謎宮会 1999/2

読書日記・二月

葉山　響

・ムック『子供の本がおもしろい！』（読書日記ではNo.227）に、はやみねかおる氏のインタビューが掲載されているのですが、その記事の中でこんな遣り取りがありました。
「――夢水清志郎シリーズには、「こんなこと子供は知らないだろう」というネタがいっぱい入ってますが。
　――いっぱいあります。『消える総生島』で夢水が読んでる『福永武彦全集第五巻』が一体どんな本なのかを知っているのは、推理小説のマニアでも少ないだろうと。」
　もしかして、これって僕のことなんでしょうか（笑）。加田伶太郎の原稿を書いた時、冒頭で引用させて貰ったからなあ。

・謎宮会をご覧になっている方なら、《ＨＭＭ》で連載が始まった小熊文彦「彼らもまた忘れられた」を見て感動した人も多い筈。斯く言う僕も、序文に激しく心を動かされてしまいました（笑）。頑張れ小熊、志を同じくする者は全国各地に五千人（推定）はいる筈だ！

・ひとつお詫びを。先月の読書日記で予告した通り、今月は山本文緒『恋愛中毒』のネタ割り感想を書こうと思っていたのですが、何故か僕は書いている途中でこの作品のネタを割ることに非常に強い抵抗感を覚えまして、結局書くのは中止してしまいました。とはいえ、力作でありミステリ・ファンが読んでも（おそらくは）楽しめる長編だろうと思うので、御興味がおありの方はぜひ御一読を。最近のルース・レンデルを思わせるような作品です。
　それから矢張り先月に「読書日記で漏れていた本は書名だけでも挙げようと思う」と書きましたが、考えてみると何の意味も無いことなので、秘密にしておきます（笑）。

No.200　『私が彼を殺した』東野圭吾（講談社ノベルス）→　井戸端ミステリ会議へ

No.201　『三人の名探偵のための事件』レオ・ブルース（新樹社）

　マニア垂涎の本格ミステリ、遂に翻訳刊行。三人の名探偵が密室殺人の謎を巡り推理合戦を繰り広げるという豪華な趣向は本格ファンにはこたえられないものだろうし、名探偵たちが全員推理に失敗し、結局ただの凡人警官が謎を解いてしまうという結末の付け方も如何にもマニア好みと言えるもの。名探偵に対する揶揄もそこそこ効いている（殺人が起こった途端、誰も呼んでないのに名探偵たちがわらわら集まってきたのには笑った）。密室に四通りの解決を付けた点も楽しく、一言で言えばこの四通りの解決は全て密室破りの定番ではあるのだが、こうやって並べられると迫力があって面白い（天城一の私家本『密室犯罪学教程』と引き比べたいと思った）。中盤は尋問ばかりが続くので多少退屈だったり、揶揄される側に回る三人の名探偵たちがオリジナルとそれほど似てはいないと感じるなど、突き詰めていけば不満もいろいろ出てくるのだが、しかしここでは趣向の楽しさを珍重し、迷わず褒める側に回っておきたい。ただ翻訳は、現行の翻訳と言葉遣いを合わせたほうがより楽しめたのではないかと思う（例えば創元推理文庫版の浅羽さん風に訳すなら、ロード・サイモンはサイモン卿、バターフィールドは卿を「旦那様」ではなく「御前」と呼んで欲しい。また、スミス師の言葉遣いは現行の創元版および集英社文庫版のブラウン神父の言葉遣いとかけ離れているが、原文ではどうなっているのだろう）。

　あともう一つ触れておきたい点があって、この作品では、否定される三人の名探偵の推理に欠陥が指摘されない。最後に至ってビーフ巡査部長は真相を明らかにするが、これが真相であると判るのは作者がそのように事を運んでいるからであって、少なくとも机上推理の観点では四人の推理は完全に等価なのである。常に前段の推理に欠陥が指摘される『毒入りチョコレート事件』と比べると、その点が実に不満。……と思っていたのだが、ラストを読んで不満は消え去った。ビーフは名探偵たちの独創的な推理を褒め讃え、名探偵たちも負け惜しみを言うこと無くビーフの推理に賛辞を送る。物凄く爽やかなのである。終盤では、まるでビーフを見守る後見役としてこの三人が召還されたようにも読めてくるのだ。この爽やかさに免じて不満を持つことは止めておきたい。
　「さてと、もういっちょうゲームをやりませんか？」というビーフの最後の言葉はいみじくも次のゲーム“ Case without a Corpse”へと繋がるかのようだが、是非とも間を置かずにこの作品、そして“ Case with No Conclusion”を訳して頂きたいと思います。

No.202　『スコッチ・ゲーム』西澤保彦（カドカワ・エンタテインメント）

　やっと読んだ。これで西澤作品は、今のところ最新刊である『念力密室！』を除いて全冊読破したことになる。で、この作品の感想だが、佳作だと思う。しかし、それはシリーズ中の一編としての評価であって、単独でこの作品を評価するのなら残念ながら評価は下がる。今回扱われているのはタカチ自身の事件であるため、シリーズ的にはそれなりに重要な作品であり読み応えもあるのだが、本格ミステリとしては犯人特定のための情報のばら蒔き方が読者に不親切なように感じられた。中盤でちょっと特殊な心理状態を詳しく説明しておいて、実はそれが犯行の動機であるという構成は、大胆で面白いとは思うのだが、しかしこの構成はこれと前後して発表された『幻惑密室』でも使われており、ミステリ的には『幻惑密室』のほうが上手かったと思う。何度も言うように、シリーズ中の一篇としてなら面白く読めるのだが……ちょっと勿体ない作品、という印象が残りました。

No.203　『仙人の壺』南伸坊（新潮社）

　奇想溢れる中国の古典掌篇を紹介する『チャイナ・ファンタジー』、待望の単行本化。下手に話に起承転結やオチを付けようとしないところが（成功した時には）物凄く効果的で、こういう話を平気で書いてしまう中国人には敵わないと思ってしまった。しかしこれらの話、直接原典に当たってもここまで面白くはあるまい。矢張り南伸坊がアレンジしているからこそこんなに面白いのだと思う。絞れば滴り落ちそうな程、全編におおらかなユーモアが溢れているし、漫画における間の取り方やコマの使い方、表情の描写がおそろしく上手い。「柳の人」のラスト一コマが醸し出す余韻や、「金銀の精」で相撲相手が黄金になってしまった後の何とも不服そうな子供の表情などに、何とも言えない味わいを感じてしまう。特に感銘を受けたのは「未来の巻物」（《ＨＭＭ》掲載題は「未来の見える人」）で、この話は《ＨＭＭ》掲載時における内容紹介文では「そして、その日のうちに嘉貞は死んだ」で終わっていたのだが、今回収録された漫画のほうでは「巻物は白紙であった」で終わるのである。どちらが強い余韻を残すかは言うまでもない。このような脚色の力が実に上手く効いているのだ。また文章のほうも、飄々とした語り口が楽しいし、受験時に覚えた替え歌「アルプス春秋戦国」が出てきたのには笑った（ちなみに今でも歌える）。ユーモアと奇想を愛する人はぜひ御一読をお薦めしたい。
　なお、先月ケラ一さんが〈世界のポン引きショー〉で書いていた「目に見えないかもしれない鼠の系譜」だが、この本に入っている「鼠の予言」は明らかにこの系譜に連なる作品。もしかすると世界各国にこういう話ってあるのかも。

No.204　『騙り屋』山本甲士（ケイブンシャノベルズ）→　井戸端ミステリ会議へ

No.205　『長靴をはいた犬』山田正紀（講談社ノベルス）

　プロットはやや不安定だが、その不安定さに面白いものを感じた。後書きで作者は「フー・ダニットからホワイ・ダニットへの変換か、とも思ったのですが、どうもそうでもないらしい。『仮面』という作品を執筆したときから、その傾向に気づいていたのですが、犯人を読者から隠すために、あれこれ策を弄するのを、あざといと感じ始めているようなのです。大急ぎで断っておきますが、もちろん、犯人を読者から隠す作業があざといわけがありません、というよりもそれこそがミステリーの醍醐味といってもいいでしょう。それがわかっていながら、これはどうしたことでしょう」と書いている。これはどういうことなのか。
　私見では、作者がずっと引っ張っているテーマ「女は天使か悪魔か」が最も効果的に活かされたのはこの作品ではないかという気がする。ネタを盛り込みすぎてややゴテゴテしてしまった感のあった『妖鳥』と比べると、テーマ的にはこちらのほうが断然すっきりと仕上がっていると思う。これは途中で敢えてフーダニットの面白さを捨て、テーマを前面に押し出したことが成功の要因ではないか。作者が「犯人を隠すことがあざとく感じられてきた」というのは、たぶん犯人を押し隠しながらテーマを発展させていくことに作者が若干無理を感じてきたことが原因なのではないかと僕は勝手に思ったのだが、どうなのだろう。とにかくこの作品における試みは、フーダニットからホワイダニットへの単なる趣向の転換というものではなく、テーマを描き切ろうという意欲が強く盛り上がった為にホワイダニットへの移行が必要とされた、というものではないかと思う（勿論、「女は天使か悪魔か」というテーマが「神の声を聞く探偵役」とぶつかり合った為により一層テーマが力強く浮上したということも考えられる）。内容も《煉獄篇》に相応しいものだし、実験的作品としては中々の出来ではないかと僕は思います。

No.206　『螢草』連城三紀彦（文春文庫）
No.207　『離婚しない女』連城三紀彦（文春文庫）
No.208　『変調二人羽織』連城三紀彦（講談社文庫）
No.209　『瓦斯灯』連城三紀彦（講談社文庫）

　なんか気が向いて連続して読み返したんですけど、やっぱりいいですよね。連城作品についてはいずれ纏めて何か書いてみたいと思っています。

No.210　『ゲッベルスの贈り物』藤岡真（角川書店）→「絶版本の快楽」へ

No.211　『誘拐症候群』貫井徳郎（双葉社）

　『失踪症候群』に続く症候群シリーズ第二弾。読み易く、一気に読破が可能な佳作と言える。本書では特に“悪”の描き方に工夫があり、差別意識に凝り固まった高梨の父親のような皮相的な“悪者”、最後まで匿名の“悪”として扱われる誘拐事件の犯人、そして犯人を超える頭脳を持ち、底の知れない不気味さを持つ秘密組織のトップ・環と、三段階のレベルに分けて“悪”の存在が描かれている（本書では環の“悪”の部分はまだそれほどクローズアップされていないが、本書のラストであのような言及をしたからには環の“悪”を描くことは今後このシリーズの必然となる筈）。『修羅の終わり』で見せたような高いテンションが持続することを期待したい。
　なお次回の題名は『殺人症候群』になるようだ。このシリーズ、本格ミステリの要素がいろいろと含まれているので本格として読んで全く問題ないと言えるが、題名の「失踪・誘拐・殺人」というのは本格よりもむしろハードボイルドの定番題材である筈。もしかするとこのシリーズ、ハードボイルドの主題の中に如何に本格ミステリの要素を投げ込むか、という実験意欲の下に執筆されているのかもしれない。もしそうなら、ここでも作者は本格とハードボイルドの融合を図っている訳で（実際、『誘拐症候群』はチャンドラーの『長いお別れ』を下敷きにしているようだし）、その姿勢は充分に好感が持てるし、積極的に評価して良いと思うのだが。

No.212　『球魂の蹉跌』左右田謙（春陽文庫）

　昭和60年に刊行された春陽文庫書き下ろしミステリ。読み終わって二日経つと内容を全部忘れてしまいそうな話で、矢鱈と登場人物が多かったことだけ印象に残り、あとは何の感想も浮かんでこない。このように、極端な迄に感想が浮かばない作品は久しぶりだった。たぶん左右田謙のワースト。

No.213　『黄泉の道へまっしぐら』サラ・コードウェル（ハヤカワポケミス）

　ヒラリー・テイマー教授シリーズ第二弾。とはいえサラ・コードウェルを読んだのはこれが初めて（第一弾『かくてアドニスは殺された』を僕は何故か書店で見たことが無い）。法律とギリシャ神話という教養に裏付けられたプロットの組み立て方は、教養に裏付けられ過ぎて嫌味な程だが一応は許容範囲、しかし気取った文章が読みにくくて頁を繰る速度を否応なしに遅らせる。事件そのものにも大して魅力がある訳ではないので、途中で読むのを止めようかとも思った。しかし、それでもこの作家には抜群のコメディ・センスがあるので（真面目な顔をして次々とボケを繰り出すといった感じ）何となく読み進めたのだが、最後に至ってやっと、この作品が如何に緻密に計算されたミステリであったのか、ということに気づいて感銘を受けた。伏線の張り方が実に綺麗なのである。そうか、この美点があるから日本でも好意的な評価を受けたのだな。最後まで読んで良かった。目についたら第一弾と第三弾（『セイレーンは死の歌をうたう』、慥か米国ではアンソニー賞を受賞した筈）も手に取ってみよう。
　ところでこのテイマー教授、翻訳では中年の紳士のような言葉遣いになってしまっているが、実は原書ではテイマー教授の性別は一度も特定されていない、つまりこのシリーズは性別不明の名探偵という前代未聞の試みが成されているのだという。今回この作品を読んで思ったが、矢張り巷間の推測通りテイマーは女性だろう。本書でも、高名な詩人の名を聞いてテイマーがティーカップを持つ手を震わせる場面が出てくるが、中年の紳士が憧れの詩人の名を聞いて思わず震えてしまうなんてあまり想像したくないので（笑）。

No.214　『殺しにいたるメモ』ニコラス・ブレイク（原書房）

　地味だが手堅い本格ミステリ。だが、主要登場人物の愛憎関係を縺れに縺れさせたため、プロットがゴテゴテしてしまって切れ味に乏しくなったのが残念。真相解明の一歩手前で、張っておいた伏線を箇条書きにして一挙に並べてしまう作者の大胆さには驚かされるばかりだし、それでも犯人が容易に特定できない込み入ったプロットも高く評価して良い筈のものなのだが、人物関係が込み入り過ぎているため、正直言って最後のほうでは犯人が誰でも良くなってしまった感もある。矢張り『野獣死すべし』のほうが数段面白いですね。プロットを捏ねくり回し過ぎるのも考えもの。シンプルながら真相の隠し方が絶妙、といった本格のほうが感銘は深いと思います。

No.215　『サムシング・ブルー』シャーロット・アームストロング（創元推理文庫）

　さすがはアームストロング、巻措く能わざる面白さと言えるだろう。アームストロングのファンなので楽しみは後に取っておこうと読むのを先送りしていたが、もっと早く読んでおけばよかった。――幼なじみのナンが結婚するという。しかし彼女の伯母・エミリーはその知らせを聞いて激しく反対し、旅先から慌てて帰国する。主人公・ジョニーはエミリーから、実はナンが結婚しようとしている相手は十七年前に彼女の母親を殺した真犯人なのだと告げられる（そして当然ナンはそのことを知らない）。ナンに真実を知らせないまま結婚を阻止してくれないかと依頼を受けたジョニーは、何としても彼女の結婚を阻止しようと奮闘する、というストーリー。果たして結婚相手の男は本当に殺人犯なのか、という謎では引っ張らず、冒頭近くで彼に殺人を犯させることで敵の正体をはっきりさせ、その結果として強いサスペンスを生み出すところなど抜群に上手い。幼なじみの娘・ナンがお馬鹿さんキャラであるところに普通は嫌気がさすところだが、聡明な従姉妹のドロシーを主人公の協力者として配することで、お馬鹿さん娘の魅力の無さをカバーしているところも素晴らしい。そして利害関係や駆け引きなど一切無く、本当に善意から結婚を阻止しようと頑張るジョニーがとても良く描けていて、思わず感情移入してしまった。本当に、こういう職人の作品がもっと読みたいと心から思わせてくれる快作。善意（“明”）の側に重きを置いてサスペンスを描くアームストロングの作品は、誰からも好感をもって受け入れられる筈。ぜひ未訳作品をどんどん翻訳刊行して欲しい。

No.216　『ハネムーンの死体』リチャード・シャタック（創元推理文庫）

　スラップスティック・ミステリの佳作。こういうのがお好きな方にとっては秀作かも知れない。僕個人の好みでは、アメリカの作家が描くコメディって何故か素直に笑えないのでちょっと読みにくかったのだが、しかし最後まで読むと案外しっかりと解決されるので、其処に好感を持った。犯人は一目瞭然だろうけど。

No.217　『探偵物語』小鷹信光（幻冬舎文庫）
No.218　『赤き馬の使者』小鷹信光（幻冬舎文庫）→「私立探偵小説入門」へ

No.219　『レシピに万歳』アリサ・クレイグ（創元推理文庫）

　げげ。何なのこのトリック。目が点になってしまった。コージー・ミステリだからこそ許されるトリックであって、真面目な作品でこのトリック使ったら「お前は阿呆か」と石投げられるかも。何の緊迫感も無い遊戯的作品世界と奇妙奇天烈な登場人物、和気藹々とした大団円、そして珍妙なトリック。あまりにも現実離れした内容だが、全ての要素が見事な迄に一貫して現実離れしているので、却って全体的には良く纏まっているという不思議な作品。お薦めはしませんが珍品ですから御興味のある方は御一読を。

No.220　『うまい犯罪、しゃれた殺人』ヘンリー・スレッサー（ハヤカワポケミス）

　『六枚のとんかつ』の作者である蘇部健一氏は非常にスレッサーが好きな人で、この本は以前、「読んでください」と蘇部さんから貰ったもの。以来、楽しみながらぽつりぽつりと一作品ずつ読んでいたのだが、今回一気に纏めて読んだ。さくさく読める文体が素敵、但し訳文は古めかしく、いま読むと明らかに軽快且つ洒落た味わいを殺しているのが残念ではある。例えば「老人のような少年」における「おつ母さん」には思わず力が抜けたし、「気にいつた売り家」は〈ＨＭＭ〉88年号10月号に掲載された新訳「気の休まる古い家」のほうがずっと良い。しかし訳文を気にしなければ、傑作集に相応しくない凡作も収録されてはいるものの、総じてこの種のミステリ短編の鑑の如き出来栄えを示す作品ばかり。十七篇収録中、敢えて五篇を選び出すなら名篇中の名篇「逃げるばかりが能じゃない」を筆頭として、「41人目の探偵」「恐ろしい電話」「気にいつた売り家」「二つの顔をもつ男」。ほか、なぜ老女は死なないのかという謎に皮肉な結末が与えられる「親切なウェイトレス」や、明るいユーモアではこの作品集中随一の「金は天下の廻りもの」、他にも「ペンフレンド」「処刑の日」など捨て難い。飽くまでオチに賭けるアイデア・ストーリーの名手として、スレッサーはもう少し広く読まれても良いかもしれない。通勤・通学の最中に薄味なノベルズを読むより、ポケミスでスレッサーを読んだほうがお洒落だろうし（No,221に続く）。

No.221　『伯爵夫人の宝石』ヘンリー・スレッサー（光文社文庫）

（No.220の続き）が、スレッサーも近年は疲れているのだな。往年の作品と比べると明らかにオチの威力が薄れてしまっている。〈ＥＱ〉に掲載された短編を纏めたこの作品集、ほぼ執筆年代順に作品が収録されているので、最初から順に読んでいくと徐々にスレッサーが疲労していく過程が手に取るように判る気がしてちょっと悲しい。しかしオチの魅力は色褪せたものの、展開の上手さで面白く読ませるところはさすがにプロの物書き、アイデアだけに頼っている訳ではないことが良く判る。十七篇収録中、敢えて五編を選び出すなら「伯爵夫人の宝石」「世界一親切な男」「ハローという機械」「明日は我が身」「第二の表決」というところか。「ハローという機械」は最後の最後でタイトルがダブル・ミーニングであったことが判る秀作であり（但し、最後の「もしもし」は「ハロー」と翻訳したほうが題名のウィットを殺さなかったのでは？）、「伯爵夫人の宝石」は如何にもスレッサーらしさが滲み出た佳品と言える。しかし中でも最高なのは「第二の表決」で（集中最も古い1964年の作品であり、この短編だけ例外的に執筆年代を大きく無視して巻末に置かれている）、さすがに最盛期の頃の作品だけあって展開もオチも抜群に冴えている。矢張りスレッサーはこうじゃないといけない。
　本書は新刊なのでスレッサーの本では最も簡単に手に入るけれど、スレッサーとしてはあまり出来が良い作品集だと思えないので、スレッサー未読の方はこの本から入って欲しくない。ポケミスで出ている二冊の傑作集から読み始めることをお薦めします。

No.222　『正義（上下）』Ｐ・Ｄ・ジェイムズ（ハヤカワポケミス）

　別にトリックがある訳でなし、犯人が意外な訳でもなし、プロットが独創的な訳でもない。しかし、ちゃんと綺麗に解決されるし、読ませるんだよなあ、ジェイムズの本は。とにかく人物造形と描写力が圧倒的に素晴らしい。描写の力がある作家というのは矢張り偉大である。過去の作品と比べて作品の濃密度が薄くなってはいるものの、七十八歳でこれを書いてしまうとは驚くばかり。個人的にはバックリー夫人の造形が最高。被害者の娘・オクタヴィアはお馬鹿さんなキャラながら、「確かにこういう人っているんだよなあ」と思いながら読んだ。ラストで明かされる真相も、いつもと同じで「これで事件が綺麗に片づいた」という印象を受ける。――Ｐ・Ｄ・ジェイムズは今年八十を超えるが、七十八でこれだけ書けるのだからまだまだ書ける。元気で新作を書き続けて欲しい。

No.223　『誰そ彼れ心中』諸田玲子（新潮社）

　ちょっと評価が難しい。時代小説なのだが帯にはサイコ・サスペンスと書かれてあり、これを見ると時代小説とミステリの融合を目指した作品のように思えるが、実際に読んでみるとサスペンス風味の時代小説としてしか楽しめないのがやや肩透かし。ミステリ的な謎は単純なものなので冒頭から真相が一目瞭然であり、わざわざサイコ・サスペンスと銘打つほど強いサスペンスがある訳でもないので、ミステリ・ファンとしては残念ながら推しにくい。「夫と同じ顔をしているが、別人のように思えて仕方がない」という謎の設定（これと似た設定のミステリでは赤川次郎の『忙しい花嫁』が印象に残っている）は使い様によっては面白くなることがあるので期待したが、結局最も面白味の無い解決法を選んでしまっている。真相を二転三転させた点は頑張っていると思うのだが、この作品、希望を言えば二転三転で終えずに四転させたほうが良かったのではないか。それなら僕は褒めたと思う。真相の面でも、本当の真相よりもう一つの真相のほうが読者に不気味な印象を与えたと思うので、かなり勿体ない印象を受けた。
　但し、ミステリの視点を離れ普通の時代小説として読むならば、これは佳作。繊細な心理描写が中々良いし、江戸時代的家制度下の家庭内悲劇を描く筆捌きにも好感が持てる。『からくり乱れ蝶』で幕末、『まやかし草紙』で平安時代と様々な時代を描き分ける器用さも持ち合わせているようだから、将来期待して良い書き手かも知れません。

No.224　『不透明な殺人　ミステリー・アンソロジー』有栖川有栖ほか（祥伝社文庫）

　面白かったのは麻耶雄嵩「ホワイト・クリスマス」、近藤史恵「最終章から」、若竹七海「ＯＬ倶楽部にようこそ」（印象の強い順）。麻耶作品は、普通の男女関係なら陳腐な話になるところをゲイのパーティということにして冷え冷えとした感触を出したところが良かったと思う。麻耶作品なので壊れた内容かと思いきや、伏線を張り巡らせた正統派謎解きだったので若干驚いた。「最終章から」の真相は簡単に見破れるが、刑事が出てきて手記の意味を次々変えていくところに綺麗なものを感じた。若竹七海が登場人物の造形と台詞回しが上手いのは当たり前。この作者のものでは格別優れた出来ではないが、滑らかなストーリー展開は矢張り印象に残る。あと、（良い意味で）気になる作品だったのが吉田直樹「スノウ・バレンタイン」。もっと上手くなれば良いものが書けるな、この人。期待したい。また永井するみの「重すぎて」を読んで感じたのは、この人、筆力はあるようだから、お勉強ミステリなど書くのは止めて純粋なサスペンス・ミステリを書いたほうがウケがいいのではないか、ということだ。資料に当たる時間をミステリのネタを練る時間に当てて欲しい。惜しいのは有栖川有栖「女彫刻家の首」で、火村シリーズ久々の秀作かと思われたが、犯人が首を持ち去る理由は描かれていても、犯人が被害者の首と彫刻の首をすげ替えた明白な理由が用意されていないのが致命的で、結果として推せないのが残念。鯨統一郎「アニマル色の涙」は、バカを狙っているのか天然なのか判断に苦しむところだが、結局どちらであっても成功していないので迷うだけ損だろう。

No.225　『ディオニシオスの耳』湯川薫（トクマノベルス）

　そこそこ頑張っているが、まだ隠し方が下手なので犯人からトリックまで全部判ってしまう。舞台設定から歌野晶午の『動く家の殺人』と共に、（二文字自主規制）のような形態ということで即座に海野十三の或る短編を思い出した僕は何と勘のよいことか（笑）。だから科学的知識を活かしたトリックも早い時点で解答に気づいてしまった。で、途中で真相が判っても僕としては何ら問題ないのだが、そうなるとその解決を補強する伏線の張り方や謎解きのエレガントさなどに俄然目が行く訳で、其処に着目してこの作品を読むと、……矢張りあまり上手くない。特に十年前の殺人のトリックは、読者が謎を解くにはデータの提出があまりにも少な過ぎるような気がする。というように弱点はいろいろある訳だが、徳間デビュー組では藤木稟よりもずっと本格を書こうとしている姿勢が垣間見えるので好感は持てる（最初は設定を見て「次は森の真似かい」と思ったが、殆ど森作品を感じさせるところは無かった）。もっとミステリの手法に熟練すれば化けるかもしれないので、暫くは動静をチェックしておきたいと思います。
　但し気になる点がひとつあって、名探偵役の湯川は三百頁ほどのミステリならほぼ十分で読み切ることができ、微妙なレトリックを味わうことはできないが、ストーリーとトリックは完璧に追うことができる――という言及があったこと。僕としてはそういう読み方って本格を読む楽しさじゃないと思う。作者自身がそういう考え方を持っている訳ではないことを願いたい。というのも、この点と本書において伏線が少なかったことを合わせて考えると、微妙なレトリックや伏線の整合性などの細かい点を捨て去って、次第にトリック偏重主義になる恐れがあるような気がするのだ。実際この作品を読んでいると、そういう危険性の萌芽のように感じられる箇所がある（十年前の殺人の扱い方など）。悪い方向に転がらないことを期待したい。

No.226　『不思議な卵』高橋克彦（角川mini文庫）

　〈毎日小学生新聞〉に連載された怪奇ショートショート十二篇に、大人向けに執筆された二篇を合わせたもの。怪奇短編ではあるが小学生向けの作品なのでハッピーエンドなラストも多く、独特の味わいが楽しめる。但し、何やら取って付けたようなハッピーエンドになってしまったものも多く、子供向けということで作者が悪戦苦闘していることが窺われ、読んでいるこちらとしては（意地悪な言い方だが）それがまた楽しかったりする。中では、ハッピーエンドとは皆目無縁の正調怪奇短編「神社の教室」および「正之助どの」が矢張り強く印象に残り、ハッピーエンド・ラストの作品では表題作「不思議な卵」が一番出来が良かった。高橋克彦の著作の中でも珍品の位置を占めるであろう作品集で、二百円なら買っておいても損は無いと思う。

No.227　『アスペクト65　子供の本がおもしろい！』（アスペクト）

　労作ムック。子供向けの本を侮ってはいけないと感じさせるパワーがある。執筆者はかなりミステリを読み込んでいる人らしく、ミステリの薦め方も的確だと感じた。執筆者の裁量で子供向けの範疇に入らない作品も含まれており、我孫子武丸の『ディプロトドンティア・マクロプス』や麻耶雄嵩『あいにくの雨で』までもが含まれているのには首を傾げてしまうけれど、ここまでジュヴナイル作品を大量に紹介した本は目にしたことがなく、便利な本が出てくれてとても嬉しい。執筆者に感謝。

No.228　『チグリスとユーフラテス』新井素子（集英社）

　三月に入ってから読み終わったのだが、ここに入れてしまおう。――凄い。確かにこれは凄い。下手な文芸作品など吹き飛ばしてしまう程テーマが豊か且つ崇高であり、しかもそのテーマがきっちりと昇華されているのに感嘆の声を上げてしまう。恥ずかしがらずに真正面からテーマを描き切る、その臆面の無さ（？）が今の僕には凄まじく快く感じられる。逆さ年代記という構成も抜群の効果を挙げていて、過去に進むということがそのまま人間の根源を問うことと重なり、最後の子供・ルナの生存意義、そして「人はなぜ生まれてくるのか」というテーマを徐々にはっきりと浮かび上がらせるのだ。
　また、個人的に強い感銘を受けたのは、第二章「ダイアナ・Ｂ・ナイン」のラストに用意された盲点を突くミステリ的仕掛け。これには誇張でなく本当に驚かされた（これほどストーリー的に意味のあるドンデン返しは最近ミステリでも殆どお目に掛からない！）。そしてその後を受ける第三章「関口朋美（トモミ・Ｂ・ナイン）」の見事なストーリーテリング。第三話なのでこれは起承転結の転に当たる作品だが、ここで正にストーリーは一転して別境を開く。そして第三話ラストにおける切なる問い掛けが第四章の幕を開く。本当に見事な構成だと思う。細かく検証すると綻びもあることはあるのだが――例えば第四章において九十歳の老女が登場するが、どう考えても歳相応の言葉遣いではないので違和感があったり、キャプテン・リュウイチがあまりにもあっさり死んでしまって呆気にとられたりとか、そういう小さな不満も無いことはないのだが、そんなことは些細な事、全体を貫くストーリーテリングの力強さがそういった綻びなど全く気にさせない、というか、気にしたくないという気持ちにさせられる。切ない余韻を残すラストも素晴らしく、これを読めて本当に良かった。ここまで書いてくれたんだから山本周五郎賞くらいあげたいですね（笑）。いや、本当に。傑作です。

　次回はNo.229／高村薫『李歐』（講談社文庫）から。そろそろ今年の新刊本にも手を付けようかと思っています。それでは皆さん、御機嫌よう。

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