謎宮会 1999/10

探偵漫画日記(99年10月)

広沢吉泰

最近はミステリブームということでか、これまで絶版になっていた作品が再刊されて新 しいミステリファンを喜ばせ、絶版本を持っていることだけを拠り所にしていた古いミ ステリファンを恐慌状態に陥れてる(?)が、その潮流はコミックスの方にも及んでい る。高階良子、松本洋子、宮脇明子といった方々の作品が漫画文庫で再刊されて、非常 に簡単に読めるようになったのだ。これもまた、ブームのうれしい副産物である。

『蒼い十字路』 全2巻
宮脇明子
講談社 KCデラックス
平成11年6月刊行

『名探偵保健室のオバさん』(集英社)で有名な宮脇明子が16年前に「週刊セブン ティーン」(集英社)に連載していたサスペンス・ミステリー。優等生の坂本浩と不良 少年の石井哲也。この二人の間で揺れ動くヒロイン森下和美。そして、浩の父親が殺さ れ、その容疑者として彼の愛人だった哲也の姉が警察に連行される。哲也は姉をかばう ために、自分が犯人であると嘘をつき、それが嘘だと知る和美は事件の真相を追求して ゆく・・・という典型的な少女マンガ系のミスコミである。このあらすじを読んだ人は、 十人中十人が「きっと、優等生の坂本っていうのがワルで、こいつが犯人だな」と思うだ ろう。そして、まさにその通りなのである(厳密にいうと、それにさらにドンデン返し はあるのだが)優等生は裏では悪いことをしていて、不良少年は実は純真で、厳しい教 師は実はイイ奴、という最近なかなか味わえない予定調和的な世界に、たまには浸って みるのも楽しいものである。

『黒とかげ』 高階良子傑作選3
原作・江戸川乱歩
漫画・高階良子
講談社 講談社漫画文庫
平成11年7月刊行

「黒とかげ」と「血とばらの悪魔」(原作・パノラマ島奇談)という二本の乱歩作品 の コミカライズを収録した作品集。コミカライズ物をこのコラムでとりあげる際には、ぜ ひとも原作との読み比べもやってみたいと思いながらも、怠慢さゆえに原作本まで手を 伸ばすことをしなかったのだが、今回は『黒蜥蜴』も「パノラマ島奇談」も既読なので それは可能である(以下乱歩の原作は『黒蜥蜴』、高階作品は『黒とかげ』と表記す る)

まずは「黒とかげ」であるが、これは基本的には原作に忠実なコミカライズである。例 えば、作品冒頭の黒とかげと雨宮潤の出会いの場面。黒とかげが、死体置き場から潤の 身代わりを調達してきて、彼が自殺したような偽装を施す件は、その後の映像化・舞台 化では省略されている部分ではあるが、高階は丁寧にそこから描き起こしている。それ は「黒とかげ」というキャラクターを、読者に「おそろしい」と思ってもらうために も、このエピソードは必要だと判断したからではないだろうか。そして、その「おそろ しい」という印象を与えることが、黒とかげが明智に対し、恋心を抱くという展開を迎 えたときに、読者に対して効果的に働くであろうという計算もあったに違いない。 このように基本的には、原作に忠実な高階「黒とかげ」なのだが、黒とかげと明智、さ らには雨宮潤といったところの恋愛感情の描写に関しては、むしろ『黒蜥蜴』に触発し て書かれた三島由起夫の同題の戯曲に拠ってストーリーを進めている・・・・・・なんて抽象 的に書いて、分からせる筆力がないので具体的に書くことにする。

高階の「黒とかげ」には、こんな場面がある。雨宮潤が黒とかげに「人間としての・・・ 男 としてのぼくを」愛してほしいと迫り「だれ一人わたしの心にははいってこられやしな いのよ」と冷たく返される。その言葉を聞いた雨宮は、明智があなたの心に入り込んで いる、と応酬するのだが、こういった遣り取りは原作『黒蜥蜴』には存在しないもので ある。『黒蜥蜴』は盗賊・黒蜥蜴と名探偵・明智小五郎の「恋愛」を描いたもの――と しばしば語られるのであるが、乱歩の原作は、実際のところ両者の「恋愛」に関しては あまり筆を割いていない。したがって『黒蜥蜴』という作品が、上記のような語られ方 をし、女賊・黒蜥蜴が乱歩の創造したあまたのキャラクターの中で、現在も人気を保っ ているのは、むしろ、乱歩の原作から「追う者と追われる者の間の恋」というモチーフ を掬い出した三島由起夫の戯曲に大きいのではないかと感じる次第である。

と、なんかバランスを失して、語ってしまったが、要するに高階良子は、乱歩の『黒蜥 蜴』を手がけるにあたって、原作はもちろんのこと、その二次製作物である、三島由起 夫の戯曲にまで手を伸ばして、それぞれの良いところを選び取って、高階「黒とかげ」 を作りあげたわけである。やはり、コミカライズをするうえは、それくらい丁寧にやっ てほしいものである。

さて、一方の『血とばらの悪魔』であるが、こちらは「パノラマ島」の映像化が実に奇 麗に行われている。知る人ぞ知る映画『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』(石井輝男監 督)でも「パノラマ島」は映像化されているのであるが、これがなんともいかがわしく て、チープな、見世物小屋の雰囲気のするものだったのだが、僕自身は「パノラマ島」 を生身の人間を用いて作ってみたら、こんなもんじゃないか、と感じていたので特に違 和感も不快感も覚えなかった。だって「裸女の蓮台」や、白鳥に扮した人間なんて、文 章で読む分には(そして、それをイメージ化する分には)美しいものではあるが、それ を生身の人間がやったら凄くグロテスクだと思いません? だからこそ、石井監督の映 像化には、僕としてはむしろ我が意を得たり、という心境であったのだが、こういった 感覚は、あくまでも「生身の人間」が行うことが前提になっており、本書のようなコ ミックスの場合は、いくらでも美しくイメージ化できるのだなぁ、と目からウロコが落 ちた思いであった。

『血まみれ観音』 高階良子傑作選4
原作・横溝正史
漫画・高階良子
講談社 講談社漫画文庫
平成11年7月刊行

「血まみれ観音」(原作・『夜光虫』)と「真珠色の仮面」(原作・『仮面劇場』)と いう二本の横溝作品のコミカライズを収録した作品集(他に一本オリジナル「十字架に 血のさかずきを」を収録)である。横溝作品でも、金田一耕助の登場作品はコミカライ ズされることが多いのであるが、『夜光虫』と『仮面劇場』はいずれも、横溝正史の産 み出したもう一人の名探偵・由利麟太郎が活躍する作品である。ただし「血まみれ観 音」にも「真珠色の仮面」にも由利麟太郎は登場しない。ああ、かわいそうな由利先 生・・・・・・。

それはさておき、ここでも『夜光虫』と『仮面劇場』が既読であるのをいいことに原作 との読み比べもやってみたいと思う。

最初に「血まみれ観音」の原作である『夜光虫』の沿革を説明しておくことにしよう。 『夜光虫』は、昭和11年〜12年にかけて雑誌「日の出」に連載された長編で「恐ろしく なるほどの美少年」鱗次郎を中心に、彼と唖の美少女琴絵の二代にわたる恋愛、そして 鱗次郎の肩の人面瘡の中に隠された財宝の秘密を巡る暗闘を描いた物語なのである。こ ういった原作の基本線には、高階良子は全く手を加えていないが、舞台は現代(70年 代。だから、登場人物はベルボトムのジーンズをはいてたりする)に移し、主人公を美 少年・鱗次郎からサーカスの美少女・潤子にするという変更を加えている。発表誌が少 女漫画雑誌の「なかよし」ということで、主人公を少女に変更したのであろうか。肩に 人面瘡を持つ潤子が殺人容疑者として追われながら、幼い頃に恋心を抱いていた博と再 開して、結ばれるというストーリーである。少女が主人公になった影響としては、原作 にあった活劇的な要素は影を潜め、潤子と博の恋愛が物語の中心になっている点であろ うか。

続いての収録作「真珠色の仮面」の原作『仮面劇場』は、昭和13年に「サンデー毎日」 に連載していたものを、改定して昭和22年に単行本化したものである。ちなみに、この ときの改稿で横溝は「謎の中心部をさえ改めた」そうだから、もしできることであれば 「サンデー毎日」版の『仮面劇場』を入手して読み比べてみたいものである。

作品の内容としては『夜光虫』同様、これまた「草双紙から抜け出して来たような」 「盲にして聾唖なる」美少年・虹之助の周りで発生する連続殺人事件を描いた作品であ る(「真珠色」では慎一郎、というごくありふれた名前に改名されているが、三重苦の 設定は原作通りである)

この『仮面劇場』と「真珠色の仮面」の大きな相違点はヒロイン大道寺綾子(「真珠 色」ではあゆ子)の描かれ方であろうか。2人とも大富豪である点は変わらないが、綾 子は未亡人であるのに対して、あゆ子はお嬢様である。そして、綾子は「自我の強すぎ る」性格ゆえに、より事件を複雑にする様々な行動をとるのであるが、あゆ子の方はた だひたすら事件に流されるのみである。したがって、いずれも発生する殺人事件の数は 変わらないのであるが「真珠色」の方がよりシンプルな構成になっている。

なお、これは全く余談であるが『仮面劇場』の中で由利先生は、ひとつの可能性とし て、大道寺綾子犯人説を立てる。その推理は、恋人の志賀恭三が自分が無一文であるが ゆえに綾子に求婚できない状態にジレて、恭三を金持ちにするために、彼の親戚である 甲野家の人々を毒殺しているのではないか、というものである。無論、この推理は的外 れであったのだが『仮面劇場』においては否定された犯行動機は、後々横溝のある代表 作で生かされることになるのである。このあたりは、実に興味深い。

ここで一点指摘しておきたいのは、高階良子が『夜光虫』『仮面劇場』を漫画化したの は、昭和47年から48年にかけてのことで、『犬神家の一族』の映画化に伴う横溝正史 ブームが発生する前だということである。「少年マガジン」に連載された影丸穣也の 『八つ墓村』が若者たちに受け入れられ、講談社から横溝正史全集が刊行され、そして 角川文庫が出始める・・・というブームの勃興期でのコミカライズであったわけで、その 先 見性は特筆すべきものがあるのではないだろか。

『賭博黙示録 カイジ』 第13巻
福本伸行
講談社 ヤンマガKC
平成11年10月刊行

日曜日の朝、ぼーっとテレビを見ていたら「おそく起きた朝は・・・」で磯野貴理子が、 こ の『カイジ』を紹介していた。最近、お気に入りの本ということらしい。『カイジ』も メジャーになったものである・・・って、東京ローカルの話題ですみません。

さて、カイジが今回挑むギャンブルはティッシュの箱を利用した「クジ引き」である。 カイジはあらかじめ、ティッシュ箱の側面に当りクジを仕込み、これまでの賭博を仕 切ってきた「会長」に勝負を挑むこととなる。「会長」からの提案により、賭け金は一 億円に引き上げられ、二千万円の所持金しかないカイジは自らの指を賭けることとな る。指一本が二千万円。敗れれば、カイジは耳を犠牲にして手に入れた虎の子の二千万 円だけでなく、指を四本失うこととなるのだ! まさに、大一番である。

運賦天賦以外には、勝利をつかめそうもない、単純な「クジ引き」での勝率を10割に近 づけるため、12巻〜13巻にかけてカイジと「会長」が繰り広げる駆け引きは、実に見物 である。自分が敗れる可能性をひとつひとつ潰してゆく手順は、ちょうど本格ミステリ において、可能性を一つずつ吟味してゆきながら真犯人へと至るプロセスに似た味わい がある、と位置づけるのはすこし強引かもしれないが、ミステリが好きな人ならきっと はまってしまうことだろう。

あと『カイジ』で特筆すべきは、各登場人物の語るセリフである。これが、それぞれ実 に味があるのだ。例えば、こんな台詞・・・・・・。

最終的に、カイジは「クジ引き」で敗れる。そして、指を落とされることになったと き、こう自分に語りかける。

「失うのは指と金だけで・・・たくさんだっ・・・。胸を張れっ・・・!
手痛く負けた時こそ・・・胸を!」

単純に台詞だけ取り出してみると「クサいなぁ」と思うだけかもしれない。ただ、ギリ ギリのところで勝負をしてきて、それでも勝ちきれずに、自らの指を失う破目に陥った カイジが、あくまでも自らの矜持を失なわずに、こういった言葉を吐く場面には、ほん と泣かされる。ちなみに、『カイジ』の作中で語られるセリフは『カイジ語録』(講談 社)としてまとめられてはいるが、台詞のひとつひとつをそれこそ「人生訓」のように 切り売りするのはどうかな、という気がする。『カイジ』の場合、セリフそれ自体が、 必ずしも独創的なものとは思えないからだ。ただ、逆に言えば、セリフそのものはごく ごく普通の言葉であるにもかかわらず、読者の心にひっかかっているわけで、その点こ そが福本伸行のすごいところではないだろうか。

『火星人刑事』 第2巻
安永航一郎
集英社 ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ
平成11年10月刊行

本作品のヒロイン栗瀬巡査部長は、学生刑事である・・・と書くと読者の方々は和田慎二 の 『スケバン刑事』を想起されることであろう。それにしても麻宮サキは幸せであったと 思う。なぜなら、彼女は学生の間に「学生刑事」として死ねたのだから(死んでいな い、という説もあるが・・・)もし、麻宮サキが30歳まで生き続けていたら? そして、 そ の年齢になっても、セーラー服を着て「学生刑事」をやっていたら、それは既に喜劇で あるが栗瀬さんは、もういいお年なのに「学生刑事」を続けているのである・・・。

と、いったシチュエーション・コメディなので、まぁ「探偵漫画日記」という趣旨から はちょっと外れてしまうのだが、まぁ「刑事物」(?)ということと、安永航一郎は東 郷隆の「定吉セブン」シリーズのコミカライズを手がけていることもあり、まんざらミ ステリと縁がないわけではないので、取り上げた次第である。

というところで、今月はここまで。西岸良平『鎌倉ものがたり』(双葉文庫)等とりあ げたい漫画は他にもあったのだが、ここまででかなりの分量になってきたので、とりあ えずはこのへんで・・・。

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