210 難しいかな NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/25 23:50 男性 28歳 B型 予州 市民 >武州紫さま >儒教は難しい、と言うより特定の教えとか宗教は絶対に難しい。 いや全く同感です。とくに儒教は。 いまだに儒教が宗教であるかいなか議論があるくらいで、 長い歴史の中でさまざまな学説があり、なかなか実態が捉えきれません。 >武帝が、とう太皇太后の、言うこと聞いているようで聞いていない部分がある。 いや、そのへんは僕はあまり謎はないと思っているんで。 黄老道(道家思想)を重視する竇太皇太后と儒家を重視する武帝の間では、 そもそも反りが合わないんで、政策的にも反発するのは当然です。 しかし武帝がまだ少年であり、竇太皇太后が宮廷の重鎮として勢威をふるってい る間は、力関係の上で武帝のほうが太皇太后に屈するほかなかったのです。 陳皇后が廃されたのは、竇太皇太后の没後の話ですし。 209 ねう−さまへ 武州紫 2001/09/25 16:11 女性 B型 武州 貴妃 こちらこそ、願ったりです。若い男の人が、特に好きなものですから… 塚本青史の「カッキョヘイ」は衛青と対極に主人公を実に、まざまざと 魅力的に描写しています。 しかし青史があまりにも空想を、たくましくするあまりよく解らない感じもします。 薬を調合する女もその恋人もはては武帝まで病(へい)の死に関係ある感じです。 青史だったかだれだったか衛青が犯人らしいと書いてあったのを、見たことあります。 そのうちもっと早くキイが、たたけるようになったら沢山おしゃべりさせてください。 ひとえによろしく。ではまた。 208 何となく難しい 武州紫 2001/09/25 14:41 B型 武州 貴妃 管理人さま 儒教は難しい、と言うより特定の教えとか宗教は絶対に難しい。完全なもの などないから無理が出るんじゃないかとおもいます。 日本は江戸時代より明治以降ずっと儒教のために不幸だったような気がします。 ただ私が、不思議なのは武帝が、とう太皇太后の、言うこと聞いているようで 聞いていない部分がある。衛青の姉を寵愛したため、する為頭のあがらない皇后 の従姉妹を潰しているじやないですか。やはり、人間は性愛が一番凄いものなの ですか。我々からすれば自分を教え育ててくれた師とか、爺やのような存在を抹殺 された時、なぜとう太皇に、されるままになつたか。皇帝になる人は酷薄な性と、 勝つための強さが、又、身勝手さが、必要なのかも・・・しれませんね。 207 個人の意見です NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/24 03:13 男性 28歳 B型 予州 仙人 >ねうーさま あまり僕の意見で「勉強」しないで下さい。 けっこう素人意見を書き飛ばしていますので。 現時点での自分なりの意見ですし。 前には断定調で書きましたが、武帝期以前の中国で儒教の影響力が どの程度一般に浸透していたのか?なんて微妙な問題、僕ごときが 本当に断定できるわけはありません。(-_-;) むしろ詳しい人にお話を聞きたいくらいでして。 以下、「…と思う」「…のハズ」の話が多くなりますが、すみませ ん。 たとえば『孝経』の教えが一般に浸透していたとは思えないと僕は 書きました。 儒者と明確に断定できる人物では、例外の話となりますが。 ここらへん一般論として僕はかなり確かだと思います。 逆にいえば、古代の中国人はどの程度「親に従う」という倫理観を 持っていたかというと、これは現代日本人などより相当強かったと 思うのですよね。 原儒教(白川静風に言えば孔子儒以前)の時代から、中国では家族 主義(祖先崇拝や宗族内の結合含めて)は強烈でした。 家族の中の上下関係とか直系尊属に対する尊敬とかってのは、当然 あったはずです。 こういう一般の家族主義を「孝」とみて儒教によってつくられたも のとみるのは、後世的な附会かなあと。 206 勉強になります ねうー 2001/09/22 03:34 男性 20歳 B型 奥州 県尉 >管理人さま  そう言えばそうですね。漢の高祖も儒者嫌いだったようですし、儒教が台頭してきたのは武帝が董仲舒を登用してからだと高校の世界史で習った気が・・・・すいません、忘れてました。  先入観でものを見てしまって、歴史好きとして恥ずかしいです。歴史は時代時代で様々な価値観があり、それを踏まえた上で無いと正当な評価をすることはできない。わかっていた筈なのに・・・・。ここに来て改めてその事を指摘され、自分の中にある種の驕りがあったことに気付かされました。感謝です。 205 武帝時代は… NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/22 02:17 男性 28歳 B型 予州 太傅 >武州紫さま >武帝も国の為になった人を どんどん殺していますねえ。 僕も、漢の武帝は君主として内政面をあまり評価できないし、 個人的には嫌いな人物ですらあるのですが。 しかし功臣を殺しまくったというようなイメージはないです…。 まあ李陵事件や巫蠱事件などの失敗で無辜な人間を殺したりも してます。 ですがむしろ、酷吏を重用しての商人弾圧とか、前代からつづ く諸侯領削減とか、武帝からみて「国の為にならない」人々を 殺しまくっていたのだと思います。 >とう太皇太后の権力は皇帝でも潰せないのですか? うーん、日本史での摂関政治なんか連想していただければいい と思いますが、古今東西いつでもどこでも幼若の天子ってのは ふつう強大な権力をもっていません。前代からつづく有力者や 外戚なんかに政権を握られやすいものです。 漢の武帝はのちに強力な皇帝権力を樹立しましたが、即位直後 は竇太皇太后や田フンなどに政権を握られていたのです。 ちなみに僕は竇太皇太后が残酷だったとは思っていません。 黄老道の信奉者だった竇太皇太后にとって、儒教を好んだ新進 気鋭の武帝が登用した儒家官僚を気に入らなかっただけだと思 ってます。比較的な話ですが、さほど残酷なことをしてません。 >ねうーさま >あの話の霍去病って、マイペースでやる事が奇抜で周りのことをあんまり >気にしてないような典型的な天才児のイメージそのままですね。   同感です。塚本青史さんの創作部分が多いとはいえ、霍去病ら しいキャラに仕上がってます。 一方向にだけ突出した天才性や他方面への無頓着さ、ややもす れば非人間的ではないかと思える不気味さもよく描かれてます。 僕はこの小説読む前から霍去病より衛青が好きでしたが、ます ますその感を深くしました。 下積みの年月が長くて苦労が多かった衛青に対して、 生まれながらの貴族として育った霍去病は、兵士が飢寒に悩ま されているのに気づかず、営中で暖衣飽食してたといいますし。 >そこは儒教のお国ですから親に従うのが孝の道、その意見を突っぱねたり >なんかしたら非難轟々です。 いや、それはちとお考えが後世的で硬直しているかと。 まず武帝以前は、中国は儒教のお国ではありません。 これはこの掲示板でも書きました(記事192参照)。 武帝以前は、儒教は諸子百家の中の有力なひとつに過ぎませんし、 むしろ黄老道(道家思想)のほうが、漢王朝では尊崇を受けてい ました。 武帝の祖父の文帝とか、武州紫さんの挙げてくださった竇皇太后 なんか代表的な黄老信奉者ですよ。高祖劉邦にいたっては、儒者 の冠に小便をかけたことで有名ですし。 『孝経』の教えなんて、一般に浸透していたとは思えません。 そういえば塚本青史さんの小説では、この考えを平然と一般民が 口にしてましたね。ほかにも四書五経とか出てきたし。 僕には考証的に疑問を感じます。 >特に女性はガチガチの“男社会”で上に立つ以上なりふり構っていられな >かったのでしょう。   これもなんか考えが後代のイメージに縛られてる気がします。 まあ古代でも、女性は基本的に戦場に出ないし、官吏にもなれな い、男は外・女は内、くらいのジェンダー的差別はありましたが。 後世になって儒教で三従とか言い出したころほど、ガチガチだっ たとも、男尊女卑的だったとも、僕には思えないのですが。 204 私も読みました ねうー 2001/09/20 02:35 男性 20歳 B型 奥州 県尉  武州紫さまはじめまして。新参者のねうーと申します。せっかくなのでお近づきになれたらと思いカキコしています。  塚本青史の『霍去病』私も読みました。あの話の霍去病って、マイペースでやる事が奇抜で周りのことをあんまり気にしてないような典型的な天才児のイメージそのままですね。  太皇太后の権力を皇帝が潰せないことについて疑問を持たれているようですね。太皇太后って確か皇帝の祖母に当たる人ですよね?そんで母親に当たるのが皇太后と。そういえばそういった人たちの鶴の一声で国の大事が決まってしまう。皇帝のほうは不服なのに何も言えなかった・・・なんてことは歴史の中でしばしば見られますね。建前上は皇帝が唯一絶対の支配者なので彼女らの意見を跳ね除けることも可能なはずですが、そこは儒教のお国ですから親に従うのが孝の道、その意見を突っぱねたりなんかしたら非難轟々です。  また実質的な問題として彼女らは宮中の生活が長いので古くからの大臣などに強い影響力があり、その勢力が皇帝にも無視できないわけです。まぁ、それでなくても親ってそこはかとない圧力をもってますよね。皇帝も人の子ですからその辺りは同じなんだと思います。その圧力をぐっと堪えるか、耐え兼ねて反発するかは時と場合そして人によりけりなんだと思いますが・・・。  あと上に上がった女性が残酷〜というお話についてなんですが、やはりそこが権力闘争の場だからだと思います。権力を奪おうとか守ろうとかしている人たちは必死ですから・・・。特に女性はガチガチの“男社会”で上に立つ以上なりふり構っていられなかったのでしょう。  いろいろ偉そうに言っちゃってすいません。ご不快で無かったならこれを機に仲良くしていただけたら嬉しいです。  203 思い付くまま 武州紫 2001/09/19 14:49 B型 武州 貴妃 今(かく去病)塚本青史を読んでいます。武帝も国の為になった人を どんどん殺していますねえ。皇帝に必要な、と言うより権力者に必要 な非情さは管理人様が、言う所の、決断力に繋がる資質かもしれません。 力ですかね。でも女の強さの、権限と言うことになるとよくわかりません。 とう太皇太后の権力は皇帝でも潰せないのですか? 女の上に上がったのは、男以上に残酷ですねえ。 202 いらっしゃいませ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/18 23:54 男性 28歳 B型 予州 硬骨の士 18日付で、一歳ぶん年を取ってしまった管理人です。 >ねうーさま はじめまして。 >なんだか楽しそうな所なのでちょくちょく遊びに来ようと思っています。 そういう感想嬉しいです。 「楽しそう」って言われたのは、初めてかもしれません。 たいてい妙に感心されるか、 専門的な人に「ここは違う〜!」と怒られるか、 どちらかのような気が。(-_-;) >今は宮城谷昌光氏の作品などを好んで読んでいます。 宮城谷昌光さんの小説は近頃ちょっとご無沙汰なのですが、僕も好きです。 清涼感のある文体で、後味もよくて。 201 はじめまして。 ねうー 2001/09/17 04:32 男性 20歳 B型 奥州 県尉  わたくし名古屋でぐ〜たら学生なぞやっております「ねうー」と申します。  明日から大学の講義が始まるので早めに寝たところ、妙な時間に目が覚めてしまい、暇つぶしにネットの海を潮の流れに任せてフラフラ泳いでいたらここにたどり着きました。なんだか楽しそうな所なのでちょくちょく遊びに来ようと思っています。  中国史に関しては父親の書棚から吉川英治の『三国志』を見つけて以来ハマッています。今は宮城谷昌光氏の作品などを好んで読んでいます。  近いうちにまた遊びに来ます。それでは。 200 君臣関係とか NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/11 21:28 男性 27歳 B型 予州 大納言 >武州紫さま >皇帝を、絶対者として殺されてまで従う心と >逆に皇帝をあっさり殺してしまう事の落差が >私にはわかりません。 どういう例を考えておられるのか分かりませんが、 中国の皇帝は必ずしも絶対者ではありませんよ。 皇帝の権力じたいも、時代によってずいぶん違いますし。 皇帝の政治力や権力が弱ければ、一介の権臣のためにあっさりと 殺されてしまうようなケースも出てきます。 「君、君たらずとも、臣、臣たれ」とか「忠臣は二君に仕えず」の ような道徳は、称揚されはしますが、世の中がせち辛くなってくる となかなか守られはしません。 まあ、逆にダメな君主のために命がけで諫めて殺されてしまうよう な人も出てきます。 これはフォロワーの側(臣下の側)の倫理観や現実感覚によるんで。 いちがいに言えません。 別に中国人の心が矛盾してるわけではありません。 >最初に、朱元しょうが出てくるのですが >やはり皇帝は、非情な性の、持ち合わせが、 >必要なのかと考えてしまいます。 王朝創業の皇帝のうちでも功臣の粛清を行った人は多いですが、 明の太祖・朱元璋はそのうちでも極端な例ですからねえ。 「明祖は一人にして聖賢、豪傑、盗賊を兼ねたり」といわれた 複雑な性格のかたです。 彼による数万人単位の粛清を基準に皇帝の資質というものを考えると、 偏った結論になってしまうのではないでしょうか? >夢來さま はじめまして。 いやいや、管理人もはじめて中国ものに触れて十数年になりますが、 まだビギナー感覚が抜けないです。 奥行きが深くて、一生やっても極められそうにないところが気に入っ てますけどね。 199 こんにちは 夢來 2001/09/11 19:18 女性 16歳 河内 女史 はじめまして、夢來(むらい)といいます。中国史に興味を示して、ネットをたどりここに来ました。いわゆる「中国物」を初めて読んだのは約2年前・・・はっきり言ってビギナーです。 読んだ本もそれほどないし、ごくごく些細な知識しか持ち合わせていませんが一応、唐と宋のあたりが好きです。 暇をみてまた来ます。ではでは。 198 お詫び方々 武州紫 2001/09/11 14:19 B型 武州 貴妃 管理人さま。何時も謝ってばかりで、不甲斐ない。 悪しからず,お許しを・・・ 別の話ですが、皇帝を、絶対者として殺されてまで 従う心と逆に皇帝をあっさり殺してしまう事の落差が 私にはわかりません。 教えてください。 今永楽帝を、読んでいます。最初に、朱元しょうが出てくるの ですがやはり皇帝は、非情な性の、持ち合わせが、必要なのかと 考えてしまいます。 196 ええと NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/09 23:00 男性 27歳 B型 予州 布衣 >武州紫さま 「先生」はやめてください。冗談でもからかいでもホメ殺しでもです。 管理人は、しょせん一介の歴史好きのアマチュアに過ぎませんし。 専門の人に怒られるようないい加減なことも、よく書き散らしてます。 相続の話も、耳学問な話題でしかありません。 あまり真に受けると、素人の「と」ばなしに騙されていたってことに なりかねません。 本当に「勉強しました」ってのは、手軽に手に入るネット上の情報を 鵜呑みにすることではなく、自力でいろいろ調べてみて検証を加える ことからしか始まりません。 そういう意味では、管理人は実に勉強してない徒輩なのでありまして。 195 先生へ 武州紫 2001/09/06 17:33 B型 武州 美人 管理人様。本当に勉強しました。 末子が家を、継ぐと言うのは、合理的ですねえ。 感心してしまいました。 しかし、富の,有無ですか。 その国の、事情と言うのもちゃんと原因があるのですね。 りこうになったきがします。 それから韓信が、お好きと聞いて貴殿さまも好きになりました。 194 相続いろいろ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/05 22:55 男性 27歳 B型 予州 布衣 >武州紫さま モンゴルの末子相続というのは、 子供が成人するとしていくと、親から財産分けしてもらって 本家から自立していくんですよ。長男から順に出ていく(分 家していく)ので、最後に親のもとには末子が残り、末子が 本家を継ぐというかたちになるんです。 中国での長子相続も家門や爵位などの話で、 財産は兄弟の均分相続が原則です。 このため人口爆発の時期には、土地の細分化が行きすぎて、 農村の貧困の原因にもなりましたし、またこのために移住 圧力が強まって華僑の海外進出の原動力にもなりました。 日本での長子相続は、よほど余裕がない限りは家門も財産も 全部長子が継ぐのが原則だったので、あぶれた次男・三男以 下は故郷の農村を出て別の土地を開拓したり、別の職業につ くことが多かったようです。 人口増加期にあたる明治以後、軍隊の成員に農村出身の次男・ 三男が多かったなんてのが知られてます。 193 再び御免下さい 武州紫 2001/09/05 13:38 B型 武州 美人 管理人さま。いろいろお話下さってとても面白かったです。ひきこまれて 読みました。モンゴルでは末子相続なんて原則が、あったのですか? これは初耳、だからこのサイトは、堪えられない。知ったかぶりの、材料 も増えると言うもの、ゴメンナサイ。 子供は養育の事情で子で無くなることもあるらしいので、いちがいに言え ませんが、子供を差別するのはやなものです。 管理人さまも、韓信お好きですか。覇者となれる人は非情な部分が、無くては ならないでしょう。右か左の決断と言う事と繋がるんでしょう。 韓信の、弱さ見たいなものが悲しいです。 又、お願いします。 192 感謝m(_ _)m NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/09/05 00:49 男性 27歳 B型 予州 布衣 >武州紫さま 駄文を読んでいただきましてありがとうございます。 中国が儒教の国になった(儒教が国教化した)時期は、議論があります。 昔は、前漢の武帝が建元五年(前136)に五経博士を置いた時期をもって、 儒教が国教化したと見ていたようですが、 近年これには疑念が出ていて、早くとも前漢元帝期、新王莽期、遅くは後 漢初期あたりとみられているようです。 まあとにかく、遼の淳欽皇后のころ(10世紀ごろ)の中国内地は、とう の昔に儒教の国です。ただ遼(契丹)は東北の遊牧民が建てた国ですので、 建国当初は儒教的な束縛はそれほど強くないと思われます。 遊牧民の中でもモンゴルなどのように末子相続が原則なんて民族もありま すが、契丹はいちおう長子相続が原則のようです。じっさいコラムでも書 いたとおり淳欽皇后の長子の耶律倍は皇太子に立てられていました。本来 的には継承者だったものが弟に譲ったかたちになってます。 中国の儒教における長子相続原則も、あくまで原則であって例外はいくら でもあります。日本でもそれは同じだと思いますが…。 韓信がお好きですか。僕も韓信は好きですよ。韓信が?通の進言をいれて 自立していればあるいはとか考えてしまいますよね。 劉邦も好き嫌いが分かれる君主ですね。やたら豪放で気宇の大きいところ を見せるかと思うと、自分の子を馬車から突き落としたり功臣を粛清した りと冷酷なこともやるもので。 まあただ韓信と劉邦の器の差というものは、韓信自身が明らかにしていま す。「自分(韓信)は兵を率いる将だが、大王(劉邦)は将を率いる将だ」 というようなことを言ってます。 僕は劉邦の功臣粛清を弁護するつもりはありませんが、 韓信はただ忠臣一徹となるには望みが大きすぎ、 逆臣の汚名を甘受して自立した君主となるにはやや決断に欠けたように思 います。 191 韓信好き 武州紫 2001/09/04 18:08 蝦夷 皇帝 韓信好きです。国土無双の、韓信を、読んでいると、劉邦が、つくずく 嫌いになります。劉邦より小粒だったのでしょうか。 なぜ、殺されたのか、武力はあっても、政治力がなかったのか、 劉邦は、もっともっと大きかったのか。韓信のために、悲しいです。 予州の布衣さまは、韓信について、どう思われますか? 190 読後に 武州紫 2001/09/04 17:18 蝦夷 皇帝 管理人さま。遼の、淳欽皇后のくだり・・・ 中国は、どのあたりから、儒教の国になったのですか?このころはまだ長子が、 後を、継ぐと言うことがなかったのですか。私達江戸時代後の、日本人は、長 子に後を、継がせない親には、不信感をもってしまいます。そんな感じで読み ましたけれど偏見でしょうか? 189 色々ありがたいです 武州紫 2001/08/31 16:33 蝦夷 皇帝 この前はふざけたまねしてすみませんでした。 ご寛容に感謝です。 コラム読みました。読みました。コーピーしました。 どーも有り難うございました。またよろしく。 188 お気になさらず NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/08/30 21:48 男性 27歳 B型 予州 布衣 >武州紫さま そういうことでしたか。 こちらも気にしてませんので、お気になさらず。 #うちの主頁のコラムを一編追加したのですが、文章が下手くそに なっていることが露呈。分かりにくい駄文で、恥ずかし。 187 言いわけ 武州紫 2001/08/28 13:27 蝦夷 皇帝 管理人様。お許しください。管理人様と、わかっつていてやってしまったのです。 馬鹿でした。ちょっくらと言うような感覚で楽チンとばかり、その上よい思い付き とばかり(ひぐらし)さまなどとふみはずしました。重ねてあやまります。今後も 見捨てないでください。 186 太平天国びいきなら NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/08/26 19:11 男性 27歳 B型 予州 布衣 管理人(永一)です。 >武州紫さま そうですね。 読んでない本なので、作者(叢小榕氏)のスタンスを知りませんが、 中国の人は太平天国びいきのかたが多いので、もしそういう太平天国 びいきの本なら曾国藩には感情移入できないかもしれません。 あと蛇足ですが、184「ひぐらし」のレスは僕(管理人)のレスですよ。 「ひぐらし」はHNではなくサブジェクト(題名)でして。 武州紫さんが、183「つれずれに」と書かれたので、思わず「ひぐらし」 と応じてしまった次第でして。 吉田兼好の『徒然草』冒頭の文ですね。 まぎらわしいレスをしてすみませんでした。 185 ひぐらしさまへ 武州紫 2001/08/25 14:46 蝦夷 皇帝 お返事有り難うございます。そうです。その本です。すこし近い過去の、時代にずらして読んでみたいと思いまして曽国藩を、読んでみましたけど不思議な経験を、しました。それはですね。ね。どんな小説でも書き手の愛情が、主人公に映じて読み手も主人公を愛するものです。ところが、曽国藩を好きになれませんでした。こんな事初めてです.残酷なのは人間の本質かもしれません。中国人に限らず。 。 184 ひぐらし NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/08/23 00:35 男性 27歳 B型 予州 布衣 >武州紫さま 叢小榕『太平天国を討った文臣 曾国藩』(総合法令)でしょうか? 残念ながら僕はまだ読んでないんです、その本。 清代や太平天国のことは通り一遍のことしか知りませんでわたくし。 清代までを古代と捉えるのは中国本場での時代区分ですね。 日本での中国史学者の時代区分はもうちっと細かいですし。 中国の刑罰については、残酷趣味で語られたり、偏った中国批判の文 脈で語られたりするので、あまり深入りしたくはない話題なのですが。 凌遅の刑とか確かに嫌ですね。 言論で殺されることがないとされた宋代あたりが、「最高の専制」だ ったのかもしれないなあとか、素人の戯言ですがそう思います。 まあ目を覆いたくなるような陰惨な部分も含めて、歴史は歴史なわけ で。逆に歴史に自前の都合のいいカタルシスやら癒しやら物語性やら を求めたがる度し難い後世人もいたりして(時事ネタ少〜しからんだ 批評です)。 何だかんだ言いつつ、僕も歴史物語好きな度し難い人間ですけど。 183 つれずれに 武州紫 2001/08/21 13:54 蝦夷 皇帝 ツォン・シャオロン(漢字の名前が書いてあるのですが読めません)と言う人の曹国藩と言う清朝の小説を読みました。中国も、清で古代が、完全に終わりますよね、人間というのはどうしてあんなに残酷になれるのでしょう。リョウチの刑だの・・・この主人公、清の文臣も沢山、死刑を行っています。近代でもその傾向がありますよね。やっぱり昔の英雄の風化されたものを読むほうが、楽しいですね。 182 霍光の力 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/08/20 21:05 男性 27歳 B型 予州 都督 >SINさま >「武帝死亡→側近により情報秘匿→詔を偽造し皇太子擁立→武帝崩御を発表して新帝即位」 >という順番だったのではないかと妄想してしまいます。 秦二世胡亥擁立のときのようなことがあったのかどうか分かりませんが、 一種のクーデターがあったには違いないでしょうね。 霍光はさしたる軍功がない(せいぜい莽何羅・馬通兄弟を討ったくらい) のに、いきなり大司馬大将軍に上っているのは不自然です。 まあ正史の記述通りに武帝の遺嘱があったと考えてもいいですが、 そうだとすれば武帝の眼力は大したものです。 三人組の中でも、霍光の力が上官桀や金日テイより上だと見抜いていた ことになりますから。 181 即位に疑問あり SIN E-Mail: 2001/08/17 23:18 男性 28歳 O型 蝦夷 黔首 <永一さま 漢の昭帝は出生以上に即位そのものが疑問ですね。 実は秦で胡亥が擁立された時と似てるんです。 1.本来の後継者候補(秦=扶蘇,漢=燕王旦)は皇帝の不興を買い外にいた。 2.皇帝は朝廷を離れていた(漢の武帝は死亡時離宮にいた)    =皇帝崩御を知るのは一部側近のみ 3.即位後,先帝の側近が専権を振るう(秦=趙高,漢=霍光) 秦の時は趙高・李斯が胡亥を擁立した事になっていますが・・・。 なお,漢の昭帝の場合,皇太子に立てる詔が出されてわずか2日後に武帝が崩御しています。 私など,本当は秦の時と同様に 「武帝死亡→側近により情報秘匿→詔を偽造し皇太子擁立→武帝崩御を発表して新帝即位」 という順番だったのではないかと妄想してしまいます。 妊娠十四ヶ月の話も,無理矢理な即位を後から正当化する為の方便としての神聖譚かもしれませんねえ。 >チョビひげのカイゼル 個人的には好きですよ。信長のイメージですよねえ,どことなく。