299 お初にお目にかかります 孟徳 E-Mail: 2002/02/16 11:24 男性 29歳 A型 洛陽 皇帝 はじめまして、"孟徳"と申します。 歴史全般(東洋・西洋問わず)が大好きですが特に中華が大好きです。 ここの論議のレベルは高すぎて"孟徳"では役不足かもしれませんが 中華が好き、という点では共通してますので仲良くやっていきましょう。 よろしくお願いします。 武州紫殿のカキコを見ましたが光武帝は中華でもかなりの名君に 入るのではないかと"孟徳"自身も思っています。 が、なにぶん光武帝を詳しくは知らないので みなさまに聞きたいのですが光武帝はどのような人物だったのでしょう? みなさまは彼を名君中の名君と位置付けますか? またみなさまにとって名君の定義とはどのような人物のことを指すのでしょう? ぜひとも教えて頂きたいのですが。 298 恐る恐る今晩は 武州紫 2002/02/15 22:46 女性 B型 武州 女王 菅理人さま。皆様。浦島紫です。お変わりございませんか。 銀英伝が、切かけとなりこのところ若手の評論家の文章を読んでいました。私は草臥れた年齢ですが、今の人はなんと切れ目の解らない終わりのない文を書く事か、吃驚しました。もっと驚いたのは博学な事です。菅理人さまのお陰で若手の世界を覗けましたよ。 それにツケテモ感心なのは田中芳樹氏です。近年とみに解りやすい語呂の優しい文章で物語を書いている様に見えますが。彼氏の(中国武将列伝)上、下(中央公論社)をよみました。 (通史)の代わりにもなって無学の思い違いを正す事が出来ました。 諸葛孔明が本場中国でちっとも有名でない事、など日本人の知らない事が沢山出てます。 そういえば私も日本で出版されて有名になった主人公しか知らなくてそれが本場の英雄だと思っていました。我々が信長や秀吉、家康、藤原氏を知っているのとはわけが違うのでしょう。 日本人は中国に住んでいるのでないからマスコミにふりまされたり学者や小説家の好みで中国史を頭に入れるという事もあるんでしようね。この本では随分目が開けましたよ。 その後に塚本青史の(王もう)をよみました。王もうも艱難時代は真摯な生き方をしていた、それをあぶりだして書き始めたとしていますが、塚本氏も良く最後まで書く情熱がつづいたものです。本当に人間的でない主人公を書き貫くというのは・・・ それで、王もうが簒奪した漢を取り戻した後漢の劉秀をよみたいです。この、光武帝は国がなってから功臣を1人も殺さなかったそうです。 これは稀有な事で功臣をそれだけ信じられたという事は本人がそれだけ信じて貰えたという事の裏返しでしょう。歴代で1番すばらしい帝王ですね。これが田中氏の武将列伝に書いてあります。朱元しょうなどなんでしょうか。みんな殺してしまって。これはカウンセラーものです。 よい小説教えてください。 此処にお邪魔したいですのでせいぜい読みます。 297 長安物語その二 鹿角 2002/02/15 09:51 >管理人様 またずれレスでごめんなさい。じつは私プレステもゲームキューブもないです。(知ったかかましてすいません)オープンソースどういうことですか?(その手の雑誌を読めばわかるかもしれないけど・・・理解不能です。)できればポケモンみたいにカードでも発売してくれるといいなと思います。                                                   で前回の続き。冒頭の場面で拗ねる六つの李隆基君(とっても可愛い。小型犬にして家で飼いたいくらい。)を諭す荻仁傑。この人も偉いですよね。あの武即天によく仕えていたなと。彼女はよく恐怖政治で評判はよくありませんけど、支配していた45年の間は一度も農民暴動がなかったそうです。いくら告密制度を作っても全部の農民の反乱をキャッチするのはとても無理。民衆にとっては唐王朝の支配よりはよかったということですね。で、 問題点(誉めてばかりもいられないので)恐怖政治以外にはこの人の時代は唐の勢力範囲が以前より狭まっているのだそうで・・・謀反退治に忙しくてそれどころじゃなかったって事?(もちろんそれは彼女だけのせいじゃないという反論もありですが)                              しかし李隆基君てば発展家さんですねー。いくら好色だからってあの上官苑児にまで手を出すなんて・・・ 296 開元の盛世・天宝の傾城 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/12 02:05 男性 28歳 B型 予州 舎人 >李氏の手に天下を取り戻そうと仲間たちと語らっている時 韋氏や太平公主を倒したときの李隆基君って、たしかにカッコいいですよね。 晩年になるとあのカッコよさはどこへ消えたのだろうと思いますが。 >「朕は痩せても天下が肥えればそれでいい この台詞は、崇高な自己犠牲…(^^;)とかいう大層なしろものより、玄宗流のユ ーモアなんでしょうけど、韓休への信任と政治への責任感ってのは、しっかり感 じますね。姚崇・宋m・宇文融・張説・張嘉貞・源乾曜・韓休・杜暹・張九齢と いった宰相たち、稀代の名相もいるし短所の多い人もいるのですが、うまく分担 して任せて開元の盛世があったんだなあと思います。 玄宗の政治がおかしくなりはじめたのは、じっさいは楊貴妃の入内(744)の前か らでしょうね。李林甫が張九齢を逐い(736)、皇太子李瑛らが廃殺された(737) あたりから、もう名君の判断とは言えなくなってます。楊貴妃に溺れることで、 さらに歯止めが利かなくなったかんじです。 >儒教の教えでは皇帝といえども 兄をないがしろにしてはいけないということですか? いや、単に兄を差し置いて即位したことへの遠慮呵責もあったでしょうし、親族を 圧迫しすぎて再び政情不安やらのもとになるのもまずいという政治的計算があった というだけでは。ただでさえ、武氏や韋氏の専横があったばかりですし、藩屏とな る健全な?皇族勢力を築いておきたかったでしょう。 儒教とかあまり堅苦しく考えないほうがいいと思いますよ。 それにどちらかというと、玄宗は道教にハマった人として有名ですし。 295 長安物語 ( 97年  徳間書店) 鹿角 2002/02/05 09:51 一読してわかるのは「伴野さん無理してるなー。               玄宗皇帝と楊貴妃の話のあたりは・・・・                    クーデターを起こすあたりはいつもの感覚でかけるけど・・・(李 隆基が)」一言でいってしまうと「若いときに名君だった人が年月を経て堕落していく話」(玄宗皇帝って若いときは名君だったんですね。知らなかった・・・  )                                         李氏の手に天下を取り戻そうと仲間たちと語らっている時や開元の治と言われる時期はとても颯爽としていたのに・・・ああ李隆基君あなたは何処へ?「朕は痩せても天下が肥えればそれでいい。韓休を(当時の宰相の名)用いるのは天下のためだ」この崇高な自己犠牲の精神がなくなったのは一体いつからでしょう。                            小説読むまで知らなかったけど彼は三男だったんですね。兄弟仲が良かったという話はほっとさせられます。とくに皇太子の地位を譲ってくれた長兄には丁寧につかえていたといいますが・・・儒教の教えでは皇帝といえども 兄をないがしろにしてはいけないということですか?(うーむ゛・・・)武即天や李世民だったら絶対唯じゃ置かないと思う・・・ 294 靖難の人 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/03 23:06 男性 28歳 B型 予州 侍郎 >鹿角さま >この作品ではかなり前向きに永楽帝は日本との国交回復を考えています。 史実的な話では、むしろ義満側の積極的な働きかけが、日明間の国交恢復に 寄与してると思いますが。日本の南北朝争乱による正統性の争いが深く関わ っているかと。 >戦いに強い皇帝たちを選んでどこかの奇特なゲーム会社がゲーム化してくれませんかね? 僕としては、どこのゲーム会社と限定はしませんが(アマチュア製作でもよ いので)、単純なゲームシステム(天統とか光栄三國志IIとかくらい)で、 自由度の高いオープンソースの歴史SLGを作ってほしいですね。 極端な話、中国のマップ(作りかえ可能な城市と連絡路)と基本システム (武将と兵士を動かせる)があれば、在野で勝手にふくらませますよ。 某日本史ものの「戦国史」みたいに。 時代としても、春秋時代から明清交代期くらいまで、フォローできれば最高 です。 >とととさま はじめまして。管理人の永一と申します。 僕は永楽帝について厳しい意見を言ったつもりもないのですが(あまり好き ではないとは、言いましたか…、-_-;)。 >彼がモンゴル人あるいは高麗人の生んだ子であるということ、 永楽帝の出生に疑義があるのはたしかですが、断言はできない話だったと思 います。永楽帝が馬皇后の子であるか、達妃の子であるか、?妃の子であ るか、その境遇によって、性格形成には影響あったんでしょうし。家庭生活 が幸福であったかどうかも、いろいろあるんでしょうが…。 >李卓吾もいっているようにその後の明代が二百年余りも続いたのは永楽帝の功績なのです。 問題は、かれが生きている間になにをやったかでしょうね。明暗それぞれに 評価すべき点があると思います。明帝国300年を定礎したのは、かれの功 績だと思いますし。文化的な功績も無視しえないとは思いますよ。 293 永楽帝の件 ととと 2002/02/01 19:41 56歳 黔首 はじめまして。永楽帝について皆さん方のご意見はなかなか厳しいようですが、彼がモンゴル人あるいは高麗人の生んだ子であるということ、また彼が生来多病で絶えず病気に悩まされていたことを考えれば、ああならざるを得なかったのではないかと思います。晩年には女官から役立たずのインポ野郎と罵られ、三男坊は親父の暗殺を謀るなど家庭的にはひどい目に遭っています。李卓吾もいっているようにその後の明代が二百年余りも続いたのは永楽帝の功績なのです。永楽帝がいなければ清の乾隆帝が四庫全書をつくることができなかったわけですし、中国史を研究する我々は途方にくれていただろうと思います。そういうことを考えてみればもっと永楽帝に優しい意見があってもよいのではないかと思います。 292 前回続き・光栄にお願いっ! 鹿角 2002/01/29 09:27 この作品ではかなり前向きに永楽帝は日本との国交回復を考えています。 義満が二股かけた事を知っても別に怒らないというか・・・    方先生への態度とはかなり違います。 (大人の態度って事?)    歴代の中国皇帝の中で一番強いのはだれなんでしょう?というのを最近ついついおもいます。フビライと曹操、唐の太宗VS清の康煕帝・・・戦いに強い皇帝たちを選んでどこかの奇特なゲーム会社がゲーム化してくれませんかね?(スーパーロボット大戦みたいに)光栄あたりにやってもらいたいけど・・・採算があわないから無理?膨大な手間もかかるし・・・(弱気になる・・・) 291 歴史のIFも面白いんですが… NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/01/28 20:55 男性 28歳 B型 予州 使者 >建文帝の時代が続いたら鄭和の大航海はなかっただろうなと。 それは間違いないですね。鄭和は燕王の個人的な臣として終わったでしょう。 いや、鄭和個人の問題だけじゃなくて、建文帝政権が長持ちしても大航海のよ うな事業をやったとは思えないんで。 >それと同じくらい思うのは彼と父である洪武帝がもし張世傑達の仲間だったらと考えます。 え、あの、時代が百年くらい違うので、なんとも。 時代の条件も環境もちがいますし。ある時代の英雄が、違う時代に生まれて 必ずしも英雄になれるわけではないと、僕は思ってますので。 290 前回続き 鹿角 2002/01/25 09:35 ついつい考えてしまうのは建文帝の時代が続いたら鄭和の大航海はなかっただろうなと。(それが中国史にとり良かったか悪かったかは別問題ですが)この意味では永楽帝は人類史に貢献したといえるでしょう。          だけどこの作品では彼はあまり格好よくないんですよね。(「大航海」では燕王時代とても格好よかったのに・・・作者が意識して書いてるのではと思う位なのに・・・)性格は同じなんだけど「ああこういう人か」って言う感じ。大航海で美化しすぎたという作者の反省なのか定かじゃありませんが・・・     それと同じくらい思うのは彼と父である洪武帝がもし張世傑達の仲間だったらと考えます。バヤンや張弘範にだって負けないぞっと思う反面その後が怖い・・・      289 さてさて NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/01/23 01:00 男性 28歳 B型 予州 黔首 >三国志大好き人間さま はじめまして。 「李春雲」ですか。ちょっと分かりませんね。 「宦官列傳」 http://www.toride.com/~fengchu/ の門田さんあたりなら、なにかご存じかも。 …初来のかたをいきなりよそのサイトに振ってしまってすみません。m(_ _)m >鹿角さま >この時の彼の態度を国辱と批判するひとはいますが本当にそうなんでしょうか? まあ、日明貿易のころといい、遣唐使のころといい、日本が中国の冊封体制下に 入ったことに過剰反応する考え方の人がいますから。 足利義満は、天皇に取って代わろうとしたことといい、日本国王源道義と自署し たことといい、国粋的な考え方をする人には受けが悪いです。 おっしゃるとおり、中国と周辺国の冊封関係は、内政干渉をともなうようなもの ではないし、朝貢貿易も負担からいうと宗主国のほうがはるかに大きいです。 >話は変わりますが永楽帝対ティムールの決戦は実現して欲しかった。 戦記物好きにとってはそうなんでしょう。 僕が思うには、たぶん惨禍しか生まなかっただろう、としか。 288 永楽帝その4 鹿角 2002/01/22 09:52 何故か伴野氏の作品には主役を狙う刺客がでてきて「一作だけならいいけど四作も続くと飽きるなー」と思ってしまいます。(ということは「元寇」はフビライが主役?)そうなるのは長編だけですが「始皇帝」は仕方ないとしても「朱竜賦」や「長江燃ゆ」までそうだったらやだなー。ファンの人ごめんなさい。名前だけですが義満もでてきます。この時の彼の態度を国辱と批判するひとはいますが本当にそうなんでしょうか?伴野氏が作品の中で書いておられるのを引用すると朝貢貿易というのは宗主国に多大な負担を強いるのです。相手側の滞在費用負担、関税は無し、おまけに五分五分の取り引きではなく相手側に倍以上にして返さなくてはいけないのだから、属国になりたがる国がでても不思議じゃない。倹約家の洪武帝が嫌ったというのも無理はないです。元は日本との朝貢貿易を望んでいたという人もいますがあの元がこんなことをやりたがるでしょうか?それに陳氏が「中国の歴史」の中で触れられていますが明は日本に対して内政干渉した事は一度もないそうです。(今の中国も見習ってほしい)                                話は変わりますが永楽帝対ティムールの決戦は実現して欲しかった  。これがないのは中国史の一部分を確実につまらなくしたと思うので。 287 西太后の時代 三国志大好き人間 2002/01/21 22:44 はじめまして。私は三国志以外の中国史を見たことがなかったのですが、 この度、浅田次郎著の「蒼弓の昴」という小説にはまっています。 その中に登場する「李 春雲」という宦官がいるのですが、実在した人物なのでしょうか? それが気になっていて、ここにカキコさせていただきました。 もし知っている方(読んだことのある方)がいましたらレスお願いします。 286 玄武門とか NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/01/18 17:54 男性 28歳 B型 予州 道士 >tさま はじめまして。管理人の永一です。 「玄武門の変」について詳しくですか。 市販本で手に入りやすいところでは、 『中国文明の歴史5隋唐世界帝国』(中公文庫) あたりが比較的記述が詳しいと思います。 それでも4ページ弱くらいですけどね。 それよりさらに詳しく知りたいとなると、 古書・論文を検索するか、 『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』などの漢籍を読むしかありません。 僕も手をつけてないところなので、ここまでくるとお役に立てません。m(_ _)m >鹿角さま >私は元朝はあまりすきじゃないんです。 おや、意外です。お好きなものとばかり思ってました。 まあ、面白い人物は何人かいますし、軍事的なパワーはすごいけど、 政治はかなりダメでしたしねえ。 >洪武帝の側近だった劉基や李善長といった人達なら 同じ削藩をやるとしても、もう少し巧妙にやったでしょうね。 >・・・年表と索引がついてないのが痛い。(泣) 僕が持ってるのがちょうど陳舜臣『中国の歴史』の講談社文庫版ですが、 年表はついてますけど、索引はついてません。残念です。 285 永楽帝その3 鹿角 2002/01/18 09:49 >NAGAICHI様 一回ずれてのレスですいません。私は元朝はあまりすきじゃないんです。「よくも高麗や南宋を酷い目にあわせてー」とか「軍事力があれば何やっても許される訳じゃなーい」という意識がどうしても先にあるので。過激な意見を言った時も少しは泣ける要素があって欲しかったというのが本音です。(逃げ出すほうにとっては悲劇かもしれませんけど)       方先生については・・・そうかもしれませんね。でも私としては燕王を謗る前に対策を考えて欲しかったというか・・・                                                                     ついつい考えてしまうのが「建文帝の近くには本当に人がいないなー」ということ。トップがあの二人じゃ・・・・洪武帝の側近だった劉基や李善長といった人達ならばもっと知能犯的なやり方で同じ計画を進めただろうと思うと・・・もう少しこの時代のことが詳しく知りたくて陳氏の「中国の歴史」(平凡社)も読んでいます。この種のものでは一番分かり易くていいのですが ・・・年表と索引がついてないのが痛い。(泣)そのくらい付けて欲しい。講談社文庫版ではついてるでしょうか?11巻のなかで触れてあった永楽帝の日本によせた国書というのがあって、「行いを正しくせよ」(人のこといえるかーい)とか「勉学に励め」とかいてあるそうです。「校長先生の夏休み前の訓示だなー」と思ってしまいました。                                              284 明初いろいろ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/01/17 19:31 男性 28歳 B型 予州 仙人 >鹿角さま >「燕賊纂位」というのが負け犬の遠吠えにしか聞こえない気がするのは私だけでしょうか? あれは方孝儒の気骨を示したシーンなんですけどね。 お前なんかには仕えないし、自分の筆は曲げないぞ、という。 それを受け入れる度量が、永楽帝にはなかったってことでしょう。 それどころか、方孝儒の家族や門下まで粛清してますしね。 あるいは、わざとエキセントリックな対応をして、威を示したのかも しれませんが。 永楽帝が後世まで非難される部分ですね。 >あれほどやりたい放題の洪武帝も後嗣と倭寇に関してはお手上げ状態だったんですね。 後継ぎは、長男が死んでしまいましたからね。 孫の建文帝は若すぎたし、補弼するための人材も粛清によって払底し てました。自分のまいた種ですし、しょうがないです。 倭寇も、海禁(というより貿易の統制)によって排斥された人々が跳梁 したんであって、やはり洪武帝自身の政策のツケです。 良くも悪くも洪武帝は巨大な人物だったわけで。 283 誰か教えてください。 t 2002/01/17 17:24 女性 19歳 鮮卑 公主 大学入試で世界史を勉強して中国史に興味を持ちました。まだ教科書程度しか知りませんがこのサイトの人物辞典には感動しました。すごい!! ところで、玄武門の変についてくわしく知りたいのですがどなたかご存知ではないですか? (私が知っている知識は李世民が兄弟を倒して李淵を幽閉し、即位したってことです。) 282 永楽帝その二 鹿角 2002/01/15 09:41 「大航海」から「永楽帝」までの15年の月日は建文帝を三人の子持ちの父親にかえました。さぞかし子供に甘い父で奥様に叱られてるんじゃなかろうかとおもえます。(最も子供と一緒のシーンはありませんでしたが)そしてその父の標氏。出来のいい弟を持つと兄は苦労するという典型例みたいなひとでブルーはいってますねー。なりたいのか逃げたいのかはっきりしてほしいです。方考襦先生 「燕賊纂位」というのが負け犬の遠吠えにしか聞こえない気がするのは私だけでしょうか?永楽帝も陳琳を助けた曹操の故事に習って欲しかった。話は変わりますが塩野七生さんはカエサルの優れた資質の一つに見たくないものでも見る勇気があった点をあげておられます。永楽帝もこの勇気をもってほしかった。それとどの人にも弱点はあるんですね。あれほどやりたい放題の洪武帝も後嗣と倭寇に関してはお手上げ状態だったんですね。本人はそう思ってないとしても後嗣はともかく倭寇については生前に解決できませんでしたから。 281 こちらは新年お初 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/01/12 23:57 男性 28歳 B型 予州 都督 年明けて十日以上たってこちらに出てきた管理人です。m(_ _)m >鹿角さま >改めて解ったのは私は建文帝が好きなんだなーということ。 元朝もだいぶお好きなようにお見受けしますが。(^^) さきほど、建文帝の年齢を調べていて、生年が1377年と1383年のふ たつがそれぞれ別のとこから出てきて、ありゃどっちだ?と首をひ ねってるとこです。p(^^;) どちらにしろ、数えの二十歳代で叔父燕王に滅ぼされてますしね。 青少年の政治責任を本気で批判してもしょ〜ないでしょう。 (とかいってる自分もまだ二十代ですよ、悪あがき〜) 陳舜臣さんも建文帝が優柔不断とは言ってますが、心やさしいとか 学問好きとかの美点も挙げてます。むやみに謗っているわけではあ りません。 二十歳で大人顔負けのことがやれる李世民みたいな人は、なかなか いませんよ。そういう意味では、豊臣秀頼くらいに判官贔屓があっ て当たり前な人で。実際、南京で死なずに雲南に逃げた話がありま すね。 斉泰と黄子澄について、「応天府一の頭脳」は初耳です。 まあ、政治家としては失敗者なんでしょうね。 さほどにけなす気にもなれませんけど、建文帝より実際の責任が重 いのは確かです。 永楽帝は、プチ洪武帝みたいなとこありますよね。 鄭和のエピソードは僕も好きですが、朱棣個人は正直あまり好きに なれません。 280 永楽帝(徳間書店・99年 )再読 鹿角 2002/01/08 09:52 >NAGAICHI様 確かに過激な意見でしたね。反省します。群雄割拠以前の段階でどうにかすべきでしたね。皇帝に実権なく権臣たちが権力闘争にばかり一生懸命なら短くても仕方ないでしょう。                                                                 「永楽帝」は一応書き下ろし長編の筈なのに「大航海」と重複してる場面多すぎ(苦笑)です。下手すると10分の1位そうじゃないかと思えるくらい。  (徳間もサギやなー)改めて解ったのは私は建文帝が好きなんだなーということ。例え陳さんをはじめとする後世の識者が失格だの優柔不断だのと謗ろうと。だから余計にあの二人が許せないのかも。その片割れである黄子澄は自分のことを「応天府一の頭脳」と自惚れてるし・・・(ギャグだったら座布団10枚あげたいけどマジですから。応天府一のバカの間違いじゃないかと思いますけど)不満といえば家族との対話シーンが無い事。鄭和達に見せる顔と妻子に見せる顔は違うと思うので。あとは自分のした事について後悔や自責の念はなかったんでしょうか?史実によればこの人言論弾圧までやってる。自分が悩むのは勝手だけど人に謗られるのがそんなに嫌ですか?武人としては一流かもしれないけど為政者としては高い点数つけたくない。    279 王朝の寿命 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/12/28 22:22 男性 28歳 B型 予州 土匪 仕事の繁忙の峠を越えた?管理人です。まだヤマを越えたとは言えず。 なかなか出て来れなくてスマソ〜。m(_ _)m 杉山正明さんあたりなら、大元ウルス(^^;)はモンゴル高原に北遷しただけで、 滅んではないんだ〜、とでもおっしゃるのでしょうか。 元王朝が滅んだ要因は、だいたい重税・宮廷濫費・インフレなどを挙げている 本が多いみたいですね。まあ、科挙受験の道を閉ざされた士大夫階層の不満っ てのもあり。 やはり軍事的要因より経済的要因のほうが主ですね。 軍事的パワーのみで維持できる王朝の寿命って30〜70年くらいで限界なん だろうと思います。歴史を長いスパンで見てると、そうとしか言えないです。 「城を枕に徹底抗戦」って、過激ですね。 僕個人としてはあまり好きな考えじゃありません。 個人のロマンとしては勝手ですが、それに巻き込まれる一般の兵士はたまった ものではないだろうと思いますし。 中国史上にはそういうたぐいの将帥はたくさんいますけどね。 むしろ戦局が不利になったら、なにもかもかなぐり捨てて逃げられるのが、賞 讃に値する遊牧民の長所かと僕には思われまする。(-_-;) 朱元璋は、「一人にして聖賢、豪傑、盗賊を兼ねたり」と評されるお人。 なかなか複雑な性格をしておいでです。 278 元王朝の寿命の短さ 鹿角 2001/12/24 09:43 フビライ死後70年で元王朝滅亡・・・これを長いとみるか短いと見るかは人それぞれでしょうね。少数による多数支配というのは必ずといって良いほどどこかにガタがきます。あまりにも自分達が軍事的に強いということに頼りすぎていたような気がします。もう少し民衆に対して思いやりや優しさをもっていたらもう少し王朝の寿命は延命できたような気がします。やはり後続の明や同じように少数民族の清と比べるといかにも短命という印象がとうしてもぬぐえないので。(清は元の轍を踏むまいとしたのでしょうね。科挙もとりいれたりして。だけど弁髪強制はいけませんね。)あまりにも元朝滅亡は情けないという印象がどうしてもぬぐえないのです。攻めにはあれほど強さを発揮したモンゴルが守りにはいると途端に強さを失うというか・・・「城を枕に徹底抗戦」位の意地は見せて欲しかった。しかしこの時の洪武帝は偉いですね。部下に非人道的行為を一切禁じています。のちに五万人もの人を粛正しまくった人とは思えません(彼は多重人格者なんでしょうか?) 277 おそらくは NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/12/23 00:22 男性 28歳 B型 予州 スポークスマン >鹿角さま 杉山さんは大河ドラマの考証に加わっていたらしいですが、どの程度の関わ りだったのやら。 杉山色が見えるのは、クビライ・カァンとかの人名の発音表記くらいのもの ではないでしょうか。 回回砲(襄陽砲)は分かりません。 そもそも回回砲って海上輸送に適した兵器なんでしょうか? 砲弾だけで89キロあったというしろものらしいですし。 まあ、モンゴルの日本侵攻の将帥は二線級で、動員軍団も高麗・南宋兵士中心 ですし。日本にはそもそも中国型の城市群があったわけでもなし、そんな大仰 な兵器を動員して輸送する必要を感じなかったのでは。 276 最大の謎  鹿角 2001/12/21 09:28 >NAGAICHI様 「モンゴル帝国の興亡」は立ち読み程度しかしてませんが杉山さんの「大モンゴルの世界」はよみました。これによると文永の役は南宋撃滅作戦の一環なんだそうで・・・大河でもそういう視点にたってくれるかと期待したんですが・・・はずれましたね。                                                弘安のえきで私が一番不思議なのはなぜ回回砲を石築地破壊に使わなかったかという事。これを実戦に使えは゛さしもの石築地も物の役にたたなかったろうと指摘する人もいるくらいです。石築地程度で手も足も出なくなるモンゴル軍って一体・・・(苦笑)バヤンや張弘範だったらあればあったで次の作戦を考えたでしょうね。キントやアタハイ程度の人なのが日本に幸いしましたね。 275 モンゴルの対日本戦 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/12/17 21:54 男性 28歳 B型 予州 布衣 うちのサイトもいつの間にやら3万アクセスです。 誰も指摘してくれないので、自分で言ってみたり…むなしい。 >鹿角さま >徳間書店発行の「アニメージュ」 なるほど、あまり読んでない雑誌ですけど、知ってます。 そういう約しかたがあるとは知りませんでした。 >戦いに賭ける気概というのが対南宋戦と日本戦とでは全然違って見えます。 そういえば、杉山正明『モンゴル帝国の興亡(上・下)』(講談社現代新書) って、読まれたことありますか? この著者の説によると、モンゴルの対日本戦は、モンゴルによる高麗・南宋 兵士に対する棄民政策という要素が強いとのことです。つまり、本気で日本 征服しようと思ってなかったとのこと。 これもまた、現代的感覚からはひどい話なのではありますが。 この杉山さんの所説のかずかずは中国史家からの批判が多いのですが、仮説 としてはきわめて斬新で含蓄深いです。信じるかどうかは別として、一読さ れることをオススメしたい本です。 274 運命を分けたもの 鹿角 2001/12/17 09:45 >NAGAICHI様 AMというのは徳間書店発行の「アニメージュ」という雑誌です。同時期に出てた雑誌は殆ど廃刊になってるのに息が長いですね。                                                田中さんの「海嘯」には泣けます。つくづく思ったのは日本と南宋の運命を分けたものが何であったかという事。戦いに賭ける気概というのが対南宋戦と日本戦とでは全然違って見えます。バヤンと張弘範が率いた元軍とキントやアタハイが率いた元軍は同じ軍隊とはとても思えません。(司令官の才能の差と言ってしまえばそれまでですが・・・)対南宋戦で見られた様な何が何でも相手を叩き潰すという気概が日本戦ではまるで感じられないのです。 彼ら程度の人しかいなかったということなんでしょうか?(世界帝国のモンゴルが余程の人材不足といわざるをえませんね。いやだからといって本気で来られても困るんだけど)結局これは今昔どの計画にもいえることですがチームワークが一番大事という事でしょうね。味方同士が不和でうまくいく計画はないに等しいのですから。   273 マルコ・ポーロ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/12/14 20:39 男性 28歳 B型 周 公 >鹿角さま >古いAM80年四月号を読んでいたらバヤン発見! ううう゛っ、 「AM80年四月号」ってなんですか? 雑誌? 80年って1980年ですか?わたしゃ小学1年生だわ。 無知ですみません。 >マルコ・ポーロの冒険にでていたんですね。 マルコ・ポーロの冒険は知りませんが、 マルコ・ポーロ『東方見聞録』には、バヤン(百眼)は出てるみたいです。 モンケ、フビライ、チンキム(フビライの子)、テムル(成宗)、ハイドゥ、 ナヤン、アフマド、李?あたりは出てますね。あと、南宋皇帝と皇后は出てま すが、臣下クラスの固有名詞は見えないようです。 272 大航海3・バヤン発見! 鹿角 2001/12/14 09:51 3回目のこのネタです。この作品には日本人の楠木多聞がでてきて鄭和の良きパートナーになってくれるのが何とも嬉しいです。              伴野さんには「孔明死せず」という架空歴史ノベルがあるので永楽帝対ティムールの戦いもかいてくれないものでしょうかね。(しかし三国志なら需要があるけどこの二人の対決を見たがっている人はそうおおくないだろうな。出版社も二の足踏むだろうし・・・)                                                                          先日古いAM80年四月号を読んでいたらバヤン発見!マルコ・ポーロの冒険にでていたんですね。 ゲスト出演ですけど1276年頃なので南宋側はだれが出ていたんでしょうか?文天祥も出てたら嬉しいけど・・・誰か知ってる人がいたら教えてください。                                              271 永楽帝も NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2001/12/11 20:51 男性 28歳 B型 魏 侍中 うちでウイルス駆除に成功してほどなく2週間ですが、 まだウイルス付メールが1日あたり4、5通くらい来ます。 みなさんのところは大丈夫でしょうか? >鹿角さま >永楽帝が逃げたというのは簒奪という行為に対してのみです。 なるほど…、でも中国の伝統的教養のある人ほど、世間の批判や後世の筆を 気にせずにはいられないんでしょう。 かの名君の唐太宗・李世民すら死後の名利を気にして、実録改竄に手を染め たらしいですし。 趙盾や桓温のように汚名を甘受したり、汚名を進んで引き受けたりする人は 稀な気がします。 >それにしても彼とティムールの一騎打ちは実現したらどちらが勝ったのでしょうね。 歴史のIFですね。ティムールの明国遠征が実現していたら果たして。 ティムールには遠征軍の不利がつきまといますが、 永楽帝のほうも政権確立直後の不安定さがありますし。 まあ、いくら軍事的天才のティムールでも、短いスパンで中国征服を成し遂 げるのは難しいでしょうし、長期戦になったら単純な戦術能力より、調略や 人心掌握にかかってきます。これは流動的すぎて分かりません。架空歴史小 説の世界になってきますね。