枕流亭総合掲示板過去ログ48(2005年10月15日〜2006年1月15日) [1] 新しい掲示板借りました  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月15日(Sat) 09時46分32秒 試しに借りてみました。 古い掲示板のほうも当面生きてます。 http://6410.teacup.com/nagaichi/bbs -------------------------------------------------------------------------------- [3] この掲示板、タグ文字だめじゃん  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月15日(Sat) 10時06分46秒 まっいっか。 タブブラウザ「Firefox」ですが、 個人的には右クリックによるエンコード切り替えがきかないとか、中国文信網になぜか入れないとか、デメリットは見えど、 IEから乗り換えるメリットをさほど感じなかったので、 メイン使用のブラウザにすることはないでしょう。 あくまで個人的感想なので、タブブラウザに魅力を感じるむきは お試しを。 -------------------------------------------------------------------------------- [4] 日⇔中辞書  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月17日(Mon) 18時41分13秒 「北辞郎」 http://www.ctrans.org/cjdic/index.php 用例とか無かったりするけど、 かなりマニアックな語句が入ってるのは便利なオンライン辞書。 誰か歴史人物名も入れたりしてくれないだろーか。 -------------------------------------------------------------------------------- [5] 中国語で書いてるとなんか面白い  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月17日(Mon) 20時07分25秒 ちなみに内容はまともですよ。 http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%88%98%E5%9B%BD%E6%97%B6%E4%BB%A3 ダイヤルアップでネット繋いでたころは、重すぎて中国のWiki見ようなんて思わなかったもんなあ。光さまさまです。 中国や台湾のサイトも色々見てまわってます。いやあ楽しい。 -------------------------------------------------------------------------------- [6] FAQはうちもやってみたいところだが  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月20日(Thu) 19時08分58秒 中国FAQ http://www.geocities.jp/asamayamanobore/FAQ/ajia/tyuugoku.html 回答のいくつかには納得できない。特に最初のほうの回答。 しかしまじめに別答用意しようと思ったら、相当しんどいな。 「中国が大帝国で有り続けられた理由」なんて中国学の根本的な 疑問だけど。安易に数行で答え出していいのかしらん。 もしこれが「大帝国が成立した理由」なら古典的な2説があっ て、僕でも説明できそうだ。治水説と遊牧民対抗説のふたつ…、 今でも有力なんじゃないかしらん。 皇帝制や武官蔑視も単純に儒教のせいにして済む話かしらん。 正史に『明史稿』を含めるのはどうよ。 『清史』にいたってはまだ完成してないしねえ。 この掲示板もあんま良くないですね。 また別の探そうか。 -------------------------------------------------------------------------------- [7] 新掲示板ですね  投稿者: 太白 2005年10月22日(Sat) 12時39分17秒 ずっと永一さんに独り語りさせておくのも何なんで、僭越ながら私如きが初カキコさせていただきます(笑) このサイトによる独自の中国史FAQは、あってもいいんじゃないでしょうか? あると僕のような万年初心者が助かりますんで(^^; -------------------------------------------------------------------------------- [8] ちなみに  投稿者: だお 2005年10月22日(Sat) 16時33分30秒  論争・「ローマの戦士が中国へ?」が つながりません -------------------------------------------------------------------------------- [9] Re:新掲示板ですね  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月25日(Tue) 22時32分33秒 >ずっと永一さんに独り語りさせておくのも何なんで、僭越ながら私如きが初カキコさせていただきます(笑) すみません。管理人がみなの気を惹くようなネタふり・話題提供をしてないもんで。 >このサイトによる独自の中国史FAQは、あってもいいんじゃないでしょうか? 迂闊に何か言うと、責任を取らないといけなくなりそうな。(笑) でもよく考えると、よくある質問っていうものがウチにはないんでした。 質問はときどきあるんですが、たいていマニアックなものなんで、 同じ質問は二度来ないし。 試しにいちど質問を募集してみようかなあ。答えられるかどうかは分からないですけど。 -------------------------------------------------------------------------------- [10] Re:ちなみに  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月25日(Tue) 22時40分33秒 > 論争・「ローマの戦士が中国へ?」が >つながりません ミキオさんのサイトが消えてしまってますからね。 キャッシュが残ってるのが見られるかな。 http://66.102.7.104/search?q=cache:0cZHcPxKdV0J:www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/8986/rome-ch.html+%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%81%8C%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%B8%EF%BC%9F&;hl=ja&start=1&lr=lang_ja&client=firefox-a 個人的にはバックアップを持ってたりするのですが、許可なく僕がどうこうするわけにもいきませんし。 -------------------------------------------------------------------------------- [11] 中国の歴史  投稿者: コルテス 2005年10月27日(Thu) 12時00分11秒 講談社の中国の歴史シリーズが図書館にあったので 何冊か読んでみました。 ここで評判の悪い平勢本も読みましたがとにかく 根拠なく仮説を連発しているかんじですね。 個人的には「戦国縦横家書」の発見によって 史記の記述のどの部分が「間違い」と考えられるのか まともな研究者の解説を読みたいのですが、 まだ結論が出ていないようですな。 ところで春秋戦国時代の諸侯在位一覧表って、 ネットのどこかにないでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- [12] Re:中国の歴史  投稿者: 巫俊(ふしゅん) 2005年10月28日(Fri) 02時45分03秒 はじめまして、巫俊(ふしゅん)といいます。 一応、殷〜戦国の研究をしてます。 よろしくお願いします。 平勢氏は周礼の書かれた国を「戦国燕」としてるんですが、 それにも反論の論文があります。 反論といっても感情的なものじゃなくて、たいへん理知的に整然と平勢氏の誤解や証拠不十分を指摘していったあと、、 史記以前の歴史に真摯に向きあうなら、平勢氏の研究を客観的に評価する姿勢が必要になる。 といった感じの言葉で結んでます。 (引用は記憶で書いてるので適当に変えてます) クサいものにフタをしてしまうことは簡単ですが、、 >根拠なく仮説を連発しているかんじですね。 根拠は別の本・論文等に親切丁寧に書いてありますよ。 『中国の歴史』平勢巻は、平勢説を応用するとこんな歴史研究が提示できますよ〜って紹介ですから。 平勢説って何?って感じの人がいたとしたら、講談社現代新書と中公新書の平勢本を先に読むことをお薦めします。 新書を読んでるか、読んでないかで反応が変わってくると思いますし。 >個人的には「戦国縦横家書」の発見によって >史記の記述のどの部分が「間違い」と考えられるのか >まともな研究者の解説を読みたいのですが、 大きな図書館がお近くにあったら、 「戦国縦横家書」の日本語訳を読んでみては? 普通に史記にないことあること、やさしく説明してくれてます。 >ところで春秋戦国時代の諸侯在位一覧表って、ネットのどこかにないでしょうか? http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/ 春秋戦国史さんのサイト え〜と一覧表、、ですよね? 春秋戦国史さんは年表を作成中のようですから、、 魏の文候の16年のとき、韓の君主は誰で、趙の君主は、、、って感じのことをひとつの表で見るとすると、、、 『史記』の十二諸侯年表か六国年表ということになると思います。 ネットなら。たぶん。 http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3 平勢説に拠らなくても、十二諸侯年表と六国年表はあてにならないんですけどね。 ないよりは。 -------------------------------------------------------------------------------- [13] Re:中国の歴史  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年10月28日(Fri) 20時54分48秒 コルテスさま、いらっしゃい。 巫俊さま、はじめまして。 講談社新版『中国の歴史』は、08巻の杉山正明氏の著を読んでいるところなので、ただいま古代の頭になってません。いやあ耶律阿保機が熱いぜ! >>個人的には「戦国縦横家書」の発見によって 工藤元男、早苗良雄、藤田勝久訳注『馬王堆帛書 戦国縦横家書』(朋友書店)って本があるみたいですね。 管理人は未見なんですけど。 >>ところで春秋戦国時代の諸侯在位一覧表って、ネットのどこかにないでしょうか? > >http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/ >春秋戦国史さんのサイト たしかに司馬丘明さんの「春秋戦国史」内に「周王および諸侯在位年表」がありますね。 http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/rekkokusi/zaii1c.shtml http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/rekkokusi/zaii2c.shtml http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/rekkokusi/zaii3c.shtml ざっと見るにはこれでいいんじゃないでしょうか。 >史記以前の歴史に真摯に向きあうなら、平勢氏の研究を客観的に評価する姿勢が必要になる。 そうですね。研究者のかたの心構えとしてはそうあってほしいです。 ただ今は批判が先行してるもので、僕ら−アマチュアの好事家−はそういう結論に飛びついてるんです。『左伝』が韓で書かれたといえば、眉に唾してしまうし。『史記』で漢王朝の主張が提示されているといえば、嘘だろと思うわけです。 平勢説が再評価される日は来るでしょうかねえ。 >http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3 台湾中央研究院は三家注がついてるのがありがたいですが、 表としては見にくいですね。(^^; >平勢説に拠らなくても、十二諸侯年表と六国年表はあてにならないんですけどね。 平勢氏は秦統一以前の2900カ所の年代の約3割が年代矛盾とか言ってましたね。 言われりゃ衛の滅亡年なんて妙かなあ。 頭痛くなりそうなんで、『新編史記東周年表』なんか触る気にもならないんですが。 正直な話、暦と天文の知識をもち、よほど暇を持ってないと、年代補正には手が出ないですよ。 専門の研究者、もしくは手間暇惜しまない猛者に期待してます。 新資料が出ることはもっと期待してます。(爆) -------------------------------------------------------------------------------- [14] メモ−杉山基本用語集  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月02日(Wed) 19時40分17秒 世界帝国……隋は認められない。唐は瞬間的。やはりモンゴルなのだ。 カガン……可汗とは書かない。 ウイグル遊牧国家……単にウイグルとは書かない。回[糸乞]などとは絶対書かない。 トゥプト……吐蕃。 キタイ国家……契丹。なるべく遼とは書きたくない。『モンゴル帝国の興亡上』(講談社現代新書)では「キタン帝国」とか「キタン連合体」とか書いていたが、読者が気づかぬ間に用語訂正。 沙陀第一王朝……晋王李克用、後唐李存勗の政権。 沙陀第二王朝……後唐李嗣源の政権。 沙陀第三王朝……後晋。 沙陀第四王朝……後漢。 ジェシェン……女真。 第二次キタイ帝国……西遼。カラ・キタイ。 チンギス・カン……チンギス・ハーンはだめらしい。 クビライ・カァン……間違ってもフビライ・ハンなどとしてはいけない。 ジョチ・ウルス……キプチャク汗国はだめらしい。 フレグ・ウルス……イル汗国はだめらしい。 チャガタイ・ウルス……チャガタイ汗国はだめらしい。 大元ウルス……元朝とは言いたくない。 -------------------------------------------------------------------------------- [15] 陳寅恪  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月02日(Wed) 20時15分13秒 『陳寅恪読書札記−舊唐書新唐書之部』(上海古籍出版社)が届きました。ネットで古本探していちばん安いやつ頼んだので、装丁ボロボロでした。(^_^;) 陳寅恪(1890〜1969)は、北朝&隋唐の支配集団を、「関隴集団=武川鎮軍閥」や「山東集団」といったグループで読み解いちゃった学者さんですね。ごく狭〜い世界では有名人。 欧米に留学してたり、サンスクリットやバーリ語ができたり、いったい何カ国語ができたんだこの人?という超人でもありまして。 ずっとこの人の本を読んでみたいという野望があったのですが、 ・・・やっぱ難しいわ。 とりあえず興味を惹いたところ。 ▽唐高祖の諱が実は怪しくて、李淵が実は「李世淵」だったかもしれなかったり。胡族だから父の諱を避ける習俗がなくてうんぬん。「鄭州刺史男世民」とかさらに怪しい記述がうんぬん。 ▽天狗は日本に伝わっていて、唐代に輸入された。 ▽馬邑から江都に行くのに長安は通らないから、李靖が長安で道がふさがって通れなくて〜というのはおかしい。司馬光がこの説を信じなかったのは見識があったというべきだ。 ほかにもいろいろあるけど、あまり読めてません。 -------------------------------------------------------------------------------- [16] ヤフーの将棋にはまる  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月03日(Thu) 19時38分37秒 ただいま管理人はヤフーの無料ゲ将棋にはまっております。 http://games.yahoo.co.jp/games/login?game=Shogi 対COM将棋だとすぐ飽きるけど、本物の相手と対戦だと楽しいですねえ。人によって戦術も違ってて。 まあzizhitongjianjp名義で指してて、弱っちいのが、管理人だと思ってください。ヤフーのIDは『資治通鑑』邦訳のIDですからねえ。 読みたい本もあるのに放置して何やってるんだろう、自分。 陳寅恪は?グレッグ・イーガンは?やれやれ。 -------------------------------------------------------------------------------- [17] 酔漢の現在  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月04日(Fri) 01時28分20秒 掲示板を管理人のブログ状態にしてどうするというのだろう? しかしブログ作ったら、もっとひどい自儘・気儘な状態になるのが目に見えてるのでやらない。 さて『史記會注考證訂補』が入手不可という連絡が東方書店さんよりある(T_T)。 まっ、いっか。どんなもんか分からずに注文したもんだし…(爆)。 ええと、ちなみにHPトップのあの図像は今のとこ唐太宗です。 気が向いたらまた変えます。 最近アンテナや簡易のほうのリンクを見直しているんですが、おかげでリンク切れは少なくなったのではないかと。 いまちょっと悩んでいるのが、アンテナに中華系書店加えようか、とか。ただ、掲示板では商業宣伝やめてね、とか言いつつ、アンテナでは書店の宣伝してたら自己撞着かなあ、、とか。 ポリシーとは難しきものなり。(^^;) Teacupのほうの古い掲示板は、中国史質問掲示板にでもしてみようか。鶏肋、鶏肋。 -------------------------------------------------------------------------------- [18] いらいら  投稿者: 方壺島主 2005年11月06日(Sun) 21時37分19秒  ツイ・ハークの大コケ映画『七剣』を見た直後、徳間文庫から原作 に当たる梁羽生の『七剣下天山』上下巻が出たので早速読んでみまし た。原作は老若男女の愛憎入れ乱れてなかなか面白うございましたけ れども、映画の封切りに合わせて慌てて出版したためか、誤植が多く てそりゃあもうひどいことに。金庸の『倚天屠龍記』の単行本もひど かったけど、今回はもっとすごい。  そういうわけで、どうも徳間の武侠小説は信頼できないという話。 -------------------------------------------------------------------------------- [19] ごめんなさい、いろいろ  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月10日(Thu) 23時34分11秒 イーガン『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫)読了。 危なく途中で挫折するところでした。 もともと難解な作品の多いイーガンですが、今回はいつも以上にキテましたね。で、最後に極めつけに壮大なスケールの旅路の果てが…。ネタばれしても無問題な気もする、、というか、作品本編を一読するより簡潔に解説することは不可能な気がしますです。 何の紹介にもなってないですけど、読み始める前に巻末の「用語解説」読んだほうがいいかもしれない…作品です。解説読んですら難解ですけど。宇宙論にも素粒子学にもコンピューターにも私は強いぞ、と自信のある向きなら別ですけども。 素粒子はワームホールの口なのだ!宇宙は十次元のファイバー束なのだ! さて、『蒼天航路』最終回らしいですね。 曹操オールドファン(笑)としては、のっぽで恰幅が良くて美形の曹操なんて曹操様ぢゃないやい!と始まった当初くらいから否定的でしたし。先の先まで見通した千里眼妖怪と化した序盤・中盤の蒼天曹操には、あきれ果てておりましたけれども。それ以外ではいろいろ多大に楽しませていただきました。キャラが個性的でしたね。劉・関・張などは、もともとの自分のイメージにかなりフィットしてた、なんつーかオーソドックスなのが意外に感動しましたし。猿の袁術とか烏の烏丸の大将とかはやりすぎだろ!と感じてましたが。純一戦士呂布とかぎょろ目で斜視の陳宮とか、変態軍師諸葛亮とか、、。酒と女に溺れつつ、その実は用兵のことしか考えてない郭嘉とか、こんなのもありか〜とか。つまるとこ、すごく好きでした。 ということで、王欣太さんお疲れ様でした。 できれば、ポスト蒼天の話も、短編なり中編なりあの絵でやってほしいですね。 <方壺島主さま 『七剣』、見たのですか。 ちょっと足が伸びなくてですね。 こう評判の悪いのを聞いていると、見に行けば良かったとだいぶん後悔してます。(^^;) -------------------------------------------------------------------------------- [20] 蒼天航路終了  投稿者: 太白 2005年11月18日(Fri) 18時03分39秒 蒼天航路、終了しましたね〜。 なんか昨日、モーニング手に取ってみて「ああ、やっぱりないんだ・・・」ってなんか寂しくなってしまいましたよ。 でも、蒼天終了前から始まった、古田織部が主人公の『へうげもの』が面白くなってきたんで、まだまだモーニング読み続けそうです。 しかし、ずっと読みつづけてた割に、自分の中では、意外とあの蒼天版曹操が曹操のイメージとして固定する、なんて事は無かったですね。なんていうか、アレは自分の中では「曹操どん」ていう王欣太のマンガのキャラですから(笑) それに最近は、『三国志マガジン』なんて三国志マンガ専門誌まで登場して、何度目かの三国志ブームなんでしょうか。 気が付けば各マンガ雑誌にも三国志マンガが連載されてるようですしね。 -------------------------------------------------------------------------------- [21] Re:酔漢の現在  投稿者: 中根東竜 2005年11月19日(Sat) 12時53分49秒 お久しぶりです。中根です。 >さて『史記會注考證訂補』が入手不可という連絡が東方書店さんよりある(T_T)。 あれは、あんまり面白くないですよ。基本的に訓古なんで、一字一句の微細な考証が丹念に続くだけです。史記會注考證のような事項の考証が少ないんですよ。 >ヤフー将棋 私も指しています。touryuuuanというのが私です。私の得意戦法は振り飛車(向かい飛車など)なんですが、あんまり強くないです。 今夜もヤフー将棋を指していると思いますので、お時間が合えばお手合わせできるといいですね。 -------------------------------------------------------------------------------- [22] 春秋戦国史  投稿者: コルテス 2005年11月20日(Sun) 17時27分57秒 巫俊さん、永一さん、ご教示ありがとうございます。 とりあえず平瀬氏の新書2冊を読んでみます。 もともとは戦国縦横家書の発見によって蘇秦の活動年代が 史記の前4世紀ではなく前3世紀と考える研究者が 多くなってきたという話をどこかで読んだので 根拠を知りたいと思ったわけです。 ところで永一さんは五代解要って読んだことありますか? -------------------------------------------------------------------------------- [24] Re:春秋戦国史  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月20日(Sun) 21時01分52秒 <コルテスさま >もともとは戦国縦横家書の発見によって蘇秦の活動年代が >史記の前4世紀ではなく前3世紀と考える研究者が >多くなってきたという話をどこかで読んだ 『戦国縦横家書』自体を見てないので、詳しいことは分かりませんが…、以下ぐだぐだと。 『史記』では、蘇秦の活動時期は趙の粛侯・燕の文公・魏の襄王・楚の威王〜の治世が 重なる前334年ごろからはじまって、没年が斉のビン王の治世の初期ですね。 通鑑あたりで前317年没説を採ってるので、うちの事典などもそれを採用してます。 ちなみに僕の愛用の『中国歴史大事典』(上海辞書)の蘇秦の項は、『戦国縦横家書』の成 果を取り入れてるらしく、燕の昭王の信頼を受けたとか、斉のビン王の末年に斉の相に上っ たとか、蘇秦の活動時期が後ろにずれてますね。 平勢氏によると、蘇秦・蘇代をめぐる記述の混乱は、 1.『戦国策』姚本をもとに蘇代を兄、蘇秦を弟としたこと 2.蘇子、蘇秦、蘇代、蘇?の混同 3.『戦国縦横家書』の字釈の誤り がいけないので、それを正し、平勢氏の年代補正でつじつまが合うと主張しておられます。 >五代解要って読んだことありますか? ないです。というかどういう本ですか? 町屋竜策さんとこの『五代概要』とは違いますよね。 うちにある五代関係の本って 中華書局標点『新五代史』と村松『五代群雄傳』くらいなもので。 -------------------------------------------------------------------------------- [25] Re:蒼天航路終了  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月20日(Sun) 21時06分56秒 <太白さま >蒼天航路、終了しましたね〜。 ひとつの時代の終わりって感じで、なんとなく寂しいですね。 うおぉー、惇兄! >何度目かの三国志ブームなんでしょうか。 『三国志マガジン』には驚いたけど、 最近の若い人(;いかん、歳食った)は、コーエーの無双とかから入ったりしてるんでしょうか。 三国志だけはホント途切れませんねえ。まあ、大きな入り口であり続けてほしいです。 三国志に出逢った百人にひとりくらいが、道を踏み外して中国史の奈落に落ちてきてくれれば。 <中根東竜さま お久しぶりです。編年体の巻、『十八史略』江西吉水が熱いですねえ。 >あれは、あんまり面白くないですよ。 そうでしたか。品切れで良かったのか...; 厳一萍『史記會注考證[冓斗]訂』(商務印書館)なんてのも買ったことあって、 これは面白かったんですが、五帝本紀しかフォローしてなかったとか。 なにやら分からないものに、取りあえず飛びついて転けてるような気もします。 >私の得意戦法は振り飛車(向かい飛車など)なんですが、あんまり強くないです。 僕も今は振り飛車党(矢倉党から転向)です。4間か3間に構えることが多いですね。 初心者向けかラダー対戦を時々うろうろしてるので、時間があえばお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- [26] いつもながら色々  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月26日(Sat) 14時33分32秒 ▽ヤフオクで落とした『続國訳漢文大成 経子部 第四帙 資治通鑑』届く。 さすが1928年8月刊行のもので、外見はあれですが、中身は思ったより綺麗でした。 加藤繁・公田連太郎訳并註。国民文庫刊行会。 巻第五十六(漢紀四十八)から巻第七十三(魏紀五)まで。 ちょうど三国志のとこですね。 全ルビ入り書き下し文+註(胡注にあらず)+原文。 とりあえずニセクロさんの訳を手直しするのに使おうか、と、他人の褌でせこいことを考えてます。 ▽宮城谷昌光『春秋名臣列伝』(文芸春秋) 最近宮城谷さんも読んでなかったので久しぶり。 そうそうこういう文体だったと思い出し。 さすが『左伝』読みなだけあって、面子がすごいですね。 衛の石[石昔]、鄭の蔡足、晋の士[艸爲]、魯の臧孫達、魯の臧孫辰、晋の孤偃、… こういう面子のことを語れる作家は日本にひとりだけでしょ、たぶん。 でも憶測がかなり混じってたり、『公羊伝』や『穀梁伝』引っ張らないといけないというのは、 資料が少ないってことなんでしょうね。 しかしなによりは 「管仲は名を夷吾といい、おそらく中国史上最高の宰相である」とかさらりと書いてあるのが肝。 ▽『図説中国文明史5 魏晋南北朝 融合する文明』(創元社) 写真・図版たくさん入るとやはり高い3200円。 胡漢融合テーマは今さらなのですが、目新しいトピックも結構あり。 ∀鉄騎〜南北朝が重装騎兵で馬鎧つけてたのは知ってたけど、こういうヘタウマな漫画絵は初めて。 ∀軍楽隊 ∀盛楽城遺跡、平城 ∀元顕雋墓誌(図38)〜キャプションと囲み部分が合ってないよ。 ∀北魏陵墓 ∀石頭城 ∀画像磚 ∀南朝陵墓前の石獣 ∀物々交換の自然経済 などなど。 ▽戦国史SE版の「蒼き狼」 http://blog.livedoor.jp/datemanto/archives/50116355.html のデカさっぷりにちと感動。(ソースを見るとうちのサイトも参考としてクレジットしてある) というわけでもないけど、うちの事典の金のとこいじってたら完顔だらけになってもうた。 -------------------------------------------------------------------------------- [27] 大理メモ  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月28日(Mon) 19時38分07秒 ▽大理国主で退位後僧となった人−段思英(法名宏修大師)、段素隆、段思廉、段正明、段正淳、 段正厳、段正興、段智祥。22人中8人。 ▽高昇泰、[善β]闡侯高智昇の子。1094年、大理国主段正明を退位させ、王位を簒奪する。 国号は「大中国」(出た!)。しかし残念ながら日本語では「だいちゅうこく」と呼ぶのが 正しいと思われる。 ▽最後の大理国主・段興智、モンゴルに降り、憲宗モンケより摩訶羅嵯(マハラジャ)の号を賜 る。マハラジャといえば、インドの藩王のことじゃないかと、僕などは思うとこだが、ここに出 てくる意味を誰か解説してほしい。 ▽段興智がモンゴルに降った後も続く「段氏大理総管」。段実以後12代121年間。 ▽とても参考になった頁。 http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~maruha/kanseki/nanzhaoyeshi1-3.html ▽大理は西遼などに比べればこれでもまだ史料多いというべきか。西遼調べても史料ないじゃん。杉山先生嘆くはずだよ。 http://f43.aaa.livedoor.jp/~choku/seiryou001.htm こんなものなのか。 -------------------------------------------------------------------------------- [28] 大理段氏  投稿者: 方壺島主 2005年11月29日(Tue) 00時46分08秒 >段正淳  と言えば、そう金庸の『天竜八部』だ!! 公子・段誉のストーカー まがいの恋愛ストーリーは武侠小説ワールドでは異色!? ただし作品 としては執筆の経過などからして明らかな失敗作。「それなり」には 楽しめるけれど。 >段興智  と言えば、そう金庸の『射?英雄伝』および『神?侠侶』の南帝・ 一灯大師。秘技・一陽指神功で西毒を倒せ!! ちなみに「一陽指」の名 は、周星馳の『功夫(カンフー・ハッスル)』のラストシーンでチラリと 見られたような…。  南宋代を舞台にした金庸小説では、南宋・遼・金・西夏・西蔵・大理 ・モンゴルなどが入り乱れて国際色豊か。退位後僧籍に入る大理段氏の 事績は、当時仏教書に耽読していたという金庸の好みに合ったのか。 -------------------------------------------------------------------------------- [29] Re:大理メモ  投稿者: 巫俊(ふしゅん) 2005年11月29日(Tue) 06時04分44秒 >大理国 私も前から大理国は気にかけてました。 南詔国よりどうグレードアップしたのか分かりませんけど、大理石の国って格好いいですよね。 南詔国は「南書」だったか「蛮書」だったかというような現地の文書があるそうで、中国史書との対比が利いてるそうです。 大理にはそういうのがないそうで。 唐の後半期に長安が吐蕃に対抗する上で重要な位置にあったことから、そこそこ自立したようです。 南詔国と大理国は一般にタイ族の系統が何〜と言われてますが、一般説の起源は現在のタイ族を過去に当てはめたものらしく、警戒した方がいいそうですよ。 それと一緒に、フビライが大理を滅国すると「タイ族の南下」が起こって、タイ系王朝が東南アジアに生まれたという一般説も、スコータイ朝だったか何かがフビライ大理来襲以前に建国されてることから、簡単に騙されちゃいけないと思ってます(^^ 大理って何読んだらいいんでしょうか? >高昇泰 国号は「大中国 足掛け2年くらいの寂しい国号ですよね、たぶん。 >憲宗モンケより摩訶羅嵯(マハラジャ)の号を賜う 元史と明史にそのことが見えるようですね。 中国王朝の命名としては異例な感じがしますね。 モンゴルのモンケですし、、ラマ教か何かでしょうか? 清代は大理に「土司」を任命してるようです。 >とても参考になった頁。 文字化けして読めない・・・(泣) 南詔から大理って、「もうひとつの日本」って感じのフレーズで書籍が発行されることを期待してます。 大理って宋朝と交易が盛んだったそうですね。 宋との関係と国号の推移は関係してるんでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- [30] 大理国  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年11月29日(Tue) 19時43分40秒 <方壺島主さま 金庸は段氏も出てくるんですね。脚色すごいみたいですけど。 <巫俊さま >南詔国よりどうグレードアップしたのか 南詔のほうがいっとき成都占領したり、活動は派手ですね。 大理は宋との関係が良かったんで、あまり派手さはないんですけど、かなりな仏教国という印象。 >「タイ族の南下」が起こって、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 タイ族の南下は6〜7世紀のようです。 大理はタイ系白族の国と言われてますが、その大理三十七部は元代にも登場してて、雲南を動いてません。 なお白族は今でも中国の少数民族のひとつです。 >大理って何読んだらいいんでしょうか? いや存じませぬ。大理の専著は見たことありませんで。 書虫で検索 http://www.frelax.com/ 奚寿鼎『大理国史』(雲南民族出版社) 日本の古本屋で検索 http://www.kosho.or.jp/ 李霖燦『南詔大理国新資料的綜合研究』(中央研究院民族学) CiNiiで論文を検索、「大理国」で10件引っかかる。 http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiTop >足掛け2年くらいの寂しい国号ですよね、たぶん。 はい。大理国の高氏というか、[善β]闡の高氏というべきか、けっこう興味深い存在です。 だいたい中国史では、一代限りの簒奪者の一族なんて王莽・桓玄・武后の例もあるとおり 没落してしまうのが相場なんですが。 大理国を簒奪して大中国主となった高昇泰は、段氏に政権を返すように遺言。 子の高泰明は遺言どおり段正淳を擁立、大理国復活、自身は相国となる。 高昇泰の甥の高量成は中国公と号す。 高寿貞、高寿昌、…歴代相。 高禾は対蒙古戦で奮戦して戦死。高泰祥は対蒙古最後の決戦を指揮。 と、後期の大理国における枢要の地位を占め続けてました。 >文字化けして読めない リンク先はユニコード(UTF-8)で書かれた頁です。 I.E.なら「表示(V)」→「エンコード(D)」→「Unicode(UTF-8)」を選ぶ。 ネスケやMozillaやFirefoxなら「表示(V)」→「文字エンコード(C)」→「Unicode(UTF-8)」。 >「もうひとつの日本」って感じ 雲南は一昔前には稲作の起源地って言われてましたね。 最近、長江下流域で出てくる栽培米がどんどん古くなって…。 相聞歌の伝統とか日本の古代に似てるとかも言われました。 -------------------------------------------------------------------------------- [31] はじめまして  投稿者: 佐藤 2005年11月30日(Wed) 03時20分27秒 これまでこちらの人物辞典に大変お世話になってまいりました。 お陰でだいぶチャイナ紳士たちに詳しくなれました。 ありがとうございます。 さて、本日拙サイト「劉裕頁」よりリンクを張らせて戴きました。 ひとまずは、そのご報告までに。 今後ともちょくちょく通いたいと思っております。 よろしくお願いいたします。 -------------------------------------------------------------------------------- [32] Re:はじめまして  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年12月01日(Thu) 21時44分34秒 佐藤さん、はじめまして。管理人の永一です。 >お陰でだいぶチャイナ紳士たちに詳しくなれました。 いや、うちのページで勉強しないほうがいいですよ。 鵜の目鷹の目で間違い探すくらいの心づもりでいないと、とんでもないミスにダマされますから。 なにせ量は質を超えるペリー・ロー×ンサイトですから。 >さて、本日拙サイト「劉裕頁」よりリンクを張らせて戴きました。 どうもありがとうございます。こちらからもリンク貼らせていただきました。 宋武帝劉裕の網頁ですか〜。僕の中ではたたき上げの軍人皇帝というイメージがあるのですが。 劉毅が好きだなあ、諸葛長民はもっと好きだなあ、…って失礼しました。 >よろしくお願いいたします。 こちらこそよろしくお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- [33] ことしも  投稿者: だお 2005年12月03日(Sat) 20時55分07秒  今年ももうすぐ終わりですね ちまたではクリスマス騒ぎが始まっているのに 時代劇ファンのわたしとしては 12月といえば忠臣蔵・・・・・・寂しい ところで210×手×分(一部伏字で申し訳ない)には 慣れましたか? -------------------------------------------------------------------------------- [34] 江西は色々ある  投稿者: 中根東竜 2005年12月04日(Sun) 00時09分07秒 亀レスで申し訳ないです、中根です。 >永一さん ><中根東竜さま >お久しぶりです。編年体の巻、『十八史略』江西吉水が熱いですねえ。 読んでいただいたようでありがとうございます。 宋代〜清代の江西というのは調べれば調べるほど熱い地域ですね。 次回更新で触れますが、朱子学にとって不倶戴天の仇敵といえる 臨済宗と曹洞宗が江西を根拠地にしていた時期もありますし、 臨済宗の祖・臨済は江西で修行した後、群雄割拠の河北へ単身 乗り込んでいったと柳田聖山氏は考証しています。 毛沢東の挙兵した瑞金も江西だったりします。 >そうでしたか。品切れで良かったのか...; >厳一萍『史記會注考證[冓斗]訂』(商務印書館)なんてのも買ったことあって、 >これは面白かったんですが、五帝本紀しかフォローしてなかったとか。 >なにやら分からないものに、取りあえず飛びついて転けてるような気もします。 まあ、なんだかわからない漢籍を買ってしまうのは私も同じです。南村テッコウ録や古今刀剣録を買ったのですが、なんというか、微妙なんですよ。雑学集ともなんともいえないものですね、これらは。正史三国志の清代の注釈も一時期随分読んだのですが・・・ >>私の得意戦法は振り飛車(向かい飛車など)なんですが、あんまり強くないです。 > >僕も今は振り飛車党(矢倉党から転向)です。4間か3間に構えることが多いですね。 >初心者向けかラダー対戦を時々うろうろしてるので、時間があえばお願いします。 こちらこそ、宜しくお願いします。初級者向けでは結構勝てるのですが、中級者の方とやると大抵負けますね。 -------------------------------------------------------------------------------- [35] 年の瀬に  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年12月08日(Thu) 15時25分19秒 >だおさま >今年ももうすぐ終わりですね いま修羅場だよ。やっと今日休めたよ。贅肉の中に蓄積された乳酸がどっとグタ〜っと。 半社会人としては社会人に出世した気分だよ。 >12月といえば忠臣蔵・・・・・・寂しい まあ色っぽいことには縁がないわな。 クリスマスといえば、完全に死亡してる時期だろう。 >ところで210×手×分(一部伏字で申し訳ない)には 慣れはあるけど、慣れでどうしようもない部分はあります。 バレバレの伏字は僕もよく使うけど、ネットでは検索にかかりにくいという利点が。 本名でネットやってて、職場で立場弱くて、でも悪口雑言は垂れたくて…。 やめとこ自虐ネタ。気分じゃないわ。 >中根東竜さま >宋代〜清代の江西というのは調べれば調べるほど熱い地域ですね。 高知の「いごっそう」みたいな土地柄かもしれない、と妙な感想を抱いたのですが。 清代にまともに試験をしたら科挙の合格者は江西と福建の二省だけになってしまうって 陳さんの話も面白いですね。清代で名を残してる人は江蘇・浙江が多いように思ってた ので。 >南村テッコウ録や古今刀剣録を買ったのですが、なんというか、微妙なんですよ。 あらら、そうですか。『輟耕録』で陶宗儀がモンゴルについて何言ってるのか興味ある んですけど。 >正史三国志の清代の注釈も一時期随分読んだのですが・・・ 清朝考証学も興味あるんですが、手元には趙翼の剳記しかないです。 なにかオススメはありますか? >初級者向けでは結構勝てるのですが、中級者の方とやると大抵負けますね。 初級者向けでも半々くらいしか勝てないですよ、僕は。 レーティング1400超えてるような人らはとても初級者には見えないんですが。 -------------------------------------------------------------------------------- [36] Re:年の瀬に  投稿者: 中根東竜 2005年12月11日(Sun) 16時50分30秒 >永一さん >高知の「いごっそう」みたいな土地柄かもしれない、と妙な感想を抱いたのですが。 それはあるかもしれないですね。宋の曾キョウ(江西出身で、地元で役人もやっていたみたいです)が生まれ故郷の江西の土地柄を辛らつに描いた「分寧県雲峯院記」という文章があるのですが、 「仕事熱心、ドライな個人主義者、利害が絡むと親子でもバトルをする、訴訟大好きで印鑑偽造・偽証・公文書偽造も大好き、お上に逆らう」という気風の土地だったようです。いぞっこうについてはネットや本で調べた情報でしか知らないのですが、共通点はあると思います。ただ、もちろん違いもあるようで、いぞっこうの特徴といわれている「酒が好き」「人情に篤い」という所は余り共通点がないように思います。 むしろドライだったのではないかと。故青木雄二氏の「ナニワ金融道」、あれの世界観に似たところがあるのではないでしょうか。 >清代にまともに試験をしたら科挙の合格者は江西と福建の二省だけになってしまうって >陳さんの話も面白いですね。清代で名を残してる人は江蘇・浙江が多いように思ってた >ので。 あれはおもしろいですね。わたしも陳さんの話からこの件に関心を持ったので。ただ、江蘇・浙江も強いからなあ。本当の所は江西・福建と江浙なら、どちらが知識水準が高いのかわからないと思います。 >あらら、そうですか。『輟耕録』で陶宗儀がモンゴルについて何言ってるのか興味ある >んですけど。 陶宗儀はモンゴルに対しては非常に尊敬を払っていますね。ちょっとやりすぎなんじゃないのかと思うくらいです。冒頭から元朝の系図を延々と書き、耶律楚材(贈り名の文正王を常に使っている)を激賞していますね。逆に宋に対しては点が辛いです。 ちょっと長くなったので、わけます。 -------------------------------------------------------------------------------- [37] Re:年の瀬に  投稿者: 中根東竜 2005年12月11日(Sun) 16時51分04秒 >>正史三国志の清代の注釈も一時期随分読んだのですが・・・ > >清朝考証学も興味あるんですが、手元には趙翼の剳記しかないです。 >なにかオススメはありますか? お薦め、というと、ウーンという感じですかね。 三国志の考証も随分ありますが、史実考証の面白いのは大抵盧弼さんの集解に集められていますね。集解に漏れている考証は大抵、校勘が主なのではないのかと。考証一つ一つで面白いのは中々ないですね。校勘が多く、史実の考証に力を入れていないのが多い。単行本が出ているので言えば三国志旁証はそこそこ面白かったですよ。後、趙一清『三国志注補』は地名が好きな人なら一件の価値があるかも。(逆に地名考証に興味がない人は・・・どうなんだろう?地名考証以外の内容が乏しいんですよ) あと、清の考証学者で正史の考証をやっている人は、一部の例外を除いて、あんまり見識は期待できないですね。基本的に、考証学者で頭のいい人は経学に行き、史学をやるひとというのは少し格が落ちるところがあるといったのは増井経夫さんだったかな。 歴史の見方が三国志通俗演義の域を出ていない人が多いように思いましたね。趙翼と比べると落ちます。 >>初級者向けでは結構勝てるのですが、中級者の方とやると大抵負けますね。 > >初級者向けでも半々くらいしか勝てないですよ、僕は。 >レーティング1400超えてるような人らはとても初級者には見えないんですが。 1400を超えている人は相当強いと思いますよ。 まあ、私も1250あたりをうろうろしているからなあ。 -------------------------------------------------------------------------------- [38] Re:年の瀬に  投稿者: NAGAICHI Naoto 2005年12月23日(Fri) 12時09分02秒 長らく放置しててすみません。 おそらく年明けまでこんな状態ではないかと…。 >中根東竜さま >「仕事熱心、ドライな個人主義者、利害が絡むと親子でもバトルをする、訴訟大好きで印鑑偽造・ >偽証・公文書偽造も大好き、お上に逆らう」 いやすばらしい。傍目で見てるだけならすごく楽しいかも。 >陶宗儀はモンゴルに対しては非常に尊敬を払っていますね。 やっぱ一度見てみないといけないっすね。 いつかそのうち。 怪奇小説部分では岡本綺堂氏の訳があったりするけど、元史部分はないよなあ。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2240_11903.html >三国志の考証も随分ありますが、史実考証の面白いのは大抵盧弼さんの集解に集められていますね。 『三国志集解』、その世界では人気ですね。 筑摩の正史を制覇したら、そちらに向かう人が多いというか。 まあ僕は筑摩の正史も制覇してないヌルい人間なので、そこまで行くかどうか。 出物があったら買いたいリストには入ってますが。(^^;) >基本的に、考証学者で頭のいい人は経学に行き、史学をやるひとというのは少し格が落ちるところ >があるといったのは増井経夫さんだったかな。 増井経夫『大清帝国』(講談社学術文庫)第七章では、 「かれらの言い分をきけば、経学は深奥な哲理であって、到達しがたいが、史学は平明で、 研究すれば研究するほど成果が上がり、蓄積が果たせるから、この道を選んだ」 「史学を経学より低いと感じていた史家自身」 etc.と書かれてますね。 王鳴盛・銭大キン・趙翼らが挙げられてます。 趙翼については「前二者よりも軽薄だとか粗雑だとかいわれながら、はるかに多くの人に親しまれ た史家」だとか。 >まあ、私も1250あたりをうろうろしているからなあ。 僕も似たようなところにいます。 >興芸さま マルチポストのようですね。 管理人には書きこみの趣旨が理解できませんし、 お相手できる人もここにはいないようです。 なによりリンク先が安全性を確認できないEXEファイルであることですし、 削除させていただきます。 いつもでしたら、もう少し迅速に対応してたんですが、すみません。 -------------------------------------------------------------------------------- [39] 儒者の不養生  投稿者: 方壺島主 2005年12月27日(Tue) 23時39分29秒  風邪をひいて声が出ません。  むじん殿がWeb復帰された模様です。  自分の復帰は…まあ長い目で見ていてください。 -------------------------------------------------------------------------------- [40] 新年おめでとうございます  投稿者: NAGAICHI Naoto 2006年01月02日(Mon) 16時23分08秒 管理人です。どうにか年を越せたようです。 旧年中は各方面多大なお世話になっておりまして、感謝に堪えません。 こんな調子ですが、今年もよろしくお願いします。 >方壺島主さま > 風邪をひいて声が出ません。 旧年師走かた寒かったですからねえ。温暖な冬に慣れてるもので、こたえた、こたえた。 僕も風邪ひいて咳がひどかったのですが、繁忙で治すひまなく。 ようやくひと段落ついたので、ビタミン摂ってゆっくり寝て治します。 > むじん殿がWeb復帰された模様です。 そのようですね。めでたいっす。 そのうちご挨拶にでも。 > 自分の復帰は…まあ長い目で見ていてください。 ええ、この業界(^_^;、長い目でやらないともちません。 こちとらも社会人のみなさんが仕事始めでがっくり肩を落としはじめた頃になって、半社会人に本格復帰。お調子に乗り出す予定は未定。 -------------------------------------------------------------------------------- [41] 明末三十六営の首領たちをメモ  投稿者: NAGAICHI Naoto 2006年01月04日(Wed) 20時52分22秒 以下、『水滸伝』で遊んでるわけではありません。れっきとした史実を探求してます。 明末三十六営(七十二営とか十三家とか)で号と本名?を対象してみる。 闖王−高迎祥、大梁王−王大梁、横天王−王子順、整十万−黒雲祥、小秦王−白貴、 関索−王光恩、過天星−恵登相、混世王−武自強、刮地王−鄢本恕、 曹操−羅汝才、順天王−賀国観(藍廷瑞?)、掃地王−廖恵、老回回−馬守応、 革裏眼−賀一龍、左金王−賀錦、争世王−劉希堯、治世王−藺養成、改世王−許可変、 不沾泥−張存孟、射塌天−李万慶、そして闖将−李自成。 ほか上天竜、八金剛、九条竜、閻正虎、満天星、破甲錐、蝎子塊、姫関鎖、翻山動、 掌世王、点灯子、、といった連中の本名はどうやったら調べられるんだろ。 -------------------------------------------------------------------------------- [42] 最近、頭の中では明清交代がホット  投稿者: NAGAICHI Naoto 2006年01月05日(Thu) 19時45分58秒 ▽ヌルハチの子たちはすごい。ホンタイジとドルゴンが有名だが、ダイシャンやマングルタイ、アバタイ、バブタイ、アジゲ、ドドみな軍功を挙げている。おかげで外様があまり目立たない。 ▽このころのモンゴルはぐじゃぐじゃ。外モンゴル最強のハルハ部が四分五裂したり、北元正統のチャハル部リンダン・ハーンが猛威をふるったり。 オイラトはオイラトで、モンゴルから独立したと思ったら、ホシュートは内戦。トルグトは1630年ヴォルガ河畔あたりまで大西遷してノガイ人を逐い、約1世紀後に東に戻ってきてイリにたどりつき、清朝の保護を求める。なんかすごい。 ホシュートのグシ・ハーンは、ダライ・ラマ5世の求めに応じてチベットに入り、ツァン政権(紅帽派)やカム(東チベット)倒して、チベット統一。 チベット教界の黄帽派(ゲルグ派、ダライ・ラマはこっち)と紅帽派(カルマ派)の争いが草原世界に影響を与えている。モンゴルはおおよそ紅帽派で、オイラトはおおよそ黄帽派。 とにかく草原世界がまとまってなかったので、後金−清朝に浸食される。チャハル部に伝わっていた大元国璽はホンタイジの手に落ち、清はモンゴル世界にも君臨する。清は牧地と牧民を細分化された旗(ジャサク)に分けて、まとまった反抗ができないようにする。 ▽陜西の大飢饉に端を発した農民叛乱、三十六営の首領たちのあだ名に見るように『水滸伝』のノリなのだが、最後も水滸のノリ。 李自成や張献忠の死後の話。 李自成の大順政権の残部は李錦(李自成の兄の子)や高一功(李自成の妻の弟)が率いて南明と結び清に抵抗。 張献忠の大西政権の残部は李定国・孫可望・劉文秀・艾能奇らがやはり南明と結び清に抵抗。明に反抗して起ったやつらが明に殉じて勇戦し斃れていく。これぞ水滸のノリ。といいたいけど孫可望の分派行動でかなりぐだぐだかも。 でも例えば劉体純みたいなのは、明に殉じたとしかいいようがない。南明も党争激しくて腐敗してたみたいだし、水滸の北宋にかぶるよなあ。 ▽李巌と紅娘子の話、 李自成のブレーン李巌(「闖王を迎えれば、税金いらないよ」の歌を考えたとされる人)と女侠紅娘子。 皇名月さんが『黄土の旗のもと』で漫画化したり、 高島俊男氏が『中国の大盗賊』で実在否定の立場で紹介したり、 とにかく僕は好きなのだが、いかんせん日本ではマイナー。とりあえずプッシュしたい。 -------------------------------------------------------------------------------- [43] SE版に移植  投稿者: NAGAICHI Naoto URL 2006年01月10日(Tue) 18時46分26秒 自作17世紀シナリオを戦国史SEに移植してみました。 人物も少し増えたけど、城数も半端でなく増えてるので、ますますバランスおかしくなってますね。気長に直します。 ついでに人物事典も明末清初あたりをいじってるのですが、ものが分かってないことを痛感。 -------------------------------------------------------------------------------- [44] 謹賀新年  投稿者: コルテス 2006年01月12日(Thu) 09時51分23秒 >平勢氏によると、蘇秦・蘇代をめぐる記述の混乱は、 >1.『戦国策』姚本をもとに蘇代を兄、蘇秦を弟としたこと ここが良くわからないんですよね。 史記も戦国策も蘇代が弟だと思うんですけど。 明清交替期ですか。 小説にしても面白い時代と、ゲームじゃないと面白くない時代があるとすれば、個人的には隋末や明末はゲームでやりたい時代です。 大順や南明があっけなさ過ぎて。 やっぱり宋代以降はインフラが良くなって一気にいっちゃいますね。 大順が北京を攻めずに陝西を固めていたら、もっと面白い展開になったかも。 -------------------------------------------------------------------------------- [46] Re:謹賀新年  投稿者: 巫俊(ふしゅん) 2006年01月13日(Fri) 18時37分22秒 正月ボケで漢字が文字化けするの忘れてました。 平勢説について、こういうものつくってみました♪ ――― ・『新編 史記東周年表』(平勢隆郎、東京大学出版会、1995年)に従って、『史記』魏世家の戦国時代(前451年〜)記事を今、整理して表にする。  ・〔〕の記事は、六国年表のみに年代のある魏関係記事。 ・『史記』魏世家の魏の文侯記事はモスラに変身しました(笑) http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3/ 『史記』巻四十四魏世家十四 前451年,與韓、趙三分晉地滅其後.(晋の公室は韓・趙の称王する前326〜324年より以後に滅びた。) 前442年,文侯元年. 前437年,文侯称侯元年.(『史記』本文の文侯元年。) 前423年,〔文侯称侯十五年,卜相・・〕 前422年,文侯称侯十六年,城少梁 .伐秦,築臨晉元里. 前421年,文侯称侯十七年,西攻秦,至鄭而還 ,築ラク陰、合陽. 前420年,〔文侯称侯十八年,復城少梁.〕 前417年,〔文侯称侯二十一年,魏誅晋幽公・・〕 前415年,文侯称侯二十三年,使子撃圍繁、ホウ,出其民. 前408年,文侯称侯三十年,伐中山.(〜前406まで) 前407年,文侯称侯三十一年,カク山崩,壅河. 前406年,文侯称侯三十二年,伐中山,使子撃守之,趙倉唐傅 之. 前405年,〔文侯称侯三十三年,受経子夏・・〕 前404年,文侯称侯三十四年,秦伐我,至陽狐 . 前403年,文侯称侯三十五年,魏、趙、韓列為諸侯.子撃生子オウ. 前401年,文侯称侯三十七年,伐鄭.城酸棗. 敗秦于注 . 前398年,文侯称侯四十年,齊伐取我襄陵. 前397年,文侯称侯四十一年,秦侵我陰晉. 前395年,文侯称侯四十三年,伐秦,敗我武下,得其將識.是歳,文侯卒,子撃立,是為武侯. ――― ということで、戦国期の年代はもう完全に破壊されちゃったんですね。 これからどうしよう・・・ -------------------------------------------------------------------------------- [47] Re:謹賀新年  投稿者: 巫俊(ふしゅん) 2006年01月13日(Fri) 20時11分42秒 >ここが良くわからないんですよね。 >史記も戦国策も蘇代が弟だと思うんですけど。 蘇代を兄、蘇秦を弟にすると年代がすっきりすると、以前の研究で考えられていたってことじゃなかったでしたっけ? といっても「考えられていた」ってのは平勢氏より先行する年代研究がそう考えていたということで、一般的には、『史記』の日本語訳や宮城谷昌光氏の小説くらいの説明が受容されてるんじゃないでしょうか? 私は最初から蘇秦と蘇代の区別がついてないので、この際蘇秦が10人いても20人いたって、それは蘇秦に仮託された戦国故事だってことでスルーしてしまいそうです。 蘇秦関係の同時代史料は存在していないのですから。『戦国縦横家書』は前漢だし。 そして『戦国縦横家書』のことですが、平勢氏は『戦国縦横家書』の従来「臣秦拝辞事」と釈文されてきた蘇秦記事を、「臣ハイ(拝)辞事」の誤りであるから、『戦国縦横家書』の蘇秦記事は根拠を失ったと言っているようです。 たぶん。。。 ところが例の『戦国縦横家書』の訳注によると、そんなものは『戦国縦横家書』全体の蘇秦記事(蘇秦の記事とされるものがすべてで14あります)のなかの第4章の蘇秦確定を否定したに過ぎないことが分かり・・・ しかも「秦」の字がかすれてることを、平勢氏は黙ってるし(『中国の歴史02』)と、なんか形勢悪化してきましたね。 おまけに第3章に「蘇秦」と書いてあるという・・・ でもこっちは蘇の字の[魚]の部分がかすれてるし、、 そんでもって、第22章には、「今者(ちかごろ)、秦門に立ちしが、」という文字列が、、、 ほかにも蘇秦らしい「秦」という字がありますが、「秦」ってあるどこかの大国と同じ名前ですよね〜。 そういうことで、『戦国縦横家書』は蘇秦の記事に非ずと論証するなら、これを少し平勢さんには論議の対象にしてほしいですね。 -------------------------------------------------------------------------------- [48] Re:謹賀新年  投稿者: 巫俊(ふしゅん) 2006年01月13日(Fri) 20時16分10秒 ・平勢説 「臣秦拝辞事」→「臣ハイ(拝)辞事」 そこの秦もしくはハイと釈字されている部分が、かすれて「縦棒」があるのかないのか素人目には判別できません。 (この訳注、竹簡の全文写真ついてます。) -------------------------------------------------------------------------------- [49] ゲームとか明清とか  投稿者: NAGAICHI Naoto 2006年01月15日(Sun) 00時23分57秒 >コルテスさま 今年もよろしくです。 >個人的には隋末や明末はゲームでやりたい時代です。 いじってみて思うことですけど、 戦略SLGに限定すれば、春秋戦国か隋末唐初か五代か元末あたりがバランスがいいと 思います。明末清初はバランスが悪くて。(^^;) 主人公を決めてキャンペーンなりアドベンチャーなりRPGなりやらせるなら、明末も いいんですけどね。 >大順や南明があっけなさ過ぎて。 南明は、福王(弘光)政権はあっけなさ過ぎですが、永暦政権なんかは影響力は雲貴周 辺のみで内輪もめは激しかったあの状態で意外と粘ったような印象もあります。 大順(李自成政権)があっけなかったのは、 1.やっぱり「流寇」の枠を越えられなかったから。 移動した先で収奪して、食いつめ者たちを吸収して膨らんでいく流寇方式の限界ですね。 もとは陜西の飢饉が発端で、やむなく叛乱せざるをえなかった側としては集団を食わせ ていくために、ある意味しかたない面もあったんでしょうけど。 「流寇」から一皮むけることができなかったですね。 2.知識人層を吸収できなかった。 農民叛乱から出発したかれら、明の官僚や郷紳たちを各地で殺しまくっちゃいまして、 いろいろノウハウを持っていた知識人層たちがかれらを支持できるわけがありません。 李自成が洛陽を落とす前後(たぶんかれが天下を意識して豹変したのはこのあたり)くら いから、方針転換して知識人層の吸収につとめるも、やってくるのは牛金星ていど。 さてここまではよく言われるんですが、 3.北京を取ったタイミングが悪かった。 山海関将の呉三桂が清に附いた偶発事がよく過大に語られたりしますが。かりに呉三桂が 大順についていたとしても、関外には清、内地には明の残存勢力に挟まれて、いずれ困っ たことになっていたように思います。 >大順が北京を攻めずに陝西を固めていたら、もっと面白い展開になったかも。 ↑の1.のような状態なので、荒廃した陜西固めてたらそもそも明にも勝てないで初期に 潰れてたんじゃないでしょうか。李自成が洛陽を取った後に北京を狙わずに経済的先進地 たる江南を奪うことができたら、また違った展開があったかも、とか思うんですけどね。 -------------------------------------------------------------------------------- [50] 東周年表と蘇秦  投稿者: NAGAICHI Naoto 2006年01月15日(Sun) 01時47分00秒 >巫俊さま >正月ボケで漢字が文字化けするの忘れてました。 今のうちの掲示板あんまり良くないですね。 1000文字制限があったり、Unicode文字の数値参照(Unicodeタグ)による書きこみができな かったり、補助漢字とかもはじいてるみたいだし。 前のTeacup掲示板のほうがまだマシかしらん。 うちの常連さんの書きこみ環境の不具合が原因で掲示板変えたんですが、問題が解決したと 確認できない上に、どうもほかの不都合が多いようなので、また変えるかもしれません。 >平勢説について、こういうものつくってみました♪ ご苦労さまです。 魏世家とも六国年表とも全く違うのが素晴らしいですね。 魏世家では、少梁を築城したのは、文侯六年ですし。 子撃(のちの武侯)が繁・ホウ(广龍)を囲んだのは十三年ですけども。 いちいち言うのは野暮でしょうかね。 晋の公室を滅ぼしたのは魏武侯・韓哀侯・趙敬侯ではないんでしょうね。 年代補正ってのは、気儘に史料を改竄していいってことなのかなあ? >『戦国縦横家書』の蘇秦記事は根拠を失ったと言っているようです。 ここは蘇秦じゃなくて蘇代なんだと言っているようです。たぶん。 >そんなものは『戦国縦横家書』全体の蘇秦記事(蘇秦の記事とされるものがすべてで14あります) >のなかの第4章の蘇秦確定を否定したに過ぎないことが分かり・・・ あらら。ほかの13の記事についての見解を聞きたいとこですね。 いろいろ面白そうな話、ありがとうございました。 --------------------------------------------------------------------------------