謎宮会 1998/10

『大誘拐』

小貫 風樹

 聞いたところでは、天藤真特集で、この作品を取上げようとする人間がいなかった そうである。いや、だからこそ小生ごときものがこうして貴重なスペースをさいても らっている訳なのだが。誰も、取上げない。いや、それもむべなるかな、である。
 なんといっても、含羞のひと天藤真が、タイトルに『大』の字をつけた作品なのだ 。必然的にこの『大』はただの『大』では済みはしない。かの悪名高き講談社ノベル ズの編集者なら、煽り文句をひねり出すのに最早日本語には、等しくあたう言葉をみ い出しえずに、仏教用語辞典にあたった挙句、脳を沸騰させ狂死しかねまじき力の籠 った『大』である。
 昨今の雨後の筍のごとき新人達の大作もどきの作品群、もしかすると新本格派の御 歴々の作品群もそうかもしれないが、道具立てばかり仰々しくて中身を覗いてみれば 、あららと思うほどのすっからかんの、がらんどうであることが多い。大きな設定、 アイデアに振り回されて、全く地に足がついていないのである。しかし我等が鶴のご とき長身痩躯の巨人、天藤真氏はそのような愚かな過ちはおかさない。どんな異常な 設定も見事に『作品』に昇華してみせる。安易な道を選ばずに大作を中身の詰まった ものにした、最良の見本がこの作品といえよう。
 設定は凄まじい。(ちょっと、ここから熱が籠って、語り口も変調しお聞き苦し くなるやも知れませんが、これも天藤作品を愛する故のこと、どうかお許しを)大誘 拐ってえんだから起こる事件はもちろん誘拐。さらわれるのは紀州隨一の資産家であ るおばあさん。なんだよ、おばあさんたった一人か、今年千三百人が誘拐され、一億 三千万人の誰もが犯人でありうるという設定でもないのに、何が大誘拐か、と考えた 気短な人もいるかもしれないが、いや、話はこれから。慌てる巡回探食労働者はもら いが少ないって言葉もある。
 で、どこらへんが大誘拐かというと、このおばあさん、とし子刀自の身代金がなん と百億。ペソではなくて円で百億。作中の誘拐犯にならって念を押すと1の後に0が 十個つく。しかも事件の要所要所をテレビで中継しろてえんだ。今年千三百人が殺害 され、一億三千万人の誰もが犯人でありうるなんて馬鹿げた設定が霞むほどのこれだ け突拍子もない設定でただの誘拐とすることはできまいて。題名に偽りなしである。 
 しかしまあ、設定だけ聞くと、千三百個の密室と同じくらい、安易であるようだが 、だがこの設定をちゃんと読めるものにし、読めるだけでなく楽しめるものに膨らま すのは、並のことではない。度のようにそれがなされたのか。それはここでは明かす ことはできない。
 天藤氏の作品のほとんどは、本格ミステリであると同時にユーモアミステリでもあ るものだった。ミステリのシチュエーションそのものが、コメディとしての体裁を整 えており、事件の発生、捜査手続き、犯人の指摘とその頓挫。そういった捻りに捻っ たミステリとしてのプロットがそのまま、優れたコメディのプロットとなっており、 両者は全く融化されつくして不可分のものである。さて、普通のミステリの場合は解 決部分さえ明かさなければ構わないのだけれど、コメディアスなミステリとなると話 は別で、何故なら、笑いは水物で、水物ということは、つまり、システム論的にいう とオートポイーエーシス的な訳であるからして、それを取巻く言説自体が笑いに影響 を及ぼしてしまう。そのため、作品の情報の漏洩にはことのほか気を配らねばならな い。(だから、創元推理文庫、天藤真全集の『善人たちの夜』の中島河太郎氏の解説 はどれも作品を読み終わってから読まれるよう気をつけた方がよい。というか、中島 河太郎氏の解説はどれも作品を読み終わってから読むようにした方がみのためである )というわけで、他のユーモラスな作品と同様に、犯人グループの悪戦苦闘ぶり、捜 査陣の苦悩の連続といったコメディ要素と、犯人グループと捜査陣の虚々実々のばか しあいといったミステリ的要素とが見事に合致したこの作品の内容も大まかなもの以 外はこれっぽっちも明かす訳にはいかないのだ。
 で、これだけアイマイモコとした駄文を長々と連ねて、結局なにが言いたいのかと 言うと、この作品を見掛けたら、内容確認なんぞする手間さえもったいない、絶対は ずれってこたありえないからとっとと買って読みなさい、新本格派にうみ潰れて、最 近面白い本を読めてないなあ、というマニアも、も一度個の本を読んでみなさい、と いうことだ。

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