謎宮会 1999/ 6

葉山　響

・今更何を、と思われるかも知れませんが、漸くパソコンを入手しました（祝）。嬉しくていろいろなホームページを覗いてみたりして。ふーむ、皆さんいろいろ頑張っておられるんだなあ。掲示板というのも僕にとっては未知の体験だったのですが、歓迎の言葉を寄せて頂いた方々、どうもありがとうございました。心からお礼申し上げます（倉阪鬼一郎さん、過分な御言葉をありがとうございました）。意外だったのは皆さんが僕のことを知っておられたことで、ホームページ事情を全く知らない僕は「……謎宮会ってそんなに見てる人多かったのか……」とちょっと冷や汗を流してしまいました。はっきり申し上げて、葉山は今まで知り合いにしか「謎宮会見てるよ」と言われたことが無かったため、どうせ殆ど知り合いしか見てないんだろうと漠然と考えていたのですが、どうやら勘違いだったようです（笑）。

・二月の読書日記の冒頭でムック『子供の本が面白い！』に掲載された、はやみねかおるさんのインタビューについて触れましたが、なんとはやみねさん御自身から謎宮会にメールを頂きました。曰く、「その通りです！」――ありがとうございました。矢張り、そうでしたか（笑）。パソコンを手に入れ、はやみねさんのページを見るのを楽しみにしていましたが、それと前後するようにページの閉鎖。残念ですが、またいつの日か復活してください。（と書いたら、復活していましたね。これからも頑張ってください。）

　それでは五月分、三百冊突破おめでとう原稿の開始です。

No.288　『殺人鬼』浜尾四郎（ハヤカワポケミス）

　再読（篠田秀幸『悪霊館の殺人』を読んでいて、この悠々たるペースは乱歩・横溝というより浜尾の『殺人鬼』だな――と思った途端、急に読み返したくなったのだ）。犯人は簡単に見当がつくが、第一楽章は冷静なアンダンテ、第二楽章はプレスト――というように一連の殺人を交響曲に見立てつつ、ひたすら重厚に展開する堂々たる構成が素晴らしい。ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』への度重なる言及、名探偵二人の推理闘争、そして第三の殺人での“浴槽の花嫁”殺し。当時の探偵小説好きを喜ばせる趣向を鏤めた遊び心も文句無く、更に探偵が犯人側の計画の齟齬を追求する箇所などにも古典本格の雰囲気が感じられて懐かしい。細かい点も考え抜かれていて（だから今でも読める）流石は大古典の名に恥じない仕上がり。微かに漂う通俗的な匂いも今となっては戦前的な香りを醸し出す楽しいスパイスとなっている。戦前の作品ながら重厚な構成は未だ輝きを失っておらず、未読の方は読むべし。
　蛇足だが、『殺人鬼』はポケミスで読むと味がある。「あら、あなた来ちやつたの？」とか「あんな乱暴されている間、默つていたというのはちとうけとれん話だね」という筆記はポケミスならではのものなので。

No.289　『弓の部屋』陳舜臣（講談社文庫）

　たぶん特集で取り上げることになると思うので、感想はその時に。

No.290　『３９［刑法第三十九条］』永井泰宇（カドカワ・エンタテインメント）

　森田芳光監督・鈴木京香主演映画の原作本（但しこの本の帯には原案者の名前もクレジットされているため、何処までが永井自身の創造によるものなのかいまひとつ明確ではないが）。佳作。確かに会話文はあまり上手くないし、裁判が余りにも円滑に進み過ぎる印象がある。特に、ほぼ絶対に認められないという多重人格ケースが裁判で簡単に認められそうになる展開は俄には信じ難い。だが、地の文は割とスムーズに書かれているし、裁判・鑑定・調査の過程がシーン毎に明快に分割されて描かれているので読み易く（これは恐らく映画が元になっているからだろう）、少なくとも際立った穴は無い作品だな、という気にはさせられた。しかし真相は、警察が丁寧に捜査していたら主人公が調べなくても簡単に判明したのではないかという類のもので、其処に文句が付けられないこともなく、更に二、三の構成要素が上手く回収されずに放り出されてしまったような憾みもある。……が、これはこれで良いのだろう。何故かこの作品に対してはそんな印象を受けた。猟奇殺人と多重人格裁判を扱った作品に向けて言う言葉ではないかも知れないが、気軽に読む分にはそこそこ楽しめる作品と言える。気軽に読む分には千三百円という値段は高いような気がするけれど。
　因みにこの作品で一番引っ掛かったのは、刑法第三十九条に対して警鐘を鳴らすという割には三十九条への問題提起が中途半端な点。テーマ的には失敗作と言えるかも知れません。

No.291　『そこに薔薇があった』打海文三（集英社）

　打海文三が新境地（？）を開拓しようとして失敗した小説。格別つまらないという訳ではないので厳しい評価かも知れないけれど、そういう印象しか持てない。私立探偵小説の旗手として活躍できそうな実力を備えていながら、いまひとつ殻を破ることができないという印象がこの人の作品にはいつも付き纏うのだが（と言いながら二三冊しか著作を読んでいないので詳しいことは何も言えないが）、従来の方向性から目先を変えて新しい世界に挑んでみた結果、従来の長所を失ってしまったような感がある。新感覚的な作品世界に官能性を盛り込んだような雰囲気の作品なのだが、この手の雰囲気の作品では片岡義男という巨木が既に存在していて、比べてみると矢張り片岡のほうが数段上手い。連作短編趣向も特筆する程面白いものではないし……矢張り打海文三は従来の路線を邁進して欲しいし、新境地に挑むのは私立探偵小説で一応の結果を出した後で良いのではないか。それからプロットを作り込むことがこの人の急務。以前、評論家の池上冬樹が打海の『時には懺悔を』評の中で「『私立探偵小説』といっても、どうしてもミステリの制約を受ける。ミステリとしてのプロットのなかでいかに私立探偵を活躍させるかとジャンル・ミステリの作家は考えてしまうからだ。ところが（中略）打海文三はもっと自由に小説を捉えている」と書いていて、そう評価したい心情は理解できるし、現代小説としてなら左程プロットを作り込む必要は無いとも思えるのだが、打海文三がこれから先も現代小説ではなくミステリの領域に留まるつもりでいるのなら、この程度のプロットではブレイクすることは難しいだろう（読んでないので判らないが、横溝賞佳作のデビュー作『灰姫　鏡の国のスパイ』はどうだったのだろう……錯綜しないスパイ小説というのはちょっと考えにくいが）。良くも悪くもキャラの魅力と、ちょっと大袈裟に気取った会話文がこの人の良さだと思うので、その長所を活かしつつプロットに磨きをかけてくれれば傑作が生まれる可能性があるだろうと思う。決して嫌いな作家ではないので、頑張って欲しいところなのだが。

No.292　『だましゑ歌麿』高橋克彦（文藝春秋）

　意外だが、もしかしてこの作者が長編時代ミステリを書くのはこれが初めてなのではなかろうか。連作短編集では『完四郎広目手控』があり、時代伝奇の『舫鬼九郎』シリーズにも推理的な趣向が加えられていたが、本格的な長編となると記憶に無い（『倫敦暗殺塔』は明治なので除外）。そのためか、本書はかなり気合を入れて書き上げたものではないかと思われる。複雑なプロット、良質なキャラ、スピーディーな文章、そして八方円満解決の一大ハッピーエンド。見せ場を作り過ぎたためかちょっと長くなり過ぎた感もあるものの、読者を楽しませるツボ（更には時代ミステリのツボ）を十二分に心得ていて、矢張りこの人は小説の職人だと思う。だが、それ以外にも本書には深読みすると面白い箇所が幾つかある。その中で最も面白いのは、主人公の前に立ち塞がる権力側の代表として火附盗賊改方長官長谷川平蔵、つまりは鬼平が登場することだ。敢えて鬼平を引きずり出してきて彼を灰色の人物として描いた点が野心的で非常に興味深い。また、もうひとつ興味深いのが主人公の名前。仙波一之進というのだが、仙波とくれば心あるミステリファンは立ち処に一人の名探偵の名前を思い浮かべなくてはならない。仙波阿古十郎、即ち久生十蘭描くところの顎十郎である。これは高橋克彦の確信犯的行為だろうか？　おそらくそうだろうと思う。高橋克彦が顎十郎捕物帳を知らない筈がない。つまり、本書の中には先行する時代小説の名作に対する密かな挑戦が見てとれるのだ。その意気や良し、と賞賛したい。三つ巴の謀略劇も良く描けているし、実在架空取り混ぜてのキャラの魅力も文句無し（特に主人公の父親・仙波左門の性格付けが面白い。また、最後の最後で諸悪の根源・松平定信が登場するのだが、この定信の描き方には「大人の作家だなあ」と感心させられた）。本書は高橋克彦中期の傑作として数え挙げられる作品だろう。娯楽小説の見本のような作品、お薦めです。

No.293　『ＱＥＤ　六歌仙の暗号』高田崇史（講談社ノベルス）

　『ＱＥＤ　百人一首の呪』に続く歴史ミステリ第二弾だが、この作者が真逆ここまで優れた快作を第二作で書き上げるとは全く予想していなかった。七福神と六歌仙を結び付けた発想が圧倒的に素晴らしい。この作品で披露される七福神や六歌仙についての知識は格別珍しいものではなく、ある程度は既に知れ渡っているものばかりだろうが、それを一つずつ丁寧に並べていって自分なりに再構成し、一つの壮大な論を展開していく過程は本当に面白かった。作品の背景に作者の読書量――様々な本を読みこなしている――が窺われるところにも好感が持てるし（参考文献には出てこないが、作中、杉本苑子の説に触れた箇所があるし、小町に関する黒岩涙香の説というのはたぶん『小野小町論』から引かれたものだろうし、たぶんこの人は藤枝ちえの歴史ミステリ短編集『将門の秘密』も読んでいるだろうと思う）、結果として出来上がった全体図には本当に虚を衝かれる思いだった。最終章の持論展開のために、全体に伏線を張り巡らせている点もまた凄い。これは歴史ミステリとして後世に残る作品と称揚して良いかも知れない。ミステリ的な技法に関しては、筆運びと内容展開に未だ京極の影響が色濃く現れているものの、例えばサスペンスの盛り上げ方などに見られるように、総じて前作よりも格段の進歩を遂げている。前作と同じく真相には或る（二文字自主規制）が絡んでくるが、この扱い方も前作より手慣れた印象を受け、更に伝奇ミステリのような真相へと持っていく展開も楽しかった。あとは女性の容姿の描写が著しく紋切り型なのが気になったものの、この作品が本年度上半期の私的ベスト５候補に躍り出たことは確か。久々に興奮させられた傑作と言えます。

No.294　『羽子板娘／自薦人形佐七捕物帳（一）』横溝正史（角川文庫）
No.295　『神隠しにあった女／自薦人形佐七捕物帳（二）』横溝正史（角川文庫）
No.296　『舟幽霊／自薦人形佐七捕物帳（三）』横溝正史（角川文庫）

　同人誌参加のための読み直し。感想は此処では書きません。

No.297　『サタンの僧院』柄刀一（原書房）

　舞台設定に違和感あり。現実の現代ヨーロッパが舞台のようだが、これ、パラレルワールドを舞台にしたファンタジー系ミステリ、或いは時代ミステリにしたほうが不自然ではなかったと思う（でも、時代ミステリにすると本書のトリックの大半が実行不可能になってしまうのが痛い）。描かれる謎も風俗もストーリー展開も到底現代のものとは思えないが、これがファンタジーならば素直にストーリー展開を楽しめた筈。雰囲気は伝説めいていて好ましいのだから、現実世界を舞台にすべきではなかったのではないか（但し完璧にファンタジーにしてしまうと、このプロットのままでは謎の解決方法があまりに現実的なものなので面白味に欠ける、という感想を持つことは確実。ファンタジー的なミステリにはファンタジーなりの面白さを求めてしまうので――例えば小森健太朗『ローウェル城の密室』の真相を思い浮かべて欲しい――現実とファンタジーの匙加減が難しい）。別の面から見ると、舞台設定がかなり浮世離れしている印象を受けるのに、トリックの解明ではかなり現代的な技術手段を使用しているのがちょっとズルいという印象を受けた。
　閑話休題。ミステリ的には、設定から考えて思わず壮大なプロットを期待してしまったが、実際に読んでみると幾つかの謎解きを組み合わせて長編に仕立てた作品だった。が、それは別に問題ない。気になるのは機械的・技術的なトリックに寄り掛かっている印象を受けることで、「へえ、そうやればこういう状況を作り上げることが可能なんだ」という感心と、「ああ成程、上手く騙されてしまった」という満足感は矢張り別物。そして僕は後者こそ、本格ミステリの醍醐味だと思うのだ。作者の気持ちは判るし謎解き場面の雰囲気も好みだと言えるのだが、本書のトリックの半数が何らかの高度な技術を使用しなければ実行不可というのはちょっと気持ちが悪い（その中に、突如クレイトン・ロースン的な発想――というより、ロースンそのもの――を投げ入れていたのには笑えた）。作者も機械的なトリックが殆どだから読者が謎解きに参加するのは難しいと考えたのか、伏線を張る努力が薄いように感じられる。小説的な盛り上げ方は上手いと思うし、筆力もあると思うから、本格とは別のものとしてなら嫌いな作品ではないが、本格としてはあまり評価できない、というのが僕の最終的な結論です。

No.298　『うつくしい子ども』石田衣良（文藝春秋）

　現実の事件をベースにした作品だが、この設定には虚を衝かれた。成程、こんな方向からも攻め込めるのか。九歳の少女が殺害され、犯人として十三歳の少年が逮捕される。「十三歳少年の猟奇殺人」としてセンセーショナルに報道された事件の調査に挑むのは、少年の兄である十四歳の少年なのだ。犯罪を行った少年の親が社会の冷たい眼と戦いながら犯罪の裏にあるものを掘り返す、という内容ならこれは何処にでもあるストーリーだが、少年（兄）が少年（弟）の殺害動機を調べようと奮闘するというのは珍しい。が、確かにそのほうが展開としてはストレートに進められるのだ。調べる動機は切実だし、同じ親に育てられたのだし、子供の気持ちは子供が一番良く判るだろうから、この設定はアイデア賞をあげても良いと思う（第一章のタイトルが「事件の終わり」である点も効果的な演出だと思った）。ストーリー自体は、こういった話をこのように終わらせて良いものかどうか疑問の点が無くもないが、事件が一応の解決を遂げた後で描かれる場面(268頁以降）が印象的、というかこの場面を最後に持ってきた点が秀逸と言える。少年を主人公に据えたために作品に淡くイノセンスな雰囲気が漂い、その雰囲気が殺人の生々しさを和らげているのも好感が持てた。弱点もあるが、見るべき箇所も多い作品だと思う。
　最後に一応断っておくが、僕は日本の刑法は加害者に甘く、被害者に厳しい理不尽な面があると思っている。加害者側の事情を其処まで考えてやらなければならないのか、と思ったりもする。だが、加害者側の事情も考えてやらなければならない、という展開のこの作品を否定するつもりは全く無いし、このような事件を前にした時、傍観者が何をやってはいけないのかを知っておくことは大切だと思うのだ（安室奈美恵の母親が殺害された時、殺した男の家までがカメラに写されていたが、遺された家族はこれからもその家に住み続けるのかも知れないのだから、酷いことをするものだと僕は思った）。何はともあれ、デビュー作『池袋ウエストゲートパーク』の時は否定的な意見しか書けなかったが、本作は（やや破綻気味の箇所はあるものの）好意的に評価しておきたい。次にこの作者が何を書くのか楽しみです。

No.299　『ペルシャ猫の謎』有栖川有栖（講談社ノベルス）

　以前、作者は火村シリーズに対する読者の批判を受けて「気に入らないなら読むなよ」という趣旨の発言をしていたので、それ以来作者の言うことを聞いて『英国庭園の謎』も『ジュリエットの悲鳴』も読まなかったのだが（『朱色の研究』だけは読んでしまった）、もしかすると某ファンダムの会誌で新刊レビューを始めることになるかも知れないので、一応新刊チェックのためにこの作品集を読んでみた。で、このシリーズ、一層アシモフの『黒後家蜘蛛の会』を思わせる内容になってきたような気がする。雰囲気はまるで違うのだが、ワンアイデアの一本勝負で、時にはミステリの素材に成り得ないものまで無理矢理ネタにしてしまうところがなんとなく『黒後家』を連想させるのだ。但し『黒後家』は推理合戦の楽しさが横溢した素晴らしいものだったが、火村シリーズは設定上、推理合戦の魅力が当然存在しないので、結局は面白くないとしか言えない出来になっている。集中では「切り裂きジャックを待ちながら」が辛うじて佳作と言えるが（ミステリ的構成よりも緊密な雰囲気を買う）“なぜ犯人はクリスマスツリーに死体を吊るしたのか”という謎に対する解決の方法は正直言って好みではない。酷いのは「わらう月」で、こんな解決なら名探偵が出てこなくても誰が見たって判りそうなものだ。――別に、僕は「つまらないネタで書くな」と言いたい訳ではない。要は処理の仕方なのだ。ネタ的につまらなくても、処理の仕方によっては傑作となる可能性がある。しかしこの作品集は処理に工夫が見られない。「ペルシャ猫の謎」だって処理が上手ければもっと印象的な短編に仕上がっただろう。詰めの甘い作品集だとしか思えませんでした。ここ十年の私的本格ベスト『双頭の悪魔』を書いた人なので、期待度は高いんだけど……

No.300　『永遠の仔（上下）』天童荒太（幻冬舎）

　雑誌などで誰もが大絶賛状態で、それはある意味当然だろうが、此処では敢えて厳しいことを書いてみたい。
　まずは認める。傑作と言える。読みやすくて面白く、読後は「大作を読み終わった」という充実感が残る。ミステリとして左程特筆すべき魅力は無いが、読んで損の無い作品だとは称揚できるだろう。だが、傑作と認めた上で敢えて書いておくが、僕はこの作品を心から絶賛することはできない。何故か。――かつて共に罪を犯した三人の少年少女が、過去を否定しようとしてか大人になると看護婦・弁護士・刑事という「如何にも」な職業に就いている。親に虐待された過去を鑑み、自分が親になることに耐えられない男は、付き合っている女性の妊娠に動揺し「堕ろせ」と命ずる。ヒロインを巡って二人の男は次第に反目し合うようになる。主人公が或る登場人物と運命を共にしようと決意した途端、それを阻止するようにあまりにもタイミング良く患者が発作を起こす。――つまり、どうにもプロットの端々に類型の匂いを感じてしまうのだ。上巻の段階では隠されているヒロインの虐待理由も、「パターン通りならあの理由だけど」と思っていたら矢張りそれだった。アルツハイマー患者に対する描写も「愛らしい幼子のようにさえ見える」と他の作品などで何十回も読んだような表現で済ませてしまっている（試しに帚木蓬生の新作『安楽病棟』の序盤を読んでみて欲しい、『安楽病棟』の活き活きとしたエピソードの前では『永遠の仔』の患者の描写は「如何にも」過ぎて霞んでしまう）。読んでいて面白くない訳では決してないし、大変な力作だと評価できるだろうが、何処かで読んだような展開が連綿と続く印象を受けるのは否定し難く、結果として「過去作品のパッチワーク的な傑作」という複雑な評価しか出来ないのが残念。キャラクターの描写にもいまひとつ切迫感が無く、登場人物たちの存在感や苦悩が生々しく伝わってくるというよりは、物凄く演技の上手い俳優の熱演ぶりを客席から眺めているような、そんな淡々とした印象を受けてしまった（但し、だから逆に生々し過ぎず口当たり良く読めた、というプラス効果もあると言える）。読ませることは十二分に読ませるが、作者の志の高さの割に通俗的な感触のまま読み終えてしまったのは以上の理由による。この作者は定型を破ることが今後の必須課題だろう（但し、本篇第十二章および第十三章のふたつの章には、何故か他の章には感じられなかった強い面白さを感じたことも書いておかなくてはならない）。約二千四百枚という長大さを感じさせない筆力は高く評価できるが、プロット造りにちょっと引っ掛かりを残した作品だった。でも前述した通り、読んで損は無いと思う。

No.301　『銀扇座事件（上下）』太田忠司（トクマノベルズ）

　狩野俊介シリーズ初の上下巻。某作家の某作品（題名を挙げるとネタバレになるかも知れないので敢えて名は挙げない）に影響を受けたのではないかと思われる構造で（それを作者自ら肯定するように上巻序章では某作家の作品への言及が見られ、更に「×木×子」なる名前の人物も登場する）、描かれる事件は割と複雑なので楽しめるが、先行作を想像させる点が評価の分かれ目となるかも知れない。個人的には灰色の立場（肯定も否定もできない）。つまり、ミステリ的に面白いと感じた箇所の大半が某作で既に成し遂げられていたものなのだが、この作品独自の面白さが全く無い訳ではないから否定する気持ちも起こらない、というところなのだ。但し、その「独自の面白さ」の中に含まれる上巻の結末は、シリーズファンで無ければ容易に推測できるものだろうし（もしかするとシリーズファンも？）、文章も下巻と比べると粗く、もっと上巻を丁寧に書き上げて欲しかったという思いがある。だが、この点は実は文句を付けてはならない箇所なのだ（理由を知りたい方は直接読んで確かめてみてください）。――でも、矢張りこれでは折角の上巻結末のネタが活かしきれていないと思うから、せめてもう少し上手く書いて欲しかった。しかし、何や彼やと言っても狩野俊介シリーズの中では異色の代表作になる作品ではないかと思います。
　あと、個人的な不満をひとつ。『銀扇座事件』なる素敵な題名を付けたのだから、プロットに「銀の扇」が絡んで欲しかった。本当は、それを期待して読んだのだが。

No.302　『六歌仙暗殺考』井沢元彦（講談社文庫）

　初読。『ＱＥＤ　六歌仙の暗号』が面白かったので、取り敢えずはネタ的に重複していないかどうか確かめようと思って同じく六歌仙を扱っているこの作品も読んでみた。結局ネタは「六歌仙を扱っている」ということ以外全く重なっていなかったので一安心だったのだが、『六歌仙暗殺考』自体の出来は失敗作としか言えないだろう。事件全体の発想は非常に面白いし、テレビの臨時ニュースで突如死亡報道のテロップが流れるという殺害予告アイデアも派手で鮮やかなのだが、この中心ネタを書き切るにはもっと枚数と情報量が必要だろうし、名探偵（主に初期作品で活躍した南条圭）が登場するが本格ではないので彼の存在が多少浮いてしまっているような感がある。なぜ六歌仙の見立て殺人を行ったのか、という問いに対する解明も平凡。初期に佳作秀作が多い井沢作品の中では見劣りする出来だと思います。

No.303　『文福茶釜』黒川博行（文藝春秋）

　古美術界が舞台の五篇を収録した連作短編集。登場人物は共通しているが、主人公はその作品によって違うという構成がなかなか面白い。しかし真贋ミステリとしての面白さは殆ど無く、情報ミステリ、或いは業界コン・ゲームとして読まれるべき作品と言えるだろう。真贋ミステリとして評価すると、どの作品も美術品に対する鑑賞の視点が殆ど無く、本物と贋作との関係や両者の対比などといった高尚なテーマも皆無であり、本物だろうが偽物だろうが結局登場人物たちの目的は金なので、結局美術ミステリとして読んでしまうと殆ど楽しめなくなるのだ（贋作ミステリには傑作秀作が目白押しなので、余程上手くないと感銘が薄いということもあるが）。但し、「美術品はどうやって売り捌かれるのか」「贋作はどうやって造られるのか」などの情報に興味のある方なら、その辺りのことは細かく説明してあるので楽しめるだろう。という訳で最初に述べた通り、本作は情報豊かな小悪党たちのコン・ゲームとして読んだほうが楽しめると思う。小悪党たちが美術品の周りで儲けを狙って右往左往する辺りなどはなかなかコミカルに描けている。ただ個人的には、各篇それぞれにもう少しプロットにひねりがあっても良いと思ったし（結末が大体推測できる。但し「永遠縹渺」のラストは上手い）、主要登場人物が見事な迄に小悪党で揃えられているので誰にも感情移入がしにくく、結果として終始傍観者の立場で読み終えてしまったのがやや残念だった。たぶんこれで作者の狙いは達成されているのだろうが、かつて『海の稜線』などの警察小説で感情移入しながらあれだけ楽しませてもらった当方としては、「これで良いのだろうか」とちょっと不満に思ってしまう。安易に「昔に戻れ」とは言いたくないが、けどなあ……

No.304　『啄木鳥探偵處』伊井圭（東京創元社）

　第二回創元推理短編賞受賞作品「高塔綺譚」を巻頭に置いた、石川啄木が探偵役を務める連作短編集。以前金田一春彦氏が「啄木という人は原稿料が入ると直ぐに遊興に使い果たし、資金が無くなると『ぢつと手を見る』と詠む人だった」と語っていたので、此処に描かれている啄木像には別に不満は無い（但し、なぜここまで啄木＝主人公を狡辛い人物として描かなければならないのか、それについてはちょっと疑問を感じる）。しかし問題はワトスン役・金田一京助のほうなのだ。この作品集は金田一京助の一人称で進められるのだが、彼が非常に情けない人物として描かれているのが非常に気になった。実在人物を扱うからにはもう少しその人物に対して敬意が払われても良いのではなかろうか（御子息が御存命なほど最近の人なのだから）。更に、語り手となるのは国語の鬼のような人なのに、一人称で語られる文体はどうにもその点について配慮が足りないように感じられた（例えば「お笑い」という言葉は、記憶が正しければこの時代には存在しなかった筈）。という訳でこの作品集の場合、ワトスン役に金田一京助を据え、一人称で語らせたのは完全に失敗だったとしか言い様が無い。文章自体は、時代色を感じさせる独特のリズムの文章を書ける人のようなので（表現も決して下手ではないし、独特の美しさを現出させた箇所もある）、これでは勿体ないと思った。
　ミステリ的にも、各篇それぞれに弱い箇所が存在する。第二話「忍冬」では、最後まで読むと何故依頼人が啄木に調査を依頼したのかその理由が薄弱となってしまう（説明はあるが、これではちょっと……）。第三話「鳥人」は、トリックの出来には目を瞑るとしても、トリックを実行する時に発せられるであろうある物の“音”に対し何も配慮がされていないのが気になった。第四話の犯人は、こんなに複雑なことをしなくてももっとシンプルに事を進める手段が幾つもあっただろう。最終話には目立った手落ちは無いのだが、但し啄木の探偵譚の巻末にこの話は不似合いで、この作品は（第一回創元推理短編賞に落選した作品とのことだが）収録しないほうが良かったと思う。また、各篇の最後に登場する啄木の短歌ももう少し事件と絡ませて欲しかった。この点では全く同様の趣向を持つ笹沢左保の連作『一茶捕物帳』のほうが明らかに上。
　という訳で、文章と作品世界の設定は独特な味があって好感が持てるものの、キャラ造形とミステリのプロットはもう少し習熟して欲しいと思う。そうでなければこの文章力が勿体ないと思います。

No.305　『四季屏風殺人事件』ロバート・ファン・フーリック（中公文庫）

　ディー判事シリーズが再び刊行されるとは予想外だったのでとても嬉しい。とはいえこのシリーズを読むのは今回が初めて。数年前、ちくま文庫でシリーズ第一弾『中国迷路殺人事件』が再刊されたのを見逃してしまい、それに気がついた後も「いずれ買おう」と思いながら放っておいたところ、結局絶版処分になってしまった。未だに手に入れていないので、安く譲ってくれるという奇特な方がいらっしゃいましたら御一報ください。
　さて、そういう訳でディー判事シリーズは初めて読んだのだが、毎回三つの事件を並行してディー判事が調べるというシリーズのアウトラインは事前に知っていた。その三つの事件が必ずしも有機的に関係し合う訳ではないことも知っていたが、それに照らして読むと、本作は比較的事件の結び付きが強いほうではないかと思われて好感が持てる。というか、予想以上に面白かったのだ。ミステリとして格別凝った趣向がある訳ではなく、一つ一つの事件の謎も（それだけ取り出してみると）非常に単純なものなのだが、三本の事件がかなり錯綜して語られるため容易には縺れた糸を解すことが出来ず、解き明かされてみると「ああ、そうか」という納得感がある。古代中国の風俗描写も堂に入ったもので（中国人が読むと失笑するかも知れないが日本人の僕は楽しめた）、この特異な舞台設定の魅力には抗し難い。更にはディー判事が、身分を隠して裏世界の元締のアジトに入り込むというちょっとスリリングな活劇趣向も加えてあって楽しく、この作者、自分が娯楽読み物を書いているということに非常に自覚的だという印象を受けた。水戸黄門と鬼平犯科帳の中間を行くような雰囲気も独特で、このシリーズ、どうせなら旧作の文庫化も含めて、全作中公文庫で翻訳紹介してくれないだろうか。文庫でこの値段なら普及も可能だろうから、是非とも中公の奮起を期待したい。

No.306　『中国凡鐘殺人事件』ロバート・ファン・フーリック（三省堂）

　以前古本屋で買ったまま死蔵していた本作を引っ張りだして読んでみたが、矢張り感心すること頻り、面白い。必読の傑作とは言わないまでも独特の味わいが楽しめる秀作であると断言できる。今回もディー判事は三つの事件を扱っているのだが、『四季屏風殺人事件』と違うのは事件が一つずつ登場順に片づいていく点で、『四季屏風殺人事件』ほど三つの事件が複雑に錯綜する訳ではない。が、感心させられるのは三つの事件の趣向がそれぞれに違っていることで、言うなれば様々に味わいの違う三つの事件をひとつの長編で楽しめるのだ。それでいて作品が三つに割れている印象を与えない辺り、見事なものだと言えるだろう。第一の事件は冤罪もので、ディー判事が突如シャーロック・ホームズばりの名推理を展開する場面は非常に心地好い驚きを感じさせてくれる。第二の事件は県の大物四人を巻き込んだダイナミックな大捕物で、寺の秘密に容赦無く切り込む政庁法廷の謎解きが面白い。第三の事件は一族を殺された悲劇の夫人に関わる失踪事件の謎解きで、犯人が処罰された後に意外な真相が明らかになる。作中、ひとつだけ視点が浮いている箇所があって「あれ？」と思ったが、それは中国の小説形式の伝説に則ったものだと作者自身が解説で指摘しているから構成の点でも文句の付けようが無い。苦み走ったラストも気が利いていて、流石に森英俊氏がこの作者を「わが国では不当に無視された存在」と書いていただけのことはあると思った。このシリーズ、本気で読み込みたくなってきました。再刊・新訳熱望。

No.307　『瀬戸内海の惨劇』蒼井雄（国書刊行会）

　『船富家の惨劇』に続く、戦前本格ミステリ作家・蒼井雄の第二長編。今日的視点で評価すると、残念ながら本格としては高く評価できない。僕自身の好みの問題もあるかも知れないが、細々した行李移動の謎が正直言って煩わしく、整理してもっと判り易く書けなかったものか、と思ってしまう。それでも中盤は割と挽回するのだが、後半に突入すると次第に伝奇ロマンの如き展開になり、本格としての整合性は徐々に片隅に追いやられてしまう。真相として提示される人物関係と彼らの行動も煩雑で、明快に解かれたという快感は薄い。また名探偵・南波喜市郎も実に中途半端な役回りで、前作『船富家の惨劇』でも結局彼は名探偵の座を終盤で他人に譲っていたが、今回は彼が謎を解明するものの、結局犯人の死で事件が全て片づいた後に疑問点を整理する、という形でしか推理をさせて貰えず、この名探偵、かなり作者に損な役回りを押しつけられているという印象を受けた。
　批判ばかり書いてしまったが、クロフツに影響を受けた戦前本格（黎明期の本格）としては書かれたことに意義のある長編だと言えるし、そういった一般の評価に疑問を呈する気は起こらない。『船富家の惨劇』のほうが面白いことは確かだか。
　なお同時収録の短編「黒潮殺人事件」はアンソロジーなどでよく見かける佳作。高校受験の前によく解いた数学（理科だった？）の問題を思い起こさせるようなトリックが印象的な短編と言える。

No.308　『玉人』宮城谷昌光（新潮文庫）

　中国の物語六篇を収録。解説で宮部みゆきが指摘している（帯にも書いてある）「六つのミステリー、六つの恋物語」という側面だけを狙って読むと多少違和感を感じるかも知れないが（世間的には、ミステリ的趣向を含んだ時代小説集と言っておいたほうが無難かも知れない）、それでも個人的にはこれをミステリ短編集と呼ぶのに吝かではない。ミステリ的な趣向が楽しいし、このしっとりとした味わいをミステリ界に引き入れたくて堪らないという欲求が起こってしまうからだ。本書は実に良質な短編集と言える。で、この後は各篇について触れるべきなのだが、今回は宮部みゆきの解説があまりに上手いので、他に書くべきことが殆ど残っていない。困ったものだ（笑）。でも一つだけ触れておくと、巻頭の短編「雨」の解説で宮部さんは類例としてウォルポールの「銀の仮面」を挙げているけれども、これは中島敦の短編「牛人」のほうがより近い（というか、原典のネタが同じ）。「雨」を読んだら「牛人」も是非読んでみて欲しいと思う（岩波文庫『山月記・李陵　他九篇』収録）。あとは、「わぁ、これは宮城谷版シャーロック・ホームズなんだ」と宮部さんも喜んだ「風と白猿」がミステリファンとしては矢張り楽しめたし、表題作「玉人」における話の流れの美しさにも感銘を受けた。「桃中図」の優美な雰囲気も印象に残る。宮城谷昌光は『夏姫春秋』以来お久しぶりだったけれど（個人的に宮城谷作品の中で最も好きなのは中篇「侠骨記」）、また読んでみたいと思いました。

No.309　『夜明けの睡魔』瀬戸川猛資（創元推理文庫〈創元ライブラリ〉）

　ミステリ業界中、最も尊敬していた人だった。この人の存在が無かったら、僕は翻訳ミステリを手に取っていなかったかも知れない。赤川次郎のファンだった僕が、赤川次郎以外で初めて買った単行本というのが、実はこの『夜明けの睡魔』なのだ。当時、慥か中学二年生。そんな僕に『夜明けの睡魔』の影響は余りにも大きかった。以来、現在に至るまで僕は多くの本を読んでいるが、最も多く読み返した本はこの『夜明けの睡魔』であり、僕は瀬戸川猛資にミステリの読み方を教えられたようなものだと言える。本当に素晴らしい評論家だった。その評論家が、あれだけの才能が最早この世に存在しないということが、僕は悲しくてならない。これからもっと凄いことを成し遂げられる筈の人だったのに……。本書の後、もうひとつの傑作『夢想の研究』が創元ライブラリから刊行されるらしいが、これもまた瀬戸川猛資以外誰も成し遂げることができなかった新しい批評の形。軽やかにジャンルの壁を飛び越える魔法のような批評集を、文庫化を機に多くの人に手に取って貰いたいと思います。
　それにしても、後進の評論家たちが皆一様に声を揃えて「もうあれだけの評論家は出てこない」と語っているのは実に不満。瀬戸川さんが播いた種を享受し育てていくことこそ後進の役目ではないか。瀬戸川猛資は天才だが、（例え超えられなくても）その才能を超えようとする気構えを持った人が沢山登場して欲しいと僕は思います。

No.310　『いつまでも折にふれて／さらば６弦の天使』森雅裕（ＫＫベストセラーズ）

　待望の森雅裕〈幻コレクション〉、第四回配本は94年に刊行された自費出版長編とその書き下ろし続編を収めたお得本。『いつまでも折にふれて』は以前Ｍさんに貸して頂いたので既に読了済だが、再読でも大いに楽しめた（因みに自費出版時の造本はＣＤアルバムと全く同じ大きさで、ジャケット仕様もＣＤアルバムと見紛うばかり、中身も全て横書きの文章という非常に凝ったものだった。ああいう遊び心に溢れた装丁は一般に流通される書籍では不可能なものだろうか）。
　まずは『いつまでも折にふれて』だが、これは近来の森作品では『マンハッタン英雄未満』に次いで好きな作品。ミステリ好きにとっては（やや緩いながら）ミステリの骨格を備えているところも魅力だが、それ以上に魅力的なのは心優しい登場人物たちが傷つきながらも減らず口を叩き続けるいつもの森ワールドが全開であるところで、特に『いつまでも折にふれて』は近来の森作品と比較しても会話文が冴えているし、終盤や幕切れの切なさも印象的。実在人物を容易に想像させるキャラ造形の点で好き嫌いが分かれるかも知れないが、作者独自の音楽業界批判として読むことができる程には業界事情が丁寧に描き込まれているし、読み続ければ決して実在人物の魅力に寄り掛かっている訳ではなく、作者独自のキャラとして成立していることが判る筈。読者の中には本作を読んで「（最近の森作品がつまらないので、もう買うのをやめようかと考えていたが）まだまだ森雅裕はイケる、と思い直した」と作者に手紙を送った人もいたそうだが、そう言わせるだけの魅力を持った作品だと言えるだろう。
　続編『さらば６弦の天使』は当然初読。前作よりもシリアスな内容で、森作品では例外的な程に強い謎（動機のよく判らない連続惨殺事件）が扱われているので驚いた。ミステリ的には多少注文もあるのだが、この作品も楽しめたことは確かだし、何よりヒロイン泉深の“その後”を読めたことがとても嬉しい。かつてのメンバーが一人一人集まってくる場面なども心踊らされるものがあるし、ちょっと破滅的なもう一人のヒロインの造形も印象的だった。他にも触れておきたい箇所があるのだが、それは真相をバラすことになってしまうのでここでは控えておこう（なお 480頁中に二つ、登場人物の名を間違えた誤植があるので注意）。
　この本、千八百円と値段は少し高めだが、ファンなら絶対に買って欲しい。この本の売上を皆で伸ばして、鮎村尋深シリーズ第四作『愛の妙薬もう少し……』の刊行を願いましょう。

No.311　『密閉山脈』森村誠一（角川文庫）

　山頂の殺人現場へのルートは三つ。一のルートは一般登山道、但しこれは救助隊が雪道に足跡が無いことを確認している。二のルートは被害者がやって来たと思われる岩壁、三のルートはさらに過酷な断崖絶壁で単独突破は完全に不可能。二のルートは単独でもベテランクライマーであれば突破は可能だが、但し夜間に下降することはできない。しかし殺害時刻は夜の九時であり、犯人は朝には既に殺人現場を立ち去っていた。とすれば、犯人はどうやって山を降りたのか？
　まずはこの壮大な密室の設定が何より面白い。そしてその犯行方法も無理無く意外性を演出した見事なものだ。更に、登場人物を必要最低限に抑えて犯人を限定し（だからフーダニットの興味は初めからこの作品には無い）、密室トリック破りにのみ重点を置いたことがこの作品に素晴らしい緊迫感を与えている。火葬シーンの生々しい描写も印象的で、森村初期の秀作と称揚できる充実した出来栄えだと言えるだろう。但し、小説的側面で敢えてひとつ不満を言うと、最後から二頁目で或る登場人物が死ぬのだが、いくら暗いラストを付けたかったとはいえどもこれはやり過ぎではなかろうか。何やら取って付けたような感が残り、折角の作品にやや水をさしてしまった印象。とはいえ秀作ですから一読の価値はあると思います。

　次回はいよいよ読書日記一周年。六月はNo.312／法月綸太郎『法月綸太郎の新冒険』（講談社ノベルス）から。それでは皆さん、ご機嫌よう。

[UP]

PC�p�����y�����l���g�����������}�W�������������z �����������O�~�y�������������z Yahoo �y�V NTT-X Store

�����z�[���y�[�W �������N���W�b�g�J�[�h �C�O�i���q���� ���������[�� �C�O���s�����������I �C�O�z�e��