枕流亭総合掲示板過去ログ45(2005年2月24日〜2005年4月19日) はじめまして 投稿者:北洋大臣 投稿日: 2月24日(木)04時21分28秒 はじめまして。 光壁さんのHPでは何度も書き込みさせていただいていましたが、 こちらのHPには始めて書き込ませていただきます。 時折見せていただいていましたが、偶々近代史関係の書き込みがありましたので 書き込ませていただこうかなと思いまして。 >>歴史愛好家さん 醇親王がドイツへ派遣されたのは有名ですが、ご質問にある日本への特使Na T'ung というのは那桐の事だと思います。役職は戸部右侍郎ですね。 ところで拝見した限りでは洋書を読んでおられるようですが、何と言う洋書なのか 教えていただければ嬉しいです。 -------------------------------------------------------------------------------- Na Tung て誰? 2 投稿者:歴史愛好家 投稿日: 2月24日(木)23時33分59秒 北洋大臣様 早速のご教示誠にありがとうございます。 私の読んでおります資料は http://208.182.173.11/teachers/ballard/primarysources/docs/145.pdf にある北京議定書の英文版です。 アジア資料センターから日本語版をおとして読み比べていたのですが、日本語版が字がにじんで解読不能の箇所があり気になっておりました。やっとすっきり致しました。 ところで、”光壁さんのHP”はどちらにあるのでしょう?検索してみましたがURLが見つけられませんでした。もしよろしければご教示ください。 歴史愛好家拝 -------------------------------------------------------------------------------- 近代化・没個性化 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 2月27日(日)14時50分39秒 >方壺島主さま >どこへ行っても「平均的」なんですね。 山村でなくても、地方都市などどこへ行っても似たような景色というのは あると思います。日本は均質性が高い社会だと言われますが、それはここ 二百年そこそこで作られたものなんですよね。とくに戦後の変化がいちじ るしい。 江戸三百藩のころは、隣の藩は別の国のような多様性があり、ゆるやかに まとまって列島の社会を形づくってたと思いますが。 道路や鉄道が敷かれ、建売やマンションが立ち並び、人々は決められた教 育を受け、メディアに流れるニュースや流行を追い、スーパーやコンビニ でたいていのものが買える…となると、ある種の多様性が消失してしまう のはやむなきことかと。便利な社会に向かってきたのではありますが、そ れに一抹の寂しさや不安や疑問や疎外感を覚えたりはしますね。まあそれ はいいのですが、あまり深く考えると動けない病になりそうになるので、 あっしゃある程度で思考停止に陥りますが。 >シルクロードも同じで、番組でもさかんに現在のその地方の発展ぶりを伝え、 新シルクロードはおっしゃるとおり紀行番組ではなくなっているのですが、 その地方の発展ぶり…は、あまりメインではなかった気がします。 なにが旧作と違うといって、学術的テーマに絞りこみすぎてるんですね。 楼蘭のミイラやトルファンの石窟壁画に興味のない人は、はいそれまでよ… といいますか。メジャー受けを最初から捨ててる気がします。 ミイラは個人的に好きだったのですが、壁画CGはくどすぎましたね。 カネも苦労もかかってるんでしょうけど。 どうせならひとつ土地にこだわらずに、西域探検家たちに最初から焦点合わ せて番組作ったほうがよかったかもです。 この前読んだ金子民雄『西域 探検の世紀』が列強のグレイトゲームとから めて、不謹慎ながらけっこう面白かったので、ああいうのでも良かったかも。 さておき、中国も日本のいつか来た道を向かってるのですね。 よく言えば経済発展。 >鹿角さま 桑原隲蔵博士が東洋史教科書を作ったという話はぼんやり記憶にあったの ですが、なるほどそういうこともあったわけですね。 市定先生、隲蔵博士を褒めまくってますね。 1898年の『中等東洋史』はあまりに詳しすぎるとか。 教師用の参考書『東洋史教授資料』は、中学校の先生どころか大学教授の 参考にもなりうるとか。 そういえば東アジア共通の歴史教科書をという構想が実際にあったような 気がしましたが、あれどうなったのでしょう。 史実の摺り合わせより歴史観の摺り合わせが難しそうですね。 >多分無理でしょう(T_T) 『北宋風雲伝』ってどのくらい人気があるんでしょう? 人気があって続きさえすれば、『三侠五義』から出るべき人物はそのうち 出てくると思いますが。 とりあえずズッコケ玉堂君には続いてほしいので、秋田書店の単行本は 買い! >歴史愛好家さま 誰でしょう?と僕も思ったのですが、北洋大臣さんのご回答をいただいた ようですので、ひと安心しました。 那桐(1856-1925)は、八カ国連合軍が北京を攻め落としたときに、 留京弁事大臣として李鴻章とともに和議の折衝にあたってますね。 辛丑条約締結後に日本に向かっているようで。 光璧さんのHPは「虎渓の橋」です。 http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/ あと古いほうがこちら。 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4974/ >北洋大臣さま こちらこそはじめまして。 光璧さんのところでよくお見かけするのですが、きちんとご挨拶をした 記憶がないので。--;) 修論は提出されたのでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- 遅れてしまいましたが 投稿者:北洋大臣 投稿日: 2月27日(日)21時56分51秒 >>歴史愛好家さま お返事させていただくのが遅れてしまってすみません。 光壁さまのHPというのは、永一さまがお書きくださっている「虎渓の橋」 です。私もちょくちょくと書き込みさせていただき、お世話になっています。 >>永一さま 修論できましたよ・・・。光壁さまのHPでは散々愚痴やら質問やらをして 光壁さまにお世話になりましたが、何とか期日までに書き上げることが できました。悲しいほどに試問では叩かれましたけれども。 これからもこちらでは書き込みさせていただくと思いますので、 改めてよろしくお願いいたします -------------------------------------------------------------------------------- すみません 投稿者:北洋大臣 投稿日: 2月27日(日)21時59分33秒 すみません、連投失礼します。 ↓の私の書き込みで、みなさんに倣って 私も「永一さま」とさせていただきましたが、初めての書き込みでは 「NAGAICHI Naotoさま」とお書きした方がよかったでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- 放言中 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 2月28日(月)20時28分53秒 >北洋大臣さま お疲れさまです。 学士のワタクシには修士論文の厳しさは実感としては分かりませんけども。 個人的経験としては、卒論の試問は叩かれたなあ・・。 それは当然な出来だったのですが。 残念ながら専攻は東洋史ではありませんでしたが、中島敦がどうとか海音寺 潮五郎がどうとかなにやら趣味全開なテーマを押し通させていただき、みご と論旨は破綻したという今は懐かしき思ひ出。 いまだに学校というと、大学と自動車学校は卒業できたこと自体が謎です。 呼び方ですけど、どちらでもお好きなほうでどうぞ。 某職場では、「えいいち」とか「えいちゃん」とか呼ばれることが多いです。 初対面で字面みてちゃんと呼んでくれること少ない苗字なんですよね。 「えいちゃん」のほうが呼びやすいとか言われる始末。いちいち訂正を求め るのも面倒くさいとかいう性分なので、そのままだったり。 あっ、でもネット上で「それは勘弁してくれ!」という呼ばれかたしたこと あって、どっかのログにあるけどとりあえず秘密です。 ということで、今後ともよろしくお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- しんどい作業 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月 2日(水)13時42分49秒 人物事典のレイアウトとページ分けを変えました。 1万人目指すには、ページ数増やさないと、どうにもならないということで。 相変わらず質より量がポリシーです。 リンクがおかしいところがあると思いますが、おいおい直します。 鶴間和幸『中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産』(講談社)読んで ますが、これはいいですね。 概説書としてのポイント押さえながら、これだけ新しい知見を放り込んでく れると嬉しいです。 2002年里耶秦簡発見のニュースに触れられたのは予想通りとして。 睡虎地秦簡の地方官吏・喜(前262-前217)君の一生や。 洞庭郡の発見で秦の三十六郡の謎が深まってしまったやら。 兵馬俑も、岳南『秦始皇帝陵の謎』(講談社現代新書)以降の新しい発見が いくつか。 長沙国や南越国にけっこうなページが割かれていたり。 まだ読んでる途中ですが、こりゃおすすめですよ。 -------------------------------------------------------------------------------- アジアの王 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月 3日(木)00時14分43秒 オリバー・ストーン監督の「アレキサンダー」見てきました。 渋い造りでしたね。 爺さんプトレマイオスの語りから入るという展開に悶絶しそうでした。 あまり評判はよくないし、実際メジャー受けはしそうにないし、 早めに席を立つ客はいるし、一緒に誘ったやつは隣で寝てやがったり したけど、誰がなんと言おうと、僕はこういう映画が大好きです。 ちなみにこの映画、インドで象さんと戦っていますが、 某作家の作品でやられ役にしか扱ってもらえない象さんとはひと味 違います。 -------------------------------------------------------------------------------- 時代の流れ 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月11日(金)20時50分7秒 ミキオさんのサイト消えちゃいましたね。 後漢もいっとき賑やかだったのに、寂れたなあ。 ネット上の中国史コミュニティーも、にぎやかな人はもったいないことに早々と退場して、 穴を埋める若くて元気な人がなかなか出てこない。 地味〜にこつこつやってる人だけが残る。 うちも分類としては地味系ですしねえ。 MLも移行したけど、あれも寂れきってます。 メールから個人サイトの掲示板へ、個人サイトから2chやブログへ。 コミュニティーの主力の移動の流れは、止めがたいものがあります。 次の時代にどこへ行くのか知らないけど。 -------------------------------------------------------------------------------- 古代の沼沼 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月12日(土)11時44分58秒 最近、人物事典も古いところをいじってます。 古代も調べ出すと、沼は深いですね。 『竹書紀年』やら『尚書』やら『左伝』やらを拾い読みはじめると、分からない ことが多いだけに、ハマる人の気持ちがよく分かります。 思い出すのは、 淀君が鶴松を産んだときに「捨」と名づけ、秀頼を産んだときに「拾」と名づけた というお話。 この話のバックボーンにある「捨て子は育つ」という迷信が、昔はピンと来なかった ものだけど。いまとなっては周の祖の棄(后稷)の話が大元なんだなということが ようやく理解できるようになって。 -------------------------------------------------------------------------------- ソグド人 投稿者:コルテス 投稿日: 3月12日(土)17時01分55秒 人物事典、ご苦労さまです。 2chでこんなのを見つけました。 ttp://depts.washington.edu/uwch/silkroad/texts/sogdlet.html 宮崎先生の本に、東晋時代の襄陽にソグド人の居住区があったと書いてあったんですけど、 根拠は何なんでしょうね。これが事実とすると、 荊州を地盤とした桓氏との関係も考えられそうです。 またテイはもともと商業にかかわっていたとされているが、 前秦の王蒙が通商を禁止したのは、銭の西方への流出を防ぐためだったのか。 -------------------------------------------------------------------------------- 襄陽のソグド人? 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月13日(日)00時21分3秒 うーん、ネット上で検索してみると、西安の北郊で北周のソグド人の墓が見つかった というニュース記事はやたらと見つかるんですけどね…。 http://www.huaxia.com/wh/kgfx/00262230.html 東晋の襄陽はちょっと見つからないです。 ソグド人は商胡らしいので、襄陽にコロニーあっても不自然ではないですが、 何が元ネタなのやら。 正史を検索しても「粟特」ではめぼしい記述が見えないです。 康国、安国、米国、曹国、何国、史国、石国など、「昭武九姓」の国がソグディアナ の国らしいし。ずばりの粟特国は奄蔡国の後裔ということになっていて…。 大月氏の後裔って書いてるのもあるっすね。 ここら関連用語での検索もピンと来ない感じでしょうか。 もしかしたら正史当たるのは間違いで、仏典…かもしれないですね。 いやむしろソグド人はゾロアスター教やマニ教との関連が深いようで、そっちかも。 するとうちの環境ではツライです。 日本の研究者では吉田豊氏や荒川正晴氏という人が、そういう方面の研究をしている らしいけど、もちろんながら著書を読んだことありませんし。 ネットで当たった結果としては、寧夏自治区固原とか山西省太原とか陝西省西安とか に、ソグド人の墓とされるものがあるらしいです。 安禄山がソグド人とかいうのは言わずもがなか。 ↓このページが最近の研究動向をある程度反映してるのではないか?とシロウト感覚 ながら思いました。 「粟特人在中国」国際学術研討会総述 http://www.reviewtide.com/action/Sogd.htm というわけで、お手上げです。お詳しいかたの降臨願います。 -------------------------------------------------------------------------------- 南朝のソグド人 投稿者:殷景仁 投稿日: 3月13日(日)22時16分33秒 宮崎氏の書は未見ですが、『世界歴史大系 中国史2―三国〜唐』(松丸道雄他、山川出版社)に次のような記述がありました。 この時代はまた、長江の支流漢水も南北間の重要な交易ルートであった。……ところで南側の襄陽は、国都の建康以外では例外的に貨幣が流通していた地域のひとつとして知られているが、これも右のような事情から理解されよう。しかも興味深いのは当時襄陽には中央アジア出身のソグド人の集落があって、彼らがこの地での交易に貢献していたらしいということである。……おそらく襄陽にあったソグド人は上質の絹に代表される南方の特産品を入手して長安まで運び、これをさらに彼らの仲間が武威や敦煌を経由して中央アジアにもたらしたと考えることができよう。このようにみてくると、南北間の交易は中国一国の枠をこえ、中央アジアからさらに西方へとつながる東西間の交易の一齣でもあったことになる。 南北の中国の交易関係が、単にそれだけにとどまらないことを示唆しており、非常に興味深い記述だと思います。 -------------------------------------------------------------------------------- 桑原さんと内藤さん 投稿者:鹿角 投稿日: 3月15日(火)14時22分43秒 桑原氏の「凱の指」は 本文よたレ・燭ご兇絹-_-;) 内藤 湖廿淑中厳祝でびっくり 何と出身地が秋田の鹿角郡! その言葉が出た戮北民任罎え^^;) -------------------------------------------------------------------------------- 何か 投稿者:鹿角 投稿日: 3月15日(火)14時29分15秒 文字化けしてしまいました(T_T) -------------------------------------------------------------------------------- 管理側の事情? 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月15日(火)22時32分42秒 すみません。↑鹿角さんのご投稿だとは分かっているんですが、文字化けなさってます。 こちらとしても元文章を再現できません。 文字化けの理由が分かれば、善処しますが…。 そういえばTeacupの掲示板のエンコードがいつの間にかS-JISからEUCに変わってますね。 レンタルしてる側としても何も聞いてないんですけど…。オイ; -------------------------------------------------------------------------------- (^o^)/~ 投稿者:方壺島主 投稿日: 3月16日(水)00時00分54秒 >永一さま   ご厚意のほど誠に感謝に堪えません。ありがとうございました。   ところで文字化け。顔文字だけでコミュニケーションを取ればどうにかなるかも。   いや、やはり英語か…英語力……(-_-)> -------------------------------------------------------------------------------- ちょっとだけ復元 投稿者:むじん 投稿日: 3月16日(水)01時18分36秒 何か q_z)w・qe 鹿角 q_z)w・嘔e 3v・5z・um)14・9{I15{・ 文蚕けしてしまいました(T_T) 桑原さと内藤さ・q_z)w・qe 鹿角 q_z)w・嘔e 3v・5z・um)14・2{I43{・ 桑原氏の「凱の指」は 本文よたレ・燭ご兇絹-_-;) 内藤 湖廿淑中厳祝でびっくk 何と出身地が秋田の鹿角群! その言葉が出た戮北民任罎え^^;) http://mujin.parfait.ne.jp/mujins/ -------------------------------------------------------------------------------- お手紙書いた 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月18日(金)07時02分57秒 しまった。4月1日に出すべきネタを早く出しすぎた。ほかの考えよう。 >鹿角さま ええと、内藤湖南翁が秋田鹿角郡の出身だというお話は分かるのですが。 あとは何ですか。 白ヤギさん、黒ヤギさん。 >方壺島主さま 気ぃ遣わなくて結構ですよ。 いま物を減らしてる最中ですから。 >むじんさま どうも。文字化けの原因はやはりエンコーディングでしょうかね。 -------------------------------------------------------------------------------- あーもう四月近いのか 投稿者:太白 投稿日: 3月18日(金)12時02分51秒 トップの画像、ありゃなんなんですか?(笑) 内藤湖南が秋田県鹿角郡の出身って事は、湖南の「湖」は十和田湖って事なんでしょうかね。 湖南省出身の文人か何かにあやかって付けたのかと思ってました。 しかし文字化けにしても「戮北民」って字面はコワイw -------------------------------------------------------------------------------- 四遊記の一 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月18日(金)20時15分28秒 トップの画像ですが、 竹下ひろみ訳『南遊記』(エリート出版社)の裏表紙から取っています。 訳者の名誉のために一言附記しておきますと、本編のほうの訳文はしごくまともです。 この本の編集を担当したかたが、おそらく日本語慣れしていない人なのでしょう。 この本のカバーや挿し絵がやたらと面白かったりします。 奧付によると、エリート出版社は名古屋の出版社らしいし、発行人の名前も日本人の 名前なのですが、なぜここまで悲惨なことになっているのか、 下世話ながら気になるところです。 内藤虎次郎、字は炳卿、号は湖南。 礪波護氏の解説によると、 名は、吉田松陰(寅次郎)から、 字は、『易』革卦に「大人は虎のごとく変ず、その文は炳なり」とあることから、 号は、鹿角郡毛馬内が十和田湖の南に位置することから、 取られているそうです。 -------------------------------------------------------------------------------- (無題) 投稿者:むじん 投稿日: 3月18日(金)23時03分58秒 teacupは本当に文字化けしますよね。 しかも何年経っても是正しようともしない。metaタグ一つくらい書けばいいのに…。 化けた文字をShift-JISで保存してEUCで開くと復元できますよ。 ということは化けた原因もそのあたりにあるのかなと思います。 トップページの画像はteacupで文字化けを見たときとなぜか同じ気持ちになります。 http://mujin.parfait.ne.jp/mujins/ -------------------------------------------------------------------------------- 四遊記 投稿者:石野陽虎 投稿日: 3月20日(日)05時14分27秒 引越しを機に、今まで三つの部屋に分けて置いていた中国関係の本を自分の部屋にまとめて置けるようになったので非常に気分のいい今日この頃。 もっとも今はまだ、箱を開けてランダムに棚に突っ込んだだけなので、どの本がどこにあるかはカルタ取りしてるみたいに探さなきゃならない。この連休中に整理したいのですが。 さて、四遊記。勤務先の近くの古本屋でたまたま見つけて、『西遊記』の訳文に抱腹絶倒して、「名せりふ」のコーナーで紹介したのもずいぶん昔の話だなあ。 西で脱力してしまって、あとの三つは読まずじまいだったのですが、永一さんの画像で思い出したので、また機会があれば読んでみようと思いました。 http://homepage3.nifty.com/alacarte/ -------------------------------------------------------------------------------- 普段あまりマンガ読まないもので 投稿者:太白 投稿日: 3月20日(日)10時42分27秒 そういえばサンデーに東遊記ってマンガがあるそうですが、 ……まさか、ジャンプの封神演義みたいなものじゃなくて全然別物ですよね? (いやジャンプの封神演義が全然別物って気がしなくもない(笑)) マンガといえば三国志のマンガも最近おおいなー。 三国志マンガだけの雑誌まで創刊されたし。 内藤湖南の名は吉田松陰からですか。 で、『易経』の「大人は虎のごとく変ず」の「虎」と関連した字なんですね。 -------------------------------------------------------------------------------- 1866年 投稿者:方壺島主 投稿日: 3月20日(日)18時19分58秒 >太白翰林   内藤湖南の命名の件。もし小生が適当にググった結果が正しく生年が1866年だとする  と「丙寅」の歳。吉田松陰は1830年生まれで「庚寅」の歳。字は諱に関連した字を当て  ることになっていますが、古来子どもの名前に干支を当てる風習のあった日本では、な  んかとても無意味な気がするのは私だけでしょうか。「雅号」を作るのは、五山の名僧  たちも盛んにやりましたけど。 -------------------------------------------------------------------------------- ボタンの掛け違い 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月20日(日)20時32分18秒 >むじんさま Teacupが今までShift-JISだった板を急にEUCの板に変えたのが文字化けの原因の ようですが、なんでいまさらEUCなのかはよく分からないですね。 ユニコード導入ならまだ話は分かるってものですが。 >石野陽虎さま うちでは二つの部屋に分かれてます。五月くらいにたぶん引っ越しすることになり そうなんで、本を減らしてるところなんですが、状況は改善されないだろうな…。 うちは南と北しか置いてないんですが、東と西もそろえてぜひ役満にしたいところ; エリート版四遊記は、ネットで見ると「幻の」という形容詞がついていたので、 もしかしてもはや稀覯本ですか? 『西遊記』のほうは本編の訳文じたいもおかしいんですね。 編集だけがおかしいトンナンペイはまだましなのでせうか? 四遊記を訳すってのは、意欲的なお仕事だと思うのに、どこでボタンを掛け違えた んでしょう? >太白さま サンデーも「かってに改蔵」と「モンキーターン」が終わって以来、あまり見るも のがなくてしっかりとは見てないんですが、「東遊記」は中国古典の東遊とは全く 関係ないものだと思います。 三国志マンガも増えましたねえ。今のブームは光栄「無双」様様なんでしょうけど。 >方壺島主さま 戦前の日本の中国学者たちは、けっこうあざなつけてたような。 岡崎文夫氏が、字は煥卿、号は桜洲とか。 小川兄弟とかも持ってなかったかな? -------------------------------------------------------------------------------- 今晩は新シル第3集「草原の道 風の民」 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月20日(日)20時33分33秒    編集済 59番(笑)の唐の高仙芝を調べていたら、タラス河畔の戦いに行きつきました。 イスラーム帝国との衝突&紙の西伝がらみで、世界史的意義を語られたりもする 著名な会戦ですが、あまり細かい記述見ないよなあと思っていたら、 ↓のサイトが詳しいですね。 http://f46.aaa.livedoor.jp/~mamluk/taraz.html 中国史料から少しフォローすると、石国王車鼻施は単に捕虜にされただけでなく、 斬られてます。 『旧唐書』では「ここにおいて西域みな怨む」、 『新唐書』では「これによって西域服さず」といってます。 高仙芝も余計なことをしたもんです。 石国の王子(名不詳)が大食(アラビア、ここではアッバース朝)に救援を求め、 怛邏斯城(恆羅斯城、タラス)で決戦とあいなったようです。 あい対峙すること五日、葛羅禄部(カルルク)が離反し、唐軍は大食との挟撃に あって、高仙芝は大敗したという経緯です。 高仙芝の性格に問題があったようですね。 人となり貪欲で、石国で黄金良馬宝玉の類を大量に獲得した…ようで。 ようするに略奪したってことでしょ。 ただし物惜しみもしなかったようで、求める人がいれば与えてしまい、それが いくらかということを問わなかった…という妙なフォローもされてます。 パミールは旧シルクロードでやっていたくらいの難所ですが、 「象」を連れてアルプス越えしたハンニバルと比べると、インパクト欠けます わあね、やっぱり。 -------------------------------------------------------------------------------- ステップ・ロード 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 3月21日(月)21時21分57秒 古いスケジュール表に騙された・・・。ということで修正。 で、NHK新シルクロード第3集「草原の道 風の民」でした。 前2回の放送と比べると断然好みな回でしたね。 突厥&カザフがメインで、ちらっと錫伯族とかも出てきて。 お馬さんがたくさん出てきてしあわせな番組です。 ウルムチってあんな高いビル建ってるのね。 紅玉入り金製品とか黄金仮面とか光り物も眼福でした。 -------------------------------------------------------------------------------- 喫茶養生記 投稿者:方壺島主 投稿日: 3月22日(火)20時43分39秒  読書に倦んだら、劉明源先生の胡琴を聞きながら、高山烏龍茶でも。  至福ですな。  花粉症が怖くて休日も一歩も外に出れない身の上としては。  台湾で買い込んだ「特級茶葉」がそろそろ底を尽きそうです。  今年も買い出しに行きましょうかね。  http://keyou.at.infoseek.co.jp/china/cn_tea.htm -------------------------------------------------------------------------------- 東南最北 投稿者:太白 投稿日: 3月24日(木)14時48分2秒 「西」以外のストーリーなんて全然知らなかったので、ためしに「四遊記」で検索してみた結果、 う〜ん、こりゃ翻訳家の手腕次第で面白くなったりツマラナクなったりしそうな代物だなぁ(^^; 「中国にはハリー・ポッター並みの魔法物語があった!」 とかなんとか。その辺は、私のような無知の読者を騙してですね(笑) (金庸がトールキンだったりするぐらいだし) それと、結構『最遊記』がヒットしたり。これはまぁ、全然違うわな。 >方壺島主さん 日本史の人物は、やっぱり雅号の方が有名になりますものね。 ぱっと思いつくのでも高杉晋作ぐらいしか出てきません。 「暢夫」でしたっけ、なんか名前っぽいんで覚えてました(笑) -------------------------------------------------------------------------------- ソグド 投稿者:コルテス 投稿日: 3月27日(日)16時09分48秒 殷景仁さん、永一さん、ソグド人についてのレスありがとうございました。 やはり正史で確認できない話題になると、一気に学術的な領域に入ってしまいますね。 -------------------------------------------------------------------------------- 無風流 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月 1日(金)00時33分0秒 >方壺島主さま 花粉すごいです。眼は痒いし、鼻はぐずるし、たまらんです。 なんか中華の脂っこいもの満腹食ってですね、プーアルか茉莉花でも すする瞬間は実に幸福ですね。 茶菓子や風流とは全く縁がないのでした。 >太白さま よその国の本は、翻訳家の腕しだいなところありますね。 コピーももちろん重要で。 まあしかし西以外は二段くらい元が落ちるのはしょうがないのですよ。 そこを騙せたらお話リテイクした人えらいってことになるんですけど。 >コルテスさま 何かやと言ったわりにお役には立てず。 しかし、興味深げなテーマではありますね。 襄陽にソグド人コロニーがあったとしてどういうルートで入って きたのやら。 -------------------------------------------------------------------------------- いやーやられた(笑) 投稿者:太白 投稿日: 4月 1日(金)01時13分21秒 今年はそう来たかぁー、って感じですわ(^^; しかし某巨大掲示板では年の表示が板ごとに皇紀やら宇宙世紀やら黄帝紀元(!)になっている模様です。 -------------------------------------------------------------------------------- 謝恵連 投稿者:独狐 投稿日: 4月 1日(金)21時16分10秒 謝恵連は謝霊運と同年になくなっていますが、霊運と同時に殺されたのでしょうか。教えてください -------------------------------------------------------------------------------- 万愚節の後始末 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月 1日(金)23時29分31秒 >太白さま 表紙のエイプリル・フールですけどね。 31日もあと一時間…で、何も考えてない、作ってない状態だったので、 その場の思いつきで、やっつけ仕事で作ったのですよ。 おかげで実に安っぽい仕上がりとなりました。(^^;) 某巨大匿名掲示板は行きつけのとこがエジプト暦になってましたね。 >独狐さま はじめまして。 謝霊運と謝恵連についてのご質問ですが。 まず謝霊運は、「韓亡子房奮/秦帝魯連耻/本自江海人/忠義感君子」の 詩で謀反の罪に問われ、広州にうつされたのちに殺されています。 いっぽう謝恵連は、彭城王劉義康のもとで法曹行参軍をつとめ、在任中に 亡くなっています。 両人は同年に亡くなっていますが、同時に死んだものではありません。 亡くなった場所も違います。 これでよろしいでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- 謝謝 投稿者:独狐 投稿日: 4月 3日(日)17時18分5秒 >NAGAICHIさま さっそく答えをいただきありがとうございました。氷解です。今後よろしくお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- もういちど 投稿者:独狐 投稿日: 4月 3日(日)17時28分0秒 >NAGAICHIさま、 すみません。まだ氷一粒分の疑念が。 恵連は罪を得て、殺されたのでしょうか。 霊運の死と先後は分かるでしょうか。 -------------------------------------------------------------------------------- 横レス 投稿者:方壺島主 投稿日: 4月 3日(日)20時22分5秒  宋書・列伝13の謝恵連伝には、「文章は並びに世に伝はる。十年に卒す。時に年二十七。 既に早に亡じ、且つ軽薄にして尤累多ければ、故に官位 顕ならず。子無し」とあるだけで すから病死のようです。  同・列伝27・謝霊運伝には、「有司 又た法に依りて収治することを奏すれば、太祖 広 州に詔して棄市の刑を行はしむ。(中略)時に元嘉十年、年四十九。著す所の文章は世に伝 はる。子の鳳は蚤に卒す」とあります。  南史・列伝9・謝霊運伝には、「霊運の子の鳳は、霊運に坐して嶺南に徙され、早に卒 す」とありますから、謝恵連だけが刑死を憚って婉曲表現にしているとは考えにくいと思 います。恵連は疾病による早逝と考えていいのではないでしょうか。  時期については上記のように史書からだと判断できません。森野繁夫氏は『謝康楽詩集』 下巻・宋書謝霊運伝訳注の中で、「八月に広州に送られて九月初めに奪取計画があったこ とになっているから、十月か十一月に霊運は再逮捕され、そのまま処刑されたのではなか ろうか」と推理しています。たしか漢代には暮れから正月にかけては死刑は行われない習 いがあったと思いますから、この推理はいい線だと思います。仮に11月だとすれば、相対 的に見て恵連の死がそれ以前である可能性が高いわけです。  ちなみに文選に李善が付した著者略伝も見ましたが、宋書を出るものではありません。 http://homepage.mac.com/two_yossy/fang-hu_island/ -------------------------------------------------------------------------------- 謝謝、再び 投稿者:独狐 投稿日: 4月 4日(月)17時18分23秒 方壺島主さま、   詳しい御教示をありがとうございました。   恵連が刑死、誅殺されたのかと疑念をいだいたのは、元嘉の時代が生臭かった例証として、10年に処刑された霊運と並んで、恵連が挙がっていた記事を見たためです。   ともあれ、納得できました。また、よろしくお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- 陽夏の謝氏 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月 4日(月)23時08分51秒 謝謝って、二謝の話をしてるから…って素直に取ってよいですよね。(^_-) 僕も方壺島主さんの見解に賛成ですし、独狐さんも納得されているようなので、 あとは蛇足になるんですけど、僕なりに思うことを付けたりに。 謝霊運も謝恵連も異端のにおいがするとはいえ、いちおうあの陽夏の謝氏の一員です。 族滅とか族誅とかしてたら、もっと大騒ぎになっていたのじゃないかと思うのですよ。 あと通鑑の元嘉十年の記事読んだところ、謝霊運を罰することに文帝はあまり積極的 でなく、免官で済ませようとしていたようです。謝霊運を斬刑に処するよう強硬に主 張したのは(謝恵連の上司の)彭城王劉義康だったと。ここちょっと面白いですけど。 ということで、あまり広い範囲に連座を及ぼさなかったのではないか、と僕は想像し ます。 正史では謝霊運は謝恵連の族兄として書かれています。 それから謝恵連は謝方明の子で、謝霊運は謝方明の従子だとあるので、つまり謝霊運 と謝恵連は従兄弟関係ということになりますね。微妙な距離です。 あまりしっかり調べずにものを言ってるので、もし間違いがあればこのへん訂正して ほしいです。(陽夏の謝氏の系図なぞ知らないので) ほんとにどうでもいい蛇足でした。m(_ _)m -------------------------------------------------------------------------------- おっ? 投稿者:石野陽虎 投稿日: 4月 5日(火)07時38分37秒 トップのフィギュアは、「三国志」IIですか? 私は第1シリーズは集めてましたが、第2の方は、ギブアップです。 3個買って、3個とも「周瑜」だった時点で、気持ちが折れてしまった・・・ http://homepage3.nifty.com/alacarte/ -------------------------------------------------------------------------------- 蛇足に蛇足 投稿者:殷景仁 投稿日: 4月 5日(火)12時27分16秒 永一様 永一様もお考えのように、謝霊運の刑死の背後には、文帝と彭城王劉義康による権力の綱引きが絡んでいるようです。 文帝が徐羨之らを誅殺し親政を開始した当初、それを支えたのは、王弘をはじめとする琅邪の王氏と、荊州時代からの腹心たちでした。しかし、王華(元嘉四年)・王曇首(七年)らが相次いで死去し、王弘・王敬弘らも前後して政務から退いたため、王氏に代わって彭城王劉義康が専権を振るうようになります。文帝は病気がちだったこともあり、義康の専権を大目に見てはいたようですが、王弘・王敬弘らの再三の辞職願いをなかなか認めなかったことからも、完全に許していたわけではなく、貴族勢力と皇族勢力の均衡を望んでいたようなところが見受けられます。文帝が謝霊運処刑に消極的だった主な理由は、こうした勢力均衡が崩れることを恐れたからと思われます。 また、謝霊運の詩と筆跡を「二宝」として尊重した(『南史』)ということからみて、文人重視の文帝の霊運への個人的な好意ももちろんあったことでしょう(一方の義康とその懐刀である劉湛は、「術学無し」「性吏職を好み、文案に鋭意し、是非を糾易す」(『宋書』劉義康伝)「文章を為さず、談義を喜ばず」(劉湛伝)とあるように法治主義、文人にはどちらかというと抑圧的だったといえます)。同じころ、謝霊運と並び称される顔延之も、義康と劉湛によって左遷された恨みから「五君詠」という詩を書き、そのせいで彼らに処罰されかけたところ、文帝の取りなしで事なきを得たという事件が起きています。この事件の背景も、謝霊運処刑のそれと共通するように思えます。 >謝霊運と謝恵連 両者は、互いの曾祖父(奕・鉄)が兄弟という関係です(ちなみに彼らは謝安の兄弟でもあります)。同輩にあたるので、史書では「族兄」と表現しています(あと本当に蛇足ですが、謝恵連はともかく、謝霊運は政治的には不遇でしたが、家柄は間違いなく嫡流でしょう)。 -------------------------------------------------------------------------------- 書品 投稿者:方壺島主 投稿日: 4月 5日(火)23時12分40秒  職場で人事異動があり、庶務からカウンター業務に。  一から覚え直さねばならず、もう何が何やら…。  ところで虞冗≠フ論書表によると、「謝霊運の母の劉氏は、子敬の甥なり。故に霊運は書を 能くして、特に王法多し」とあり、王僧虔の論書には、「謝霊運の書は、乃ち倫せず。其の 時に合ふに遇ひて、亦た流に入るを得。昔 子敬の上表は、中書の雑事中に多ければ、皆な 自ら書す。竊に真本に易ふるも、相与に疑はず」とありますから、王献之に匹敵する伎倆が あったようです。しかし庶フ肩吾の書品では、魏徴・范曄・蕭思話・羊序ヨらとともに「下の 上」品という格付け。「殆ど前良に逼り、後彦に希はる」との評価を受けていますが、上の 上品の張芝・鍾恕マ・王羲之は別格として、張昭・陸機・王導・庶フ亮・謝書・E陶弘景(中の 下)、孫晧・杜預・王?(以上、中の中)、庶フ翼・謝安・桓玄・羊欣・王僧虔(以上、中の 上)、索靖・鍾会(以上、上の下)、崔叙セ・王献之(以上、上の中)らよりも下位に。まあこの ころの判定基準は気品とか風格とか、客観的に計れるものではないので是非を論じるまでも ありませんが。 -------------------------------------------------------------------------------- ものは試しに 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月 6日(水)00時02分1秒    編集済 >石野陽虎さま はい海洋堂「三国志」第弐集でっす。 あのトップ画像は(ほかにもツッコミどころがあるような気がしますが)、 曹操と周瑜を並べてます。 第1シリーズはちっとも見なかったので、松山にはないのかなあ?と思って ましたが、第2のほうは普段いかないヤマザキデイリーで見つけたので、ま とめ買いしました。色つきの曹操・孔明・周瑜・呂布と象牙の周瑜をゲット しました。曹丞相のファンとしては白面細目のかれが手に入れば満足なので すが、関羽が手に入らなかったのはちょっと残念。 いや、ほどほどにしときます。 >殷景仁さま ふたまたいとこでしたか。けっこう離れてましたね。(汗;) ?┬奕┬泉  │ ├靖  │ └玄−?−霊運−鳳−超宗┬才卿−藻  │             └幾卿  ├遽┬焉|重┬絢  │ │   └晦  │ └允−裕−恂−孺子−m  ├安┬瑤−該  │ └?┬肇  │   ├峻  │   └混  ├万−韶−恩−曜  ├石−汪  └鉄┬?    └沖−方明−恵連 また間違ってそうな気がするんですが、試しに作ってみました。 こうしてみるとたしかに霊運は嫡流で、恵連は傍流のようですね。 -------------------------------------------------------------------------------- 周瑜はやっぱ派手ですなぁ 投稿者:太白 投稿日: 4月 6日(水)10時24分59秒    編集済 私などは三つ連続で関羽…(--; やっぱり曹操が欲しいですけど、真っ白象牙の無彩色フィギュア出たらイタイなぁ〜。 劉関張のフィギュアは、以前「ヒストリカルフィギュアミュージアム」という別の食玩 でも出てたんですが、こちらは人形劇三国志とは違い、装備が時代考証に基づいたものでした。 なんと誰も青龍偃月刀や蛇矛や双剣なんざ持ってません。 兵馬俑に着色したの?ってぐらい地味です(笑) ↓大体こんな感じです。 http://www.f-toys.net/p_hfm3_contence.html -------------------------------------------------------------------------------- なんとも 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月 6日(水)21時35分52秒 >方壺島主さま お仕事お疲れさまです。 書品九等、ですか。 当時の主観的な評価であることは、頭に留めておくとして。 (例えば『漢書』古今人表の人品九等に納得できる人が現在いるだろうか?) さておきこういうランク付けが好まれてたんだなあ。 鍾?とか張昭の書とかが、南朝の書と同じまな板の上で優劣を論じられ ていたと思うと。 しかし謝霊運は「下の上」ですか。 >太白さま みなさん苦戦してらっしゃる。 出荷するときにしっかりシャッフルしてないんだろーか? ヒストリカルフィギュア…学研歴史群像がちゃんと考証するとこうなった! ですかね。でもこういう劉関張が出てくる漫画がむかしあったような? -------------------------------------------------------------------------------- 論英雄 投稿者:太白 投稿日: 4月15日(金)19時35分39秒 新ドラえもんの声優、見てるとけっこう違和感ないですね。 >TOPの切手 左から、桃園結義、鳳儀亭、虎牢関、「余と君だ!」、のシーンですか? そういえば食玩の人形劇三国志、やっと曹操が出ました(´ー`) 近況としましては、『蒼穹の昴』の副読本として、『週刊100人』の西太后の号を買ってみました。 栄禄や李蓮英の写真なんてあるんですね。清末の人たちは、けっこう写真に撮られるのには抵抗とか無かったんでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- 今日は新シルクロードの日 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月17日(日)08時11分8秒 さいきん中国関係は悪いニュースが多いわけですが、 ごく個人的にはまだ最悪ではないと見ています。 (さらに悪くなる余地があるってことではあるんですがね) しかし、一部の煽り屋さんと違って事態悪化を喜んでたりはしないので。 仮に断交とか経済断絶とかしたって、双方デメリットだらけなんですよ。 (実際、いまでも関係悪化が原因で株とか下がってますしね) それで感情的に満足する人はいるんだろうけど、私的な感情の充足でしか ないってのに気づいてほしいなあ。「国益」になんかならんっす。 まあネットの怖い部分です。 歴史問題の処理に失敗したことを相手だけの責任に押しつけるのも、不毛 です。だいたい歴史認識で村山談話を踏襲してるんだったら、靖国参拝な んてできるはずないんですけどね。ぼくはあそこの遊就館見たことありま すが、あの認識と村山談話が両立できるとは思えません。 まっそんなこと言わなくても、憲20条3項に抵触してるんですけどね。 まあしかし、教科書問題、常任理事国、靖国、尖閣(釣魚)、ガス田、遺 棄化学兵器、戦後60年、そしてデモとよくもまあ問題が重なったものです。 ただこのうちの幾つかは政治決断さえあれば短いスパンで解決できそうで すけどね。できてもやれないんだろうなあ…。 全然話は変わって、小川一水『第六大陸』(ハヤカワ)、今さら月開発だ けど、面白かったっす。アポロ1号の悲劇とか13号トラブルとか思い出 したっす。 最近またまたイーガン読んだり、このところ逃避してますね。 >太白さま 新ドラえもんの声優− まだドラがドラ猫声でなく軽すぎる感じはするのですが、まあそのうち慣 れるでしょう。 TOPの切手− よくあの粗い画像でお分かりで、全問正解です。 中国行ったときに買った「三国演義専題郵票」ですが。 引っ越しの日取りが決まったので、いろいろ片づけてると変なものが次々と 発掘されて…。 近況− そういえば、浅田次郎は『珍妃の井戸』が文庫化してましたね。 『週刊100人』は、始皇帝も諸葛孔明も西太后も買ってなかったです。あれ? 本棚みたらチンギス・ハーンと毛沢東しかなかったです〜。あれ? ほぼ日本の明治時代だから写真はそれなりに普及していたのでは。 写真を撮られると魂魄が…とかいう都市伝説もとい迷信があったかは存じま せぬ。 -------------------------------------------------------------------------------- 今回の事件 投稿者:殷景仁 投稿日: 4月17日(日)09時46分36秒 北京の状況を知るには、ここがなかなかいいかもしれません。 http://beijing.exblog.jp/ また、北京に行っている知人の話を聞きましたが、(14日の時点でですが) 「北京の騒動については、日本の報道は加熱しすぎで、実態と違う」とのことです。 メディアも情報を売る商売である以上、「売れそうな」「スクープになりそうな」 情報を優先的に選択/報道するということは避けられないといえます。 -------------------------------------------------------------------------------- 見極めよう 投稿者:NAGAICHI Naoto 投稿日: 4月19日(火)23時55分7秒 報道媒体でない一般の人が発信する情報がわりとたやすく手に入るってのがネット時代のいいとこですね。 http://plaza.rakuten.co.jp/jiangsi/diary/ http://plaza.rakuten.co.jp/chinary/ http://d.hatena.ne.jp/getsukin/ http://shanghai.tea-nifty.com/laoda/2005/04/post_0dcf.html http://plaza.rakuten.co.jp/tsuchishita/ 逸脱しているのが一部の人だというのは、新聞などでも丹念に読めば察せられますけど。 僕らも映像や見出しのインパクトに引きずられて、極端なイメージが形成してしまうということはある ので、そこは心したいと思いますが。 逸脱は逸脱として、どこかで閾値を越えてしまったように思います。 行動は一部でも、中国の人々の広範な共感が存在している感触を覚えます。 中南海が煽ってるとかミスリードしているとかが核心ではなくてですね。 懸念したりあきれたりしてるところもありますが、とりあえず5月4日とそれ以降どうなるかを 見極めないといけませんね。 --------------------------------------------------------------------------------