』天藤真（創元推理文庫）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.124　『悪魔のひじの家』ジョン・ディクスン・カー（新樹社）

　『仮面劇場の殺人』が翻訳されたとき、或るカー・マニアは狂喜乱舞して「傑作」と騒いでいた。そういう人にとって『悪魔のひじの家』は大傑作以外の何物でもあり得ないだろう。カーが晩年に書いた作品の中では本書が最高と言われるだけあって、『仮面劇場の殺人』よりずっと面白い。曰く付きの屋敷、密室に幽霊、怪奇的演出、如何にも“アメリカの男の子”的な友情描写（雰囲気は英国調なのに、友情を描くときだけはアメリカ的になるのがカーの面白いところ）、そして行き当たりばったりの恋愛と、カーのテイスト満載である。さすがに晩年の作品であるためか、恋愛の描き方が昔の作品と比べて落ち着いた、しっとりとしたものになっている点も面白かった。装丁も美しく、これでもう少し文章が読み易ければ良かったのだが……

No.125　『紙婚式』山本史緒（徳間書店）

　小説を読む楽しみは、そこに描かれている「人間」を楽しむことでもあったのだと、久しぶりに実感として思い出させてもらった。深みはないが、実に上手い。作者が山本史緒なので当然これはミステリではないが、しかしこの作家はミステリの手法をとても上手く自作に取り入れている。ただの変な女が、裏の事情が明かされることで悲しいヒロインに転ずる「子宝」、ほとんど恐怖小説並みに怖い奥さんが登場する「土下座」、幕切れの旦那の一言が何気なく怖い「ますお」、リドル・ストーリー的な終わりを付けた「バツイチ」などはミステリの手法を上手く取り入れた例。「秋茄子」は、彼女の才気が突っ走ることなく小説的余韻と見事に溶け合った好篇と言える。短編小説の面白さが味わえるお薦めの作品集。年末刊行予定の久々の長編と、来月文庫化される短編集『絶対泣かない』の刊行も楽しみである。

No.126　『ブラック・ティー』山本史緒（角川文庫）

　『紙婚式』の余韻が後をひいたので、この作品集を読み返してみた。先々月、北村薫『謎のギャラリー』の感想文を書くために、この作品集に収録されている「誘拐犯」を読み返したから、山本史緒作品では唯一簡単に引っ張りだせる場所に置いてあったのである。本当は、買ったけど未読の『群青の夜の羽毛布』を読みたかったのだが、あれは何処にしまってあるのか判らなかったので断念。引っ越し後、自分の家に全ての本を置くことは不可能だったので、本の半分は段ボールに詰めたまま伯母の家に預かってもらっているのだが、あの本は今どの段ボールに……まあそれはおいといて、『紙婚式』と比べると『ブラック・ティー』は若干弱いのだが、「小さな罪」をテーマにした作品集なので（そういえば佐野洋にも『ハンドバックの証言　微罪事件簿』っていう連作があった。関係ないけど）ミステリ・ファンにはこちらのほうがこの作家の入門編にはいいかもしれない。興味がなくても、せめて「誘拐犯」と「ニワトリ」だけでも読んでいただけると、この人の良さの一端が判るんじゃないかと思うのだが……

No.127　『真夜中の犬』セルジュ・ブリュソロ（角川文庫）

　本国フランスでは、推理小説大賞と冒険小説大賞の二つを受賞するという高い評価を受けた作品。でも舞台はアメリカ。しかしテイストはしっかりフランス。
　別になんてことない話なのに、するすると読ませる。高層マンションの壁面を登って管理人に叩き落とされる話、といってしまえばそれまでなのだが、奇妙な味があってなんとなく頁を捲ってしまうのだ。もともと設定が奇妙な上に、作家くずれの主人公と元サーファーの奇妙な友情、黒人リーダーの奇妙な律儀さ、そして異様な管理人と、如何にもフランス・ミステリらしい奇妙さが揃っていて楽しめる。但し最後の「対決」シーンは拍子抜けかも。こういう話のラストは、主人公が自分の力で敵を倒すのがお約束でしょう。しかしそうではないので、ちょっとズルいと思うのだ。結局主人公は何一つ自分では逆境を打開できなかったことになる。とはいえ逆に考えるとこのラストには、結局オマエは自分では逆境を何ひとつはね返すことができないんだよ――というダメ男に対する作者の限りない皮肉がこめられているのかもしれない。ブリュソロはこれが初紹介の作家であるだけに、その辺りの狙いがいまいちはっきり掴み取れないのだが、とはいえけっこう読ませるので、フランス・ミステリがお好きな人は手にとって損はないと思います。
　なお、訳者あとがきで触れてあるこの作家の次回作『コナン・ロード、ある怪盗の秘密手帖』は壮絶に面白そう。作風をがらりと変えてルパンの面白さを引き込んだ長編らしいが、こっちのほうが数十倍読みたい。角川編集部諸兄、絶対刊行してください。

No.128　『アデスタを吹く冷たい風』トマス・フラナガン（ハヤカワ・ミステリ）

　ポケミス復刊アンケート第一位に輝いた幻の作品集、堂々の復刊。期待していた以上に素晴らしかった。特にテナント少佐シリーズの四篇は最も先鋭的な本格ミステリのシリーズに数えられるものであり、先鋭的な手法と作品世界の構築力はかの名作『カリブ諸島の手がかり』にも匹敵する。書かれた年代にもかかわらず現代でもなお新しく、また本格ミステリとしての出来と同時に物語としても見事な成功を収めており、これほどの作品が絶版で読めなかったとは信じられない思いである（しかし、もしかするとこの作品の凄さは現在のほうが受け入れ易いかもしれない）。軍人という職務と自らの信念との狭間で苦悩する陰鬱な名探偵テナント少佐のなんと魅力的なことか。このシリーズはテナント少佐のジレンマと謎解きが見事な融合を見せた文句無しの傑作群であり、四篇で打ち止めになったのがなんとも惜しまれる。これに比べると残りのノンシリーズ三篇はやや見劣りがするが、総じてどれもレベルが高いのは間違いなく、『密室殺人傑作選』にも収録されていた時代ミステリ「玉を懐いて罪あり」（『密室殺人傑作選』には「北イタリア物語」という題名で収録）も高度な一篇。本格ミステリ好きなら必読の短編集で、いいミステリを読んだと心から満足しました。

No.129 『陽気な容疑者たち』天藤真（創元推理文庫）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.130　『皆殺しパーティ』天藤真（創元推理文庫）→昭和ミステリ作家再評価へ

No.131　『陰の季節』横山秀夫（文藝春秋）

　第五回松本清張賞受賞作を含む四篇を収録した作品集。「こんな警察小説があったろうか」という帯の惹句は、大げさな表現が多い惹句にしては最近珍しく正鵠を射ているもので、収録の四篇すべてが警察内部の事務・人事関係から起こる事件を扱っており、確かにこんな警察小説は非常に珍しいだろう。警察内部を克明に描いた警察小説の書き手としては既に佐竹一彦の存在があるが、内部事務を題材にし、しかもそれを連作スタイルで描いた作品となると恐らく前例は皆無なのではないか。扱われる部署は普段ミステリに出てくるようなところとは一味違う部署であり、素材の面白さだけでもなかなか読ませてくれる（二篇目の「地の声」に出てくる部署は「踊る大捜査線」で柳葉敏郎演じる室井さんが異動した部署ですね）。
　しかし、素材の珍しさだけなら全然感心しなかったろうが、案外内容の面でも面白く読ませてくれる。中でも二篇目の「地の声」は、真相が判明すると同時にタイトルに込められた意味が判り、悲しみが押し寄せてくるというなかなかの秀作。男社会の警察内部で奮闘する中年女性を描いた「黒い線」も良い。また、総合的には、第一話「陰の季節」の主人公が第二話以降では脇役になり、登場シーンもぐんと少なくなるものの、結果としては後続の話全てが第一話の主人公を外部から視点を違えて描いたものになっているという点が特に印象に残った。作者の年齢に相応しく文章も落ち着いていて読み易いし、この人はこれから期待できる書き手かもしれないので、次作にも注目したい。

No.132　『屍鬼　上下』小野不由美（新潮社）

　ひとつの村を舞台に、そこに生きる百人以上の人間たちの群像劇を描き切った作家的体力（しかも混乱せずにしっかり描き分けられている）が素晴らしい。そして、（三文字自主規制）という西欧的主題を日本の風土に無理なく溶け込ませた技術は賞賛に値するだろう。この長さを一気に読ませる筆力も見事であると言える。……言えるのだが、しかし正直なところ、物足りない。これが一千枚程度の作品ならば高望みはしないのだが、しかしこれは三千枚を超えるという充分な枚数を使って書かれた超大作である。しかも上下巻併せて五千円もするのである。だから多少文句を言っても罰は当たらないだろう。……で、最も不満なのは、展開に新しさが感じられないことだ。この作品の新しさは（三文字自主規制）の悲しみと苦しみを深く掘り下げたことなのだろうし、確かにその点でじっくり読ませるのだが、下巻に入って展開にだいたい見当がつくとその後の長さが辛くなる。ラストもホラーにはよくある終わり方で、「結局はここに辿り着くしかないのだろうか」という感じ。それからもっと存在に厚みを持たせた人間が、医者と坊さんの二人の他にあと数人は欲しかった。群像劇であるため一人一人の書き込みが少しずつ物足りなく、だから誰が襲われても「えーそんなぁ、この人も襲われちゃうのかぁ！」ではなく「ああ、この人も襲われるんだ」程度の印象。だから全然怖くなく、悲しみも弱いのである。思索劇としても、もっとダイナミックな展開が欲しかったし、各々がそれぞれの正義を追いかけて激しく衝突する様を読んでみたかったと思うのだが……それは無い物強請だろうか。

　なお、この作品を読んで気がついたのだが、私はミステリ以外の作品でも、どうしてもミステリ的な読み方をしてしまうらしい。ちょっと反省した。登場人物に夏野という名前の高校生が出てくるが、その名前は「貴族から取った」というので、ではこれは清原夏野から取ったのだ、清原夏野は平安時代に養老律令（当時の法律である）の官撰注釈書である令義解を編纂した人だから、その人から名前を取ったということはこれが後の伏線になって、たぶんこのキャラが村に再び法律→秩序を取り戻す最重要キャラになるに違いないと思ったのである。……全然違った。でも反省すると共に、紛らわしい記述出すんじゃねーよと思ってしまったのでした（笑）。

No.133　『石の微笑』ルース・レンデル（角川文庫）

　純情な青年が変な女に振り回される話。たったそれだけの話をよくもここまで膨らませて立派なミステリに仕立てたものだと感心してしまった。とはいえこれも期待が大きすぎたためかちょっと不満。どうしてそんなに期待していたのかというと、〈ミステリマガジン〉90年７月号誌上で評論家オットー・ペンズラーが自分のコーナーでその年発表されたミステリのベストを選んでいるのだが、例年なら絶対にロス・トーマスの新刊をベストに挙げる筈の彼が、その年だけトーマスの『神が忘れた町』を退けてこの作品をベストに選び、「彼女のキャリアのなかでも最高の出来ばえだと思う」とまで絶賛していたのである。だからそれ以来どんな傑作かとずっと楽しみにしていたのだが、やはりアメリカ人の言うことはちょっと信用できない（笑）。でもつまらないわけではなく、単純な話を膨らませて変な方向へ持っていこうとする展開に感心。結末も、見当はつくが鮮やかな幕切れ。そして、変な女に振り回される青年の造形が素晴らしく、大抵の作家であれば「いい加減こんな女から離れればいいのに」と思わせてしまうところだが、レンデルは青年の性格を細かく書き込んで、女から離れられない青年の心理を全く不自然なものに感じさせない。その辺りの描写力が唸るほど上手い。しかし、題名“石の微笑”の元になっている石像フローラの扱いがやや中途半端に感じられたのは残念だった。とはいえ原題は“花嫁の付添人”なので、作者はあまりフローラに重点を置いていなかったのかもしれず、これは言い換えれば、この訳題を付けた人の責任かもしれないが。

　今月はこれにて。次回はNo.134／宮部みゆき『クロスファイア　上下』（光文社カッパ・ノベルス）から。上巻は既に読み終わりましたが、やっぱりこの人は上手い！　その後はクリスピンの『金蠅』（ハヤカワ・ミステリ）を読みたいなと思っております。それでは皆さん、御機嫌よう。

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謎宮会 webmaster:meikyu@rubycolor.org(高橋)

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