謎宮会 1998/9

待たされて。あるいは、待ちくたびれて。

戸田 和光

(はじめに)
 本原稿は、もともと“井戸端ミステリ会議”用に『人狼城の恐怖』の感想を書こう と思って書き始めたものなのですが、補足的な感想まで書こうと思ったら、とても字 数が足りそうにないので、別原稿にしたものです。その点をご了解下さい。――

 まず“井戸端ミステリ会議”の体裁に合わせた感想を書いておこう。ちなみにこれ は、全巻を読了した後のものではなく、各巻を読み終えた時の気持ちに戻って書いた ものである。

・第1部 ドイツ編
  如何にも本格ミステリらしい舞台で起こる連続殺人……。ストーリーはそれなり に面白かったが、快調に物語が進んでもうすぐ一区切り、という個所でのこのエンデ ィングには、呆然としてしまう。やはりこれなら、この体裁で刊行するのは勘弁して 欲しい。一応、★★★☆。

・第2部 フランス編
  ドイツ編を読んだ後でこれを読むと、既視感が先に立ってしまい、細かい部分の 違いを追う情熱がなくなってしまう。冒頭の説明も、ちょっとばかり退屈。これでは 、作者の工夫が空回りしてしまった、という感じではないだろうか。結局、★☆。

・第3部 探偵編
  蘭子を、前2部で起きた事件に導く展開だが、色々と動き回っている割に、探偵 して回る印象が薄く、冗長な気がする。そんなことより、蘭子の性悪な性格より、黎 人の性格の歪みが気になり出したのは私だけだろうか。厳しく、★。

・第4部 完結編
  解決編としては、十分納得できる謎解きが行われ、一応ホッとした。しかし、密 室の解明は予定調和されたパターンの気もするし、説明も長過ぎる感。特に、メイン トリックにアッと思わされた後の展開は、どうも好きになれない。最後もこれでは、 納得が感動には進まなかった。ともかく、★★★☆。

 さて、全体を通しての感想を書く前に、参考までに、私が各巻をいつ読んだかを書 いておく。

  第1部:96年4月(発売直後)
  第2部:98年6月
  第1部:98年7月(飛ばし読みしながら、再読)
  第3部:98年8月
  第4部:98年9月(発売直後)

 つまり、第2部と第3部は、第4部の発売に合わせる形で読み始めたものである。 それでも、第4部の発売日が二転三転したため、続けて読むことが出来ず、3週間く らいずつの間隔が開いてしまった。なお、第1部が2つあるのは、第2部を読んで、 第1部の大半の部分を忘れていることに気付いたため、第1部の方も再読することに したものだ。そういった意味では、上の第2部の感想は、第1部を再読した行為を含 めての評価と考えてもらってもいい。

 総合評価としては★★★くらいだろうか。まあ、水準かなあ、という気持ちである 。しかし、絶賛する気はしない、というところだ。
 中心となるトリックは好みだし(これをやりたいためだけに、こんな舞台を設定す る。本格ミステリならではのお約束には嬉しくなってしまう)、密室トリックも悪く はない。作者のやりたかったことは(断片的には)分かるから、読んで損した、とま で言う気にはならない。但し、私自身が世界史への関心が薄い(全くない)こともあ り、物語の一方の柱であるだろう、動機面に関する部分に興味をひかれなかった(次 々と語られる真実にやたらと衝撃を受けまくる黎人がおかしく思えただけだ)せいか 、小説的な奥行きを実感することが出来ず、「聖アウスラ」よりは評価は厳しくなる かな、という感じだろうか。
 ただ、いずれにしても……。この物語をこんな形で読まされても、という感情は拭 えない。

 はっきり言って、今回のこの4冊の刊行方式は失敗だと思う。ひょっとすると、こ の4冊が同時刊行されていたら、私の評価はもっとずっと上がっていたかも知れない 。それくらい、あの第1部の中途半端な刊行には、読み終えて、怒りを感じたのを覚 えている。
 個人的な意見かも知れないけれど、本格ミステリは、一気に読んでナンボ、という ものだと思っている。折角色々なところに伏線を張っておいても、それを読者に気付 かれなくては、その価値は無に等しいと考えるからだ。たとえ、読者がそれを見落と していても、解決編で伏線が張られていたことを教えられて、なるほど、と思わせる のも、本格ミステリの楽しみの一つだと思っている。そんな楽しみを、残念ながらこ の本からは全く受けなかった。伏線だったと思われる描写をすっかり忘れていたため 、あ、そう言えばそんなこともあったかも知れない、という程度の感想しか浮かばな かったからである。おまけに、第×部の××ページにこう書いてありましたよ、と言 われても、通勤途上を読書時間にしている者が確認できる訳がないではないか。

 また、第1部と第2部の構成にも違和感がある。余りにも、各部が長すぎるのだ。 相異なるものを同じものに見せたいのか、それとも個々の違いを強調したいのか知ら ないけれど、こういう表裏のものを描写するには、もう少し密度を濃くするべきでは なかったか。例えば、泡坂の「湖底のまつり」のような感じである。「人狼城」の場 合、違いを強調すべき点であっても、どうでも良くなってしまい、ああ、どうせもう 一つの城も同じなんだよね、と思わせてしまう可能性もあるように思う。(少なくと も私はそうだった)

 第4部に収められた後書きを読む限り、こういった読み方をされること自体、作者 には不本意なことなのかも知れない。分冊刊行したことについては、“真相を推理す る時間を与えることができる”といった表現があるからだ。しかし、私の周囲には、 私と同じような読み方をした人の方が多い。真相を推理すること以上に、本格ミステ リを本格ミステリとして楽しむことを優先したい場合は、こういった手順になるので はないだろうか。作者の意図は、一面的に過ぎる気がする。

 もう一つ、私には理解できないのは、同じ後書き中に書かれた“マニアを自認する 者がミステリー的な目論見に気付かないとは”云々、という部分である。どうも、“ 第1部を読んだ時点で「この作品の謎はまったく解明されていない」と言うのはおか しい”と言いたいらしいのだが、その真意が全く分からないのだ。実際、第1部は謎 を提示するだけの部分に過ぎず、謎の解明は第4部の刊行まで待たなければいけなか ったではないか。それが何故、“ミステリー的な目論見の把握”に結びつくのだろう 。勿論、第1部で提示された謎は、最終的には解決されるだろうことは認識している けれど、その一方で、それはまだまだ先の話ですよ(だから、一気に読みたい人は、 読まない方がいいですよ)、ということを、まだ読み始めていない読者に教えておく ことはそんなにいけないことなのだろうか……。
(ひょっとすると作者は、第1部を、ホラータッチの一つの独立した物語として読ん で欲しかったのかも知れない。しかし、二階堂黎人の名前で刊行され、蘭子シリーズ とされている本を、独立したホラーとして読む人が、ミステリー・マニアにどれだけ いるのだろうか。解決がないことにも狙いがあったとしたなら、それは完全に失敗だ と思う。少なくとも、その狙いを明かされても、それを評価する気に、私はならない )

 何か、感情的な表現が多くなってしまったようだ。
 待ちくたびれた者の愚痴、ということを強調して、終わりにしよう。

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