謎宮会 1999/ 5

読書日記・四月

葉山　響

　分量が多いので、今回は枕無しで入ります。それでは開始。

No.259　『メイン・ディッシュ』北森鴻（集英社）→　井戸端ミステリ会議へ

No.260　『黄金色の祈り』西澤保彦（文藝春秋）→　井戸端ミステリ会議へ

No.261　『屋上物語』北森鴻（祥伝社ノン・ノベル）

　この本を読み始めて気づいたのたが、いつの間にか北森さんは物凄く安心して新刊を手に取ることができる作家になった。喜ばしいことである。
　さて『屋上物語』だが、本作は或る百貨店の屋上が舞台。其処にある讃岐うどんのスタンドで働く通称“さくら婆ァ”が探偵役となり、屋上で起こる様々な事件の謎を解いてゆく連鎖式ミステリである（一本目と二本目の短編の登場人物がリンクし、二本目と三本目の登場人物がリンクするという構成。最後において全ての事件が一本の糸で繋がるという連作長編趣向ではないが、最後の短編と最初の短編とを同様の手法で連鎖させるところなど、この手の連作のツボを心得ている）。各篇の語り手が全て非生物であるところは宮部みゆきの『長い長い殺人』を思い出した。この非生物が語り手という趣向は中々上手く成功していて、特にこの趣向は観覧車が語り手の第二作「波紋のあとさき」において最も効果的に活かされていると思う。中には、語り手の正体を最後まで明かさないという楽しい試みが成された短編もある（これをミステリの意外性に結び付けてくれるともっと良かったとは思うのだが）。
　ただ、物語のほうは――辛い。別に出来が悪いから読むのが辛いという意味ではなくて、ヘレン・マクロイの中編のタイトルをそのまま借りるならば「人生はいつも残酷」とでも言いたくなるような展開のお話であるからだ。この話には甘さが無い。特には救いも与えられない。そして探偵役をつとめるさくら婆ァも、実は救いを求めている人物として描かれている。著者自ら“楽園”と呼ぶ屋上を舞台に、なぜこんなに辛い話ばかりが展開されるのか不思議に思ってしまうほどなのだ。――だが、この“楽園”とは要するに“煉獄 ”のようなものなのだろう。さくら婆ァと（二文字自主規制）は地獄巡りを経た後で、最後に（一応）癒されて“楽園”を去るのである。八方円満解決のハッピーエンドは用意されていないが、暗澹たるラストを予想しながら読んでいた当方としてはこの結末にホッとした。読者を選ぶ作品かも知れないし、纏め部分が描き足りなかったような気もするが、取り敢えずは佳作と呼んで差し支えない出来だと言えるだろう。

No.262　『99年度本格ミステリベスト10』探偵小説研究会編・著（東京創元社）

　創元推理倶楽部絡みで送ってきたのだが、送ってこなかったら果して自分でお金を出して買っていたかどうかは疑問。ベストに挙げられた１位から20位までの作品は全て読んでしまっているし、それでも買って読みたくなるほど素晴らしい論文や斬新な指摘があったかと言えば、それは特に無かったと思う。年に一回しか出ない本なのだから、もっと気合の入った作品論や作家論が二つや三つ載っていても良さそうなものだと思うのだが……来年度の出来に期待したい。

No.263　『龍秘御天歌』村田喜代子（文藝春秋）

　『鍋の中』で芥川賞を受賞した村田喜代子の手による純文学長編だが、お葬式を巡るコン・ゲーム長編としても楽しめる。法月綸太郎が『活字倶楽部』誌上のアンケートで推し、『本格ミステリベスト10』でも一位に挙げているのを見て読んでみたが、法月の説明とはちょっと違った印象を受けたものの、面白かった。
　九州に住み着いた朝鮮人陶工たちのゴッドマザー百婆が、夫の葬式を朝鮮式でやると言い出した。しかし時は江戸時代、幕府の政策のために庶民は全て寺の檀家とならなければならず（寺請制度という）、従って葬式も全て寺が執り行うため、自分たちが勝手に行うことは許されない。日本式の葬式を挙げながら、なおかつ他人にはバレないように裏で朝鮮式の葬儀も行うという無理難題を抱えることになった一族の葬式の顛末は？
　葬儀をめぐる朝鮮文化対日本文化の戦いが描かれる。その戦いが次第に親と子の対決という色彩をも併せ持つようになる構成が見事。また、日本式の葬儀と朝鮮式の葬儀を併せて行う過程で、両文化が次第に折衷していく様が描かれているのも面白い。そして、このような文学的な意図と同時に、本書はエンタテインメントとしても優れていると言えるだろう。最初はただ単に「バレないように朝鮮式の葬式を」と思っていただけだったのが、故人の陶工としての功績が讃えられて大名の使者が葬式にやって来ることになり、事が次第に大袈裟になっていく。その辺りの呼吸は実にエンタテインメント的。そして葬式直後、皆の気が緩みかけたところで最大の難関を突如百婆たちにぶつけるところがまた巧い。殆ど『機動警察パトレイバー』の「２課の一番長い日」を思わせるような（笑）結末の余韻も印象的で、百婆の不屈の精神に拍手。
　印象的と言えば、百婆が死者を何よりも大切に考え、生きている者の立場に耳を貸さないのを読んで、つい「なんて強情な婆さんだ」と思ってしまったが、これもまた朝鮮と日本の文化の違いなのだろう。だから百婆は悪くない。こう考えた時点で既に僕は作者の罠に嵌まっていたと言える。「なんて強情な婆さんだ」というような、読者の素朴な感想までをもテーマのために絡め捕る辺りは見事の一言に尽きると言って良い。読めて良かったと思います。

No.264　『まやかしの風景画』ピーター・ワトスン（早川書房）

　ピーター・ワトスンの『まやかしの風景画』が文庫で刊行されたので、懐かしくて書店で手にとってぱらぱらと読んでみたら、実はこれも図像学が駆使されていたのですね。以前、井戸端ミステリ会議で飛鳥部勝則『殉教カテリナ車輪』を取り上げた際、「絵に関するミステリに、実際に絵が付いてきたのはピーター・ワトスンの『まやかしの風景画』以来だろうが、本書は図像学を駆使してその絵を解読していくところにかつてない魅力と独創性がある」と書いたけれど、『まやかしの風景画』でも図像学が使われていたとは印象に無かった……記憶力が減退したか、これではいけないと、ちょっと反省しました。
　で、家に帰って『風景画』の単行本版を引っ張りだし再読してみたところ（愉快な傑作なので何の苦もなく読み返すことができた）、読み進むうちに初読時の印象を思い出したが、昔の僕はこれを一種の暗号ミステリとして読んでいたのですね。だから図像学ということは余り意識していなかった。『カテリナ』は図像学のアカデミックさが強く前面に押し出され、しかもそれが本格ミステリの謎と結びついていたために、図像学によって絵を読み解いていくという謎解きのプロセスがより印象に残ったのだが、『風景画』は敵と戦いながら謎の絵を読み解いて宝探しをするという冒険小説的な面白さで読ませる話なので、図像学が左程印象に残らなかった……という訳。しかし、「絵を読み解いていく楽しさ」という点では『風景画』のほうが圧倒的に楽しい。風景画の持ち主である女性と、絵の解読を依頼された画商の主人公コンビの関係も楽しく、終盤の緊迫感もなかなかのもので、（良い意味で）明るく行儀の良い作品世界は広汎な読者に受け入れられる筈。これほど楽しい宝探し小説は近来記憶に無く、文庫化を機に未読の方は是非とも手にとって頂きたいと思います。

No.265　『マヤ終末予言「夢見」の密室』小森健太朗（祥伝社ノン・ノベル）

　『コミケ』『ローウェル』『ネメシス』の初期三作を除いた小森作品の中ではこれが一番優れている。マヤ文明に土台を置く教団（のようなもの）の中で起こった密室殺人を名探偵・星野君江が解き明かすストーリーで（但し殺人が起こるのは全体の七割近くを過ぎてから）、こういったオカルト的設定の場合、謎の現実的な解明は歓迎すべきことなのだが、それまでの神秘的設定と真相が全く無縁でオカルトは単なる味付けでした――と終わってしまうと、なんとなく味気ない気分になってしまうのも事実。そんな訳でオカルト要素を含んだ本格ミステリの執筆はなかなか難しいのだが、この作品はその意味では割と楽しめた。密室トリックの解明が非常に地味なので損をしている印象があるけれど、現実的な解明と神秘的な解明の二つを用意した点を評価したい（私見では神秘的解明のほうが切れ味は鋭い）。井上夢人の某作品と似た趣向を、真相ではなく謎の設定のほうに活かしているのも面白いと思った。話が単なる絵空事になるギリギリのところで踏み止まっているから荒唐無稽にならず、「夢見」というテーマもそこそこ雰囲気良く描かれている。小品なので今年のベスト候補に挙がるというタイプの作品ではないと思うが、力は籠もっているし、これはこれで佳品だと思う。
　但し敢えて注文を付けると、「マヤ文明のパワーの継承者がなぜ日本人なのか」という設定の不自然さが上手く回避できておらず、最後まで胡散臭い雰囲気が抜け切れなかったのが惜しい。一応作者は説明しようと努力しているけれど、この解説では結局何の説明にもなっていないと思う。この点が解消されていれば、作品にもっと不可思議な雰囲気が漂ったかも知れないので、残念に感じられました。

No.266　『弟切草』長坂秀佳（角川ホラー文庫）

　こういう本を前にすると、僕はハードなミステリマニアではないのだなあとつくづく感じる。どちらかと言えばミステリマニアというより小説ファンである僕は、「これは本格ミステリ映画の傑作だ！」とか「綾辻行人がゲームを出すぞ！」とか聞いても「ああ、そう」という具合で、殆ど観てみようとかやってみようとか思わないのである。これは漫画でも殆ど同じで、だから福井健太氏絶賛のマンガ『キリカシリーズ』とか、矢鱈に評判が良い『賭博黙示録カイジ』も全然チェックしていない。誰か貸してくれるなら読むが、自分でお金を出して買って読もうとは思わないのだ。
　で、当然ゲームの《弟切草》もやったことがないのでゲームの内容は知らないが、あとがきによると本書の内容は《弟切草》とは別物らしい。どの程度別物なのかはよく判らないが、ゲームを知らなくても割と楽しめた。薄っぺらな人物描写と軽薄な会話文が非常に深い傷となっているが、文庫書き下ろしなのでＢ級としてなら案外これは拾い物と言えるかも知れない。《弟切草》の舞台と良く似た奇怪な屋敷に引きずり込まれてしまった二人の男女の恐怖の数時間を描いた話で、館ものだけあって屋敷にばら蒔かれた怪奇的な小道具はホラーというよりミステリのテイストに近い。そのテイストを楽しんでいたら中盤で例のアレが出てきて「またか」とウンザリしたものの、其処にドンデン返しが仕掛けられてあったので取り敢えずは納得。終盤にかけてドンデン返しを連続させる辺りはさすがにベテラン脚本家だけあってなかなか上手いし、構成的なトリックも仕掛けられている。最後にリドル・ストーリー的なオチを用意したのは蛇足でしか無いと思うが、予想以上の頑張りを見せてくれたので好感が持てた。但し、前半における男の軽薄さは何とかならないか。自分たちが如何に危険な状況下にいるかを充分承知の上で、それでもその館の中で恋人とセックスをしたがる神経は理解できない。いや、作者の気持ちは判るのだ。後半になると彼が人格的に成長するという展開になるので、その布石として序盤では愚かな性格付けを施しておきたかったのだろう。でも失敗している。“小説”を捨ててくれれば完成度が高くなったかも知れません。

No. 267　『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』土屋賢二（文春文庫）

　『われ笑う、ゆえにわれあり』に続く哲学教授・土屋賢二のコラム集。素晴らしく可笑しい。もしかすると深淵な意図の下に執筆されているのかも知れないが、単純に読んでこれだけ笑えるというのは凄いことだと思う。但し、物を見定める視点は矢張り哲学者のもの。そう感じさせる鋭い箇所が多々存在することも忘れてはならない。「想像と現実の間」と「論よりだんご」には、笑いながら大変良い勉強をさせて貰った。僕の得意分野に切り込んだ「『犯人はだれだ』本格物ミステリ」も興味深く、本格ファンの目から見ると土屋の指摘は実は言い掛かりに過ぎないのだが（たぶん本人もそれを判って書いている）、その言い掛かりを徐々にエスカレートさせていくところが非常に楽しく、しかもその中には鋭い指摘も多々混じっている（それにしても唖然とさせられたのは、たぶん土屋が冗談で挙げた馬鹿馬鹿しい意外性ネタの大半が、既にミステリのネタとして使用されているということ。土屋が考えるよりもミステリは病んでおり、だがそれだけに「何が出てくるか判らない」面白さに溢れていると思う。逆に言うと、「僕って普段こんなもの読んで喜んでるんだなあ」と感慨深かった。でもいいのだ、ミステリファンというのは珍作怪作を傑作と同様に愛せる人種なのだから）。お薦め。

No.268　『グラン・ギニョール』ジョン・ディクスン・カー（翔泳社）

　長編『夜歩く』の元版である中編「グラン・ギニョール」を筆頭に、「悪魔の銃」「薄闇の女神」「ハーレム・スカーレム」の三短編、そして《十大傑作探偵長編》の序文として書かれていた本格ミステリ論「地上最大のゲーム」を収録した作品集。カーという作家のいろいろな面が一冊で味わえる好著と言える（但し厚さの割に値段は高いような気がする。思わず立ち読みで済ませてしまおうかと思った）。
　「グラン・ギニョール」は矢張り面白い。特に絵解き場面は『夜歩く』とは全く違い、名探偵バンコランが一堂に会した事件関係者をロープで椅子に縛り、猿ぐつわを噛ませてその前で意気揚々と謎解きをするのだ。この、物凄く楽しそうな絵解き場面が一番印象に残った（笑）。同時収録の三短編はそこそこ楽しめるが普通程度の出来。中では怪奇短編「悪魔の銃」における恐怖の盛り上げ方が中々参考になった。
　そして何より興味深く読んだのは「地上最大のゲーム」。かつて創元推理文庫『カー短編全集５　黒い塔の恐怖』に収録されたことがあるが、あれは部分的にカットされたもので今回収録されたものが完全版だそうだ（更に森英俊が「好事家のためのノート」と題し、言及された作家について丁寧な解説を寄せている）。本格ミステリへの愛が溢れたエッセイで、北村薫の解説にある「『地上最高のゲーム』冒頭の、いかにも彼らしい高姿勢ぶりには嬉しくなってしまいます」との言葉どおり、大上段に構えた誇らしげな姿勢が何とも言えず微笑ましい。これを読むとカーというひとが如何に愛すべき人だったか良く判る。すれっからしのマニアは初心に戻れる回春剤（？）として、ミステリ初心者はこれからの読書の指針として役立つ素晴らしい本格ミステリ論。新本格ファンにもぜひ目を通して頂きたいと思います。

No.269　『五十万年の死角』伴野朗（講談社文庫）

　第22回江戸川乱歩賞受賞作、初読。この作者が乱歩賞か何かの選考委員をやっていた時、候補作に対するコメントがあまりにも愛情に欠けたものであったので、それ以来イメージが悪くてこの作家の作品はずっと敬遠していたのだが（それとは別の話だが、折原一の『倒錯のロンド』に「推理小説の面白さがどこにあるのかもう一度よく考えてみて欲しい」と言ったのは慥かこの人ではなかったか）、今回書棚を整理していたらこの本が上から落ちてきたので（笑）なんとなく手にとって読んでみた。すると、文章は下手（特に序盤は酷い）だが内容は面白い。乱歩賞受賞作の中でも水準以上の快作だと思うし、特に近年の乱歩賞受賞作とは出来が雲泥の差であると言えるだろう。戦時中の混乱に紛れて北京原人の骨が行方不明になったという現実の事件に切り込んでフィクションに仕立てた良質のミステリで、中国を舞台に中国共産党、国民党秘密結社、日本特務機関、そして上官の命を受けた主人公が時には敵、時には味方になりながら北京原人の骨を巡って四つ巴の戦いを繰り広げてゆく。当時の混沌とした情勢が上手く活かされているのも見事だが、かといって謀略劇だけに終始せず、「謎があってそれを追いかける」という古典的なサスペンス・ミステリの結構をきちんと押さえているのでかなり面白く読ませてくれた。
　それにしても、これを読んでつくづく感じたのは、いま活躍している作家ならこの内容をこれだけの枚数ではとても纏められないだろうということだ（本書は文庫で 282頁）。僕自身の読書経験で言えば、同じテーマを扱った二冊の本を比べた場合、まず間違いなく短いほうが上手いし印象に残る。近年の作家はミステリ的な構成はともかく、小説的な面においてはどんどん下手になっているのかも知れない、と考えさせられました。

No.270　『ささやく壁』パトリシア・カーロン（扶桑社ミステリー文庫）

　秀作。突然こういう作品を刊行するから扶桑社ミステリー文庫は油断できない。――全身麻痺のため自分の感情すら伝えられない主人公の老婦人（但しアイ・コンタクトでＹＥＳとＮＯ程度は伝えることができる）が階下の下宿人の義父殺害計画を壁伝いに聞いてしまい、なんとか殺害を阻止しようと必死の努力を展開するストーリーで、このような設定には前例がいろいろ存在するらしいが、非常に良く描けている。中盤では、計画を知られたことに下宿人が気づいてしまい、主人公をも殺そうと企てるのだが、寝たきりの病人だから殺すのは簡単だと思いきや、一歩も歩けない状態なので事故を装って殺すことができない、従って彼女はある意味で最も安全な状況下にいる――という逆説めいた設定が非常に面白かった。キャラクターの描き方も優れていて、単純に「いい人」と「悪い人」に分けてキャラを描いてはいない。その姿勢が立派。終盤にかけてのサスペンスの盛り上がりも素晴らしく、小品だが読み応えがある。お薦め。
　ところで帯には「パトリシア・カーロンの『ささやく壁』は、Ｐ・ハイスミスのように身の毛のよだつ密室恐怖を味わわせ、Ｂ・ヴァインのようにサスペンスに満ちた小説である」という『ブックリスト』の評が載せられているが、この評はまるで見当違い。先達の名を挙げるならばハイスミスやヴァインではなく、矢張りシャーロット・アームストロングだろう。『ささやく壁』の老婦人は作中で自分にこう言い聞かせる、「だったら、その方法を見つけなくては。（中略）計画を練りなさい。計画し、工夫し、対策を立てるの。いますぐ始めるのよ、サラ！　おまえは賢さも創意も工夫も、決してフィップスにひけをとらない。あの男を出し抜く方法はあるはずよ」。この決して諦めない姿勢は、希望を捨てないサスペンス作家アームストロングにこそ共通するものだ。……ただ、米専門誌の評でアームストロングの名前が引き合いに出されないということは、矢張り本国ではアームストロングは忘れられた作家なのだな。ファンとしては寂しいが、しかし別に本国でブームになっても翻訳が出なければ僕には全く関係が無いので、本国で忘れられても構わないから、日本でもっとアームストロングの作品が翻訳されることを望みます。勿論、カーロンの未訳作品も間を置かずに翻訳して欲しいものですが。

No.271　『王妃の離婚』佐藤賢一（集英社）

　いやはや本当に素晴らしい。展開が面白い、文章が読み易い、キャラクターが魅力的、結末の着地も爽やか。あとは何が必要かと考えて、結局これはこれで一つの作品として完成されていると感じてしまったほど完成度が高い（敢えて言えば、完成度が高いために突出して印象に残る部分が無い、という言い掛かりのようなことしか思い浮かばない）。それから何が凄いといって、15世紀フランスで起こった王家の離婚裁判劇という通常ならば（書くのも読むのも）面倒な題材を、よくも此処まで日本人に判り易く日本人が楽しめるように描き上げたものだ。たぶん此処が一番特筆すべき箇所だろう。非常にくだけた現代的な文章・会話文で書かれていながら、歴史小説として左程違和感を感じさせず、きちんと品格を保っているのも見事と言える（そういえば15世紀フランスで坊さんが主人公という設定は平野啓一郎『日蝕』でも使われていた）。見せ場も多く、かなり精神的な快感を感じさせてくれるシーンが続出し、読んでいる間大いに楽しませて貰った。反骨精神溢れる主人公の造形、そして離婚裁判の被告となる王妃ジャンヌの魅力的な人柄も特筆しておきたいし、ユーモアの振り方も手慣れている。ミステリとして評価すべき作品では無いのだが（帯には法廷サスペンスと謳われている）、しかし惹句通り法廷劇の面白さにも富む内容なので、今年推すべき新刊ミステリが少なかった場合は無理をしてでもこれをベストに入れてしまおう。お薦めです。ああ、これだけ面白いのなら、買っておいた『傭兵ピエール』を早く読まなくてはならないな。

No.272　『死の記憶』トマス・Ｈ・クック（文春文庫）

　昨年『緋色の記憶』が大好評だったクックの新刊（但し本国発表順では本書は『緋色の記憶』の二作前、『闇をつかむ男』の次の作品にあたる）。ただ、『緋色の記憶』が大好評だったとはいえ、結局主人公にとっては最後まで事件が“他者の事件”でしか無かった『緋色の記憶』よりは、“他者の事件”がラストで“他者の事件”ではなくなる見事な逆転を仕掛けた『闇をつかむ男』のほうを僕は高く評価しているのだが。で、今回のプロットは家族を殺害して逃亡した父親のことを主人公が回想する話であり、当然“他者の事件 ”とは成り得ず、これまで以上に主人公と事件の結びつきが強い。更に、主人公の現在の境遇と重ね合わせながら記憶を掘り起こしてゆくといった描き方がされているので、一層事件と主人公の関係が密接に絡み合っており、この骨格の魅力にクックの筆力が加わるのだから秀作にならない筈がない。悲劇的なドラマをゆっくりと掘り下げてゆく手際は矢張り上手いし、独特の陰鬱なムード、話術の上手さも味わい深い。但し結末は、真相の意外性を大切にしようとするあまりに小説的余韻を削いでしまったような感があって、着地は必ずしも上手くいっていないという印象（そこまでしてアピールしようとした真相がさして意外なものではないのだから一層悲しい）。そのため作風展開以後の作品では矢張り『闇をつかむ男』が最も優れていると僕は思うが、しかしこれも程良く纏まった秀作と言えるだろう。何はともあれ、“Breakheart Hill"の翻訳が楽しみです。

No.273　『緋の楔』吉田直樹（祥伝社）

　女性マンガ編集者が主人公だが、これは構造的には私立探偵小説のカテゴリーに属する。失踪した女性の居所を調べていくうちに謎が次第に複雑化し、ひとつの謎の解答がまた次の謎を呼ぶなどして、謎が大きく膨らんでゆく。つまりこれは、謎とその意外な解明を描くことが主眼の作品（本格ミステリ）というよりも、謎を追いかけていく過程を楽しむ小説（捜査小説）であり、この作品はその捜査の過程が非常に良く描けている。しかも真相の意外性が蔑ろにされている訳ではなく、結末にはしっかりと意外性がある。入り組んだ内容を展開していく筆捌きもなかなかのもので、「優れたプロットのミステリ」と称揚できるレベルに達していると言えるだろう。
　そしてこの作品は女性たちがとても良く描けている（女性の目から見ると違った感想があるかも知れないが）。主人公は当然としても、彼女に失踪調査を依頼する少女マンガ界の巨匠、肩肘張って生きている女性刑事、失踪した女性の友人とその叔母、主人公と親しい歯科医など、いずれも印象的に描けているのだ。息子の態度に怯えながらマンションで一人暮らしをしている老女の扱い方にも感心させられた。これはかなりの実力と言えるだろう。ラストの付け方も爽やかで力強く、僅かに残る苦みが却ってラストの爽やかさのアクセントになっているという印象。締めとなる最後の一行も素晴らしい。最初から最後まで楽しめました。
　という訳で、本作は構成力・人物描写ともに優れた傑作であり、たぶん間違いなく本年度上半期ベスト10に数え上げられる出来栄え（他の人はともかく、僕は数える）。吉田直樹はこの作品で素晴らしい飛躍を遂げたと言えるでしょう。次回作が楽しみ。

No.274　『ダブル・キャスト』高畑京一郎（メディアワークス）

　傑作『タイム・リープ』以来久々の高畑京一郎の新作。『タイム・リープ』はもしかするとこの作者の「通常の力量以上の作品」ではないかという印象があったので、果たして今後『タイム・リープ』と同水準のものが書けるのかどうかちょっと心配だったのだが、その不安は杞憂だったらしい。いや、正直言って本書は『タイム・リープ』程の傑作ではないのだが、ストーリーの展開は滑らかだし、キャラが立っているのでその魅力だけでも読むことが出来る。設定自体は既に使い古されたものを改めて使い直しているような感も受けるが（そういう意味では設定や展開に左程オリジナリティが感じられないのは気にかかるところだが）、構成力はしっかりしているし、アクション場面もスピーディーで、全体的に危なげなところが無い。中々の実力の持ち主であるということを確認できた。また、この作品におけるミステリ的趣向は、十人が読んだら十人全員が見破ってしまうような類のものなのだが、しかし伏線の張り方は万全と言えるもので感心させられた。何より、この作品でもミステリ的な趣向にこだわってくれたことが僕は嬉しくてならない。ラストまで一気に読ませる快作と言える。但し敢えて一言。次回作はもう少し早く完成させて欲しい。二年のインターバルはいくらなんでも長すぎます。
　ところで個人的に可笑しかったのは、主人公が暴走族に囲まれながらヘッドと対決しようとする直前、人格が入れ代わってしまうシーン。これとそっくりなシチュエーションが赤川次郎の『ウェディングドレスはお待ちかね』にあるのだ（こちらは人格が入れ代わる訳ではないが、お嬢様育ちの姉が不良娘の双子の妹と間違えられて妹の敵と対決しなければならなくなる）。妙に似ているので、懐かしくて笑ってしまいました。

No.275　『一月物語』平野啓一郎（新潮社）

　僕は平野啓一郎の方向性を支持しているから、方向性その他について特に言うべきことは無い。内容も面白く読んだ。但し、『一月物語』の文体にはちょっと引っ掛かるところがあるので、これだけは書いておきたいと思う。
　仮名遣いや文体は擬古典調で（おそらく狙ったのは泉鏡花）、中にはかなり難解な言い回しも含まれているが、歯切れの良い文章なのでとても読み易い。読み易すぎる程読み易い。で、この読み易い文章に、どうにも違和感を覚えてしまうのだ。どうして読み易いのか。それは文章に優れたリズム感があるからと言える。だが、それは現代のリズムのような気がして仕方がない。そのため極端に言うと、琴や三味線の音で×××（お好きな現代音楽をお入れください）を聞いているような違和感が生じてくるのだ。以前、鴨下信一と出久根達郎が対談の中で文体について語っていたことがある。

「出久根　例えば漱石は若い頃寄席に通ってたわけでしょ。正岡子規も鴎外もそうです。戯曲や演芸のリズムを頭に叩き込んでいたんですね。ですから、漢文の素養と演芸を聴きにいく、これが大事だったんじゃないかと。
　鴨下　それから、謡がけっこうなポジションを占めていたんじゃないかな。（中略）
　鴨下　鏡花の文章は朗読してみるとよくわかるんですが、普通の七五調のようにはいかないんですね。寄席の芸と謡というファクターを入れるとすごく読みやすく、リズムがとれるようになるんです。鏡花は謡ができたはずですから。（以下略）」

　この指摘は強烈で、それだけに強く印象に残ったのだが、この指摘が頭にあると『一月物語』における文章のリズムがどうしても気になってしまう。――語彙の豊富さや言葉の美しさを過去の言葉遣いに求めた、という趣旨で書かれた小説なら文句は言わない。がしかし、平野啓一郎はインタビューで「テーマや語り手に合わせて文体を選ぶ」という趣旨の発言を行っている。それならば、矢張り文章のリズムが気になってしまう。酷なことを書いているのは自分でもよく判っているが、若くしてこれ程の才能がある人なのだ。もっと高いレベルを期待して良いのではないか、と思う。何はともあれ、彼の第三作に期待したい。

No.276　『桜闇　建築探偵桜井京介の事件簿』篠田真由美（講談社ノベルス）

　建築探偵シリーズ初の短編集、雑誌掲載の七篇と書き下ろしの三篇合わせて十篇を収録。本格ミステリとしてなら収録作品中最も印象に残るのが二番目の「井戸の中の悪魔」で、これは紀行ミステリとしても優れた仕上がりの佳品。単純ながら解かれてみると「ああ、そうか」というトリックと、ひんやりした雰囲気が味わい深い。――だが、全編を本格ミステリとして読んでしまうと、若干詰めの甘さを感じるのも事実。特に“二重螺旋の塔 ”四部作は実に魅力的な舞台が用意されていながら、本格ミステリの舞台としては左程魅力的には使いこなされていないという印象を受けて、思わず歯痒くなってしまった（それでも伏線に対して注意が払われているところは凡庸な本格新人とは一線を画す美点だと言えるだろうが）。正直言って全編を読了すると、敢えて二重螺旋構造そのものにはトリックを仕掛けなかった四部作の最終話「永遠を巡る螺旋」や、あとがきで作者が「異色の一篇」「（本格ミステリの）縛りをゆるめた番外篇的作品」と語っている短編、つまり本格ミステリから離れて作者が延び延びと物語を書いていることが窺われる後半五篇のほうが読み物としては遥かに面白いのだ。特に「オフィーリア、翔んだ」は篠田真由美が持つ綺麗な残酷さが現れた好篇と言えるし、動機などの点でも最も篠田真由美らしい作品だと感じた（但し私見では、これだって立派な本格ミステリだと思うが）。キャラ中心の展開を辿る非ミステリ「君の名は空の色」も、シリーズ展開の空隙を埋めようとする意図の下に書かれたこの作者らしい小品。
　以上のことから考えて、もし作者の嗜好が本格ミステリに無い（或いは、本格コードに興味がない）ならば、僕は無理に本格に留まる（本格コードに縛られた本格を書く）必要は無いと思う。――と思うのだが、矢張り心情としては、それでも本格ミステリを書き続けて欲しいと思うのも事実。いずれにせよ、シリーズ第二部は開幕されたばかり。第二部第一作『美貌の帳』でも要所要所に鋭さを感じさせてくれた作者のことだから、期待して次の長編を待ちたいと思います。
　

No.277　『悪霊館の殺人』篠田秀幸（ハルキノベルズ）→　井戸端ミステリ会議へ　

No.278　『浅草ロック殺人事件』加納一朗（講談社文庫）

　時は昭和六年、舞台は浅草六区。雑誌《新世紀》（発行元：報文館）の編集者・宇津木は探偵作家・香川幻夢に連れられてレヴュー小屋に向かうが、その奈落で香川ご贔屓の踊子がマネキン人形に擬せられて殺害されているのを発見する。宇津木たちは事件の真相を探るため踊子の恋人だった男に会いに行くが、彼は踊子の亡霊に怯えていて……。
　プロットは推理小説としてはやや安易（加えて、最後のほうでおかしな視点の乱れがある）。しかし、昭和六年という時代が醸し出すちょっと猥雑なパワーと風俗描写がとても楽しい。描かれる事件も探偵小説的な見せ物主義を再現しようとしていて、ミステリとして特筆する点は無いとしても、結構楽しんでしまった。菊田数男（一夫）が端々に顔を出す趣向も楽しく、黒仏という探偵作家志望の男が出てきたのには笑った（ちょっと安直なネーミングだとも思うが）。出来を云々する話ではないと思うのでお薦めはしませんが、こういうの僕は嫌いじゃありません。

No.279　『クリムゾンの迷宮』貴志祐介（角川ホラー文庫）

　「火星の迷宮へようこそ」――どう考えても日本国内ではない奇妙な場所で目覚めた主人公は、傍らにあった携帯用ゲームのメッセージに従って目的地を目指す。辿り着いた地点には数名の男女が待っていたが、果して此処が何処なのか誰も判らなかった。彼らは何をさせられるのか？　そして彼らが集められた理由とは一体何なのか？
　ゲーム感覚を最大限に利用したスリラー長編（僕の考えるところでは、この作品はホラーとは言い難い）。冒頭の設定が斬新で素晴らしいし、緊迫感溢れるサバイバル描写も秀逸と言える。後半部の残忍描写も多少きついが悪くなく、盛り上げ方など堂に入ったものだ。しかしこの作品最大の特色は矢張りゲームの面白さを大胆に採り入れたことにあるのであって、作中にゲームブックや情報アイテムを登場させることで悪意に満ちた血みどろのマンハント（人狩り）をロールプレイング・ゲーム感覚で読ませたところが抜群に巧妙。作品全体に鏤められた数々の謎の存在も非常に効果的で、リーダビリティに満ちた秀作と賞賛できるだろう。この作者は本当に才能があるんだなあ、と感銘を受けた。
　但し敢えて不満を二つ書いておくと、まずは収束部の曖昧さが気になる。これは不思議な味わいを持たせようとしたラストの趣向のことではなくて、「何故主人公は（三文字自主規制）たのか」という点を指しているのだが、これが曖昧なために最後が漠然としてしまった印象がある。もう一つの不満は、主人公たちが異様な状況下に置かれた理由（＝この作品の真相）が案外つまらないこと。この理由がもっと斬新なものだったら僕は本作を高く評価していた筈なので、其処が残念に感じられた。――が、しかし。詳しくは書けないので隔靴掻痒的な文章になるが、考え様によってはこの真相は、「この小説を楽しんだ」僕たちにそのまま跳ね返ってくることになるのだ。それに気づいた時、僕は物凄く気持ち悪くなった。矢張りこれ、優れたホラーと言えるかも知れません。

No.280　『ソー・ザップ！』稲見一良（角川文庫）

　『クリムゾンの迷宮』がサバイバル・ゲームだったので、正調マンハント小説であるこの作品も久しぶりに読み返してみた。闘いを目的としたゲーム（但し命を賭けた真剣勝負）という理由でマンハントが開始されるため、作品の背景に悲劇性が無く、陰湿感無くさらりと読める。しかし、前回読んだ時と同じように矢張り気になるのは、ゲームの主催者レッドムーンが割と浅薄な人間としか感じられないような気がすることだ。「正々堂々と戦う」と言っておいて、泳げない人間が必死に滝を潜っている時に掴みかかって滝壺に落とし「勝ったのだ」と言われても説得力が少ない。僕は全ての稲見作品をこよなく愛しているが、この作品だけ比較的愛情が薄いのは偏にその理由による。言い換えれば狩られる側の人間性の魅力に対し狩る側の魅力が薄く、だから参加者が次第に斃されていくと次第に暗い気分になってしまうのだ。が、少なくとも陰々滅々とした話ではないし、本格的にハントが始まる前の自然描写やアウトドア場面は流石に稲見一良だけあって素晴らしい。自然を愛する心も穏やかに心に沁み込んでくる。おそらく稲見作品中最も好みの分かれる作品だろうと思われるが、夾雑物を徹底的に排したシンプルな構成が新鮮に感じられることでもあるし、読んで損は無いかと思われます。但し稲見作品を一冊も読んだことが無い方は、『ダック・コール』か『セント・メリーのリボン』から入って欲しいのですが。

No.281　『朱房の鷹』泡坂妻夫（文藝春秋）

　宝引の辰捕者帳（「捕者帳」は誤字に非ず）第四作品集。このシリーズは『鬼女の鱗』『自来也小町』『凧をみる武士』と続いていて、いずれも楽しく読了したが、今回は何故か先行の三作品よりも読後の印象が鮮やか。何故といって、このシリーズの中でミステリの趣向と捕物帳の楽しさ、そして泡坂妻夫本来の個性が最も綺麗な一致を見せたのはこの『朱房の鷹』ではないかと思うのだ（飽くまでもこのシリーズにおいては、である。夢裡庵先生捕物帳『びいどろの筆』においては既に達成されていた）。捕物帳としての話の面白さにも優れているし、個人的には、作者が近年取り組んでいる文様の研究などを意識的に作品に組み込んだことが作品に独自の華やかさを与えていると思う（更に、泡坂妻夫の捕物帳は江戸の楽しさは味わえるが“江戸臭さ”が無いところが良い）。また、此処に収録されている短編は、いずれも本格ミステリの構成を備えているとは言い難いけれども、謎の提示が魅力的なものが多く、特に「天狗飛び」は久々に泡坂ロジックを感じさせる好短編で、これを読んで「ＤＬ２号機事件」を思い浮かべる泡坂ファンも多い筈。更にはあの懐かしの〈てんとらぽん〉も登場するなど、本作品集の白眉はこの「天狗飛び」と言って良いだろう。唯一ミステリとは無縁の巻末短編「面影蛍」も切ない余韻を残す秀作と言える。
　なお一言言い添えておくと、本書のカバーを外すと其処には泡坂さん自身が作成した文様が鮮やかに刷り込まれている。この文様は角平市松といい、これをそのまま題名にした「角平市松」という短編も収録されている。「カバーを外すと」というのは最近文春の十八番となりつつあるが、この作品集においては角平市松がカバーで良かったのでは？

No.282　『イントゥルーダー』高嶋哲夫（文藝春秋）

　本年度サントリーミステリー大賞において大賞と読者賞をダブル受賞した作品。高嶋哲夫は乱歩賞など様々な賞に応募し続けていた人で、最終候補には残るが受賞には至らないというケースが多く、失礼ながら歴戦の敗者というイメージがあったのだが、少なくとも今回の作品は受賞しただけあって意外なほどのストーリーテラーぶりを発揮している。独自の個性や新鮮味溢れる試みは何処にも見られず、どちらかと言うと既存の小説作法に寄り掛かっているような感もあるが、これほどお話作りが上手ければそれが個性であると言って構わないだろう。キャラクターの描き方も秀逸で、一人一人のエピソードを丁寧に描いていて好感が持てる（ただ一人、このキャラの描き方はおかしいんじゃないかと思われたキャラクターが存在するが、それはミステリ的な仕掛けと重なってきてしまうので此処では言及できない）。展開も滑らかで、時にはしみじみと読ませるし、ミステリ的にも一応及第点を与えられる程度には頑張りを見せてくれる。秀作と言えるだろう。
　が、しかし。この最後の二頁は何なのだ。この二頁がある所為で、この作品に対する僕の評価は突如下がってしまう。この結末は蛇足だし、凡庸ですらあると思う。もしかすると作者は「人生そう甘くはない」ということを書きたかったのかも知れないが、結局は折角のストーリーテリングが二時間サスペンス程度の印象に急降下してしまった。何故このような、下手なオチ紛いの結末を付けなければならなかったのだろう？　これが無かったらサントリー絡みの作品では確実にベスト５の中に入る作品だと称揚したのに、残念で仕方がない。着地に失敗して転んだ上に足まで挫いてしまったような感を残す作品だが、しかしこれは僕の好みかも知れないし、99％は秀作と言って構わない出来なので、御興味のある方は御一読を。

No.283　『三色の家』陳舜臣（講談社文庫）
No.284　『割れる』陳舜臣（徳間文庫）

　陶展文シリーズの四長編中『三色の家』だけがずっと手に入らなかったのだが、最近漸く入手することができた。これを機に陳舜臣も読み直してみようと思う。で、たぶん特集をすることになると思うので、感想はその時に纏めて書こうと思います。

No.285　『刺青された男』横溝正史（角川文庫）→「絶版本の快楽」へ
No.286　『ペルシャ猫を抱く女』横溝正史（角川文庫）
No.287　『地獄の花嫁／人形佐七捕物帳全集　三』横溝正史（春陽文庫）

　上記二冊は「絶版本の快楽」参照、No.287は同人誌参加のために読みました。

　次回五月はNo.288／浜尾四郎『殺人鬼』（ハヤカワポケットミステリ）から。引き続きご覧ください。

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