謎宮会 1999/1

読書日記・十二月

葉山　響

　十二月初めに愛用機が壊れてしまい、原稿を書けなくなりました。というわけなので十二月分の原稿は全てボツ、井戸端ミステリ会議も参加できなくてちょっと悲しいものがありましたが、めでたく修理も無事終わり、今この原稿を書いています（そういう訳で修理中に読んだ本の感想は愛用機復活後に書きました）。年末の慌ただしさの所為か、十二月分はいつもよりも控えめな冊数となりましたが、当たり本の多さでは読書日記を始めて以来最高の月かもしれません。あと、そろそろ98年発行分の未読本を片づけなければならないので、今月はあまり新刊を読んでいません。海外作品も合わせると相当の冊数が溜まっているので、たぶん二月くらいまで新刊メインの読書日記には戻らないでしょう。別に本を読んでなかった訳じゃないのに、溜まってるなあ未読本……

No.160　『ＱＥＤ　百人一首の呪』高田崇史（講談社ノベルス）

　この作品、織田正吉の『絢爛たる暗号』と林直道『百人一首の秘密』を読んでいるかどうかで面白味が違ってくると思う（ちなみに僕は『百人一首の秘密』は未読）。ちょっと説明しておくと、『絢爛たる暗号』は百人一首を一種の暗号と捉え、意味的・語句的な繋がりによって百人一首をジグソーパズルのように並べてみせた作品（「百人一首には駄作が多い、なぜか」という指摘を読んだ時には頭を殴られたような衝撃を覚えた）。しかし並べ替えた結果できた『絢爛……』の配列があまり美しくないと考えて、配列を10×10の枠内にピッタリ収めようと試みたのが『百人一首の秘密』。しかし10×10の枠内に収めようとするのは無理、そこで10×10を否定して新しい枠に収め直した――というのが『ＱＥＤ　百人一首の呪』である。で、新しい枠とは何かということが問題となる訳だが、この発想には非常に感心した。「なるほど」と思わせる力がある。この発想だけでも僕は星を★★★つけてもいいと思う。
　ところがこの作者、ミステリの場面を組み合わせることでその検証を省いてしまったのである。検証自体が知的興奮を呼び起こすわけだし、検証があるからこそ納得も出来るというのに、それを一部しか行ってくれない。百人秀歌のほうなど、完成した表が巻末に付いているだけである。これでは全然物足りない。それでもミステリの場面が面白ければ仕方がないとも思えるが、これが全然面白くないのだ。文章も京極の物真似というか刷り込みが入りまくった文章で感心しない（文語的文末、「それを思うと、／何か楽しくて、／クスリ、／と笑ってしまった。」のような特異な行換えなど）。それでも本書は並べ替えの枠の発想だけで読む価値があると思う。検証してくれれば素直に拍手したのに。ああ勿体ない……。

No.161　『天使の囀り』貴志祐介（角川書店）

　久しぶりに一読驚嘆、なるほどこれなら浅井さんが毒書日記で★★★★★をつけても不思議ではない。ネタ的には非常に気色の悪い話だが、悪趣味ではなく通俗に堕してもいない、つまり良質なホラーとして迷うことなく絶賛できるレベルに達している。社会派的な問題提起も見事に決まっているし、ラストの付け方も力強く、これは予想以上に立派な作品だった。読んでいる間、これほど何の不満も思い浮かばなかった作品は久しぶりで、出来は明らかに前作の『黒い家』を超えていると思う。
　以前ちょっとだけ書いたことがあるのだが（杉浦日向子の『百物語』に触れた時）、恐怖とは快楽と紙一重になった時、一層増幅するものではないかと思っている。この作品も「恐怖と快楽は紙一重」の状況を描いていて、だから個人的にはその辺りのネタのあり方が非常に面白かったのだが、例えそれが無かったとしても、××（二文字自主規制）の気持ち悪さといったらもう文句の付けようがないほどで、いっそ「わーい」なんて言って喜びたくなるほど。特に浴槽のシーンが凄まじく、本を読んでこれほど気持ち悪いと感じたのは三年ぶりぐらいではないだろうか。しかし話は何ら荒唐無稽になることなく見事にリアリティを保っており、だから社会問題の提起も鮮やかに決まっている。ホラー好きなら、これは是非とも読んでおいたほうがいいでしょう。余計な注文は付けず、今はただ、作者の才能に素直に拍手を送りたい気分です。次作も期待！

No.162　『神曲法廷』山田正紀（講談社ノベルス）

　最近の山田正紀のミステリは、大業のトリックなどを扱って解決・真相を冒頭の謎と同等、或いはそれ以上に幻想的なものに描くという試みが目立つようになった。一歩間違えればバカミステリに終わってしまうような趣向の危険性を、長年ＳＦで培ってきた奇想を描く筆力で回避しているのがお見事。『神曲法廷』は解決＝幻想の図式が最も強くアピールされた成功作だろう。ドーム＝神曲という見立て、そして事件全体＝神曲という見立ても上手く行っている、というかミステリの見立て趣向にいつも絡みついているある種の馬鹿馬鹿しさを筆力の強さでカバーしている。トリックの解明場面は荘厳とまではいかないけれど神々しさが漂っていてこの作品の圧巻と言えるし、また“神の声を聞く”名探偵役が頭脳明晰の推理機械ではなく、“神の意志”に振り回される哀れな人間として描かれているのも本作のテーマを際立たせている。逆に大業のために「謎が明快に割り切れる」快感を感じられないという弱点もあるのだが、今回は今書いたような美点がそのような不満を感じさせない。『妖鳥　ハルピュイア』よりはこちらのほうが遙かに成功していると思う。
　そして本作で最も印象に残ったのは、最終頁での驚くべき展開、そして結末。このラストで“神の意志”を完全にアピールし尽くすところ、上手いなあ。ここを特に高く評価したいと思います。

No.163　『幻の女』香納諒一（角川書店）

　香納諒一がブレイクした作品として評価の高い作品。確かにそう称揚したくなる気持ちも判る。何よりもプロットの完成度が今までの香納作品の中ではダントツであり（全部読んでいる訳ではないから断定はできないが恐らくダントツ）、真相が全て判明したと見せかけて殆ど全てを引っ繰り返す最終章はお見事。真相を明らかにする手順も滑らかで、意外性も高い。千三百枚もの長さが必要なネタだろうかと多少疑問を感じながら読み進めていたのだが、その疑問は最後の二章の内容で殆ど払拭されたような気分になった。
　しかし、である。確かにプロットの出来は良いのだが、しかし今回の作品は最後まで読んでも何故か深い感動が湧き上がらず、優れたハードボイルドを読んだという感銘が薄い。これまでの香納作品中最も印象的だった『春になれば君は』と比べれば、エモーショナルな吸引力という点では明らかに劣ると思う。それなりに登場人物は魅力的であるものの（特に興信所の二人と組長未亡人・宇津木薫子が良い）、しかし物語の陰影という点ではいまいち薄く感じられ、全体に冷めている印象。何故かと考えて思いついたのは、この話のヒロインである“幻の女”の描き込みが足りなかったのではないだろうかということである。例えば宮部みゆきの『火車』はこの作品と同じようにヒロインが殆ど作中に登場しない話だったが、過去の追求が進むにつれヒロインの人間像がくっきりと浮かび上がってくる迫力は比類が無かった。『幻の女』にはそれが無い。だから苦難を抱えながら生きてきたヒロインの人間像がいまいち感動に結びつかない憾みがあるのである。
　プロットは最高、しかし小説的余韻はいまいち物足りない。無条件で推すのは躊躇うが、さりとて推さない訳にもいかない完成度という、非常に困ってしまう作品でした。

No.164　『ミステリー作家90人のマイ・ベスト・ミステリー映画99年』（小学館文庫）

　皆さん、たくさん映画を観ていらっしゃるんですね。僕なんか殆ど観ていません。というわけで、これからミステリ映画を観るための良いハンドブックが出来て良かったなと思います。……短いけれど、こういう本の感想って精精これくらいでしょう？

No.165　『逃げ水半次無用帖』久世光彦（文藝春秋）

　読んで驚いた。捕物帳だと見くびって読むと絶対これは意表を突かれる。面白くないと思う人もいるだろうとは容易に予測できるが、ここでは敢えてミステリファンも必読の時代小説だと称揚してしまおう。いや真逆、時代小説で（五文字自主規制）をやってしまうとは。流石は久世光彦、並々ならぬ巧者ぶりである。とりわけ異形の美しさに満ちたラストシーンは圧巻で、素晴らしすぎて眩暈がしてしまった。ちょっと大げさか？　いやいや、これを褒めずして何を褒めるというのだ。これほどのラストシーンはそうざらにあるものではない。そして濃密極まりない文章の凄味。これぞ傑作である。それからちょっと思ったのだが、集中の一篇「三本指の男」、これは三本指の跡が出てくるところといい、三人の人間の合議で事が運ぶところといい、その内の一人が手を怪我している（しかもそれは医者だったりする）ところといい、実は密かに横溝正史のオマージュになっている作品ではなかろうか。この辺り、この作品が一見物凄く生真面目な作品のようでいて、実は遊びの趣向を仕掛ける余裕があちこちに見られる心憎い作品であるということの、例証のひとつになるのではないかと思う。
　この作品、興味のある方はぜひ手にとっていただきたいので、これ以上未読の方の興を削ぐような記述は控えるが、但し一言だけ付け加えておきたい。これは七篇の短編から成る作品だが、一篇ずつゆっくりと読んでいくのではなく、できるだけ短期間で纏めて一気に読み切ってほしい。そう言うからにはもちろん理由があるのだが、それは御自分で確かめていただきたいと思います。

No.166　『天啓の器』笠井潔（双葉社）

　創元が刊行した探偵小説研究会編・著の『本格ミステリベスト 100』で、評論家の千街晶之は四位になった笠井の『サマー・アポカリプス』へのコメント中、「最近の笠井の小説は、批評性の奔流が物語の骨格すらも覆い尽くしてしまい、『評論家の書いた小説』という印象を拭いきれない」と書いていて、この指摘は僕も共感するところがあったので印象に残ったのだが、本書はそういう批判を逆手にとったような作品であり、「評論を書く作家」という特質が作品に上手く活かされていると思う。作品自体が『虚無』評論となっているところといい、前作『天啓の宴』に投げ掛けられた「大文字の作者は『天啓の宴』でも存在しているではないか」という批判をアクロバティックな手法により実作ではね返したところといい、さすがは笠井潔。別に笠井だから「取り敢えず褒めよう」とか思っているわけではないし、正直に言うと最近の笠井作品は批評性が強いのでこの作品も読む前は「つまんないかな」と思っていたのだが、これは素直に面白かった。
　で、評論性においてもこの作品は読ませるが、そういうことを考えるよりもまず先にこの作品を読んで思ったのは「よくこんなストーリー思いついたよなあ」ということ。奇想小説と呼びたくなるほど突飛な発想で書かれた小説で、また謎の複雑さは殆ど迷宮的、ミステリ的な満足度も最近の笠井作品の中では頭一つ抜け出た出来。作品内になんと四つも乱立する「ザ・ヒヌマ・マーダー」と、それぞれ書き手が違う手記（小説？）の三重奏は非常に非常に複雑で、少しでも気を抜くと文脈を見失ってしまいそうなほど。僕はこの作品を読み切るのに一週間もかかってしまったが、しかしそれだけの時間をかけた甲斐はあったと思う。こうなると次作『天啓の虚』はいったいどんな内容になるのか、刊行が非常に楽しみです。

No.167　『死せる少女たちの家』スティーヴン・ドビンズ（早川書房）

　超弩級レベル、真の傑作。ミステリであると同時に、これはひとつの文学作品である。今年の翻訳は『ナイン・テイラーズ』とこれが読めただけで本当に幸せ。語り手の視点があまりにも“神の視点”めいているという批判もあるだろうが、本書ではその描き方が絶大なる効果を挙げていることも確かなので、普段ならその点を気にするところだがこの作品は積極的に認めたい。共同体の崩壊をじっくり描き上げたという点では小野不由美の『屍鬼』さえ、この作品の前では木端微塵に吹っ飛びます。『奇妙な人生』以来、ドビンズの翻訳を待っていて本当に良かった。各出版社はドビンズの作品を全点翻訳刊行するように。ロバート・ゴダードの作品を翻訳し続けなければならないのと同じように、これは出版界の義務です。

No.168　『このミステリーがすごい！99年版』（宝島社）

　まあ、こんなもんでしょうね。匿名座談会と笠井サイドの決着も曖昧なままで終わるのは見当がついていたし、匿名座談会は終わったほうが良いと僕も思います。ここ数年『この文庫がすごい！』と合わせ、宝島社の小説関係のムックは全体的に下品で無意味な方向に低落低迷していたので（下品と洒脱とは違う。徹底的に違う）、ある意味でその総本山的な存在だった匿名座談会が終わってくれて僕としてはすっきりした気分になれたのですが、けれど来年もこの路線を引き継ぐのなら、買う価値の無い本として見放す人は多くなるでしょう（今だってそう言う人は多いのだから）。言うなれば来年こそが『このミス』の正念場なのでしょうが、大丈夫かなあ。

No.169　『くらら　怪物船團』井上雅彦（角川ホラー文庫）

　クラシカルなアイテムを散りばめたファンタジー色豊かなホラー、というのが全体的な印象。曲馬團、燈台、ジェントル・ゴースト、ピエロ、フリークス、船幽霊、廃園に伝わる七不思議などホラーのお約束アイテムをこれでもかこれでもかと積み上げておいて（これだけ積み上げられるとそれだけでも驚いてしまう）、それら様々な趣向を収束部でカタストロフィに向けて一気に引き絞る。積み上げられる怪奇的イマジネーションはさながらホラー・アイテムの陳列室のようで、ホラー好きにはここら辺の擽り加減がたまらないのではないか（想像だけど）。神社に祀られているモノは小林泰三の『密室・殺人』ともリンクする。もう、みんなクトゥルー大好きなんだから（笑）。
　あまり細かく説明せずに地の文では最小限のことだけを書いておき、あとは読者のイマジネーションに委ねるという手法も独特の効果を挙げ、さらに目まぐるしい場面転換やカットバックなどの映画的手法を多用しているのも作者の個性を強調している。これだけ多くの登場人物が必要だったのかという点はあるとしても、作者のホラーへの愛を窺わせる好ましい小品でした。

No.170　『屍の王』牧野修（ぶんか社）

　『ＭＯＵＳＥ』以来、実に久しぶりの牧野修の新刊。ゲームのノベライズは数冊刊行されていたものの、作者自身のオリジナル・ストーリーが読みたかった僕としては、いや、実に長い間待たされたものである。
　とはいえ今回の作品はＳＦではなく豪速球の本格的ホラー。『天使の囀り』が無かったら、今年のホラーの私的ベストはこれだったかもしれない。ある意味でこの作品もホラー・アイテムの陳列室のような作品で、書かれざる物語、原稿と現実との皮膜、監視者の視線、生きている死者、エレベーター、ＳＭ、「船幽霊」と呼ばれている廃ビルなどが登場し（エレベーターのシーンは出色の出来）、それらに腐臭やぐちゃぐちゃの死体が適度に織り混ぜられる。蛆虫なども出てくるのだが、汚らしい印象を与えないところに作者の節度が感じられて好ましい。あまり細かく描写したり出し過ぎたりした結果、怖いというより単に汚らしくなってしまった作品もたまにあるが、この作品はそういうことは無い。幻想的な雰囲気を保ちつつ恐怖を演出しているし、プロットにはちょっとしたツイストも利かせてあるので不快感なく楽しめる。作者近影も遊び心があって非常によろしい。
　ただ、扱っている素材のためかそれとも作者の嗜好の故か、倉阪鬼一郎の作品となんとなくテイストが似てしまったことが若干惜しまれる（場面の見せ方なら倉阪、怖さなら牧野というところか。どちらが良いとは一概には言えない）。しかし出来は相当に上質なので、ここでは本格的なホラーの書き手がまた一人現れたことを素直に喜んでおこう。『ＭＯＵＳＥ』のようなＳＦもバンバン書いてほしいと思うのだけど。　あと印象に残ったのは、スナッフ・ビデオ（要するに変態ビデオ）の発売元として出てくる名前。〈キクニ・エンターテインメント〉。これは或る特定の個人名を指しているとしか思われず、思わず笑ってしまったのでした。

No.171　『潤一郎ラビリンスⅧ　犯罪小説集』谷崎潤一郎（中公文庫）

　この本で初めて読んだ「前科者」や「呪はれた戯曲」は谷崎としてはあまり優れた作品とは思えず、矢張り抜群に面白いのは「私」「途上」などの超有名作品であり、本としては（特にミステリ創作集としては）「私」「途上」「柳湯の事件」「白昼鬼語」の四篇を収めた集英社文庫の『谷崎潤一郎　犯罪小説集』のほうが優れていたと思う（一部の隙も無い完成度。解説も集英社版の渡辺直己のほうがミステリの歴史を適格に踏まえていて読み応えがあった）。まだ谷崎を未読のミステリ・ファンは迷わず値段も手頃な集英社文庫版から手に取るべし。ちくま文庫『美食倶楽部　谷崎潤一郎大正小説集』もお薦め。
　『潤一郎ラビリンス』シリーズ、谷崎短編の文庫全集という企画は非常に有難いのだが、なんでこの薄さで 900円近くも払わなきゃならないのかと考えてしまって今まで一冊も買っていなかった。極端な話、谷崎は図書館に行けばタダで読めるのだから、もっと価格を抑えなければ売れないのでは？　だいたい中公文庫って高くて、自社刊行のノベルズを文庫で出しても両者の値段が殆ど違わないのでは買う気になれない。この値段の高さが首を絞めているような気がするので、なんとか値段を控えめにしてほしいと思う。

No.172　『フォー・ディア・ライフ』柴田よしき（講談社）

　水準作。とはいえ今年のハードボイルドでは上質なほうで、心優しい登場人物が多い割に作品世界はベタベタに甘くない点が良い。新宿二丁目のど真ん中で無許可の保育所を運営する探偵という主人公の肖像もユニークで、また主人公の恋人や、医師免許を取り消された女医など女性キャラクターにも光るところがある。緑子のシリーズに登場していたキャラクターがレンタルされているのも楽しい。
　しかし、それでも何故この作品が水準にとどまっているかというと、それはプロットの造り方に問題を感じるからなのである。この作品では複数の事件が並行して起き、主人公はそれらの事件を一手に追いかけていくのだが、結果的には別個に起きていた筈のそれぞれの事件の関係者が次第に重なってきてしまう。つまり主人公が関わった事件の関係者は大半が裏で何らかの繋がりを持っていたという訳で、偶然性が強い。プロットを造り込む姿勢は嬉しいし、入り組んだプロットを滑らかに書き進める作者の筆力も評価できるのだが、偶然の裏に何らかの必然を用意するか、或いは偶然性を覆い隠すような奇策を考えつかなければ、最早このような偶然性の強いプロットは高く評価できない（僕が藤原伊織『テロリストのパラソル』を高く評価しないのはそのため）。このプロットの構成能力をモジュラー型のストーリーにではなく、本格ミステリのほうに嵌め込んでくれると傑作が生まれるかもしれないと思ったのだが……。

No.173　『水の翼』小池真理子（幻冬舎）

　帯には「『恋』『欲望』を凌ぐ小池文学の最高傑作」と書いてあるが、同感できない。前記二作に見られたような緊密且つ芳醇な作品世界が『水の翼』には殆ど見られず、単に「雰囲気がいい」という程度に止まっている。が、私見では最大の失敗点は、この作品のモティーフとなる《水の翼》という詩を実際に作者が作り上げて作中に出してしまったことなのである。これは絶対に出すべきではなかった。なぜなら《水の翼》という詩は作品全体を貫く美の結晶、いわばこの作品の根幹となるべき筈のものなのだが、この詩を実際に出してしまったことでこの作品における“美”のイメージが固定化され脆弱なものとなり、結局は木口版画のほうまでもが「ああ、こんなもんか」と感じさせられてしまうのである。だから全然感動せず、「この程度の詩でよくもここまで」とか思ってしまった。詩の完成度が北村透谷とか中原中也レベルなら問題なかったのかもしれないが、それはちょっと無理だろうし……なぜ《水の翼》を読者のイメージに委ねなかったのだろう？
　『恋』では《ローズサロン》という翻訳小説が物語の中核を担う存在となっていたが、あれは作品上には出てこない。其処が良かったのである。しかし『水の翼』は出してしまったことで失敗作となった。詩《水の翼》が小説『水の翼』を縛りつけている。残念。
　というわけでこの作品は「小池文学の最高傑作」ではないし、私見では小池のベスト５にも入らない出来。次作に期待。

No.174　『モーパッサン傑作選』ギイ・ド・モーパッサン（ハルキ文庫）

　新訳で読むモーパッサン。こういうタイプの作品は新訳のような機会でも無いとなかなか手に取らないので、「剥製の手」以外は全て初読である。個人的な嗜好の故か怪奇小説タッチの作品が最も印象に残ったが、時代風俗に支配されないという点、描写の鋭さや盛り上げ方などに作者の実力がそのまま反映されるなどの点において、出来の良い怪奇小説は普通小説よりも印象に残ると思う。アンソロジーにも入っていた「剥製の手」は、ジェイコブズの名作「猿の手」を思い起こさせる上質な怪奇譚。妻の宝石の謎が結局解明されずに終わる謎物語「宝石」も奇妙な印象を残す好作品。だが個人的にはラストの鋭さが見事な「水の上」を称揚したい。怪奇小説以外では、北村薫『謎のギャラリー』でも触れられていた子供を描いた名品「シモンのパパ」、暖かな余韻を残す親子の物語「聖水係の男」が面白い。艶笑譚「女主人」もバカっぽくて笑えた。反対に世評高き「ロンドリ姉妹」はそんなに面白味を感じず、集中最も長い作品があまり印象的ではないのに少し拍子抜けしてしまった。
　この傑作選、欲を言えば、もっと深い感動を呼び起こす作品が入っていてもいいんじゃないかと思えた。『ベラミ』のような長編を読むべきなのかもしれません。

No.175　『失踪者』折原一（文藝春秋）

　折原一の最高傑作『冤罪者』に続く、折原風社会派ミステリ第二弾。『冤罪者』以前の作風はサイコロジカルなキャラクター造形がやや単調で安っぽく、十八番の叙述トリックにも次第に新鮮な驚きが感じられなくなりつつあったのだが、『冤罪者』以後は見違えるような出来栄えを示している。今回の『失踪者』も犯人は途中で見当がつくが、巧みな構成と社会派的な設定を上手く活かした臨場感、さらに叙述トリックが（『冤罪者』程では無いにせよ）作品のテーマやストーリーの流れと緊密に一体化している点など、ミステリとしてとても立派な作品に仕上がっている。『冤罪者』に登場したキャラが今回も効果的に使われているし、また折原作品では本当に珍しいことに、明るく希望の持てるラストを用意している点も新境地として着目して良いかもしれない。一時は伸び悩みの感があった折原ミステリだが、以前の作品に若干感じられた殺伐とした安っぽさが払拭され、「トリックのためのミステリ」から更に前へ進むことに成功したようだ。今後も折原の大作路線ミステリに大いに期待したい。加えて軽めのミステリ路線でも『黄色館の秘密』が佳作だったので、こちらのほうも期待して良い……かな？　『望湖荘の殺人』『遭難者』のような忘れてしまいたい作品もあったものの、黒星警部シリーズは割と好きなので折原の軽め路線も嫌いな訳ではないのだ。『倒錯のロンド　サントリー・バージョン』も出るようだし、99年中には『倒錯の帰結』『暗闇の教室』のどちらかが刊行されるようなので、楽しみはまだまだ続くのである。

　という訳で98年分はこれで終わりです。読んでいただいてありがとうございました。99 年も懲りずに続ける予定です。「これはこうしたらいいんじゃないか」など、御意見御感想ありましたらお寄せください。　さて、次回はNo.176／泡坂妻夫作品から。99年もよろしくお願いします。それでは皆さん、御機嫌よう。

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