謎宮会 1998/10

『遠きに目ありて』

小貫 風樹

 命名は、初出誌『幻影城』編集長の島崎博氏とのことである。つまりこの作品の題 のことであるが、味があって実によろしいではないか。
 一方で私は創元推理文 庫に添えられた『THE WEELCHAIR DETETIVE』という英語版タイトルも、また素晴しい ものと思う。訳すれば即ち、『車椅子探偵』とは、勿論のこと『安楽椅子探偵』のも じりであろうが、そこはかとないユーモラスさがあるし、それに作品の、実に核心を ついているように感ぜられるからだ。
 単なる安楽椅子探偵そのもののようであって、その実、従来の安楽椅子探偵のある べき形式からの逸脱をはかっているというあたりに。
 安楽椅子探偵が身上にしているのは純粋論理なるものだが、明敏なる我らが天藤真 氏は、そうした名探偵のありように重大な疑問を抱いていたように思われる。天藤氏 のミステリは、論理的に一歩一歩真相に近付いていくというものは、かなり少なく、 犯人当てと銘打たれた短編集『日曜探偵』の名探偵にしても帰納推理型ではなく天才 直観型であった。むしろ、作中純粋論理の使い手が出てくれば、彼は必ず痛烈な裏切 りを受けることになっているようだ。具体的には、『雲の中の証人』当たりを読んで いただきたい。本来、物的証拠に基づく、机上論理につぐ机上論理がめまぐるしく展 開する筈の、論理の閉空間たる裁きの庭が、天藤氏の手にかかれば日常の延長線上の 開空間に変化する。さして面識をもたぬ者が、ただ論理によって人間を裁くというこ とに、強い抵抗を感じていたのだろう。が、むしろそう考えることの方が、当然の理 というものだろう。そのために、法廷物であるにもかかわらず、天藤ブランドの法を 司る者たちは、過剰なほどに事件の当事者とかかわりを持つこととなるのだ。中でも 、『公平について』という短編がその哲学をもっともよく表しているように思う。
 さて、『遠きに目ありて』であるが、当作品の探偵役たる信一少年は安楽椅子探偵 的でありはするものの、正確にはそこから微妙に逸脱した存在となっている。彼にと って安楽椅子探偵の役回りをになわされることは、祝福でなく、むしろ十字架である 。彼自身としては自分の足で駆回って情報を集める、いわゆる『足の探偵』であるこ とを望んでいるのであるが、重度の脳性マヒなるが故に、そして社会の無理解、公共 施設の設備の不備のために彼の足は自宅に縛りつけられたまま、安楽椅子探偵であら ざるをえないのだ。彼の意思が安楽椅子探偵という牢獄からの逸脱に向かうのも自然 のなりゆきといえる。そして彼を取巻く環境は、彼の意思を尊重してであろうか、弱 い立場の人々に向けての温かいまなざしにもとずいた変化をみせ、そして、彼の下へ もたらされる事件は、段々と、安楽椅子探偵には不向きなものに変わってゆく。彼を 自由な世界へと、解放とうとするように。
 こうした展開はまるで、従来の安楽椅子探偵ものを皮肉るかのようだ。ミステリの 批判は実作を通して行われるのが最上とされるのが、ミステリ界のならわしである。 それは作家側にとってとてつもなく難解なパズルとなってしまうからだが、我等が天 藤真氏はこの作品において、その難事業をいとも易々とやってのけたのである。易々 と、そう、易々とだ。この素晴しい完成度を誇る連作短編集は、たったの半年間で書 かれたものなのだから。
 ここでは『遠きに目ありて』全体を通しての底にミステリらしい仕掛けについて書 いた。個々の作品に関しては、各人一人一人が自分であたってもらいたい。ただ一言 だけ中身の短編にふれるとしたら、やはり、第三話と第五話に。作者の面目躍如とい った観がある。

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