謎宮会 1999/ 3- 4

葉山　響

１　『聖女が死んだ』　ハヤカワミステリ文庫　1983.5.31 発行（1966年作品）

　ガイ・フォークスの日（英国ではこの日だけ、普段は法律で禁止されている焚火や花火が許される）の朝、修道院の中で修道女の撲殺死体が発見される。同日夜、通報を受けて修道院の近くの農学校に向かったスローン警部は、焚火の中で修道女姿の人形が燃やされているのを発見する。慌てて火の中から人形を取り出して調べてみると、その人形は被害者の眼鏡をかけていた。修道女が殺された理由とは何なのか？　見つからない凶器の行方は？　スローン警部は部下のクロスビー刑事と共に捜査に乗り出すが、やがて修道院内でもう一つの殺人が起こる……

　英国クラシック・パズラーの名手エアードのデビュー作。非常に地味な作風ではあるが、大変堅実に造られたプロットと全編に鏤められた明るいユーモアが安定した実力を感じさせる。犯人は比較的早めに見当が付いたが、動機が最後まで判らなかった。しかしきちんと伏線は過不足無く張られてあったので、感服。中々発見されない凶器の謎も人を食ったもので面白い。修道院の描写も簡潔だが的確で特異な舞台の雰囲気を良く伝えており、探偵役スローン警部を取り巻くシリーズキャラクターも楽しく描かれている。成人教育講座の熱心な受講者で、其処で聞き齧ってきた知識を捜査に当て嵌めようとしていつもスローンを困惑させるリーエス署長、常人が笑えない冗談を好んで飛ばすデーブ医師、そして森英俊氏に「まぎれもなくミステリ史上もっとも頭の悪い警察官」とまで書かれてしまったお馬鹿な刑事クロスビー（しかし愛すべきキャラクター）。派手な展開は一切無く、起伏に富んだ物語性を求める読者には向かない話だろうが、英国クラシックの典型のような作品に御興味のある向きには一読をお薦めしたい。

２　『そして死の鐘が鳴る』　ハヤカワミステリ文庫　1982.9.30 発行（1973年作品）

　教会の鐘塔の中で、巨大な石像に押し潰された死体。検死の結果、彼は殴られて気絶した後で石像に押し潰されたことが判ったのだが、しかし鐘塔のドアは粉々になった石像の破片のために開けることが出来ず、他には人が出入りできそうにもない小さな窓があるだけだった。とすると、いったい犯人は何処から外に抜け出したのか？　記録的な猛暑の翌日に起きた奇怪な密室殺人にスローン警部は頭を悩ませることになる――

　スローン警部シリーズ第五長編。ユーモアが上手く日本語に直されていないような憾みはあるが（原書で読んだらもっと愉快なミステリのような気がする）、翻訳された三長編の中では本書が最も優れた出来。密室が出てくるが、むしろ本書では「どうして密室状況を作らなければならなかったか」という謎のほうに重点が置かれており、密室が謎解きの段階で（六文字自主規制）にスライドするところが面白い。密室トリック自体も、容易に解答に気がつく単純なもの――例えば「窓から長い棒か何かで像を倒したんだろう」――と馬鹿にして読んでいると、犯人に辿り着けないことになるので注意が必要。この辺りは中々にしたたかな筆致で、のんびりしたムードに浸っていると騙されてしまう。事件のデータをもう少し先に出しておいて欲しかったという不満も感じられるが、あまり早く出すとつまらなくなってしまうから、これはこれで良いのだろう。この作品で使われた原理をミステリに活かした例では、昭和32年に書かれた岡田鯱彦の長編くらいしか思いつかない（あと、これをそのまま題名にした大長編が文藝春秋から上下巻の単行本で出ていた）。クラシカルなパズラーの中に現代的な意匠を嵌め込む手際も印象的で、小味ながらがっちりとできた謎解きが楽しめる秀作と言える。

３　『死体は沈黙しない』　ハヤカワミステリ文庫　1983.1.31 発行（1979年作品）

　糖尿病で死んだ女教師。死因には何の疑いも無い筈だったが、彼女の預金口座に二十五万ポンドもの大金が存在することが判明したため、取り敢えずは彼女の検死を行うことになる。彼女の死体に怪しい点は見られなかったものの、検死と前後して彼女の愛犬が喉を切られて埋められているのが発見され、疑惑は俄に高まってくる。果して女教師の死は謀殺なのか？　妻の出産を間近に控えたスローン警部は、リーエス署長に責っ付かれながらも事件の核心に迫っていく――

　スローン警部シリーズ第八長編（この作品だけ今回が初読）。比較的ストーリーに動きのある長編で軽快に読めるが、堅牢なプロット作りは相変わらず。真相は注意深く読むと大体見当がつくが、謎解き場面で出てくる「ジグソーパズルの外側の断片までが、いますべてはめこまれようとしていた」という文章の通りに、細かな謎や伏線が終盤で一つに纏まっていくところが読んでいて実に快い。今回、「もしかしてこれは伏線かな」と思ったところ全てに（一応、「これは違うだろうけど」というところにも）付箋を付けて読んでいたのだが、読み終えた後で見返してみたら付箋を付けた箇所が本当に全部伏線だったのには驚いた。それだけ無駄な記述が無いということなのだ。思わせぶりな割には事件と無関係な記述、というのが本当に少ない。改めてエアードの構成力の確かさを感じさせられる、小品だがパズラーの醍醐味を味わえる佳品と言える。事件の背後にある動機も現代的で、古典的構成の中に現代的なものを埋め込む手際は矢張り鮮やか。またキャラクター的にも、今回はスローンの妻マーガレットの登場場面が多いのが嬉しいし、クロスビー刑事にも（それなりに）活躍の場が与えられている。全編を包む明るいユーモアも魅力的。結末でパパになったスローンの活躍を、もっと読んでみたいと心から思うので、何処かで訳して頂けませんか？

　今回取り上げたのは大好きなキャサリン・エアード。本格ミステリとしての堅牢な構造と明るいユーモアが魅力的な、非常に良質の作家だと思うのだが、日本ではほぼ完全に忘れられた作家に成り果ててしまった（今、最も簡単に読めるだろうエアードの作品は短編「晩餐会の夜に」だが、あれはエアードの水準と比べると寂しい出来としか言えない）。先日、ＨＭＭ99年４月号の洋書案内において久坂恭氏がエアードの最新作を取り上げているのを見て、思わず懐かしくなって全翻訳作品を読み返してみたのだが、矢張り面白い。地味ではあるが良く出来た作品という印象は揺るがず、数日間楽しめたのだが、でも人に薦めるには地味すぎるだろうか。しかしＨＭＭの久坂氏の文章には、翻訳が「ユーモアをうまく出しきれていなかったこともあって、さしたる評判も呼ばずに終わってしまった」とある。ということは、翻訳がもっと優れていればエアードはもっと面白いということなのか？　おお。これは是が非でも読みたいぞ。大切に残しておいた未読の『死体は沈黙しない』も遂に読んでしまったことだし、何処かでエアードを訳して頂けないだろうか？　是非、ぜひ。

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